1章78 『弥堂 優輝』 ⑪
その頃には俺はもう18歳になっていたと思う。
同級生たちは高校三年生か卒業した頃だろう。
俺は彼らよりも一足早く、異世界ではあるものの社会にデビューしていた。
人殺しとしてだが。
皮肉なもので、日本に居た時には伸びなかった背もかなり伸びて、身体つきも大分頑強になってきていた。戦いの日々に適応したのかもしれない。
ガリガリの女みたいだったクソガキはもうどこにもいなく、人相もすっかり変わってしまって、召喚された当時とじゃ見た目がまるで別人だ。
昔の知り合いが俺を見ても同一人物だとは思わないだろう。
だから、というわけでもないが、これくらいの時期にはもう俺は元の世界へ帰りたいとは考えなくなっていた。
召喚された最初の頃は少しホームシックがある程度で、解体訓練が始まってからは毎日「帰してくれ」と懇願し、ルビアと居た時期はたまに「帰りたい」と夜泣きをしていた。
多分転機はあの町で虐殺をしてからだろう。
その前にはもう既に人を殺してはいたが、あれをやらかしてからは特に後ろめたさを感じるようになり、日本に帰れたとしても親にどんな顔で「ただいま」と言えばいいかわからなくなってしまった。
それから皇都へ戻り、目まぐるしくも殺伐とした日々を過ごしていく内に、元の世界への帰属意識が薄れていく。
召喚されてから大体5年が過ぎたこの頃、俺は自分がどこの国の人間かと聞かれると真っ先に頭に浮かぶのはもう『日本人』ではなくなってしまっていた。
今は日本に帰ってきて生活してはいるが、実は俺には『帰ってきた』という意識があまり無い。
俺は所謂『異世界からの帰還者』という属性になるはずなのだが、どちらかというと『日本という別世界に転移してきた異世界人』という自認の方が強い。
これは長く入院していた水無瀬のことについて考えたことと同じなのだが。
彼女は小学校・中学校という時期をずっと病院で過ごしてきて、俺が実際に見てきたわけではないが、きっと彼女の周囲は大人ばかりで同年代と接する機会は少なく、基本的に誰からも子供として扱われてきたことだろう。
だから彼女の心は高校生となった今も幼いままで、純粋なままで居られていると――
これは決して水無瀬のことを馬鹿にしているわけではない。
何故なら俺自身も似たようなものだからだ。
俺は中学校・高校という時期を異世界で戦争をして過ごしてきた。
大体の人間は社会に出る頃には人格がある程度定まっている。
だから中学・高校という場所と時期でそれを形成するのだし、それらはその為の場所だ。
ところが、俺はその時期にずっと戦場で殺し合いをしたり、人の住処に忍び込んでこっそりぶっ殺したり、そんなことばかりしてきた。
騙したり騙されたり、殺したり殺されたり。
皆は勉強と青春を通して真っ当な一般人の人格を懸命に形成しているというのに、俺ときたら殺しと騙りしか学んでいない。
その結果出来上がったのは、人間失格の外道だ。
異世界からきた人間未満の居場所など日本にはない。
だから日本へ帰還した俺はしばらくはまた別の異世界に来てしまった感覚だった。
それは、今から2、3年前の18歳の頃の俺にも多分こうなるだろうなと予想出来ていて、だからもう帰りたいとは思っていなかったし、今さら帰されても困ると思っていた。
要は、もうどう足掻いても贖っても取り返しがつかなく――何処にも引き返せないのだ。
18歳の俺がそうだった時に、同じように引き返せなくなっていた者がいた。
それがリンスレットだ。
彼女は大商会であるグロウベル家で生まれた妾の娘だ。
斬新な社内規定のある商会のトップに昇りつめようと、リンスレットは女だてらに独立して一山当てようとしている。
そんな彼女だったが、何の因果かグレッドガルド皇国皇女殿下様のお抱え諜報員と為ってしまった。大体俺のせいだ。
しかしそれは彼女の性質に合っていたのかみるみる成果を上げ、そして有能な者への報酬を惜しまないセラスフィリアの援助も受け、彼女の商会の方も大きくなっていっていた。
だからといって、諜報員はもう辞めて商売に専念しますと言っても、そんなことは通らないだろう。知り過ぎてしまったから。
彼女はもうグレッドガルドと命運を共にするしかなく、引き返せない。
もう一つ彼女の引き返せないところはというと、男性との性的な交遊だ。
もともと俺と出会う前からリンスレットは枕営業のようなことをして権力者や有力者との関係を作っていた。
今ではセラスフィリアのツテを使うことで、会おうと思えばほぼ誰にでも会うことが出来る。
もうそんなことをしなくても交渉は出来るだろうに、しかし彼女はそこで会う相手に今でも同じことを続けていた。
これも引き返せないのだと彼女は言っていた。
俺とリンスレットはいつでも行動を共にしていたわけではない。
彼女は仕事の性質上あちこちの国や街を飛び回っていることが多く、政務として行動することもあれば商人として潜り込むこともあった。
だからたまに帰ってきた時に顔を合わすくらいだったのだが、付き合いが長くなるに連れて彼女のプライベートな話も聞くようになった。
俺から聞くわけではないのだが、彼女の気さくで馴れなれしい性質から、異世界から来た俺に日本のことなどを彼女の方が聞いてきた。
比率としては大体俺のことを5聞くと1程、自分のことを話してくる。
俺は彼女のパーソナリティにあまり関心がなかったのだが、きっと喋りたいのだろうなと思って付き合っていた。
そんな中である日、彼女から生まれた家のことを聞かされる。
彼女の母は妾の立場に満足していないらしく、リンスレットに商会を握るよう要求したらしい。リンスレットを商会のトップにすることで自身の立場の向上を図ったのだ。
そして彼女に枕営業を仕込んだらしい。
彼女の意思で始めたものではなかったようだ。
とはいえ、彼女の普段の言動や振舞いから、それすら楽しんで進んで行っているのだと俺は思っていたが、どうもそういうわけでもないらしい。
行為自体には慣れてしまったが、たまに落ち込むことがあるのだそうだ。
だがそれで考え過ぎてもロクなことにならないので、せめて楽しむように自分のメンタルを作っているのだと彼女は言った。
「あー……」と何の役にも立たない声を漏らして、そう言えばルビアも同じようなことを言っていたなと思い出す。
一時期娼館で働いていたことのあるルビアから、娼婦がどういうもんかって教えてやると聞かされた話の中で、似たような内容があった。
要は割り切れということだろう。
嘆いていても自分の置かれた状況は変わらない。だからせめて楽しめと。
本気でその人生を謳歌しろという意味ではない。
女のことを教えてやると言って始まった話だったが、多分、元の家に帰りたいと泣くクソガキに向けて言っていたのだろう。
ルビアが死んで何年か経ってから、他の女との会話でその意味に気付くとはつくづくどうしようもない。
随分と人生を楽しんでいるようで全く笑えなかった。
リンスレットもただそんなことが言いたかったわけではない。
こうやって生きていかなければならないのはもうしょうがないから、だからたまにはそうじゃないのも欲しいと、彼女は言った。
何を言っているのかさっぱりわからなかったので「勝手にすりゃあいいだろ」と適当に返したら、突然体当たりでもするような勢いで彼女に抱きつかれ、ベッドに押し倒された。
俺の上に覆い被さってにんまり笑う彼女を見て――
あぁ、たまにルビアが謎に甘えてきたのはこういうことかと、理解する。
この世界の庶民の女には、特に身体を売る生業の女には、こういった部分がある者が割といたような気がする。
余程力のある家に生まれたわけでもなければ、結婚するまで綺麗なままでいられることなどほぼない。
年中どこの国も戦争をしているので、必然的に庶民の暮らしは厳しいものになる。
親兄弟に売られることもあるし、自分から売ることもある。
敵軍や野盗に襲われればもっと酷いことになる。
そうじゃなくてもちょっと油断して一人で人目のない場所に行けば、攫われたり、その場で強姦されて捨てられたりもする。
とにかく治安が悪いのだ。
だから、王族や貴族、それか金持ちの家に生まれて護衛でも付けられるのであれば話は別だが、そうでない普通の一般人の女がそういった目に遭うのは珍しいことではなかった。
ルビアもそうだし、このリンスレットもそうだし、エルフィーネはもっと酷い。
彼女らは俺なんかよりもずっと強かで逞しく根性のある生き方をしている。
だけど、時折こうして自分を慰めたくなることもあるのだろう。
リンスレットの貼り付けた笑顔の仮面を視て、どうするかと考える。
俺は別に彼女のことは嫌いではないが特に好きでもない。ただ便利な女だとは思っている。
彼女もそうだろう。
俺たちの関係は利害の上に成り立っている。
だから彼女はそういうものを俺に求めているわけではなく、俺もそうだから――
だからそれで彼女の精神安定になって仕事が捗るのなら、別に構わないかと、彼女と関係を持った。
彼女が行為に慣れているように、俺もある程度は慣れている。
少し前の任務でしくじってしばらく変態貴族ババアのペットをしていたので、好きでもない女とそういった行為に及ぶことにはなにも抵抗はない。
相手がよく知っているリンスレットならむしろイージーモードだ。
そうして軽はずみに関係を持ち、当然彼女と恋仲になることなどなかったのだが、それからは彼女と会った時に彼女が“その気”だったなら、同じ行為を重ねるようになった。
そんなある日のこと――
最初にリンスレットと関係を持った時は、俺はまだエルフィーネと恋人関係になる前だった。
だからなんの問題もなかったのだが、俺があまりに女と寝ることに抵抗がないというか無頓着だったせいで、エルフィーネと付き合いだした後にも、リンスレットと会った時にいつもどおり普通に流れでそうなった。
「あ」
と気付いたのは一通りやってしまった後だ。
もしかしてこれは浮気というやつになるのか? と考えていると、息を弾ませたままリンスレットが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「なんでもない」と彼女の赤みのある髪を撫でて誤魔化し、内心で『まぁ、あいつもアレだし別に大丈夫だろ』と思考放棄する。全然大丈夫ではなかったが。
呼吸と気持ちが整うと、ベッドの中でリンスレットから次の任務を聞かされる。
同盟国の中に力のない小国がいくつかある。
その内の一つの国が少し前から急に国交に消極的になったそうだ。
その国は随分前から内部分裂を起こしかけていて、戦争反対派の声が大きくなっていたそうだ。
離反の可能性があるから探って来いというわけだ。
任務のメインは調査。もしもクロだった場合可能なら証拠を押さえること。ただし王は殺すなということだった。
その国の首都は現在半封鎖中で、入都するには検問に並ばなければならないそうだ。かなり厳しく入国審査をしているそうで何日か並ぶことになるらしい。
もうその時点でクロと見做して軍隊で包囲してやりゃ素直になんだろと思ったが、任務だから面倒でもやらねばならない。
リンスレットは既にその国の中に偽造した身分で店を開いているそうなので問題なく入れる。
エルフィーネやシャロは教会のシスターでもあるので、修道服を着ていけば別口から優先的に入れる。そしてもう潜入済みだそうだ。
問題は俺だ。
俺だけはリンスレットの店に入庫する業者を装った馬車に乗り、一人で検問を受けて後から国に入ることになった。
そんなに難しい任務ではないように思えた。
だが先に現地に入っていたリンスレットの話によると、どうも『戦争反対』という空気ではなく、どこかキナ臭いとのことだ。
「合流するまで少し時間あるからユーキくん来るまでに全部調べとくねー」
冗談めかした口調で笑う彼女を、一日二日の差だから余計な無茶をするなと諫める。
「ワタシなら上手くやれるって」
彼女はそんないつもの言葉を口にして俺の胸に頭を置いた。
それは彼女の口癖のようなものだった。
楽観的な自信のようでもあり、たまにどこか自分に言い聞かせているような雰囲気の時もあった。
この時がどっちだったのかは今でもわからない。
「ワタシ役に立つよ?」
イタズラげに笑ってから彼女は眠る。
俺もそれ以上は何も言わずに眠りについた。
ここでもっと強く止めていればよかったのに。
翌日、彼女は朝早くに出発し王都に入る。
俺は一日準備に使ってからさらに翌日に検問を待つ列に馬車で並んだ。
長蛇の列は酷く緩慢に進み、たまに列の横を王都から出てきた商人の馬車や軍人の馬が走って行く。
見上げれば風のない晴れた空。雲が少しある。
俺は待つことが嫌いだ。
さらにその待っている間に他にやることがないと効率が悪すぎて非常にイライラする。
だから空の雲と記憶に記録された数秒前の雲とを見比べて、その苛立ちを誤魔化していた。
何時間かすると大分門に近づいてくる。
ここまで来ると降りて馬を引かねばならなかった。
さらに列が進み、俄かに前方が騒がしくなってきた。
なんだと訝しんで、被っていたフードの中からそちらへ眼を遣る。
列の脇の土の路に何かが落ちている。
元は白い、少し陽に焼けた肌。
長い髪。
赤みがかった――
反射的に起動させそうになった【
魔眼【
落ちているのは死体。
リンスレットの死体だ。
死体から視点をズラして視界の端に収める。
これは罠だ。
死体を見た者の反応を監視されている。
仲間を炙り出す為に死体を晒しているのだ。
リンスレットは服を着ていない。
各所に痛々しい暴行の痕がある。
なのに顔には傷はない。
一目で見分けがつくようにわざとそうしているのだ。
周囲の者たちと同じように顔を俯けて注視しないようにする。
ここで騒ぎを起こして掴まれば任務に支障が出る。
だから彼女を見捨てるのだ。
俺は彼女を愛していない。当然恋もしていない。
それは彼女も同じだろう。
同じだと思っていた。
だから関係を持った。
だけど、それがずっといつも同じままなわけではない。
変わらなかったとしても気の迷いを起こすことはある。
だから、彼女は俺に情を持ってしまって、気の迷いを起こしてしまった。
ずっと上手くやっていたのに。
この国は戦争に反対する為に離反を起こそうとしていたのではなく、魔族側に寝返る動きになっていたようだ。
先に国に侵入したリンスレットはその空気を察知し、確定情報を得るためにエルフィーネたちが止めるのを聞かずに、踏み込んだ情報を探ろうとしたらしい。
迂闊に深入りをして、そしてしくじったのだ。
『ワタシなら上手くやれる』
彼女の言葉と顔が再生される。
そんなわけがないとわかっていたはずだ。
何度も同じミスを繰り返す。
そうしている間に彼女の死体の横に差し掛かる。
俺は乱雑に扱われ汚された彼女に眼も向けない。
今ここで何をしようと、彼女が死んだという事実は覆らないから――
意味がないからだ。
その時――
門の方から馬車が走ってくる。
御者は道端に落ちている死体に驚いたのか、慌てて進路を逸らしてそれを避ける。
軌道を変えた馬車の車輪が彼女の手を轢いた。
泥と一緒に何かが跳ねて宙に舞った。
横を歩く俺の顔に、血と泥に汚れた指が落ちてくる。
それがゆっくりと俺の眼に映る。
俺は腕を動かして外套でそれを払った。
顔を俯けたまま通り過ぎる。
一時の体温を分け合った女の死に顔の横に、膝をついて祈りを捧げることもしない。
こんなクズの為にどうしてどいつもこいつも。
違う。こんなクズのせいでどいつもこいつも――
関係を進めてはならない。深めてはならない。
みんな死んでしまうから。
だから関係を作ってはいけない。
もう一度強く自分を戒める。
その国がその後どうなったか、それはどうでもいいことだ――
そうやって、より他人から遠ざかるようになって、俺はさらに今の俺に近づく。
だが、増やすことをしなかったからといっても、それで今あるモノが何も減らなくなるわけではない。
何も失くならないわけではない。
次、また、少し時間が経って。
また人が死ぬ。
一番大切なモノが。
そうなってしまったモノが。
そして今の弥堂 優輝が完成する。
エルフィーネが死んだ。
彼女は自殺だった。
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