1章77 『燃え尽きぬ怨嗟』 ⑤


『俺は何も思わなかった――また頭ん中でそんなクソみてェなこと言ってんじゃあねェだろうなァ? アァン?』



 悪魔たちと戦う愛苗を視続ける弥堂にルビアが不機嫌そうに言う。


 弥堂は彼女の方へゆっくりと顔を向けた。



『テメエはあれを見てもなんにも――』



 説教を続けようとしていたルビアだったが、弥堂が自分へ向ける眼に訝しんで言葉を止める。


 弥堂は今しがた愛苗を視ていたのと同様、茫然としたような眼でルビアを視ていた。



『なんだテメエ、その腑抜けたツラは?』


「……ルヴィ、アンタ……、本当にそこに居るのか……?」


『アァ? なんだコイツ気持ちワリィな』



 ルビアは一度眉間に皺を寄せ、すぐに話を戻す。



『それよりテメエはあれを見てもなんにも思わねェのか?』


「あれ……?」



 悪魔の侵攻を塞ぐ巨木を指差され、もう一度そちらを視た。



『スゲェ気合だ。アタシはアイツが気に入ったぜ。ありゃあイイ女になるぞ』


「…………」


『それに比べてテメエはどうだ⁉ アァ⁉』


「そうだ……水無瀬。あいつなんでまだ……」


『そんなのテメエが情けねェからに決まってんだろうがッ!』



 強い剣幕でルビアが詰め寄ってくる。


 しかし、それには圧迫感がない。実感がない。



 彼女は自分が見ている幻覚で、そこに映像はあれど、実体はない。


 実在していない。



 そのはずなのに――



 だが、愛苗は感じとっていた。


 弥堂と同じく見えているのか聴こえているのかはわからない。


 それでもルビアを感知していた。


 そこに誰かが居ると認知していた。



 と、いうことは――



 さらに、と、いうことは――



『オイ! 聞いてんのかよ⁉』


「あ、あぁ……」


『チッ、戦場で呆けてんじゃあねェよ。ちったぁマシになったと思ったらまた昔に逆戻りかァ⁉』


「そんなんじゃない」


『だったらピリッとしろや! あのガキんちょがあんなんなってまで踏ん張ってるってェのによ! テメエはなんだ!』


「俺は……」



 言いかけてやめる。



 そんなことがあるわけがない。


 この『世界』で自分に都合のいいことなど起こるはずがないのだ。



 頭を振って可能性を振り払う。



 そしてその仕草は正確にルビアに伝わる。



『いいかァ? クソガキ。テメエの一番悪いとこはそれだ! 自分を疑ってる。なんならこの世で一番テメエはテメエ自身を信用してねェ! それがクソだってんだ!』


「…………」


『いつまでもグダグダと自分を誤魔化してんじゃあねェって言ってんだよッ!』


「……だったらちゃんと説明を――なんだ?」



 ようやくルビアに言い返そうとしたところで、大きな地鳴りが起こった。



 原因を探ろうとして首を振ると眼に留まったのは門だ。



 アスが喚び出した巨大な石造りの門。


 その扉が完全に開いた。




「アハハハハ――ッ! 完全に繋がりましたね!」



 それを確認したアスは手元に“世界樹の杖セフィロツハイプ”を呼び寄せる。


 そしてさらに杖を通して門へと魔力を送り込んだ。



「ここからはさらに大きさを拡げていきますよ……ッ!」



 言葉どおり、門はその大きさを少しずつ増していく。


 中からはさらに多くの悪魔たちが出てきた。



 そして、それだけではなく――



「――――――――――――――――ッッ!」



 大きな咆哮。



 門の中でジッと外を窺っていたエネルギーの集合体のような龍が、ついにこちらへ出てきた。



「フハハハ! その精霊は災害そのもの! 約20年前、そしてもっと昔にこの地で起きた災厄の原因はコイツです! 放っておくと大変なことになりますよ!」


「い、いけない――っ!」



 愛苗は慌てて木の根の多くを龍へ向かわせる。


 その躰に巻き付けて抑え込もうとするが、エネルギーそのものの体表にジリジリと根を焦がされた。



「くぅぅぅ……っ!」



 その痛みに耐えながら龍を抑え、そして地上を侵攻する悪魔の軍団にも対処する。


 だが――



「だ、だめっ……!」



 カクンと首を垂れそうになり頭を振った。


 チカラを使えば使うほどに、魔力をこの躰に循環させればさせるほどに、どんどんと魂と躰と自分が馴染んで同一化していく。



「ねむっちゃ……だめ……っ! いま、がんばらないと……!」



 気を張って絶望的な戦いに挑んだ。




『おーおー、こりゃヤベエな』



 戦況を見ながらルビアは暢気に感心し、そして嘲った。



『ハッ――あのクソッタレどもこっちに引っ越しでもする気かよ。ここまで地獄みてェな戦場はさすがにアタシも――』



 だが、その声は途中でブツリと途切れた。



「ルビア……?」



 弥堂が彼女が居た方へ顔を向けると、そこにはもう誰も居ない。


 周囲を見回しても、どこにも彼女の姿はなかった。



「……元々いない。居るはずのないモノが見えなくなっただけだ」



 誰かへ向けてそう説明し、眼を向ける先が失くなったので、愛苗の方を視る。



 ルビアが地獄と言い切るほどの様相、愛苗自身はもう悪魔と為り果ててしまった。


 彼女はそれでも、何故まだ戦うのだろう。



『水無瀬 愛苗』という意味が消失し、もはや誰も彼女をかつての彼女として認知しない。


 誰も彼女を知らないし知れないのに、それでもその人たちを守って戦っている。


 それは何故だろう。


 何故守ろうと思うのだろう。



 そこまで考えて弥堂は頭を振る。



 ここまで極まった地獄の中ではもはや理由などどうでもいいし、あったところで意味はない。


 考える必要などないのだ。



(だったら……)



 自身の左手を見下ろす。


 意識をすると掌から蒼い焔が溢れ出した。



 ルビアの姿は視えなく、声は聴こえなくなったが、彼女のチカラはまだ自身の裡に残っていたようだ。


 まだ多少は戦える。



 だったら――



 いつも通りに殺されるまで戦えばいい。



 彼女とともに。



 そう決めて足を踏み出そうとしたら、違和感を覚える。



(ん――?)



 自分はさっき魔力切れを起こしていなかったかと。


 それからまだ『死に戻り』をしていないというのに――



「――きゃあああぁぁぁ……っ⁉」



 その疑問は愛苗の悲鳴に掻き消された。



 そちらへ眼を向けると、強力な魔力砲に彼女が撃たれていた。


 それを放っているのは、アスだ。



falsoファルソ――」



 反射的に『世界』から自分を引き剥がそうとした瞬間、トクンと――



 自分の心臓が一際強く撥ねる音が聴こえた。



 どうせいつものクスリの作用だと無視するが、



「――っ⁉」



 可視化された自分の身体の変化に驚き思わず行動を止めてしまう。



 弥堂は眼を見開いたまま自身の手を視下ろす。



 掌だけでなく腕も他の部位も、身体全体を蒼銀の魔力光が覆っている。


 思わず魔法少女だった時の愛苗の姿を想起した。



 彼女ほど強力で強大なモノではないが、うっすらと淡く自分が魔力オーラに包まれている。


 これは強大な魔力を行使するモノに見られる現象だ。


 当然、弥堂にそんな魔力はないし、自身の身体の外に魔力運動によって影響を及ぼすことを大の苦手としていたので、このような現象は起きたことがない。



「これは一体――」



『一体何ごとだ』と声を漏らしそうになったその時、頭の中に声が響く。


 先程のルビアのように、何処からも届いていない声。



『――――――痕は――気の証――――守りたい――強い――――――』



 酷く乱れた通信のように途切れ途切れの言葉。


 ルビアの声ではない。


 透き通るような美しい声。


 だが記憶にない。一度も聴いたことのない声だ。



「誰だ……?」



 そして――



「守りたい……? なんのことだ……」



 意味がわからない。


 しかし、ルビアも先程似たようなことを言っていた。



 一体どういう意味だと考えを巡らせようとすると、身体を覆っていた魔力オーラが消える。


 そしてまた大きな音とともに愛苗の悲鳴が響いてきたことでそちらへ意識を持っていかれた。



 アスの魔法によっていくつかの木の根が千切られ、それによって解き放たれた龍が暴れ出す。


 切断された根からは体液のような樹液が漏れ出し、その傷口に悪魔たちが群がる。



「ぅくぅ……っ!」


「どうか邪魔をしないでください。その男は生かしておいてはいけない。存在していてはいけないモノなのです」


「弥堂くんは、そんなんじゃ……!」


「アナタももう悪魔なのですからわかるでしょう? その男は存在が禁忌です。お聞き分けください、魔王様」


「私、魔王なんかじゃない……! 弥堂くんのお友達だもん! お友達を守るのは当たり前のことです……っ!」



 愛苗はアスと魔法弾を撃ちあいながら、魔法で創り出した巨大な盾をぶつけて龍を抑えようとした。



 トクンと――



 心臓がまた脈動する。


 そして再び魔力オーラが弥堂を覆った。



『その気――に身を委ね――――守り――――想いに《デモブレイブ》は――応え――――――』



 また聴いたことのない女の声が頭の中に響く。



「……おい、お前は誰だ。何が言いたい……⁉」



 思わず声を荒げて問いかける。


 だが、その叫びに答えたのは別の声だった。



『――イッ! オ――こら! 聴こえてんのかテメエッ!』



 突然、またルビアの声が横から聴こえる。


 顔を向けると彼女の姿がそこに戻っていた。



「ルビア……?」


『お? 戻ったか。ったくあのキチガイ女、ジャマしやがって……』


「ルヴィ、今のは一体」


『ウッセエ! そんなのはいい! テメエはなにボーっとしてんだ! 戦えよボケが!」


「そうしようとしてたら、アンタが急におかしくなったんだろ」


『アタシのせいにすんな! いいからとっとと行って、とっとと――』


「あぁ、とっとと――」



 とっとと死ぬ――もとよりそのつもりだ。


 だが――



『――とっとと皆殺しにしろ! ガキを守れ!』


「…………」



 しかし、ルビアからの言葉はそれとは真逆のものだった。


 弥堂は不快げに眉を歪める。



「なに言ってんだ。無理に決まってる。アンタにはわかるだろ?」


『ウルセエ黙れ! テメエさっきの聞いてなかったのか⁉ キチガイ女も言ってただろ! 守れよ! 守りたいって思え!』


「守る……? さっきから何のことだ⁉」



 わけがわからずに怒鳴り返すが、ルビアはそれよりもさらに強い剣幕で迫った。



『オマエは守ってやりたいって思えねえのか⁉』


「思ったところで何も守れない。実際これまでに何も守れなかっただろうが。そんなもので敵は殺せない」


『クズ野郎がッ! じゃあテメエはなんにも感じねェんだな⁉』


「理不尽な目には誰だって遭う。『世界』にはそんなものはいくらでもある」



 いつも通りの渇いた瞳でいつも通りの醒めた答え。


 既に用意してある答えを読み上げているだけのような抑揚のない声音。


 ルビアはそれに強い怒りを表した。



『この野郎ッ! 前にテメエに教えただろうが!』


「なんの話だ」


『目の前のヤツを見て、もしもソイツが――って話だ! 憶えてんだろ⁉』


「一番ムカつくヤツをブン殴ってさっさと敵対しろって話だろ。いつもやってるよ」


『バカ野郎ッ! その後だ!』


「後? なんのことだ? 前に酒を飲まされた時の話だろ?」



 惚けているわけではなく本気で記憶にない様子の弥堂にルビアは苛立ちから頭を掻き毟る。



『続きがあんだよ! もしも目の前のヤツを見て、なんだか知んねえけどソイツを守りてェってよ、そう思った時は――って話だッ! なんで肝心なとこ憶えてねェんだよ!』


「酔いつぶれて寝ちまって聞いてねえよ!」


『ガキのくせに生意気に酒なんか呑んでんじゃあねェよクズがッ!』


「てめえが飲ましたんだろクズがっ!」



 言葉よりも怒りをぶつけることを優先した罵声に変わっていく。


 一応は年長者の功で、ルビアは一度息を深く吐き出し、意識して冷静な声音に戻した。



『悪魔から人間を守りたいって思わねェのか⁉』


「魂のカタチの違い以外じゃ、俺には人間も悪魔も区別はつかない」


『街は? ある程度ここに住んでたんだ、愛着はねェのか? 世話になった姉ちゃんたちだっていただろ⁉』


「ほんの一時のことだ。どうせずっと関わり続けるわけじゃない。道を別つのも死に別れるのも同じことだ」


『他のヤツらもか⁉ 付き合いのあるチンピラどもは?』


「ほっといたって、そのうちその辺で野垂れ死ぬだろ」


『学校のヤツらは? 同じ教室のガキどもが死んでも構わねェってのか⁉』


「あと二年もすればそこからは一生会わないんだ。今そうなっても同じことだろ」


『あのギャルもか?』


「なんでアンタがギャルって言葉知ってんだよ。そもそもあいつが何の関係がある」



 この地に来てから弥堂に関係したものを次々とあげる。


 だが、どれも彼には響かなかった。


 それでもルビアは退かない。強烈な眼光を真っ向から向けてくる。



『あの子は?』


「…………」



 弥堂は答えない。



『もう一回訊くぜ。あのガキんちょは?』


「水無瀬は……」


『見ろ! もう一度あのガキを見ろッ!』



 意識せずともその命令に従い目玉が動く。



 自分を守って前に立ち戦う、少女の姿を失った少女が魔眼に映った。



 ドク――と、先程よりも強く心臓が脈を打つ。



 すると、より強く身体から噴き出すように魔力が溢れる。


 先程以上に魔力オーラが拡がり波を打った。



「こ、これは……」



 原因不明の自身の身体の変化に動揺すると、魔力の勢いが僅かに減衰した。



『ビビんじゃねェ! 逃げるんじゃあ――』



 またルビアの声が途切れた。




 弥堂のその様子にアスが気が付く。



「なんです……? この魔力、あのニンゲンが……?」



 嫌な予感を感じ瞬時に判断を下す。



「精霊ッ! 魔王様のお相手を!」



 命令と同時に龍は愛苗へ突撃をする。


 その間にアスは巨大な魔力の集約を開始した。



 前方に翳した両手の前に創った魔力球が膨れ上がっていく。



「フフハハハハハ――素晴らしいこのチカラ……! これはアナタの防壁も抜きますよ! 魔王様……ッ!」


「ま、負けません……!」



 龍の対応に苦しみながら愛苗は目の前に防御障壁を固める。



「いきますよ――ッ!」



 溜めた魔力砲を発射する直前、アスはニヤリと哂った。



「え――?」



 愛苗が戸惑いを浮かべた直後、アスは愛苗へ向けていた両手を別の方向へ動かした。


 その射線の先にいるのは――



「――弥堂くんっ!」



 愛苗は反射的に動く。


 創り出した防御魔法をその場に置いて。



「それは挑発だ! 乗るな――」



 弥堂が警告を発するが遅い。


 愛苗は蔓を使って弥堂を拾い上げ魔法の射線から外す。


 そして弥堂が居た場所には、アスの魔法の射線には、巨木となったその大きな躰が晒された。



 アスの魔力砲が着弾する。



「水無瀬――っ!」



 位置が悪かったのか、それともアスの計算ずくなのか――



 樹の幹の人間の姿の愛苗が埋め込まれた位置に直撃したようで、彼女の周囲の幹が拉げるように傷つき、彼女の人間体がズルリと地面に落ちた。



「いきなさいッ!」



 アスの命により巨大なエネルギー体の龍がまた突っこんでくる。


 愛苗は仰向けに倒れたまま右手を上げた。



 すると、いくつもの木の根が暴れ出し龍に体当たりをする。



 愛苗は目線を巨木の根元へと向ける。


 すると、根の一部が開いてその中に隠していたメロが出てきた。



「マナ――ッ!」



 外に出るなりメロは愛苗の方へ走り出す。



「――にげて……メロちゃん……」



 力の弱った声音で愛苗はそれを拒絶しヨロヨロと立ち上がった。


 そして視線を前方へ向ける。



 その先には再び魔力をチャージするアスだ。



「イヤだ……ッ!」



 メロは指示には従わずに愛苗に抱きつく。



「メロちゃ――」


「――どこに逃げろって言うんッスか! ジブンどこにも行き場所なんてないッス!」


「で、でも……」


「せめて……一緒に……、最期までマナと一緒に……ッ」



 ボロボロと涙を溢しながらしがみ付いてくる銀髪の悪魔を、愛苗も強く抱きしめ返した。



「ごめんね……、メロちゃん……っ」



 愛苗の目からも涙が零れる。



 アスは両手を愛苗へと向ける――





 蔓に掴まれたままの弥堂の眼にもその様子は映っている。



(――あの樹とあいつは同化してたんじゃないのか……?)



 それが切り離されるというのは手足や首を捥ぐのと一緒なのではないのか。



 アスの手が向いているのは、大樹から切り離され地面に立った人間体の方の愛苗だ。



 人間の姿の彼女が消されるというのは――



(あいつのままの自意識だけが消え、魔王の部分だけが残る――)



 そんなことが可能なのか、そんな理屈が存在するのか――


 そんなことは知らない。


 だが、そうとしか思えなかった。



 アスの手から強力な魔力砲が放たれる寸前――



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



 思考が追い付かない差し迫った極限の中で、身体は勝手にそれをする。



 自分が何をしたのかを認識した次の瞬間には目の前に愛苗とメロの姿があった。



 弥堂は彼女らを守るように、アスの魔法の前に身を晒していた。



 自分はこんなに速く動けただろうかと疑問を抱きながら、チラリと背後へ眼を向ける。


 アスの放った魔力砲がこちらへ迫っていた。



(無理だ――)



 自分にどうこう出来るものではないと断じ、あちらを向いていても意味がないので愛苗の顔を視る。



 彼女の唇が動いた。


 何かを言っているようだが、耳の奥で大きな耳鳴りがしていて聴こえない。


 どうせ彼女の言いそうなことは想像がつく。



 それよりも彼女の目に意識がいった。



 驚きに見開いた瞼の中心にあるまん丸の瞳が悲痛に歪み、大粒の涙が瞼から零れた。



 ドクッと――



 強く心臓が打つ。



「俺は水無瀬おまえを――」



 見つめる彼女の瞳に自然と言葉が漏れて、自然と手が伸びる。



 そんな彼と彼女らの姿が、アスの放った魔法の強烈な光によって見えなくなった――





 何秒間か照射されてから魔法は消え、光は止む。



 細かく砕けたコンクリートの破片が砂埃のように舞い、それが徐々に晴れていく。


 次第にクリアになる視界にアスは目を細め――




「――は?」




――そんな間の抜けた声を漏らした。




 魔力砲が着弾した場所には弥堂と愛苗とメロ――



――三人ともに、無事な姿のまま立っていた。



「バカな……」



 アスは茫然と目を見開いた。


 その目は映す。



 先頭に立つニンゲンの男を――



 まるでそうして魔法を受け止めたかのように、こちらに開いた左手を向けて立つ弥堂を――



 ユラァと、彼の身体から湧き出る蒼銀の輝きが揺れた。



「貴様が……防いだのか……⁉」



 信じられないものを見るような、慄いた目を弥堂へ向ける。



 だが――



(――俺が聞きたいぜ……)



 弥堂もまた同じような心境で自身の手を視ていた。



 普通に考えて自分にそんなことが出来るはずがない。


 事実アスの魔法を視て一瞬でそう判断して諦めてもいた。



 考えられる可能性としては背後にいる愛苗が防いでくれたと考えるのが妥当だが――



「――び、びとう、くん……?」


「少年……オマエ……?」



 背中で受ける彼女たちの視線からも同種の驚きを感じる。


 それに――



 左手には、自分がそうしたとしか思えないような感触――手応えが確かに残っていた。



 だが、それでもやはり、そんなはずが――



『――疑わないで!』



 その可能性、自分の可能性を否定しようとした瞬間、先程も聴こえたルビアでない女の声が頭に響く。


 さっきまでとは違い、今度はハッキリと――



『自分を疑わないで! そのまま……! その感情を否定しないで! その胸にこみあげる衝動に身を任せて……!』


「衝動……?」



 思わず胸に手を遣る。



 胸の刻印が――聖痕が熱く疼いている。


 刻印に沿って流れ出る血の熱さが、触れた掌に激情を伝えてくる。


 この胸の奥底から怒りの火が燃え上がっている。



『アナタに足りなかったのは、守りたいという気持ち。強い想い。それが“勇気の証明”……! それがアナタをワタシの遣い手として――最高位の“神意執行者ディードパニッシャー”として『世界』が資格を認める条件!』


「俺に足りなかった……資格……」


『強く想って……! 守りたいって!』



「お前は誰だ」と問うことも忘れて――



「これは何かの間違いだ……ッ!」と、アスが再び魔力をチャージし始めたことも無視して――



――弥堂は振り返る。



 そこに居る少女に目を向ける。


 彼女だけを見つめる。



 呆然としていた彼女はハッとすると――



「び、びとうく――」



 何かを言いかけて、だがそこで身体から力が抜けたように彼女はへたり込んでしまった。



「マナ――ッ⁉」



 銀髪の悪魔が彼女を支えようとして一緒に転んだが、彼女だけを見つめる。


 魔眼ではなく、自分の目で。



「びとうくん……、にげて……」



 自分を見上げて彼女はそう言った。


 まだそんなことを言った。



 こんな姿に為り果てて、何もかもを失い、弱り切っても――


 それでもまだ他人を案じてそう言った。



 きっとこれが、本気の守りたいという想いなのだろう。


 彼女はそれを有していて、そしてそれだけは最期まで手放さなかった。



 カッと胸の火が勢いを増す。



 今、浮かんだ感情は――



(ナメやがって――)



 そんな反骨心や対抗心――そういった感情だった。



 そして、さらにそれ以上に――



「……俺は水無瀬コイツを――」



 自然と手が伸びる。



 一週間ほど前に学園の正門前でそうしたように地面に座る彼女へ、しかし今度は利き手である右手を差し伸べた。



 彼女は以前と同様に一度首を傾げてからハシッと弥堂の手を両手で掴んだ。



 以前とは違いすっかりと冷たくなってしまった彼女の手を弥堂は握り返し、彼女を引っ張り上げた。



「わわわ……っ」



 勢いあまってこちらへ倒れ込んできた彼女をしっかりと抱き留める。



「――契約成立だ」


「え――?」



 ボソッと呟いた声に聴き返す声――



 それに続いたのはアスの怒りの声だ。



「ニンゲンが……ッ! 調子にのっていつまでも舞台に上がり続けるな……ッ!」



 完成した魔力砲は先程よりも強い。


 それをこちらへ放つべく手を向けた。



「弥堂くん……っ!」



 焦ったような愛苗の声、弥堂は静かに彼女の顔を見下ろし、そして今一度その眼窩を覗いた。



 そこには何も見えない。



 だが、一週間前に覗いた時と同じ彼女が底に居ると、理由なくそう確信した。



 そして、一週間後もまたその彼女に其処に居て欲しいと理由なくそう思った。



 だから、その小さな手を強く握り――



「水無瀬、俺はお前を『守りたい』――」



 彼女の瞳に向かってそう口にした瞬間、



 ドクンッ――と、



 意識が飛んだかと、身体が千切れたかと錯覚する程に、強く強く生命が――魂が暴れた。




 ブオッと――



 最終局面にあった魔法少女ステラ・フィオーレにも劣らない莫大な魔力が弥堂の身から噴き上がる。


 胸の聖痕から流れる血が蒸発し、葉脈のような刻印が蒼銀の魔力で光り輝いた。



『繋がった! ワタシに魔力を――っ!』



 声が聴こえ、反射的に左手に持ち替えていた聖剣エアリスフィールに身の裡で暴れまわる魔力をめいっぱいに注ぎ込んだ。


 魔力で創られる刀身が長剣の長さまで伸びる――



『思い出して! 二代目の魔導書――《コール・ブレイブ》! 最強の盾を……ッ!』



 二代目の魔導書。


 それには彼の開発した多種多様な魔法が記されていた。



 弥堂はその全てのページに眼を通し、理解は出来なくとも、扱えなくとも、その全てを記憶に記録している。



 その中の一つ、神話の再現。



 それを実現する為の魔法の構成、方陣、呪文が記されている。



 熱情に従いありったけの魔力を聖剣へ送る。



「消えろォォーーッ!」



 アスが魔法を放つ。


 強力な魔力砲が撃ち出された。




 弥堂はそれを眼に映しながら、【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】で視る自身の“魂の設計図アニマグラム”に記録されたその謳を詠み上げるように唱える。





 其は楯――


 神より賜りし不敗の楯――



 空に雲、雷を隠せ――


 乳飲み子を護りし山羊――


 落ちた鎌首に宿りし蛇眼――


 邪悪・災厄の悉くを除け――


 青き輝きに石を映し――


 ありとあらゆる意思を打ち払え――



 神話をここに――




『“戯謳神話コール・ブレイブ”ッ! 【Replicantレプリカント(偽典):――』


「――青輝の神鏡アイギス】ッ!」



 喚び声に応え、謳われた神話が甦る。



 迫りくる魔力砲へ向けた聖剣エアリスフィールの切っ先から、大きな楯が顕れた。


 鏡のように滑らかな盾の表面は青く輝く。



 強大な魔力エネルギーがその楯に叩きこまれた。



 轟音を立てて地が揺れ大気が歪む。


 だが、その楯はビクともしない。



 やがて楯に触れた箇所からアスの魔法は石化していき、地に落ちて砕け散った。



「そんなバカな――ッ⁉」



 驚愕を浮かべるアスに弥堂は答えない。



(それはこっちの台詞だ)



 頭に響いた声に導かれて動いたものの、やはり彼自身も自分のしたことに信じられない気持ちが強かった。


 少し放心しかけると、右手にきゅっと力が伝わる。



「えへへ……、やっぱり弥堂くんはすごいね……、私ちゃんと、知ってたよ……」



 はにかむように笑って、弥堂の腕の中、彼女はまた眠りに落ちてしまった。



 その儚い寝顔に、また心臓が強く暴れ出す。


 麻薬よりも強く。



『――ヨォ、グダグダとダッセェ言い訳して逃げてたけどよ、どうなんだ?』



 気付くと、いつの間にかまたルビアの姿が目の前に在った。



『そんなにそのガキんちょを守りたいのか? アァン?』



 どこか揶揄うような声と仕草をする彼女から一度眼を逸らし、弥堂は深く息を吐いて、それから空を見上げた。



 いつもと変わらぬ空。


 ここでも、あそこでも、こんな地獄でも。



 だがその空に、塞いでいた檻はもう見えない。


 牢獄の空は晴れた――



 ルビアの目を見た。



「俺にはわからない。そんな自覚はない。街も人も、やはりどうでもいいと、今でもそう思っている。神に誓える」


『ンなこと神に誓うなや。またエルがキレんぞ。で? その子はトクベツなのか?』



 弥堂はやはり首を横に振る。そして肩を竦めた。



「いや? まったくそう思わない。そんな気持ちはわからない」


『オマエまだそんな――』


「だが――」



 呆れたような目になったルビアの言葉を遮り、言葉を強める。



「――たとえ、俺がそう思っていなくても。自覚をしていなくても。自分自身認めていなくても……」



 今も胸で蒼く輝く聖痕を指で触れる。



「この“聖痕”は『誰かを守りたいと強く想う者に力を能える』――そういうものなんだろ?」


『そう聞いたな』


「そして俺には、明らかに俺には無かった力が、今能えられている……」


『そうみてェだな』


「じゃあ――そういうことなんだろ」


『ヘッ――』



 くだらないことだと言うようにもう一度肩を竦めてみせると、ルビアも鼻で嘲笑ってくれた。


 一瞬だけお互いに口の端を上げて笑いあうと、ルビアはギロリと目つきを変えた。



『――じゃあ、後はわかってんよなァ?』


「当然だ――」



 端的に答え、お互いに目線を切る。



 すると――



「――死ねェェ……ッ!」



 目を赤く光らせたアスが目前にいた。


 魔法剣で斬りかかって来る。



 それを視てから身体を動かし、弥堂は聖剣を上空へ放り上げてから左手で、剣を振るアスの手首を掴まえた。



「な、なんだと――ッ⁉」


「おい――」



 驚くアスをやはり無視して弥堂は呆然と立っていたメロに声をかける。



「こいつ持ってろ」



 有無を言わせずに右腕で抱いていた愛苗をメロへ預けた。


 そして空いた右手を強く握る。



 先程の魔法で使い切るつもりだった魔力は尽きてはおらず、それどころか全く減った気がしない程に身体中に溢れている。


 自身の心臓からだけではなく、どこか別の場所から次々に送り込まれているように満ち満ちていた。



 その魔力を身体強化の魔術に力尽くで注ぎこむ。



「き、キサマ――」


「――うるさい黙れ」



 硬く握った拳をアスの顔面に叩きこんだ。



 業も理も何もない。


 ただの力任せの暴力。



 だが――



(――徹った)



 今までに感じたことのないような手応えが打ち付けた骨から伝わってきた。



 アスの巨体が吹き飛び、ゴム毬のように地面を跳ねて背後にいた悪魔の集団を巻き込んで倒れ込む。


 この一撃で致命傷には至らない。



 しかし――



「な、なんだ……このチカラ……ッ⁉」



 明らかにあの悪魔は揺らいだ。



 弥堂は落ちてきた聖剣を右手で掴み取る。



「“蘇生”に“焔”に、さらにこのチカラ……! オ、オマエは……ッ! オマエは一体ナニモノだ……ッ⁉」


「別に――」



 そう聞かれた時にいつも答えるように、『別に誰でもねえよ』と、そう口にしかけてやめる。



 何故かとても重要な問いであり、次に自分が口にする答えがとても重要なモノであるように感じられたからだ。



 左手で胸に刻まれた烙印に触れて、右手で持った聖剣を視る。


 魔力をこめるとまた長剣サイズの刃が形成された。



 その蒼銀の輝きの中に、弥堂 優輝という意味を探す。



「俺は――」


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