1章77 『燃え尽きぬ怨嗟』 ②
奇声をあげ歓喜を表しながら襲い来る悪魔たちと戦い続けている。
『――オイ、聞いてんのかよテメエ』
死人に囁かれながら悪魔を殺し、自分も殺される。
なんて出来の悪い話だと心中で自嘲しつつも、しかし相応しい最期でもあると、弥堂 優輝は己を嘲った。
これから自分に話しかけているルビア=レッドルーツ――彼女や彼女らの居る場所へ行こうというのだ。
だからこれは自分自身の望みが反映された幻覚・幻聴に他ならない。
死後の世界など存在しないと知っているというのに。
『ここで狂ったみてェに戦うテメエに
「もう何匹殺ったか……、飽きてきたな」
『ここでクソッタレどもを引き付けている内は、あのガキんちょたちに手を出されねえ。だからオマエはここを動けない』
「自殺出来ないという制約は面倒だ。さっさと終わんねえかな」
噛み合わない会話。
噛み合わせようとしない弥堂へルビアは構わずに語り続ける。
『なんで悪魔どもはオマエに夢中なんだ? コイツらはアタシら人間の感情を喰う』
「アンタにしてはよく知ってるな」
『さっきのクルードとかいうヤツはオマエには感情がねェって、闘争心がマズイって言った。ゲテモノだとな』
「酷い言われ様だ。心が痛いぜ」
『だが、ここに居る連中は何故かオマエに夢中だ。最初はビビってたのに今やヨダレを垂らして大喜びだ。そんな気がしねェか? なんでだろうな』
「気がしただけなら気のせいだろ」
『ドイツもコイツも全員ゲテモノ喰いだってか? いくらなんでもそりゃあ苦しいぜ。わかってんだろ? 今のオマエの腹の底で燃えてるモノ、魂を震わせてるモノ。それがオマエ自身の感情だって』
「感情で仕事をする奴は三流だ」
言葉遣いは悪いが諭すようなルビアの言葉に弥堂は決して頷かない。
隠す気もないほどの、しかしそれでいながら執拗に言い逃れようとする。
『仕事じゃねェからな。誰に頼まれたわけでもねェ。金も貰ってねェ。これを仕事と言い張るのは到底無理筋だぜ。そんな仕事の受け方はすんなって教えたのは他ならねえアタシだからな』
「碌なこと教えねえな。ヒドイ大人だ」
『なのにオマエはまだ戦う。なんでだ? そんなこと“そう”なってからは一回もやったことねェだろ』
「そんなことはない。俺はずっと“こう”だ」
『ウソだね! あの時のオマエには目的があったからだ! 姫さんに与えられた
「関係ない。俺はあの女が心底嫌いだ」
『そうだな。それは本音だ。だが、それでもオマエはアイツに従う。その方が都合がよかったからだ! なんせアイツに従ってりゃ何にも考えなくて済む! 存在意義だけでなく死に場所まで与えてくれる! だから大嫌いな飼い主さまにテメエは尻尾を振るのさ!』
「うるさい黙れ」
言葉尻に力が入ると、思わず手にも力が入り、突き刺した聖剣に過剰な魔力がこもった。
『ホントのこと言われてムカついたか? テメエとセラスフィリアはある意味お似合いだぜ。お互いに心底憎みあってるっつーのによ、お互いに都合がよくてお互いに依存しあってたんだ』
「ちがう」
『自分で自分のことを決めらんねえオマエには、セラスフィリアが目的――生きる意味をくれる。セラスフィリアには、どんな敵に差し向けてもぶっ殺して帰ってくる、何度でも使える使い捨ての矢が手に入る。吐き気がするくらいにお互いが嫌いなのに、その相手がいないとオマエらはどっちも生きていけなかったんだ!』
「…………っ!」
『テメエが前も今も変わってねェっつーんならよ! テメエは今でもセラスフィリアの操り人形だ! なのに何でこんなとこにいる⁉ ずっと跪いたままあのクソ女の股を舐めてりゃよかっただろうが! 言ってみろよ! アァン?』
「黙れッ!」
怒鳴り合いながらも戦う手は止めない。
ルビアへの怒りをぶつけるように悪魔へ向けて弥堂は聖剣を振るった。
しかし、ルビアの姿が視え声が聴こえているのは弥堂にだけだ。
虚空へ向けて怒鳴る彼の様子を他の者は訝しんだ。
「なにをブツブツと……、誰かと会話をしている……?」
アスは“
「念話……? いや、そんな魔力の気配はない。やはり狂っているのか」
そう断じて杖の方へ意識を向ける。
こうなるように仕向けたとはいえ、あまりに強い龍脈の暴走状態にそろそろ杖の方の耐久性にも懸念が出てきていた。
このまま完全に門が開くところまで持っていかなければならないので、細心の注意を払う必要がある。
それに懸念はもう一つ――
「――天使の動きが遅すぎる……。しかし出てこないということはありえない」
彼らがこの戦場へやってきて弥堂の『死者蘇生』を目の当りにしたらとても面倒なことになる。
であるならば――
「そろそろ潮時ですか――」
――弥堂の様子は愛苗の横で戦況を見守るメロの目にも映っている。
先程よりも彼女はさらに不安を強くさせていた。
「少年、感情が……、ずっとなかったのに……、なんか怒ってる……?」
「――うれしいんだよ」
「え?」
眠っていたと思っていた愛苗の声が独り言に答えたことでメロは驚き顔を回す。
しかし、愛苗の瞼は閉じたまま、彼女は眠ったままの様子だ。
「……びとうくん……、うれしいの……」
まるで寝言のように小さな呟きが、少し緩んだ表情の寝顔の唇から漏れた。
『――つか、話逸らすなよ! 今はあの冷血女の話じゃなくてテメエの話してんだろうが!』
「お前があいつの名前を出したんだろうが!」
ヒートアップしてきたのか、弥堂にしては珍しく声を荒げてここには居ないはずの保護者へ怒鳴り返す。
『昔のことはいいんだよ! じゃあ、今は? 今は何を目的にしてんだ? 目的があるからこんなにみっともなくしがみ付いてんだろ⁉』
「そんなものはない。強いて言うなら、ここでみっともなく死ぬことだ」
『ハッ――だったらとっとと死ねよ! 避けるな! 受けるな! 復活した瞬間に自分で首を斬れ! いくらでも出来るだろうが!』
「それは許されない。無様に足掻いて、それでも敵わずに、惨めに、死ぬ。俺も同じようにそうやって死ぬべきだ」
『そんなこと誰も頼んでねェし、誰も望んじゃいねェんだよ!』
今度は正反対にルビアの方が怒りのこもった鋭い目を弥堂へと向けた。
「そんなわけがない」
『アタシ本人が言ってんだろうが!』
「お前はルビアじゃない」
『じゃあアタシャなんなんだよ?』
「ルビア=レッドルーツ――彼女に責められたいと望む俺にクスリが見せている幻覚だ」
『コイツキメェッ!』
この期に及んでも言い張り続ける馬鹿なガキにルビアは額を押さえた。
あまりの往生際の悪さに少し怒りが引っ込み、彼女は諦めて話し方を変える。
『じゃあもうそれでいいよ。その上で幻覚のアタシが訊くが、オマエはどうしてそう思うんだ?』
「…………」
『オイ、アタシは譲ったぞ。答えろよカス』
「……俺がアンタの死体を拾い集めたんだ。俺もああやって死ぬべきだ」
『なんでそうなんだよ。バカはすぐにそうやって飛躍させやがる』
「じゃあほっとけよ」
『ウルセエ黙れ。つか、オマエよ。アタシの生首抱いたまま七日くらいヒキコモってずっと話しかけてたよな? あれマジでヒイたぞ?』
「うるさい黙れ」
『敵地でそんなことしてっから見つかるんだよ。ンなモンとっとと捨てて逃げりゃあよかったのによ』
「…………」
弥堂は答えず敵の首をナイフで切断する。
その姿にかつての保護者は嘆息する。
その目にはどこか優しさのようなものがこもっていた。
しかし、すぐにルビアの目はジトっとした呆れたものに変わる。
『しかもオメエよ。アタシの首をヤサごと燃やされたからってヒステリー起こしやがってよ。町の水源に魔物の腐った内臓撒いて敵兵も住人も毒漬けになんかしやがって。病気で苦しんで動けなくさせてから町ごと焼いて皆殺しにするとか……、いくらなんでもありゃあねェって。アタシら元々あそこの領地守れって言われて戦ってたんだぜ?』
「……住人が裏切って敵を招き入れたから俺たちは負けた。その領地を奪い返しただけだ」
『皆殺しなんだが?』
「守れと言われたのは領地だ。人も建物も無くなったが土地は残っただろ」
『そんな血と怨念の染みた土だけ取り返されてもよ、姫さんも困るだろうが』
「それは俺の知ったことじゃない」
頑なに自分は悪くないと主張する弥堂にルビアは少し表情を悪戯げなモノにした。
『思えばあん時からだよな。オメェがブチギレだしたの。なんだぁ? そんなにアタシが好きだったのかァ? お姉さんぶっ殺されて悔しかったんか? アァン?』
「憶えてないな」
『そうかよ。アタシの方はよ、ずっとここでテメエのやらかした数々のトンデモねえ所業を見てよ、頭抱えてたぜ。どうしてこうなっちまったって。育て方間違えたかーってよ』
「育てられた覚えはない」
『アァン? 育てただろうがよ。誰がテメエの童貞喰ってやったと思ってんだ』
「ふざけんなよテメエ。あれはレイプだろうが」
『そういやさっきアタシが初めてパクっとしてやった時みてェな情けねえ声出してたな』
「そのような事実はない」
『ったくよ、女に抱かれてピーピー泣いてたユキちゃんが、どうして女をゴミ扱いするクズになっちまったんだか』
「お前のせいなんじゃないのか?」
『カカッ――! そりゃそうかもな!』
酒飲み話でもするように快哉と嗤うロクデナシに今度は弥堂が胡乱な瞳を向けた。
「つーかお前もうひっこめよ。エルは? エルに代われ」
『アァン? ちっと待て……、あーダメだ。あわせる顔がねェってよ。また泣いてんぞ』
「そうか」
『つかテメエよ。アタシとエルのその差はなんなんだよ? アタシの方が話しかけてんのにいつも無視するくせして、エルには自分から話しかけるじゃねェか』
「憶えがないな」
『ケェーッ、つまんねェな。アタシに仕込まれたテクをアイツに使って悦ばしやがって』
「そんなもんあいつには通じねえよ」
『カカカッ、そいつは確かに! オイ、エル! 言われてんぞ? あ……、大泣きしちまった。メンドくせえな』
「あいつどうしようもねえメンヘラだからな。あまりイジメてやるなよ」
『なんだよ。またアイツのカタもつのか? そんなにアレが好きなのかよ』
「あぁ、好きだ」
『言うじゃねェかクソガキが。顏見て直接言ってやれよ』
「そうしたいところだが生憎俺もあわせる顔がなくてよ。代わりに言っといてくれ」
『……テメエがそんなだからアイツの情緒がおかしくなったんだろ。あの殺戮人形がこんなイジケ女になるとかイカレてるぜ』
「憶えがないな」
『テメエは忘れねえんだろ』
戦場に居ながら緊張感のまるでない雑談を交わす。
そうしていると回避の処理を誤って弥堂は悪魔に殴り倒された。
すぐさま立ち上がって向かって行く弥堂をルビアは胡乱な瞳で見た。
『つーか、テメエよォマジで弱ェな。この土壇場でちっとはマシになったかと思ったらまだその程度かよ』
「こんなもんだろ」
突き刺した聖剣を引き抜きながら弥堂は当たり前のように答える。
ルビアはニヤリと嗤った。
『そうか?』
「あ?」
『「あ?」っつーなよ、またナナミに怒られんぞ』
「……アンタの口からあいつの名前を聞くのは気持ちが悪いな」
『ア? なんでだよ』
「てめえも言ってんじゃねえか。希咲の名前も、メンヘラって単語も、アンタたちの国にはなかっただろ。それがここで共存してると、在り得ない取り合わせすぎて気持ち悪いんだ」
『そりゃあそうだが、ここの国に来てからもう1年以上だぜ? 少しはこっちの言葉も覚えるってもんよ』
「…………」
死人にはもう“
だからここに居るルビアはやはり死んだ彼女ではなくただの幻覚なのだと確信する。
『なに黙ってんだよ。さっきまで普通に話してたのにいきなりシカトし出すのよせよ。そういうのにすごい不安になるってエルが愚痴ってたぞ』
「あ? そういうんじゃない。それより言いかけてたことを言えよ」
『ア? なんだっけか……、あぁ、そうそう。オマエなんてこんなもん。それって本当にそうかって話だ。どうなんだよ』
「お前から言い出したんだろ。『本当にそうか?』と聞くくらいなら、お前自身はそう思っていないんだろ? だったら先にその理由を言ってもらわなきゃ俺から言えることなんかねえよ」
『お? それもそうか。オマエ賢いな。やっぱこの国の教育はすげえよな』
「お前がいい加減なんだよ」
『なんせ育ちがワリィからよ、カンベンしろや』
カッカッカッと豪快に笑い、そして彼女はまたニヤリと嗤う。
『でもよ、テメエも随分いい加減に戦ってるよな』
「どこがだ。いっぱいいっぱいだよ」
『そうか? こんな酒飲んでするようなクッソどうでもいい話しながら戦ってんじゃあねえか。テメエにとって戦場ってのはそういう場所だったか?』
「なにが言いたい?」
『自分で気付かねえのかよ。テメエはいつからこんな風に片手間で悪魔をぶっ殺せるほど強くなった?』
「――っ⁉」
ルビアのその言葉に弥堂はハッと息を呑んだ。
『懐かしいが昔話はここまでだ。テメエにとって重要なのは今とこれからだ。なんせテメエはまだ生きてんだからよ』
「……俺はもう――」
『――ウルセエ、聞け! オマエはそうやって自分を抑圧してんだよ』
意味がわかるようでわからない。
だが、弥堂の胸はジクリとまた痛み、そしてその奥がムカムカとしてくる。
『さっきの続きだ。悪魔どもはオマエのどんな感情を喰ってやがる?』
「そこにいるんだ。本人に聞けよ」
『茶化すなバカが。大事なことだ。わかってんのか? ここが分かれ道だ。これに気付けるか。オマエが自覚出来るかでこの戦いは決まる』
「意味がわからんな」
『だからわかれって言ってんだよ。いいか? あのガキんちょが復活するかどうかじゃねェ。この戦いを左右してんのはテメエだよクソガキ!』
その言葉に弥堂はさらに負の情念を燻らせる。
7年ほど前の過去。
この日本からルビアたちの国に行くことになり、そこでも言われ求められたことだ。
『男の癖にいつまでイジケてやがんだ、このメンヘラが』
「……俺に何が出来る」
『エルフィーネにセラスフィリアのバカどもめ……ッ! アイツらのせいでコイツがこんなにつまんねェ男になっちまった』
「イカレ女はともかくエルは悪くない。強いて言うならイカレ女とお前のせいだ」
『ウルセエんだよ! 誰のせいだろうがテメエが“そう”なのは変わんねェだろ!』
「なっちまったもんはしょうがねえだろ」
『あぁそうだな。だが、それが今からでも変えられる』
ジリジリと胸を覆う肌に焦げ付くような熱を感じた。
それはきっと苛立ちだ。
「変わらない。それは戦場に来る前にすることだ。来てからはもう変わらない。俺にそう教えたのはお前だ」
『小賢しいんだよ! 揚げ足ばっかとりやがって! それはビビッて自分で立つことも出来ねえ
まるで親にでも叱られるような、そんな構図に懐かしさを覚えつつも、反発心を抱く。
反射反応で起こるその所作を自分で止めることが出来ない。
だが子供の成長など待っていてはくれないのが戦場だ。
弥堂自身が愛苗にそう言ったように。
ここに生きていないルビアにはそれがわかっていて、それを弥堂に伝えようとしている。
それがこの世に残した未練であるように。
しかし、時間は過ぎつつある。
(――そろそろ時間切れ、ですか)
アスは状況をそう見定めた。
弥堂の使う『蘇生』の仕組みを解き明かそうとその様子を観察していたが、結局そのとっかかりも見えてこない。
それどころか彼はあまり死ななくなってきた。
戦闘に慣れてきたのか、それともニンゲンのままで大悪魔クルードを超えてきた愛苗のようにこの場で成長をしているのか。
後者はありえない。
ありえないことだが既に『死者蘇生』という最もありえないものを見せられている。
「やはり冷凍して封印しておくべきですね」
何が起こるかわからない。
その嫌な予感を断ち切ることを決める。
時間切れ――今ならその時間を切るイニシアチブは自分たちにある。
計画成功間近のこのタイミングで致命的なことを起こされるわけにはいかないのだ。
「……うぅん……、びとう、くん……」
「マナ――⁉」
アスがそう決めるのとほぼ同じ時、愛苗がうっすらと目を開ける。
「びとうく……」
「少年ッスか……? 少年がなんか変なんだ……! なんか誰かと喋ってるみたいにッ。アイツ変なクスリみたいなの注射してたし、頭イカレちまったんじゃ……ッ」
メロは溜め込んでいた焦燥を愛苗へ吐き出す。
だが、寝起きのはずの愛苗は緩慢な動作で、しかし確信ありげに首を横に振った。
「ううん、だいじょうぶだよ……」
「で、でも……」
「だいじょうだよ、びとうくん……。おかあさんの、いうこと、ちゃんときいて……」
「え? おかあさん……?」
そしてその声は言葉は目の前のメロにではなく、別の誰かへ向けたように――
――親への反発を外で発散するように目の前の悪魔へ暴力を叩きつける。
零衝を徹された肉人形が派手に腹の中身をぶち撒けた。
『――だから言ってんだろ! オマエのその感情の正体にオマエが気付けるかだってんだよ!』
「俺が今思ってるのはお前がムカつくってことだ!」
『カァーッ! このガキャどうしようもねェ! 身体ばっかデカくなっても手がかかってしょうがねェ!』
「とっくに死んだ奴がなにを……!」
『しょうがねェからまた一歩ずつやってやる』
「頼んでねえんだよ」
弥堂は苛立たしげにルビアを睨むが、冗談めかした口調とは裏腹な彼女の
真剣な瞳に逆に勢いを失った。
『思い出せ』
「……なにをだ」
『アタシが殺された時のことだ。アタシの死体を思い出せ』
「――っ!」
そして次は言葉も失う。
『敵兵どもに犯し尽くされてバラバラに分解されて晒されたアタシの死体を思い出せ。それを見た時のお前の感情を』
「…………」
『オイどうした? 言えよ。あの時、一人で殿を務めたアタシは敵に捕まって拷問の果てに殺された。テメエを逃がすためにアタシは死んだんだ。訊く権利はあるぜ?』
「…………」
自分の意思とは関係なく、彼女の言葉に該当する記憶が目の前で再生されていく。
そして自分の意思とは関係なく、当時の記憶を読み上げるように、弥堂は答えていく。
「……どんな……、感情も浮かばないくらいにショックを受けて自失していたな。茫然と眺めてたよ」
『それで?』
「まず思いついたのが、連れて帰らなきゃってことだ。酒場で酔いつぶれるアンタを迎えに行くように。いつものような感覚で」
『それで?』
「物陰に潜んで、コソコソと隠れて、夜を待って、人気がなくなったら死体を拾い集めて」
『それで?』
「結局全部は持てないから、首だけ抱いて、それで廃墟に隠れた」
『それで?』
「そのまま引き籠りだ。アンタの死を受け入れられなかったのだろう」
死者本人から自分の死と死体の感想を求められるなどどんな経験だ。
しかし相応しい罰だなと弥堂は自嘲した。
『そんで? そのヤサを住人の
「激しい怒りと喪失感。そして復讐心だな。生きるエネルギーを失っていたから、それに身を委ねることで何とか生命を繋いだというのが所感だ」
『さっきから随分と他人事だな?』
「記録にそう書いてあるんだ」
ギロリとしたルビアの視線に肩を竦めてみせる。
「物事は――出来事は映像も音も全部思い出せる。何度でも寸分違わず。だが、やはり年表を眺めている感覚に近いんだ。いつ、どこで、何があって、何をして、それで俺が何を考えたか、何を思ったかは、全て“
『そうか。そうみてェだな……』
ルビアが少し顔を俯けるとその鋭い眼差しが前髪に隠れる。
弥堂はその時、いつの間にか自分が彼女を見下ろせるようになっていたことに気が付いた。
「……なにがしたいのかわからんが――」
『――じゃあ、あっちを見ろ』
言葉を被せて彼女は右腕を動かし指を差す。
それに釣られて向いた先には巨大な樹木。
大自然の山や森林でも見たことのないような巨大な樹。
それと一体化し飲み込まれているように、樹の幹に囚われている少女の姿。
水無瀬 愛苗がそこに居た。
『何も知らねえガキを騙して、死にたくねえって当たり前の感情に、その弱みにつけこみやがって。そんでいいように使い倒される。どっかで聞いたことねえか? こんな話』
「……さぁな」
『そうかよ。じゃあ、そこのガキんちょはその挙句にこんなバケモンにされちまった。こっちのがヒデエかもな』
「……何が言いたい」
『こんなことを許すのか⁉ こんなクソッタレどもに、こんなナメたマネされて生かしておくのか⁉ ムカつかねえのかよ! ヒヨってんじゃあねェよ! スカしてんじゃあねェよ! ブチギレろよこのフニャチン野郎ッ!』
「だからって何になる。実効力が伴わなければ意味がない」
『答えが変わったな? 何も感じないじゃあねェ。出来ないから意味がないに。じゃあテメェ、出来たらやるんだな?』
ギロリとした彼女の目に一層強く睨まれる。
今はもうその目に怯えることはなくなったが、しかし昔と変わらず反論は出来ない。
『過去のことには見慣れちまったから何も感じねェ。だが、今ここで、目の前で起きてること――起きようとしてることにはムカつくんだろ? ムカついてんだろ? ハッキリ言えよテメエッ!』
「それを言わせたところで何の意味がある。俺はそう言ってるんだ。無駄なやりとりだ」
『出来ねえから意味ねえって話だろ? じゃあ、出来るようにしてやるよ』
「なんだと?」
その言葉を訝しがるも、彼女へ問う間もなく、ルビアは弥堂の真正面に立った。
昔は見上げていた彼女が、下方から拳を突き出してくる。
その拳は弥堂の胸の中心を打った。
ここには存在しない彼女。
触れられた感触はない。
打たれた衝撃はない。
そのはずなのに胸の奥に何かが響いた。
拳を当てたまま真っ直ぐに見上げてくる彼女の瞳が燃えている。
その瞳の――眼窩の奥に在るのはルビア=レッドルーツの怒りだ。
『――その焔はなんだ?』
「炎……?」
『今、テメエの腹の底で煮えてるモン――それに熱を寄こしてるその焔はなんだって訊いてんだよ……ッ!』
「腹の、底……?」
思わず胸にある彼女の拳越しにその奥を覗き視ようとする。
だが、【
『ソイツは今日ここで生まれたモンじゃあねェ。今あのガキんちょを見て勢いがついたモンだが、でもそれは今日始まった話じゃあねえ。過去から、延々と延焼して灰を被りながらずっと燻り続けてきたモノだ……! テメエのクソッタレなこれまでと、それをそうしたクソッタレども――全てのクソッタレどもに唾を吐けッ!』
「…………」
『憶えてんだろ⁉ 忘れてねェんだろ⁉ テメエは一つも忘れてない。忘れられない! だから思い出せ、アタシのチカラを……ッ!』
「アンタのチカラ……?」
それは言われるまでもなく記憶にある。
日々を経てもいつまでも鮮烈に鮮明に焼き付いている。
緋い髪、緋い炎、『世界』が彼女だけに能えた、ルビア=レッドルーツの象徴たるそのチカラが。
『テメエの記憶にはアタシの戦う姿が、魂のカタチが記録されてる。テメエの魂に刻まれてる……ッ! 貸してやるよ。このアタシの加護を』
「“
『ウルセエ黙れ。泣き言はきかねえ! 使い方はわかってんだろ』
昔と変わらず有無を言わせない強烈な意思。
自分で歩いて進むことも出来ない子供の背を叩いて前に進ませた強い焔だ。
だが、僅かに遅い。
「――遊びはここまでですッ!」
アスの声が響くと数十の悪魔の集団が迫る。
その中には一際目立つ大きな個体。
体調3mほどのペンギンのような姿。
だらしなく開いた嘴からは可視化された白い吐息が漏れている。
それに触れた路面も周囲の悪魔たちも次々に凍り付いていく。
ペンギンはフーッと息を吹き出すようにして、その吐息をこちらへ差し向けてきた。
路面を凍らせながら凍てつく煙が弥堂へ近づいてくる。
反射的に退避をしようとするが――
『――動くなッ!』
ルビアの怒鳴り声に思わず止まってしまう。
まるで昔のように。
『目を逸らすな! ビビるな! 逃げんじゃあねえッ! アタシを見ろッ!』
「…………」
そんなことをしている場合ではない。
すぐに逃げる必要がある。
『死に戻り』によって死ねばどんな負傷も元の状態に戻せるが、しかし凍らされるのはマズイ。
死なせてもらえなければ何も出来なくなってしまう。
『何を恐れる必要がある⁉ テメエは死ぬんだろ⁉ だったらなんでもいいじゃねえか!』
「だが……」
『どうせ死ぬんならその前にいっちょバカを見ろよ! アタシに付き合え!』
「何をさせようってんだ」
ルビアは一度ニヤリと笑い、そして大きく息を吸いこんだ。
吸い込む動作をした。
そしてそれを声にして吐き出す。
彼女は死んでいる。
ここに彼女の肉体はない。
魂は存在しない。
だからこの『世界』に彼女は影響を齎せない。
なのに――
ビリビリと彼女の声は大気を震わせながら弥堂の肌をその奥までをも震わせた。
そんな気がした。
『薪をくべろ! 油をぶち撒けろッ! 荒れて狂え! 怒鳴り散らしてブチギレて拳を叩きつけろッ!』
条件反射のように進まされる。
かつてずっとそうしていたように、彼女は強いから、彼女は正しいから、彼女は守ってくれるから――
――その声に喚び起こされる。
彼女の喪った左腕。
それを代替する炎。
彼女の全てを喪った過去。
記憶の底から腹の底から、その
『思い出したかァッ! だったら叫べッ! 呼べよッ! その怒りの名を――ッ!』
かつての彼女がそうしていたように、記憶の映像とここに居る自分が重なる――
「『――
魂の底から、遠い過去から、延々と燃え続けていた怨恨の火が溢れ出し、弥堂の左腕を覆った。
『クソッタレどもがァッ! 燃やし尽くしてやるァ……ッ!』
それは自分の叫びだったろうか、彼女の叫びだったろうか――
衝動に怒りに身を任せ左腕を憎き敵へと向ける。
途端に噴出し溢れかえる蒼き焔――
その焔が、凍てつく悪魔の吐息を物理現象を無視して触れた端から焼いて進む。
そして焔は燃え広がり燃え移るようにして、こちらへ迫ってきていた一集団を問答無用に燃やし尽くした。
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