1章64 『這い寄る悪意』 ⑨

「――えろえっ!」



 ガバっと水無瀬が飛び起きる。



 奇怪な声を上げながら上体を起こしてベッドの上にペタンと座る。そのまま何秒かぽけーっとしてからハッとし、不安気にキョロキョロと周囲を見回した。



「あ、そっか……、弥堂くんのお家に居るんだった……」



 知らない場所に来てしまったのかと寝惚けて勘違いしたようで、ホッと胸を撫でおろす。



「あれ……?」



 次は部屋に誰も居ないことに気が付いた。



「――起きたんスか? マナ」



 すると、カラカラと窓を閉める音とともに聞き慣れた声が聴こえてくる。



「あ、メロちゃん」


「よかった。心配したッス」



 ダイニングの方からメロがやってきた。



「ごめんね? 私寝ちゃったみたいで……」


「ね、寝たっていうか……、ホントに寝てたんッスか?」


「え?」



 どう見ても突然白目を剥いて気絶したようにしか見えなかったのでメロが心配げな目を向けるが、本人は不思議そうに首を傾げるだけだ。



「ど、どこか調子悪かったりとかしないッスか?」


「ううん。大丈夫だよ。ちょっと寝たから少し元気になったかも?」


「そ、そッスか……」



 メロとしては到底納得がいかなかったが、本人がそう言う以上は引き下がる他なかった。



「そう言えば弥堂くんは?」


「あぁ、アイツなら買い物ッス。弁当買ってきてくれるって言ってたッスよ」


「え? ホント? でも……、嬉しいけど、何から何まで助けてもらっちゃって申し訳ないなぁ……」


「今は甘えるしかないッスよ」


「そう、だよね……。いつかちゃんとお返ししないと……」



 シュンとしてからすぐに持ち前の“おあいこ精神”で、水無瀬はベッドから立ち上がる。



「もうちょっと寝ててもいいッスよ? アイツが帰ったら起こしてあげるッス」


「ううん、大丈夫。今できること、精一杯しようかなって」


「出来ること?」


「お掃除――しよっかなって……」



 そう言って水無瀬は部屋全体を見渡す。



 そんなに広くない部屋、物も少ない。


 しかし全体的にどこか埃っぽさが感じられた。



「男子の部屋って足の踏み場がないくらいゴチャゴチャってしてるイメージあったッスけど……」


「あはは……」


「散らかってはないけど、キレイでもないって、どういうことなんッスかね……」



 お鼻をヒクヒクさせてからクシッとくしゃみをするネコさんに水無瀬も苦笑いを浮かべるだけで、さすがに擁護までは出来なかったようだ。



「……ねぇ、メロちゃん」


「ん?」



 少し落ちた声のトーンで彼女の感情が伝わり、メロは水無瀬へ顔を向ける。



「弥堂くんの家族の人とか……」


「あぁ……」



 言いかけた言葉の先をメロは察する。



「家族には遠慮しなくていいんじゃないッスか? だってこの部屋――」


「――うん。弥堂くん、ひとりで暮らしてるんだよね……?」


「そッスね。他のニンゲンのニオイはしないし……、っていうか、一人分の家具すら足りてないしッス」


「そっかぁ……、家族の人とか……」


「……そこは触れない方がいいッスよ。少なくとも今日は。アイツどう考えても訳アリだし。絶対そこ突っ込まれるの嫌がるタイプッス」


「そう、だよね……」



 水無瀬にしては珍しい思案げな顏で目を伏せる。



「家族なのに……」



 先程弥堂が漏らした母親との関係性が窺われる言葉。


 そのことについて心配しているのかもしれない。



 加えて、彼女自身の家族のこととも重ね合わせて落ち込んでしまったのかもしれない。


 そう慮ってメロは痛ましい目でパートナーを見た。



「一年生の時に、一人暮らししてるって聞いてたの……」


「そッスか」


「でも……、こんなにさみしいお部屋だって思ってなかった……」



 水無瀬とメロは改めてアパートの中を見廻す。



「弥堂くん、ずっとここでひとりで……」


「……この部屋、おかしいッス」


「え?」



 悲しげに呟いた水無瀬とは、違う感想をメロは抱いたようだ。


 伏し目がちだった水無瀬の目が開かれる。



「ここ……、多少の物はあるけど、生き物の巣のニオイがしないッス……」


「えっと……、生活感ってこと……?」


「大体そんな感じッス。アイツって生き物っぽくないんッスよ」


「でもお胸トクトクしてたよ?」


「なんつーか思考とか精神性がッス。感情の動きが全然ないんッス」


「感情……」



 メロは真剣な目で水無瀬に訴える。



「ジブン、妖精ッスから、ニンゲンの感情の変化とかわかるんッス……」


「そうなんだ」


「アイツ、ゴミクズーとかと戦ってる時でも怒りとか恐怖がないんッス。普通はそういう時ってそういう感情から闘争心を呼び起こすものなんッス」


「闘争心……? それがないの?」


「逆ッス。闘争心はあるのに、それの原動力になってるものがないんッス。怒ってるわけでも怖がってるわけでもないのに、あんなに執拗に相手を殺そうとしたり、平気で自分の生命を危険に晒すし……っ! あんなの異常っス……!」


「えっと……、感情を抑えるのが上手とか? 私はあんまり得意じゃないけど……」


「……全くないわけじゃないんッス……。たまに憎しみや怒りに近いものがあるのは感じるんッス……。でも、それでも、生き物をあんなイカレた行動に駆り立てるほどのもんじゃ……。あんな精神構造した生き物他に見たことないんッス。だからジブンはアイツが恐いんッスよ……」



 メロは身体を震わせる。本当に恐怖を抱いているようだ。


 水無瀬は「う~ん」と小首を傾げながら考え、そしてピコンっと頭の上に電球を光らせた。



「でもでも、私たまに怒られちゃうよ?」


「あぁ……、それはあるッスね。ジブンらと話してる時にイライラしたりとか。むしろアイツの感情が動くのってそれが一番多いかもッス」


「そうなんだぁ。たのしいのとかうれしいの感情になって欲しいね」


「そういえば知ってるッスか。アイツにナナミの話するとほぼ確でイラっとするんッスよ」


「そんなことないよぅ。だって弥堂くんはななみちゃん大好きだし」


「そッスかねぇ……?」



 話が逸れたことで空気が緩み、そして行動へと切り替える契機となった。



「んじゃ、始めるッスかー」


「メロちゃんも手伝ってくれるの?」


「もちッス。ジブンはお助け妖精ッスから」


「ありがとう。でも……」



 水無瀬はキョロキョロと目線を動かす。



「掃除機とかって……ないのかな……?」


「ホウキとかチリトリとかも見当たらないッスね。文明とどう向き合ってんッスかアイツは……」


「どうしよう……」


「そういえばあっちのゴミ袋にタオルが入ってたッス!」



 メロはダイニングへ走っていき、部屋の隅に置かれている燃えるゴミの袋を漁る。



「うわ……、コイツ分別とか全然してねェッス……、クズってやっぱ全方向にクズなんッスね……」



 ドン引きしながらメロはゴミ袋から弥堂が使い捨てたバスタオルを引っ張り出した。



「マナー! 雑巾ゲットしたッス!」


「それ使っちゃっていいのかな?」


「捨ててあったしいいんじゃないッスか?」


「そっか。じゃあ私濡らしてくるね。床を水拭きするだけなら迷惑にならないだろうし……」



 水無瀬は流しでバスタオルを水に濡らし、面積が広く厚い生地を苦戦しながら絞って、寝室まで戻ってくる。



「準備できたー!」


「ニャニャニャーッス!」



 二人は両手と両前足を突き上げて気合を共有する。



「さぁーって! まずはベッドの下からッス!」



 気合の入ったネコさんは鼻をフンフン鳴らしながらベッドへ向かう。



「ベッドからなの?」


「うむッス! ここにエロ本があるはずッス! 男子高校生ってのはそういうもんッス! ジブン男子高校生には詳しいんッス!」


「えろえろ……?」



 勇んでお尻をフリフリしながらベッドの下へ潜りこんでいくネコさんを、水無瀬は首を傾げながら見守る。


 しかし、間もなくして――



「――プェッ! プェップシッ! めっちゃ埃っぽいッス!」



 全身の毛に埃をつけながら堪らずに戻ってきた。



「わ。いっぱいゴミついちゃってる」


「クイップルニャイパーになっちまったッス……、しかしこれくらいでジブンはエロ本を諦めたりしねェッス」


「あ、メロちゃん」



 埃をとってくれている水無瀬の手から離れ、ネコさんは今一度戦場へ舞い戻る。


 すると、ベッドの下の床に一部違和感を覚えた。



「――ん? なんかこの床だけちょっとキレイッスね……」



 前足でフミフミすると床板がガコっとズレる。



「ゆ、床下倉庫……? ここまで念入りに隠すとはどんなエロ……、いや待つッス。まさか犯罪的なヤバイものが……?」



 若干恐怖を覚えながらメロが床板の中を覗くと、そこにあったのはお菓子の缶ケースだ。



「な、なんかヤベェ組織の名簿とか会計記録とかじゃないッスよね?」



 ネコさんは好奇心旺盛なので、ドキドキしつつも興味が勝り、その缶を引っ張り出してしまう。


 前足でハシッと掴みながらお尻をグリグリ動かして後退し、戦場から生還した。



「あ、おかえりメロちゃん」


「ジブンお宝見つけてきたッス!」


「そうなんだ。よかったね!」


「これッス!」



 メロは自慢げに水無瀬の前に缶ケースを出す。


 愛苗ちゃんはそれを見てふにゃっと眉を下げた。



「あのね、メロちゃん? これは弥堂くんのだから勝手に開けちゃダメだと思うの」


「まぁまぁ、ちょっとだけッス」


「でも、弥堂くん“ヤ”になっちゃうと思うし……」


「おっと! 手が滑ったァっス!」


「あっ――」



 飼い主の言うことを聞かないネコさんはつい手が滑ってしまう。


 蓋の開いた缶の中から出てきたのは、黒い包みと、その上に置かれた二本の十字架だ。



「これ……ペンダント……?」


「……ロザリオッスね、魔除けの十字架……」


「これ……」



 二本の十字架にはどちらにも新しめで綺麗な数珠のチェーンが取り付けられている。


 対照的に、十字架自体はどこか古さと製造の粗さが感じられる。



 一本は粗悪な鉄屑を二本打ち付けて交差させただけのような雑な造りで、古い渇いた血と錆だけが装飾だ。


 もう一本は銀細工で装飾された幾分品質のよさそうな物であるが、こちらには焦げたように火に灼けた跡があり、やはり血痕が残っている。



「これは、ダメだよ……、メロちゃん……」


「…………」


「これは他の人が触っちゃダメなやつだよ……」


「……ごめんなさいッス」



 二人は悲し気な顔をして蓋を閉める。



「ジブン、これ戻してくるッス……」


「うん。あとで一緒に弥堂くんにごめんなさいしようね?」


「だ、だいじょうぶッスか? ジブンら殺されねェッスか……?」


「弥堂くんはそんなことしないよぅ」


「弥堂くんだからコワイんッスよね……」



 怯えながらメロはベッドの下へ缶ケースを運ぶ。


 床板を元通りに嵌めて、ふとベッドの奥へ目を向けると、そこにも何かが置いてあるのが見えた。



「なんかデッケェゴミがあるッス。ふぅ、ここはいっちょ大物でも片付けて役に立ってみせるッスかね」



 この後命乞いをする為にここは媚びておこうと、探検隊はさらに奥地へと踏み入った。



「ん? これはビニールシート……? とりあえず引っ張り出すかッス」



 どうやらそれは折りたたまれたビニールシートのようだ。


 メロは端っこを口で咥えてベッドの外まで引き摺って出した。



「あ、メロちゃんおかえり」


「ふぅ、大物がとれたッスよ」


「ビニールシート? 弥堂くんピクニックしたのかな?」


「いや、アイツはそんなタマじゃ……、つーかなんでこんなモンがベッドの下に……」



 怪訝そうな顔をしながらメロは畳まれたビニールシートを広げてみる。


 すると――



「――ギャアアアァァァァッ⁉ なんじゃこりゃあッス……⁉」



 ネコ妖精は目を剥いた。


 広げたビニールシートの内側には夥しいほどの血の痕があった。



「あわわわ……っ、た、たいへんだぁ……⁉」



 それを見た愛苗ちゃんもびっくり仰天する。



「ヤ、ヤバイッスよマナ!」


「そ、そうだよね……、弥堂くんおケガしちゃったのかな?」


「そうじゃないッス!」


「え?」



 危機感を抱いていない水無瀬にメロは焦燥に駆られながら訴える。



「今すぐ逃げるッス!」


「え? なんで?」


「このままじゃジブンら殺されちまうッス!」


「そんなことないよぉ」


「アイツきっとこのシートの上でバラしたんッスよ! きっと次の犠牲者にはジブンらが……っ」


「ばらす? わかんないけど、考えすぎだよメロちゃん」



 水無瀬は興奮したネコさんをナデナデして落ち着かせる。


 少しの間飼い主さんとのスキンシップをしたメロは正気にかえった。



「と、とりあえずこれは見なかったことにして戻しておこうッス……」


「捨てちゃわなくていいのかな? 弥堂くん帰ったら聞いてみる?」


「いや、絶対に触れちゃダメッスよ」



 厳重な注意を与え、メロはシートを畳み直そうとする。



「……ん? これ、もう血が乾いてるッスね。なんか削って剥がしたみたいな痕があるッス」


「お掃除しようとして途中で諦めちゃったのかな?」


「何にせよ、あまり知りたくないッスね」



 ていっ! ていっ! と後ろ足キックでビニールシートをベッドの奥深くへ封印した。



「この家のベッドの下は危険がいっぱいッス。ここの掃除は諦めようッス」


「あ、うん。じゃあ、こっちの床拭きからしよっか」


「すまねぇマナ……。ジブン、エロ本持ってこれなかったッス」


「ううん。私はだいじょうぶだよ」


「せっかくマナがエロ本を欲しがってたっていうのに」


「え? そうなの? エロ本ってえっちなやつだよね? 私は見ちゃダメだと思うの」



 いつの間に自分がそんなことになっていたのかと愛苗ちゃんは驚く。



「あれ? 違ったんスか? ついにマナも性に目覚める年頃になったのかと、ジブン寂しくも嬉しくなったのにッス」


「えっと、わかんないけど多分違うと思うの。どうしてそう思ったの?」


「さっき『エロエロ』って言ってたからジブンてっきり」


「えろえろ……? 私言ったっけ?」



 二人向かい合ってコテンと首を傾げる。



「さっき起きた時に言ってたッス」


「寝言かな? はずかしい……」



 愛苗ちゃんはキャッとお顔を手で覆った。



「もしかしてエロい夢でも見てたんッスか? だれにも言わないからジブンにだけ教えてくれッス、うへへへ……」


「そういうわけじゃないんだけど、弥堂くんの声が聴こえた気がして」


「少年ッスか? 夢の中でアイツにエロいことされたんッスか?」


「されたっていうか、ほら? 前に弥堂くんが言ってたじゃない?」


「エロエロって?」


「えろえろっていうか……」



 水無瀬は宙空を見上げながら詳細を思い出そうとする。



「う~んっと……、なんか『ふぁーる、えろえろ』……? みたいな」


「な、なんッスか? そこはかとなく競技性を感じるッスね……、ジブン俄然興味が湧いたッス」


「戦ってる時に言ってたと思うの」


「野郎……ッ! あんなルール無用の残虐ファイトをカマしながらも、性欲だけは忘れていないというのかッス……! 怪物め……」



 か弱きネコさんは年中発情期のニンゲンたちの精の強靭さに畏れいった。



「つーか、なんで戦ってる時にそんなことを……?」


「ねー? なんでだろうねー?」


「アイツってマジで何者なんッスかね……」


「不思議だねー?」



『ねー?』と二人で顔と声を合わせて、ようやく一つも進んでいない掃除に二人は取り掛かった。



 家主が電気を点けないためにそれを使いづらく、明かりは外から入ってくる光しかない。


 今夜は月が出ていないため、光源は外の街灯頼みだ。



「一所懸命お掃除したら弥堂くんよろこんでくれるかなぁ」



 カーテンを開けて水無瀬は夜空の向こうに彼のことを思う。



 夜は深まっていく。










 宙に上がった腕が地面に落ちると同時に、絶叫が上がる。



 肉体を切り取られる痛み。


 存在が削られる痛み。


 傷口から自身が流れ出ていく痛み。



 生命が喪われる痛みと恐怖を叫ぶ。



「――う、うで……っ! ウデがァァァッ⁉」



 傷口を左手でおさえて蹲る。


 視界の端でチャリっとロザリオのチェーンが鳴った。



 傷を負わされた恨みと、未知のモノへ向ける恐怖が混ざった目で、そちらを見る。



「――下手くそだな」



 どうでもよさそうに呟き、弥堂 優輝は地に蹲るボラフを冷酷な瞳で見下ろした。


 その手にはいつも胸から提げている逆十字のロザリオ、その瞳の奥に宿るのは蒼銀の焔。


 己の一部の喪失に喘ぐボラフへ見せつけるように、地に転がる黒い右腕を靴底で踏み躙った。



「――テ、テメェッ! な、なにを……っ⁉」


「運がない」


「オレに……、オレのウデ……、ちくしょう……ッ!」


「覚えているうちに、餞別代りに、新しい敵とやらを仕留めてやろうと思ったんだが――」


「クソが……! クソッタレ! オレが……! オレが喰うんだ……ッ!」


「ハズレを引いた。運がない。だが、お前よりはマシか」


「オレになにをしやがったァァァ……ッ⁉」



 全く嚙み合わない言葉の遣り取り。


 混乱の極みにあるボラフは絶叫をあげた。



 簡単なはずだった。


 自分の方が強い。


 一太刀で殺せるはずだった。


 それなのに――



「――な、なんで、なんでオレが……ッ! なんでオレがウデを……ッ⁉」



 存在として圧倒的に格上な自分の方が傷を負わされる。


 その現実が受け入れられなかった。



 弥堂はボラフの疑問を無視して、懐から小瓶を二本取り出す。


 そのうちの一本を開けて地面へと中身を垂らした。



 薄く赤い、自らの血液を溶かした液体が地面に染み込むと、前日までに予め地面を抉って引いておいた線をなぞるように薄く赤い光が図形を描く。


 まるで魔法陣のような図形を。



 それは己の領域を示す刻印。


 血の持ち主に僅かばかりの魔力を供給するだけのつまらない魔術。


 それが術者である弥堂に力を与える。



「クソが! テメェなにを! クソがクソがクソが……ッ! こんなはずはねェ! ただのニンゲンごときにこんな……ッ! オレは、オレは――」


「うるさいぞ――」


「――ありえねェッ! オレは……、なのに……ッ! オレの方が格上なはずだ! お前はニンゲンで……ッ、オレは――」


「――悪魔」



 狂ったように憎しみを吐き出していたボラフの声が、弥堂のその一言でピタッと止んだ。



 呆然とした目を弥堂へ向ける。



「オ、オマエ、なんで……」


「なんで? 何故わかったかという意味か?」



 チャリっと十字架のチェーンを鳴らす。



「別に。視ればわかる。俺にはわかる」


「な、なんだと……ッ⁉」



 ドクンッと心臓を動かし送った血液が全身を巡る。



 左心房から魔素を含んだ血液が静脈を流れて循環し右心房へと還る。


 呼吸とともに『世界』に漂う誰のモノでもない魔素を含んだ酸素が肺から取り込まれる。


 それが血液と混ざり体内で生成された己の魔素と、体外から取り入れた魔素とで魔力を生み出す。


 生み出された魔力は左心房から血液とともに再び体内を巡り、全身へ力が満ちる。



 魔力を眼へ集中させる。



 絵具が渇いたような黒い瞳の奥に、蒼焔が灯り蒼銀の膜が眼球を覆う。



「俺には視える。お前の魂のカタチ――お前の“魂の設計図アニマグラム”が」


「アニマ、グラムだと……⁉ ニンゲンがなんでそれを……」



 カタチは視える。


 だがその設計図に何が書かれているかは読めない。


 しかし――



「癖があるんだ。人間とは明らかにカタチが違う。何度か視たことがある。一度見れば忘れない。お前のその魂のカタチは悪魔のモノだ」


「その目……ッ! 気持ち悪ぃ目だと思ってたが、テメェ、魔眼持ちかァ……ッ⁉」


「ルートヴィジョン。根源を覗く魔眼。大層な名前だが魔術師や錬金術師なら割と持っているつまらない魔眼だ」


「魔術師だと……? テ、テメェやっぱりか……! “退魔師エクソシスト”かテメェはァ……ッ⁉」


「…………他になんだと思ったんだ?」



 悔しげに歯噛みし、ボラフはその目に憎しみを燃やす。


 そして立ち上がって残った左腕を鎌のカタチに変える。



「クソがッ! 魔術師だろうが所詮ニンゲンだ!」


「そうだな」


「オレの方が強ェッ、俺の方が速いッ、オレの方がタフだ……ッ!」


「その通りだ」



 激昂したボラフは先ほどのように一直線に弥堂に襲いかかった。



 弥堂は脳裏でスターターを蹴り下ろしドルンッと心臓に火を入れ、全身へ魔力を巡らせ強化を施す。



根源を覗く魔眼ルートヴィジョン


 蒼焔を宿すその眼には怒り狂い迫るボラフの姿が完璧に映っている。


 だが、やはり身体の反応は追いつかない。




 ボラフは混乱する躰と頭を奮い立たせる。



 さっきのは何かの間違いだ。


 まぐれだ。偶然だ。


 そんな思考が頭を巡っている。



(さっきも今も、コイツはオレのスピードに反応出来てねェ……ッ!)



 真っ直ぐ向かってくる自分に成す術もなく目の前まで接近を許し、振り下ろされる刃に対して避ける素振りを見せることすら出来ていない。


 やはりニンゲン如き、簡単に殺せる。



「死ねエエエェェェ……ッ!」



 全力で近づき全力で鎌を振り全力で叫ぶ。



 弥堂はその段になっても動きを見せていない。



 精々が口を動かす程度だ。



 先程と同じ。



 ボラフの目にその唇の動きが映り、そして意識を向けている今回はその唇の奥から紡がれる言葉が聴こえた。




 弥堂は棒立ちのまま敵の姿を視る。


 殺害可能距離キリングゾーンに侵入され、振り下ろされる鎌を視て、間に合わないと判断した時――



――首筋に黒い刻印が浮かんだ。



 刻印魔術の一つ。


 自動発動の“反射魔術アンダースペル”。



 予め設定した条件を満たした時に、予め設定していた行動を自身の身体に自動で行わせる。


 唇が、舌が、喉が、腹が動き、その言葉を発音する。



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



『世界』から自分を剥がす。



 ボラフの視界から、意識から――



 弥堂が居なくなり、認知から外れる。



 ボラフが振り下ろした鎌は空振り、そして今回は――



「――ウガアァァァァ……ッ⁉」



 左足が斬り落とされた。



 鎌を振り回した勢いのまま片足を失って地面に転がる。



「な、なにを……ッ⁉ なんで……ッ⁉」



 弥堂はゆっくりと振り返り、ボラフの方へ近寄りながら足元の魔法陣を踏んだ。


 いつもと変わらぬ、冷たい瞳に、その傷つき削れた“魂の設計図アニマグラム”を映す。



「昔の女がな。シスターをやっていたんだが……」


「シスター……? 教会? テメェ、教会の魔術師なのか……⁉」


「信心深い女でな。だから、酷く嫌っていた。お前ら悪魔を」


「クソッ! なんで、なんでオレが斬られ……!」


「口煩く言いつけられているんだ」



 恐怖を宿した目で見上げてくるボラフへ、どうでもよさそうに告げる。



「悪魔を見かけたら必ず殺せ――と」



 心臓を動かし循環する魔力を身体に巡らせ、瞳の蒼焔に殺意をくべる。



「――お前を殺す」



 右手に握る十字架に吊るされた赤黒い血涙ティアドロップが揺れる。



 反逆の逆さ十字に殺しを誓った。

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