1章64 『這い寄る悪意』 ④


 水無瀬 愛苗が負けた。



 弥堂には、その情報は俄かには信じ難かった。



 ジッと、眼を向けて彼女の姿を視る。



 シュンと、落ち込んだように情けない顏をしている少女だが、その中身、本質は全く見た目の姿とは違う。



 彼女は“神意執行者ディードパニッシャー”だ。


 ニンゲンという枠組みの中では絶対に実現不可能なことが出来る特別な存在。


『世界』からそれを特別に許され、その特権を執行するための“加護ライセンス”を与えられている。



 恐らく“魔法少女”がその“加護ライセンス”にあたるものなのであろう。


 弥堂が今までに見てきた水無瀬の“加護ライセンス”は、弥堂が今までに出遭ってきた他の“神意執行者ディードパニッシャー”と比べても相当に強い方で、間違いなく彼女はトップオブトップだと、そのように評価していた。



 その彼女が負けた。



 弥堂がこの美景市に来てから1年と少し。


 水無瀬が強大な存在であることにはある程度気が付いていたが、それでも日常生活の中で彼女のような特別で特殊な力を扱うものには遭ったことがなかったし、そういった事件に巻き込まれることもなかった。


 学園の運営陣や紅月ハーレムと呼ばれる集団。彼らは一部例外で“そっち側”だろうと予想はされるが、それでも水無瀬 愛苗には遠く及ばない。



 だから、当然、水無瀬に匹敵するような存在など、視たことはなかった。



 そんな存在が出てきたということは、これは『いよいよ』なのだろうなと、弥堂はそう考えた。



「それで、どういう敵だったんだ?」


「えっとね……」



 水無瀬はどこか怯えたように、弥堂の顔色を窺いながら答える。



「すっごくおっきい人でね?」

「それはもう聞いた。背が高いという意味か? 人型の姿をしていたのか?」


「ひとがた……? うん、人間と同じ見た目で、たぶん蛭子くんよりもおっきかったかも」

「そうすると2mくらいか。だが……」



 どうせ中身はニンゲンではないのだ。見た目の肉体の強さや威容など判断基準としては全く当てにはならない。



「なにをどうして負けた? 攻撃が効かなかったと言ったが、何か特殊な方法でお前の魔法を無効化されたということか?」



 それならやり方によっては在り得る話かもしれないと弥堂は考えていた。


 しかし――



 水無瀬は首を横に振った。



「――ううん。そういうのじゃないと思う。普通にぜんぜん通用しなかった。そんな感じがしたの」


「そうか……」



 彼女の言が正しいのならば、それは普通に力負けをしたということだ。


 弥堂のような弱き存在の攻撃が、ゴミクズーや悪の幹部たち、そして水無瀬に対して何ら痛痒ともならない――それと同じ現象なのだとしたら、相手は存在として圧倒的に格上の存在、そういうことになる。



「相手はどういう戦い方をしたんだ?」


「戦いっていうか……」



 水無瀬は事の顛末を弥堂へ語る。


 それを弥堂は黙って聞いた。


 やがて彼女が話終えると少し無言の間が出来る。



 水無瀬とメロはその静寂に居心地が悪そうにした。



「……なるほど。戦いにすらならなかったということか」



 やがて飲み込み終えるとポツリと呟くように言った。



「そうなの……。バスターもしたんだけどね? ガってされて、グってして、えいって消されちゃったの」


「……そうか。それは大変だな」



 愛苗ちゃん語は弥堂にはまだ少々難しかったので適当に聞き流した。


 正直彼女の証言からは敵の全容はほとんど見えず、わかったのは国道で見た事故現場――あれの原因がなんだったのかということだけだった。



「それでアスは?」


「あ、うん。アスさんがね? そのおっきい人に『そんなことしちゃダメだよー』って言ってくれたんだけどね? 言うこと聞いてくれなくってケンカになっちゃったの」


「…………」



(くそっ……!)



 弥堂は内心で毒づく。



 弥堂の記憶が正しければアスという人物は絶対にそんな台詞は言わない。


 彼女の説明だといまいち当時の状況やその危機感が感じ取りづらく、受け取った情報を正確に処理出来ている実感がまるでなかった。



「……それから?」


「えっと、アスさんも怒っちゃってね。『退場です』って言ってた」


「……アスとその男とで戦闘になったということか?」


「うん。たぶん……?」


「……お前は?」


「……街の人を守らなきゃって思ったんだけど、アスさんに逃げなさいって言われて……、結局アスさんがどこかにその人連れて行っちゃったの」


「あいつが、ね。ふむ……」


「本当は私がやらなきゃいけなかったのに……、私ぶたれて、びっくりしちゃって……、それで恐くて泣いちゃって……、どうしたらいいかわかんなくなっちゃったの……」



 後悔か、それとも恐怖のフラッシュバックか。


 じわりと、彼女の目に涙が浮かぶ。



 弥堂はそれを無視して考える。



(あいつら同士で即座に殺し合いにならないということは、エモノの横取りやナワバリの奪い合いではない。味方同士ではあるが予定にないイレギュラーな動きをされた? それで内輪揉めになったのか……?)



 水無瀬の話を材料に予想を巡らせるが、どのみち真相には至れない。


 他の重要なことを訊くことにする。



「アスは……、その大男に対してどんな態度だった」


「えっと、最後は怒ってたんだけど、最初は丁寧にお話してたかも」


「あいつはいつも敬語で喋ってなかったか?」


「あ、そっか。えっとね、アスさんが『アンビー・クルード、何故ここに』って言ったら、そのクルードさんに怒られちゃったの。だから『クルード様』って言い直してた」



 弥堂が初めてアスに遭遇した時、ボラフとアスとの間でも同じようなやりとりがあった。


 ということは――



(アスよりも格上か……。だが、それよりも――)



 心中でそう格付けし、そして視線を水無瀬から動かす。



「――おい」



 声と目線を向けた先で、メロがビクっと身体を跳ねさせた。



「アンビー・クルード――知っているか?」



 水無瀬の口からその名前が出た瞬間から、メロは目に見えて怯えを露わにしていた。


 今しがた思い出したアスとの初遭遇時、その時もメロはこのような態度をとっていた。



「何故、そんなにも怯えている?」


「……ヤ、ヤバイ奴なんッス……」


「あ?」


「クルード……、メチャクチャ大物ッス……! 戦闘狂で乱暴者で、頭イカレてて……! でも、そんなの関係ないくらい圧倒的に強いヤツなんだ……!」


「へぇ、それはいい情報だな。お前もたまには役に立つじゃないか」



 身を伏せて前足で頭を抱えながら震えるネコ妖精に、弥堂はそう労いの言葉をかける。


 しかし、彼女を見下ろすその眼は酷く冷たく、強い侮蔑の色があった。



「あ、そういえば――」


「なんだ?」



 弥堂のその視線の温度には気付かずに、水無瀬が何かを思い出す。



「その人『オレ様』って言ってた!」


「それがどうした?」


「『オレ様は王だぁー!』って言ってたの。もしかしたらすごく偉い人なのかもって。王様なのかな?」



 なんともまた彼女らしい的外れなことを聞いてくるが、弥堂は答えない。



「弥堂くん……?」



 水無瀬が不思議そうに窺うと、その声に反応して顔を伏せていたメロも弥堂の顔を覗く。



 いつもであれば、わけのわからないユルいことを言い出した水無瀬に、呆れた目を向けているか、冷たく罵倒をしているシーンだ。



 しかし、今回はそうではなく弥堂は――



「――笑ってる……?」


「あ?」



 ポロリと溢した水無瀬の指摘に、弥堂は不愉快そうに眉を寄せた。



「笑ってない」

「笑ってたよ?」


「いい加減なことを言うな」

「だってね? お口のはじっこがちょっとだけクイって……!」


「笑ってない」



 頑なに言い張る弥堂に水無瀬は食い下がる。そこへメロも加勢した。



「いやいや、笑ってたッスよ! 口のかたっぽだけ少し上がってたッス!」


「面白くもないのに笑うやつなどいない」


「面白いっていうか、なんかこうめっちゃ邪悪というか、Vシネマっていうか……」


「そのような事実はない」



 やはり弥堂は頑なに否定をして突っぱねる。



「それで? その後は?」



 頭の中では今しがた得た情報のことを考えながら、先に進めて話を逸らす。



「あ、うん。その後は公園でオバチャンに会って、それから駅前でオジさんに会ったくらいかな……。そうしたら弥堂くんとメロちゃんが私を見つけてくれて」


「あれはビックリしたッスね。なんかビービー鳴ってるから『何事ッスか⁉』って見に行ったら、マナが見つかって。ホントによかったッス」


「えへへ、心配かけちゃってごめんね? 探してくれてありがとう、メロちゃん」


(希咲の過保護も役に立つことがあるんだな)



 喜びを分かち合う彼女らとは全く違うことに感心する。



「他にはないか?」


「う、うん……」


「そうか」


「…………」



 聞くだけ聞いたら途端に関心を失ったように、弥堂は黙って何かを考え始める。


 そんな彼の様子を前にして、水無瀬はやはり居心地が悪そうにした。



「……あの、弥堂くん……?」


「なんだ?」



 そしてまた顔色を窺ってくる。


 メロの方も似たような態度で、弥堂はようやくそのことを不審に思った。



「あ、あの、わたし……」

「マ、マナを怒らないでやって欲しいッス……! カンベンしてくれッス!」


「……?」



 何か言いづらいことを言おうとする水無瀬と、それを庇おうとするメロ。


 彼女らの振舞いが弥堂にはまったく理解出来なかった。



「怒る? 勘弁? 一体なんの話だ?」


「え、えっと……」

「だ、だって、少年って失敗とか敗北って絶対許さなそうっていうか……」


「わからないな。何についての話だ?」


「その、私負けちゃったじゃない?」


「そうだな」


「ぶたれて、泣いちゃって、すごく恐くなっちゃって……」


「そうか」


「……怒らないの?」


「何故だ?」



 一応彼女の言い分を聞いてみたが、それでも全く弥堂には理解出来なかった。


 すると補足のためか、メロが口を開く。



「なんつーか、少年って失敗した仲間や部下を始末しそうじゃねえッスか……? 『お前はもう用済みだ』とか『この役立たずめ』って。マナを殺さないで欲しいッス」



 その余りに礼を失した物言いに弥堂は気分を害した。



「言いがかりはやめろ。俺はそんな酷いことは言ったことがない」


「い、いや、ジブンら何回か言われてんッスけど……」


「うるさい黙れ」



 弥堂はジロリとネコ妖精を睨みつけ、無理矢理発言を封殺する。



「言葉に気を付けろ」


「ゴ、ゴメンって……。悪気はねェんッス。わかりやすいように大袈裟に言ったというか――」


「――俺はお前らの仲間じゃない」


「別の方を否定して欲しかったッス!」


「ともかく。要は負けたことを気にしているのか?」



 水無瀬の方へ眼を向けてそう問うと、彼女はシュンとした。



「だ、だって、魔法少女は負けちゃいけないし……」


「もう負けたもんはしょうがねえだろ」


「でもでも、みんなを守らなきゃいけないのにっ」


「負けることもあるだろ」


「それに私、逃げちゃったし……」


「…………」



 そう言って涙ぐみ、俯く彼女を弥堂はジッと視る。


 ようやく彼女の言いたいことが彼にもわかってきた。



「確認だが、お前は負けたことや逃げたことを負い目に感じている。つまり、自分の行動を後悔していて、勝敗の結果が悔しくてムカついている。そういうことか?」


「逃げちゃったのは後悔してる……。でも、負けちゃったのは、悔しいっていうか……」


「……?」



 途中で水無瀬の言葉が止まる。


 そのことを訝しむと、不意に彼女が顔を上げた。



「……ううん。くやしい……っ、私くやしいよ……、弥堂くん……!」


(へぇ)



 涙を溜めた瞳で真っ直ぐにこちらへ向けてくる彼女の感情に、弥堂はある種の感心を抱いた。



 彼女に関して、いつもフニャフニャとユルい言動ばかりだという印象を持っていて、このような闘争心や負けず嫌いな面があるとは思っていなかったのだ。



「それに――」



 彼女の目から涙がこぼれる。



「魔法少女は、負けちゃいけないのに……、逃げちゃいけないのに……! それなのに、負けて逃げちゃったら……! 私は魔法少女じゃなくなっちゃう……!」


「お前……」


「もう……っ! 私は私じゃ、なくなっちゃったかもしれないのに……っ! それなのに、魔法少女でもなくなっちゃったら……っ」


(……そうか。そういうことか……)



 彼女という人物を見ていて、『人の役に立たなければならない』『魔法少女はみんなのために』といった理念を、どこか強迫観念にまで発展させているような印象を受けていた。


 その原因の一端がようやく垣間見えたような気がした。



「――負けたからなんだ?」


「えっ……?」


「逃げてなにが悪い?」


「で、でもっ――」


「――ウルセェ黙れ。テメェはまだ死んでねェだろうが」


「――っ⁉」



 水無瀬は息を呑む。


 言われた言葉以上に、それを口にする彼の雰囲気がいつもの知っているそれとはどこか違うように感じたからだ。



 弥堂は、右も左も失いかけて不安がる少女をギロリと睨む。



「グダグダうるせェな。勝てねェから逃げる。そんなの当たり前だろ」


「だ、だけど……」


「負けたら、逃げたら魔法少女じゃなくなる? そんなの死んでも同じだろうが」


「あぅ……」


「生きてりゃまた戦うことも出来るが、死んじまったらそれまでだ。そんなこともわかんねェからお前は負けんだよ」


「ぅぅ……、ごめんなさい……」



 かつて見たことのある姿と、聞いたことのある声を思い出す。


 出来るだけそれに近付けるよう、不機嫌さと口の悪さを表現する。



「いいか? クソガキ。世の中ナメられたらおしまいだ。戦うのなら、どこの誰にもナメられるな。まずは見下せ。そして睨みつけろ。それからハッタリでもなんでもいいから一発カマせ。それでも反抗的な態度をとるクズは胸倉つかんでぶん殴っちまえ」


「そ、そんなの乱暴だよぅ……」


「あ? なんだそのツラは? なんか文句があるのか? フン、所詮女の子みたいにちっさくて細いかわいいかわいい愛苗ちゃんは、俺のようには出来ねえか? どうなんだ? あ?」


「お、女の子みたいっていうか、私女の子だもん……っ!」



 彼女のように獰猛に嗤おうとして、表情を動かすことに失敗する。



「まぁ、テメェは弱っちいからな。もしもまた戦いになって負けちまいそうになったら、とりあえず逃げて来い。何をしてもいい。どんなに無様にションベン垂らしながら逃げようが、みっともなく這いつくばって命乞いをしようが、生きてさえいればそれは負けではない。どうにかして逃げかえってきて、その時はこの俺に――」



 饒舌に、早口に、彼らしからぬ口調で喋っていたが、その口上は唐突に止まる。



『――オイ、なにしてんだテメェ。最後まで言えよ』



 不思議そうに首を傾げる水無瀬を見ていると、横からそんな声が聴こえた気がした。


 だが、気がしただけだから気のせいなのだ。



「弥堂くんに……?」


「――いや、なんでもない。とにかく殺せ。出来なきゃ逃げて油断してるとこを狙って殺せ」


「殺さないよぅ……」



 ふにゃっと眉を下げる彼女の情けない顏を見て、呆れた心持ちになる。



『呆れたぜ。そんなんだからテメェはいつまで経ってもダメなんだ』


(わかってるよ)



 自分への呆れと失望を溜め息にして吐き出した。



「い、今のはどういう攻撃なんッスか……?」



 メロが警戒しながら聞いてくる。



「どういう意味だ?」


「ど、どういうって……、なんか変な喋り方っていうか、いつものオマエっぽくないっていうか」


「そうか?」


「いつもはもっと端的に馬鹿にするじゃねェッスか」


「あぁ。自分の言葉じゃないからじゃないか」


「え?」



 すると弥堂の言葉に目を丸くした。


 水無瀬も興味を向けてくる。



「私は、言ってることは弥堂くんっぽくないとは思わなかったんだけど、喋り方の感じが違う人みたいって思ったかも。あと、こないだ言ってたこととちょっと違うかなって……」


「こないだ? 何か言ったか?」


「えっと、ほら……、『自分を諦めろ』って……」


「あぁ……、俺としては別にそれと矛盾しているつもりはないが、そう聞こえたのならそうなのかもな」


「誰かに教えてもらったの?」



 弥堂は口を開きかけて一度躊躇する。


 何故自分のことを話したのかと疑問に思い、そしてその答えをすぐに思いついてしまって頗る不愉快になった。



 ジッと二人が目を向けてきている。



――言いかけたんなら最後まで言いなさいよ! あたしそういうのすんごい気になっちゃうって言ったでしょ!


(うるさい黙れ)



 つい一週間前と同じミスを繰り返す自分に辟易としつつ、過去の記憶からも抗議を受け、仕方ないと自分を諦めて続きを口にする。



「昔に世話になっていた女が言っていた言葉だ」


「そうなんだ。どういう人なの?」

「え? なにこの人……、いきなり元カノの話し始めたんッスけど、キモイッス……」


「元カノじゃない。保護者のような存在だ」


「お母さん?」


「違う。母親に最期に言われた言葉は『お前なんか私の息子と違う』だ」


「え……?」

「と、唐突に激重な話はやめて欲しいッス……!」



 悲しげに顔を歪める水無瀬と、ドン引きするネコ妖精に、どうでもよさそうに肩を竦めてみせる。



「別に重くはない。彼女がそう思ったんだからしょうがないだろう。原因は俺にあるしな」


「まぁ、そうでしょうねッス……」

「で、でも、お母さんなのに……」


「母親のことはどうでもいい。さっき言った女は親元を離れた時に一時的に世話になった女だ」


「そうなんだ……。いい人だったの?」


「いや? 酒浸りのろくでなしで、一日最低数回は人を殴っていたな。仕事も人を殴る仕事をしていた。だからさっきお前に言ったことが役に立たなくてもあの女のせいだ。あまり真面目に受け取らなくていいし、なんなら忘れてしまえ」


「お、おぉぅ……、このイカレポンチの製造の背景がうっすらと……」



 口の端をヒクつかせるメロに、やはり適当に肩を竦めて流す。



「ううん。忘れないよ」



 しかし水無瀬は真っ直ぐな目で答えを返してきた。


 弥堂としてはそうして欲しくないのが正直なところだが、彼女の性格を考えればそれも無理だろう。



「だって弥堂くんが私に『いいな』って思って言ってくれたんだよね? だったら絶対に忘れないよ」


「いいかどうかはわからんと言ってるだろ。大体お前意味がわかったのか?」


「えっと、実はあんまりわかってないかも。えへへ……」



 彼女は照れ笑いを浮かべ、それからすぐに表情を改める。



「多分、『がんばろうね』『生きててよかったね』ってことだよね?」



 その答えに弥堂はすごく嫌そうな顔をした。



「お前な……、どう聞いたらあれがそう……、いや、そんなに間違ってないのか……?」


「だよねだよね? 私すっごくいい言葉だなーって思ったの!」


「そうか……? だが……、いや、そうなのか……?」



 弥堂が疑心暗鬼に囚われるとネコ妖精がドヤ顔をする。



「フフフ、さすがッスね。ウチのマナのポジ変換能力を甘くみないで欲しいッス」


「ちょっと黙ってろ。……あの女がそんなことを言うか? だが、言葉を変えれば同じなのか……?」


「つーか、オマエもジブンでわかってなかったのかよッス。マナー、こいつ超テキトーッスよー」


「そんなことないよぅ。弥堂くんは真面目だから一生懸命考えてるんだよぉ?」


「そんなバカな……」



 落ち込む彼女を叱咤してやろうと気の迷いを起こしたら、今までの自分の解釈や価値観に逆に罅を入れられ弥堂はしばし思考の迷路を彷徨った。


 だが、考えてわかることは最初からわかっていることだけだ。



 結局弥堂が得たのは、現実と過去を重ねると碌なことにならないという既にわかりきった教訓だけだった。

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