1章62 『獣の足音』 ③


 美景台学園。



 午前中の授業が終わり放課後となる。



 先日美景市内の学園からも近い牧場にて家畜が大量に殺害された事件の影響で本日は半ドンとなった。


 犯人は大型の肉食獣とされていて、現在も警察や専門チームが捜索中だが未だに発見には至っていない。


 そのため、住民の安全を考慮して本日の午後より市内に外出禁止令が発令された。



 今朝のHRで弥堂の所属する2年B組の生徒達にも、担任教師である木ノ下 遥香よりその説明があったが、木ノ下の話では『外出禁止令という名前だが実質は“自粛令”』らしい。


 弥堂も昨日この情報を得た時は“禁止令”と聞いていたが、どうやら様々な方面に“配慮”をした結果、“自粛”という腰の引けた決定になったようだ。



 人間を喰い殺せるような猛獣が自分たちの生活圏をうろついているというのに悠長なことだなと感じた一方で、今の時代そういった系統の一部の市民の鳴き声の方が猛獣の咆哮よりも耳障りなのだろうなとも納得する。


 それに議員たちの支援者であるスポンサー様方のビジネス的な事情も多分に考慮されたのだろう。


 どちらにせよ、本当はそんな猛獣などいないことを知っている弥堂としてはどうでもいい話だった。



 “禁止”でも“自粛”でも構わないが、どちらにせよ発令のタイミングが遅いことの方が弥堂には気に掛かった。


 本来ならもっと早く声明が出ているべき問題のはずだ。


 間抜けな警察や行政が存在しない犯人を馬鹿のように探し回っていると考えていたが、もしかしたら彼らの中にも真相に勘づいている、もしくは知っている者がいて、体面上の捜索をしている可能性もある。



 そんなことを考えながら弥堂は昇降口棟から外に出た。



 周囲には同じく下校をする生徒達が大勢いる。


 風紀委員の弥堂はこれから少しの間、他の生徒たちの速やかな下校を促す業務に就くことになる。



 学園からも生徒たちに外出の自粛を言い渡したわけだが、当学園の生徒たちは普段の登下校すら満足に行えないボンクラなガキどもだ。


『建前上“自粛”って言ってるけど実際これ“禁止”だからな?』という本意を汲んでそれに従うことなど出来るはずがない。



 そのため、風紀委員の方で彼らの動向を監視し、必要に応じて彼らや彼女らの尻を蹴り飛ばして学園の敷地から追い出すのだ。


 兎に角可能な限り早く一度生徒たちを自宅に帰らせることが重要だ。


 学園に居る間、またはその登下校の際に彼らに何かがあれば、それの何割かの責任を学園も問われることになる。


 しかし、一度でも家の敷地に足を踏み入れれば、その瞬間から“帰宅後”となる。



 つまり、その後に彼らの身に何が起ころうが学園は一切関係ない。故に負うべき責任も一つもないことになる。


 学園の支配者である生徒会長閣下の忠実な僕であり、正常で優秀な犬である弥堂は、郭宮 京子くるわみや みやこ生徒会長閣下のその真意を正確に汲み取り必要なことを実行をする。



 弥堂は目の前を通り過ぎていく、気持ち顔色を青褪めさせた生徒を視て眼を細めた。




 しかし、今回喰い殺された牧場の家畜共よりも知能が低い我が校の生徒たちに速やかな下校を完了させるのは簡単なことではない。


 そのため、朝のHRが終了してすぐに弥堂はこのための準備に取り掛かった。



 弥堂はまず、警察からリークされた事件直後の家畜の惨殺死体の写真画像を、“サバイバル部”の情報管理官であるY'sへと送り付けた。


 そしてネットかどこかで適当に、獣に喰われた人間の死体の画像を入手し、これらの画像を組み合わせて動画を作成するように指示した。



 学園の各教室にはモニターが設置されていて、それらは放送室の設備で遠隔操作することが可能だ。


 弥堂はY'sに正午までの数時間で動画を作成し、帰りのHRの時間に各教室のモニターをジャックして完成した映像を流して、全生徒に獣の恐ろしさと死の凄惨さを見せつけるように命令をした。



 かなり無茶なスケジュール感の案件だが、優秀なスタッフであるY'sはそれに従順に応える。


 実際に各教室に流された映像には、弥堂の注文にはなかったY's独自のアレンジさえ施されていた。



 まず背景にはどこから拾ってきたのか不明な動画が使用され、溌剌とした野生の動物さんたちが元気いっぱいに“ご飯”を追いかけまわし、まだ生きている“生肉”に無邪気に齧り付いて食べ尽くすまでの様子がオムニバス形式で流された。


 そしてその映像の前面にスライドショーとなって各種参考画像が移り変わっていく。画像が切り替わるタイミングでは人の悲鳴のようにも聴こえるエフェクトがふんだんに使用されていた。


 ただ、Y'sの話では、あくまで青少年の健全な学び舎で使用されるものなので少々マイルドにする必要があったとのことで、BGMには結婚式の披露宴に使われるような人々の情感に訴えかける類の楽曲が使用された。



 そのせいで多少シュールな作品に仕上がっていたと弥堂には感じられたが、周囲の生徒たちの顔色を見る限りはBGMどころではなかったようで皆顔色を青褪めさせていた。


 他クラスにも効果があったことは、現在この昇降口を通る者たちの顔を見れば一目瞭然だ。



「――あ、弥堂くんお疲れさまぁ……」

「風紀委員ご苦労さま。また来週ね……、来週学校あるかわかんないけど……」



 顔をゲッソリさせた早乙女と日下部さんが挨拶をして通り過ぎていく。



「あぁ。道草をするなよ。さっきの映像のような姿になりたくなければな」


「やめてよぉっ!」

「せっかく回復してきてたのにっ!」



 弥堂が風紀委員として爽やかに挨拶を返すと、クラスメイトの女子たちは半ベソで抗議してきた。



「忘れるべきではない。少なくとも家に着くまでは」


「うぅ……、今日は美景モールのフードコートでマホマホとランチしようと思ってたのに……」

「完全に食欲死んだよね……」


「マホマホでもキツかったんだ? ホラー好きなのに」

「あれはコンテンツとして受け止められないよ……」


「…………」



 体調さえ万全なら道草をする気マンマンであった愚かなクラスメイトを弥堂は胡乱な瞳で見送る。


 やはり映像ハックを敢行したのは間違いではなかったようだ。



 正門へ向かう彼女らの背中を視ていると、その前を他の生徒たちが次々と横切って行く。


 皆一様に青い顔で伏し目がちに言葉少なく黙々と歩いている。



 いい心がけだとそんな生徒たちの姿に弥堂は満足げに頷く。



(しかし……)



 日下部さんが今言ったように明日からの土日連休明けの月曜日には“外出自粛”は解除されるのだろうか。


 弥堂の予測ではしばらく解除されないと考えていた。



 この土日でもしも不自然に複数の死傷者が出たとしても、事件が未解決の内はそれを正体不明の猛獣のせいにすることが出来る。


 自分と同じようにそれを都合がいいと考える者が一定数いるかもしれないと弥堂は考えていた。



 しかし“禁止”が“自粛”になってしまったように、思っていたよりもそのような強権は振るえないのかもしれないと評価を修正する。



 そんなことを考えている間にも、下校の生徒たちがベルトコンベアの上の缶詰のように身を強張らせ口を堅く閉ざして流れていく。


 よほどに例の動画は効果があったようだ。



 ちなみにその動画の件で弥堂は教員から呼び出しを受けていたが、命令系統上優先されるのは教員どもよりも生徒会長閣下だ。


 なので弥堂には従う理由がなかった。



 それにあの動画が弥堂の仕業だと特定できる証拠など一切残していないので、仮に何かを聞かれたとしても答えることなど一つもない。


 なにより、あの映像を作成したのも、放送システムをハッキングしたのも全てはY'sがやったことだ。


 自分は何一つ罪を犯していないという確信が弥堂にあった。



 これまたちなみに、実際に生徒会長閣下からは直接こうしろという命令をされたわけではなかったが、彼女の正常で優秀な犬である自分には彼女の意向を汲むことが出来ると弥堂は自負していた。


 そのため直接会って話すことも連絡を取り合う必要すらなく、命令を受け実行する。


 それは非常に効率がいいと満足していた。



 駒には思考も思想も必要なく、ただ必要なことを黙って実行すればいい。


 それは自分だけでなく目の前を通る他の生徒たちも同じだ。



 生徒など所詮は駒に過ぎず、代わりの利く消耗品だ。


 黙って学費を納め、黙って登校し、黙って下校をする。


 彼ら彼女らに必要なことはそれだけで、また許されていることもそれだけだ。



 それをしている内は、またそれ以外のことをしなければ、その間は生かしておいてやると、弥堂は冷酷な眼差しで生徒たちを監視する。



 いつもは酔っぱらったように意味のない鳴き声をあげて下校をする彼らも今日は大人しいものだ。


 やはり一般的な十代の子供たちにはあの動画はショッキングな映像だったのだろう。


 弥堂は映像を使った教育の有効性を実感した。



 しかし、中には例外もいるようだ。



 弥堂は徐に動くと、下校をする生徒たちの中の一人の男子生徒の胸倉を掴みあげた。



「ひっ、ひぃっ⁉」


「おい、貴様」



 目を合わせてギロリと睨みつけると、男子生徒は途端に震え上がった。



「な、なんですか……? ボク風紀委員に怒られるようなことなんて――」


「――貴様今笑っていただろう?」


「――え……?」



 最後まで喋らせずに罪状を読み上げると、男子は理解が出来ないとその顔を困惑させた。



「あ、あの――」


「たった今、貴様はこの俺の目の前を笑いながら歩いていたな?」


「え? そ、その、コイツらと話してて……」



 口ごもりながら男子生徒は一緒に歩いていた友人たちの方を見る。すると友人たちも怯えを見せた。


 彼らは特に不良生徒なわけでもないごく一般的な生徒だ。


 そのため、不良生徒たちを差し置いて『この学園で関わってはいけない人物BEST3』にランクインされている弥堂のような者に絡まれることに耐性はない。



 弥堂は容疑者の友人たちを睨みつける。



「おいクズども。今コイツが笑っていたのを見たな? 嘘の証言をしたり隠し立てをしたりするとためにならんぞ?」


「え、その……、たしかに笑いましたけど……、でも、それはただ仲間内で冗談を言い合っていただけで……」


「聞いたか? たった今貴様を絞首台に送るのに必要な証言がとれたぞ?」


「こ、こうしゅっ⁉」



 出会って10秒で死罪を言い渡された男子生徒はびっくり仰天した。



「いいか? 下校に笑顔はいらない。歯を見せるな口を開くな。速やかに下校をしろと言われたらそれだけをやれ。余計なことをするな考えるな何も感じるな。貴様らにはその内の一つすら許されていない」


「そ、そんな……」



 自分という存在に人権がなかったことを知らされた生徒たちは絶望の色を顔に浮かべる。



「特別に今回だけは見逃してやる。だが次はない。わかったか?」


「は、はい……、すみませんでした……」



 到底納得など出来なかったが、生徒たちは目の前の男が何を言っているのかわからなすぎて恐かったのでとりあえず従った。



「わかったらとっとと歩け。一列に並んで目を伏せて口を閉じたら足だけを動かせ。自分が次に足を置く場所だけを見ていろ。余所見をしたら殺すぞ」


「ひ、ひぃぃぃ……っ」



 理不尽な命令とともに尻を蹴とばされると、罪もない生徒さんたちは一列縦隊でしめやかに歩き出した。



「フン」



 つまらなそうに鼻を鳴らした弥堂が周囲へ眼を巡らせると、その様子を見ていた他の生徒さんたちも慌てて同じように列に並んだ。


 そして、顔色を悪くした若い男女がまるで葬列のように粛々と並んで歩いていく。



 弥堂はその光景に一定の満足感を得た。



(そういえば……)



 目の前の光景が何かに似ているなと思いつく。



 記憶の中の記録を探ってみれば、以前に師であるエルフィーネと一緒に敵の領土である村に襲撃をかけた時のことだ。


 制圧後に安全のためと言い張って先住民を無理矢理追い出したのだが、その時の生まれ育った地を奪われ村から出ていく避難民たちの隊列にそっくりだなと思い出した。



 そんな全然関係ないことを思い浮かべていると、もう一度『そういえば』と、関係のない事柄を思い出してしまう。




 水無瀬は結局教室には戻ってこなかった。



 彼女をこの学園の生徒だと認識出来ている者は一人もいないのだから、戻ってきたところでどうしようもないので、当然と言えば当然のことだが。



 そしてそれは弥堂にもどうしようもないことだ。


 彼女に対してしてやれることはなく、だから何もしてやる必要がない。



 ここのところ日に日に進行していた『人々が水無瀬 愛苗を忘れる』という事象。


 それが今日をもって取り返しのつかないラインを越えたのだと、弥堂はそう認識していた。


 しかし、それを以て事態の終着となるわけでは必ずしもない。



(この先がまだあるのか……?)



 彼女にこれ以上のことがまだ起こるのだろうかと、ふと考える。


 しかしすぐに頭を振って思考を止めた。



 考えても意味がない。


 つい今考えたように弥堂には彼女の問題を解決してやることは出来ない。


 だから考えても意味がない。



 それに仮に何かを思いついたとしても、弥堂自身が水無瀬のことをあとどれくらい覚えていられるのかという問題がある。


 どうせ自分も遅かれ早かれ彼女を忘れる。


 だからやはり意味がなかった。



 一応せめてもの抵抗として、定期的に彼女のことを考えるようにして、その際に記憶の中に記録された彼女に関する記憶を参照するようにしている。


 これは弥堂にこの記憶力があるおかげで、他の生徒たちとは違い水無瀬のことを現在も覚えていられるのかという実験と検証を兼ねている。


 決して彼女のための行動ではない。



 特にその記憶に関して問題はないようだが、問題が起こった時に弥堂自身がその問題を問題として認識出来るのかというと甚だ疑問だ。


 だから結局意味がないのかもしれない。



 そんなことを考えながら水無瀬 愛苗に関する一番最初の記憶――彼女と初めて出会った時のことを思い出す。



 去年の5月、高校一年生の時分。


 弥堂が他の新入生たちに一ヶ月遅れでこの美景台学園に編入してきた日だ。



 入学式が終わって一月経ってからの転校生――という属性が付いていたために注目を集めていることは弥堂も自覚していた。


 その中での登校初日。


 教師に促され朝のHRでクラス全体に向けての自己紹介を要求された。



 そんなことで緊張をする性質でもないので、ただの作業を熟すだけの気分で教室へ入り教卓に立った。


 そこで目線を左から右へと動かしながらクラスメイトたちの顔を瞬時に記憶に記録する。


 その癖のような行動の途中に思わず眼を止めてしまう。



 一人の少女から眼を離せなくなってしまった。



 ついこの間まで中学生だった――ということを考慮したとしても幼く見える少女。


 周囲の生徒たちと比較して、顔の造りや身体の小ささだけでなく、表情がとても幼く見えやすいと感じた。



 視線を釘付けにされてしまったのは弥堂だけでなく、彼女の方も同様に転校生である弥堂を凝視していた。



 彼女は自分を見てひどく驚いていたように視えた。


 そして、自分も彼女と同じ表情になっていたかもしれない。


 そう自覚をして慌てて表情を繕った記憶がしっかりと記録されている。



 弥堂の席はその少女の隣の席となった。


 席に座ると彼女はすぐに話しかけてきて自分の名前を聞かせてきた。



 少女の名は水無瀬 愛苗みなせ まなと言った。



 人の顔や姿カタチなど見れば勝手に記憶に記録される。


 人の名前など見聞きをすれば勝手に記憶に記録される。



 だが、唯一彼女の顔と姿と名前と、そしてそのカタチ――


 彼女のそれだけは弥堂は明確に自身の意思を以て記憶し、クラスで一番最初に個体として識別した。



 あの時、初めて彼女を視て、自分は驚きを覚えた。


 何故そう感じたのか、そして彼女をどう思ったのか。


 自分のことなので、それは当然憶えている。



 では、その時弥堂と同様に、弥堂を目にして驚きを浮かべていた彼女は――水無瀬 愛苗はどうだったのだろうか。



 同じ時、同じ場所で、同じ反応。


 だけど自分ではないから、彼女が何を感じてどう思っていたのか、それはさっぱりわからない。



 特に重要なことでなく、必要なことでもない。


 ただ、今、そう思いついた。



 もしもこの先機会があれば本人に訊いてみようかという気になる。


 残された時間がどれだけあるか知れたものではないので、そんな機会は訪れないかもしれない。


 なにせ、今朝教室で目を合わせたのが最期で、もう二度と彼女と会わない可能性も大いにある。


 あの調子ではもう学園に登校することは出来ないであろう。



 教室を飛びだした彼女は大人しく家に帰ったのだろうか。


 外出禁止令が出ているとはいえ、その原因となる猛獣は存在していなので、そういう意味での危機は特別無いと謂える。


 もっとも、実在していたとしても猛獣程度では彼女をどうこうすることは不可能であろうから、どのみち彼女に直接的な危険はないことになる。



 実際、彼女を危機に陥らせることが出来るような敵性存在が現れたら、それはこの街ごと滅ぶような時だろう。


 だから、やはり考えるだけ無駄だ。



「――オイ! オイ、少年ッ!」



 そんなことをぼんやりと考えていると、声をかけられる。


 弥堂が足元に眼を向けると、そこには黒い毛玉が居た。



「少年! 大変ッス!」



 弥堂は眼を細めて、彼女の姿カタチが昨夜と変わらないことを確認し、それから無視をして生徒たちの監視に目線を戻した。



「この野郎ッ! なにシカトしてんッスか!」



 そのことで抗議の声をあげながら小動物が制服のズボンを前足でバリバリしてくる。



「周りの目ならジブンが魔法で誤魔化してるッスから! ネコさんに話しかけても通報されねェッスから!」



 その言葉を聞いて、弥堂は眉を寄せてから足を振って、じゃれてくるネコさんを転がした。



「何の用だ」



 コテンと転んだついでにゴロゴロと身を捩って背中を地面に擦りつけてから、ネコ妖精のメロは弥堂へ向き直る。



「大変なんッス! マナが居ないんッスよ!」

「へぇ、そうなのか」


「オマエ隣の席なんだからわかってんだろッス!」

「そうかもな。ところで何故猫ごときの分際で学園の敷地に不法侵入している? 当局に対する挑戦か?」


「イミわかんないこと言うなッス! マナを迎えにきたんッスよ!」

「そうか。何故時間がわかった?」


「は? だって今みんな帰ってるじゃないッスか。なに言ってんッスか?」

「そうだな。ところで、オマエは彼女の居場所がわからないのか?」


「そうだって言ってるじゃねェッスか! だから大変だって……!」

「オマエは彼女の使い魔みたいなものだろ? なんか魔法的なこう……意味のわからんもので繋がってたりしないのか?」


「そんな便利なもんねェッス! それにジブンはマナの友達ッス! 使い魔なんかじゃねェッス!」

「そうか。それは素晴らしいな。それで? 彼女が学園内に居ないことがオマエにはわかるのか?」


「だって居ないじゃないッスか!」

「そうか、それは大変だな」


「なんなんッスか! さっきから!」



 のらりくらりと揶揄っているような口ぶりの弥堂にメロは憤慨する。


 その余裕のなさから本当に焦ってはいるのだなと、弥堂は判断した。



「で? 何故それを俺に? そんな暇があるなら彼女を探したらどうだ?」


「は……?」



 挙句の果ての言い草にメロは口を開けて一瞬放心した。



「な、なんでそんな冷たいんッスか! オマエそれホンキで言ってんッスか⁉」

「本気? よくわからないな。俺はお前に質問をしただけだぞ」


「なんでそこで『一緒に探そう』って言葉がすぐ出てこないんッスか⁉ あれだけ一緒に戦ったりしてたのに!」

「そう言われてもな。別に契約を交わして協力関係を結んだわけではないし、なにより俺には人捜しに役立つような特殊技能もない」


「そういう問題じゃねェだろ!」

「要するにオマエは俺に捜索の手伝いを要請しに来たのか?」


「なんで『手伝い』とか『要請』になるんッスか⁉ オマエはマナが心配じゃねェんッスか⁉ 友達じゃないんッスか⁉」

「オマエにはこの一週間ほど一緒に居て、俺が彼女の友人に見えたのか?」


「オ、オマエ……」



 メロは弥堂の口ぶり――そしてその言葉を口にする彼の顔を見て、理解不能な生き物に出遭ってしまったかのように後退った。


 彼は本気でそう思っている。


 それがわかってしまい、その精神性と存在の在り方に悍ましささえ感じた。



「大体、俺に依頼をするのなら、俺を動かすに足る報酬を用意しているんだろうな?」

「報酬……? オ、オマエ……、このクズ……! オマエはクズッス!」


「あぁ。よく言われるよ。だがクズだからその分、報酬さえ見合えばなんでもする。一長一短だな」

「もういい! オマエみたいなカスに頼んだジブンがバカだった!」


「そうだな。その通りだ」

「うるさい! 死ねッ!」



 激しい怒りを露わにしてメロは立ち去っていく。


 弥堂はそれを見送ることなく、生徒の監視に戻った。



(報酬――理由さえ用意してくれていたら……)



 その先を言語化する前に、再びズボンが引かれる。



 足元に眼を遣れば、戻ってきたらしいメロがズボンに爪を引っ掛けていた。



「……ゴメンッス……、ジブン言い過ぎたッス……」

「…………」


「少年、お願いッス……、マナを助けて欲しいッス……」

「……参ったな」



 小動物に頭を下げられた程度では理由の一つにも、何の足しにもならない。



「忙しいんッスか?」

「まぁ、暇ではないな。今は仕事中だ」


「そ、それが終わったら……!」

「終わった後は部活だ」


「部活って……」



 どうあっても冷淡な態度を崩さない彼の冷血さに、メロはガックリと首を垂れる。



(そういえば……)



 そんな彼女を気に掛けるでもなく、弥堂は思いを巡らせる。



 もともと本日金曜日は弥堂の所属する“サバイバル部”の活動日だ。


 だが、担任教師の話では本日の部活動は全て中止になるとのことだった。



(その場合はどうなるんだ)



 普通に考えて、教師がそう言っているのなら全部活動は中止となる。


 しかし、それは通常の部活動の話だ。


 “サバイバル部”に於いては教師どもが何を言おうと関係なく、部活動の偉大なる長たる廻夜 朝次めぐりや あさつぐ部長の意思決定が絶対だ。



 教師どもの呼び出しよりも生徒会長閣下のご意向が優先されるように。


 それよりもさらに優先度高く廻夜 朝次の意向が命令系統の頂点となる。



 教師よりも、保護者よりも、学園の支配者たる生徒会長よりも、学園の所有者たる理事長よりも。


 当然、平部員に過ぎない弥堂ごときの私用よりも。



(彼女を追わない理由がまた一つ増えそうだ)



 その廻夜の意向を考えてみる。


 弥堂はスマホを取り出して通知を確認した。



 着信はない。


 希咲からの悍ましいほどの着信が“edge”の方には来ていたが、廻夜部長との連絡手段であるSMSサービスの方には何も通知がない。


 これはつまり――



(――忠誠を試されている)



 弥堂はそのように受け取った。



 部長からの報せはない。それはつまり予定に変更はないということになる。


 そして、行政からの外出禁止令、教師どもからの部活の中止要請。


 普通の生徒であれば部活はないと判断して帰宅をすることだろう。だがそれは素人のすることだ。



 ここで勝手に部活の中止を判断して帰宅を選ぶということは、廻夜部長よりも行政や教師の命令を優先させたことになる。


 それはつまり廻夜部長をナメているということになる。


 つまりは不敬だ。



(部長も人が悪い)



 苦笑いしそうになる表情筋を抑制し、弥堂はスマホを仕舞った。



 そして彼は弥堂がきちんと部室へ来ることを見越して、今頃は部室で待ち構えていることだろう。


 彼は部活の活動が大好きなようだ。


 余程のことがなければ部活を中止にしたりはしないし、その活動予定を忘れたりすることも――



 そこで弥堂の脳裏に彼の過去の言葉が過ぎる。



『さて。次回は来週だったかな?』



 前回の活動、4月22日の水曜日の放課後の会話だ。



『おっと、そうだったか。こいつはうっかり。言い訳のしようもなく僕の落ち度だよ。申し訳ないね。はい謝った。なにせ僕は忘れっぽい。もしかしたら他にも大事なことを忘れているかもね』



 それは今しがた弥堂が考えた廻夜部長の人物像と矛盾するような発言だった。


 他には何か言っていなかっただろうか。



『もしかして、キミ以外の全ての人間が忘れてしまったようなことでも、キミだけは覚えていられるんじゃないのかな?』



 あの日の部活では『魔法少女』のこと、そして『記憶』についてのことを彼は話していた。



 さらには――



『そういうことで、もしかしたら僕はまた金曜日の、明後日の部活を忘れてしまうかもしれないけれど、どうかその時は僕を赦して欲しい。僕もキミがうっかり宿題を忘れてしまっても、それを赦すからさ。そうなったらその時はもう一度宿題を出し直すよ。『やり直し』だってね』



 今にして思えば、彼はわざとらしいくらいに本日4月24日の活動のことを忘れてしまうかもしれないと繰り返していた。


 彼は決して忘れっぽいといった人物ではない。



 それに、“宿題”。



『じゃあさ弥堂君。逆の視点からの話に変えようか。誰かにさ、他人に何かを忘れさせるってのはどうやればいいと思う? 僕は三つほどあると思うね――』



 まさに今直面している問題だ。



『まず一つは、記憶の中に保存されているファイルを壊すのさ――』



 それは“魂の設計図アニマグラム”に記録された記憶そのものの記述を破壊すること。



『二つ目は、検索機能を壊してしまうこと――』



 それは“思い出す”という人間の機能自体を破壊すること。



 そして――



『じゃあ、だとしたら三つ目は? これは言わないぜ。宿題だ。ちなみに答え合わせはしない。次にキミに会う時に、会ったその瞬間にキミが宿題を出来たか、問題を解くことが出来たかどうかが僕には一発でわかるからね。それでいいかな?』



「…………」


「しょ、少年ッ……⁉」



 突然歩き出した弥堂にメロは驚く。



「ど、どこに行くんッスか⁉」



 “正門”の方へ足早に進んでいく弥堂に慌てて声をかける。



「うるさい黙れ。行くぞ」


「え……? そ、それじゃあ……⁉」


「オマエが来なくても俺は俺で勝手にやる。じゃあな」


「あ、待ってくれッス……!」



 表情を輝かせてメロは弥堂を追った。


 すぐに追いついてきて何やら嬉しげに話しかけてくるが、弥堂は一切を無視して思考を巡らせる。



 自分は酷い思い違いをしていた。


 それを認める。



(なにが素人のすることだ。間抜けめ)



 今日部室に顔を出したらその瞬間に、先程考えていた『廻夜の意向を汲む』ということも、先日に出された『宿題』も、二つ同時に失敗したことになる。



 弥堂は自身の浅はかさと、敬愛する偉大な部長の神算を同時に思い知り、身震いしそうになる身体を意思の力でねじ伏せた。



 理由は一つ増え、それでも数の上では足りていなかった。


 だが、そんなことは関係ない。



 その理由は全てに於いて優先され、弥堂が動くのに足るものだ。



『それでは弥堂君。よき週末を――』


「――任務、了解」



 それが敵を殺せということなのか、魔法少女をどうにかしろということなのか。


 それはわからない。



 だが、行かないことには何も始まらない。



 弥堂は学園の外へと出た。








 ギコッと、ブランコが音を鳴らす。



 住宅街の中にある小さな公園。



 水無瀬 愛苗はそこに居た。



 教室から逃げ出し、戦場から逃げ出し。



 クラスメイトからも、助けるべき人たちからも、そして戦うべき敵からも――



 全てに背を向けて。




 ひとり、さみしくブランコに揺られる。



 寄る辺がなく、自分を知る者もなく。



 どこへ行っていいかわからないから立ち止まってしまい。



 誰を頼っていいかわからないから、誰かに声をかけてもらえないだろうかと佇む。



 あの日、彼女が――大好きな彼女がそうしてくれたように。



 でも、彼女は今この街には居ないから。



 誰かが奇跡のように――魔法のように、そうしてくれないかと願い。



 中途半端に人通りのある通りの、中途半端に人の居る公園で、ひとりブランコに座っていた。



 いつかの声を待ちながら。



 それは叶えられないと、望めないと、そうわかっていながら、それでもどうしていいかわからないから、そう願うしかなくて――




「――アンタどうしたの?」




 しかし、その掛けられるはずのない言葉が頭の上から届く。



 信じられないと呆然としながら、水無瀬は顔をあげた。

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