1章57 『陰を齎す光』 ③


「――あ……、うっ、うぁ……?」



 馬島は掠れた声で呻き、意識を戻した。


 最初にゴミクズーに殴られた後、彼はずっと気絶したままだった。



「い、いったい、なにが……」



 何が起こったのかを思い出そうとするが、周囲を騒がす男たちの叫び声が耳に入り、そちらに意識を持っていかれる。



「がんばえー!」

「ふぃおーえ!」


「もっとだー! もっとッス! 心から願え! 気持ちを届けろッス! 声を揃えて想いを一つにしろッス! あと出来ればショタボでお願いしますッス!」


「ふぃおーえ、がんばえー!」


「な、なんだあれ……?」



 悪そうな見た目をした男たちが一心不乱に何かへエールを送っている。


 彼らを先導し煽っているネコがダメ出しをすると、彼らは声を揃えて若干裏声になった。



「い、いみわかんねェ……、キッショ……」



 目が覚めるなりそんな異様な光景を見せられた馬島はドン引きする。



「大体、なんでネコがしゃべって……、あっ!」



 そんなことありえないだろうと口にしようとして、現実的にありえないことならもうとっくに起こっていたことを思い出し、馬島はハッとする。



「ネ、ネズミ……っ! あのバケモンは……っ⁉」



 薄暗い路地で突然現れ自分に襲いかかってきた、ありえないサイズのネズミ。


 それに攻撃されて自分が気絶していたことをようやく正確に認知し、馬島は慌てて周囲へ首を振る。


 しかし、そんなものは見当たらない。



「ゆ、ゆめ……? でも、そんなはずは……」



 そんなバカなことがあるはずがない。


 そう思いたいが、しかしそれではあの喋るネコは一体なんだ。


 だが、バケネズミなんてモノが暴れているのなら、あの不良どもは悠長に応援団の真似事などしていられるわけがない。



 なにがなんだかわからずに茫然としかけると――



――チチチ……



 そんな聞き覚えのある鳴き声が背後から聴こえてくる。



 背中から冷たい汗が流れる。



 馬島は自分の意志で明確にそうしようと思ったわけではなく、引き寄せられるようにゆっくりと振り返ってしまった。



 そこに在る赤い目玉と目が合う。



 その目玉は一つではない。



 二つでもない。



 横一列にズラっと並んでいる。



「ヒッ――」



 短い悲鳴をあげて腰を抜かすと自然と上方を見上げる形になる。



 そこにはもっと多くの赤い目玉が――



「ピィー、ピッピッ!」



 頂上のネズミさんがリズムよく鳴き声をあげると、ピラミッドを組む全てのネズミさんが鳴き声に合わせて一斉に顔を一度左に向けてからバッと馬島の方へ顔を向ける。



「うっ、うわあぁぁ……っ⁉」



 何が何だかわからなかったが、とりあえず恐かったので馬島は大袈裟に悲鳴をあげる。


 すると――



「ピィー、ピッピッ!」



 再びネズミさんが笛の音のように鳴く。


 今度は右に顔を振ってから前方の同じ場所へネズミさんたちはキリっとした顔を向けた。



「な、なにが……」



 釣られるようにネズミたちの視線を追って、そしてギョッとする。




 ピンク色の小太陽。



 今まで気づかなかったことがどうかしているほどの強い輝きがそこにはあった。



「なななな……っ⁉」



 売れないホストごときにそれが何であるのかはわからない。


 だが、自分という生命が、存在が、とてもちっぽけなモノであるということを一瞬で理解させられた。



「ふぃおーえ、がんばえー!」



 応援の声に応えるように輝きが増したような気がする。


 どうやら先程から続いている騒ぎはこの光へ向けた声援のようだ。



 あの光とこのネズミたちが対峙していて、応援をしている男たちは光の後ろや通りの端に寄っている。


 この位置関係で馬島が最もマズイと直感したのは、対峙するピンクの光とネズミのピラミッドの間に自分がいることだった。



 あの光の球体が何なのかはわからないが、それでもこの後に何が起きるのかはなんとなく想像できた。



「うっ、うわあぁぁーーっ! たすけ……っ、たすけてくれえぇぇぇ……っ!」



 恥も外聞もなく大声で叫び、自分がここに居ることをアピールする。



 すると、ピンクの球体の向こうから女の子がヒョコっと顔を覗かせた。



「えっ⁉」



 奇怪な髪色をした幼さの残るその少女と目が合い、馬島は驚く。


 女の子はパチパチと瞬きをした。



「あっ、逃げ遅れちゃった人ですね? 大丈夫ですか⁉」


「だ、だいじょうぶじゃ……、やめ……っ!」


「待っててください! 今助けてあげますから!」


「オマ、それ、どうするつもりだ……⁉」


「私がんばりますね!」


「どうするつもりなんだよおぉぉぉッ⁉」



 絶望的に会話が噛み合わず馬島は絶叫する。


 ただ死にたくない。その気持ちが強かった。



「まだオレがここに……っ! 死にたくない……!」


「はい! 動かないでくださいね!」


「なんでだよ⁉ やめてくれ!」


「ネズミさんがいっぱい落っこちてきて危ないから、動いちゃダメですよ?」


「い、いやだぁーっ!」


「私を信じてっ!」


「助けてくれぇーっ!」



 ボロボロと涙を溢す可哀そうな被害者に水無瀬を胸を痛め、一際強い気持ちで『がんばろう』と思った。



「いきます――っ!」


「やめろぉーっ!」



 杖の先に集中し肥大した魔力光を解放する。


 ネズミさんたちもとりあえず何かをしようと思ったのか、前へ向かって倒れてくる。



Lacrymaラクリマ BASTAバスターーーッ!」


「おかあちゃぁーんっ!」



 人間を押しつぶそうと崩れるネズミピラミッドへ向けて、魔法少女ステラ・フィオーレの必殺技であるごん太ビームが発射された。



 通りの全てを埋め尽くすような圧倒的な光の奔流が、母の名を叫ぶ馬島を容易に呑み込み、その後ろのネズミたちを触れるなりジュッっと蒸発させ、アスファルトとビルの壁を抉りながら突き抜ける。



 そしてある程度進んだところで唐突に光の奔流が弾けて何故か爆発を起こした。



 激しい明滅が止むとスケボー通りにピンクの光が桜の花びらのように舞い落ちる。


 ネズミのゴミクズーの姿はもう一匹もなく、グリンっと白目を剥いて泡を吹いた馬島の上にそれらは降り注いだ。



 それから空間にパリパリっと罅が入る。



 その罅が少しずつ広がっていくと、やがてパリンっと窓ガラスが割れるように世界が剥がれた。



「メロちゃん、これって……」


「ラッキーッス! 結界がぶっ壊れたみたいッス!」



 魔法少女がお助けマスコットに確認をとっていたが、他の者は誰も聞いていない。


 先程まで狂ったように声援を送っていた者たちも、余りの光景にまた口を開けて固まってしまっていた。




 ゴミクズーも闇の秘密結社も、それと戦う魔法少女の存在も彼らは何も知らない。


 彼らに想像が出来たのは、どうやら自分たちが助かるかもしれないということだけである。




 ハッと、いち早くジュンペーが自失から醒める。



「オイッ! 逃げるぞ!」



 ヤマトの方へそう声をかけるが、彼は未だに茫然と魔法少女の方を見ていた。目を見開いたまま何やら呟くように口を動かしているヤマトの方へジュンペーは向かう。



「……なんだアレ? 魔法少女だと……? そんなバカな。なんだそりゃ、聞いてねェぞ……⁉」



 現状など忘れたかのように譫言を繰り返す。



「もう“WIZ”をやってた……? 既に覚醒済みだってのか? だが、あんな意味わかんねえバケモノがいるなんて外人どもは何にも……」



 “普通”では考えられない“力”を使う人間。


 自分自身も含めてそれには心当たりはある。


 だが――



「――オレらと比べたって、アレはあんまりにも……」



 違い過ぎる。


 比べようもないほどに。



 “普通”でないという点だけは共通しても、見ればすぐにわかるほどに格が違う。



「――オイッ! ヤマトッ!」



 肩を揺さぶられながらジュンペーに怒鳴られると、ようやくヤマトは我にかえる。



「バックレっぞ!」


「え……?」



 それでもまだ反応の鈍いヤマトに、当には出来ないとジュンペーは判断した。



「ここはオレがケツをもつ! オメェはもうバックレろ!」


「え? あ、あぁ……」


「ただでさえ“龍頭ドラゴンヘッド”が佐城に負けたばっかなんだ! ここで“皇帝エンペラー”もやられたとかってことになったらチームが割れるぞ⁉」


「な、なんだと……」


「オメェの力はあのバケモノどもには効かねェんだろ⁉ だったらもう逃げとけ!」


「く、わかったよ……!」



 屈辱を顔に浮かべながらもヤマトはジュンペーの指示に従う。


 彼にはもう構わずジュンペーは周囲に声を張り上げた。



「テメェらバックレんぞ! こんなのもう付き合ってられるか!」



 ヤマト同様に茫然自失していたスカルズの兵隊たちは、彼の声で動き出す。



「動けるヤツは倒れてるヤツを回収してこい! 撤収だ!」



 兵隊たちは慌てて倒れた仲間の方へ走っていく。


 だが、無事な者より動けない者の方が多いかもしれない。



「クソが……! また出てこねェとも限らねェし……」


「――ジョオトオォォォッ!」



 心配事を口にした時、雄叫びをあげたサトルくんが気絶した馬島の方へ駆けて行った。



「なっ――」


「――オイ、何処に逃げんだ? 仲間はこの通りに倒れてるヤツだけでいいのか?」


「オ、オマエ……」



 それに驚いていると、気絶したスカルズの兵隊を担いだモっちゃんに声をかけられる。


 モっちゃんはニヤっと男クサイ笑みを浮かべて見せた。



「ボーっとしてんなよ? コイツら助けるのが先だろ?」


「……借りにはしねェぞ」


「アタボーよ!」



 深くは聞かず、彼らの協力を受け入れることにした。



「オイ、リクオ! オメェもあっちのヤツら拾ってこいよ!」


「あ? わ、わかった……!」



 というよりも、モっちゃんは勝手に兵隊たちに指示を出し始めている。


 それについて思うことはあるが、ジュンペーは効率を優先させることにした。


 リクオは最初にネズミが出てきた路地の入口に倒れている者の方へ掛けて行く。



「うっ、うわぁーーっ⁉」



 しかし、その路地からまた新たなネズミが飛び出してきた。



「クソッ! やっぱりか……!」



 結界が破壊され元の現実世界に戻ってきたとはいえ、そこにゴミクズーが現れないわけではない。


 そのことを知っていたわけではないが、ジュンペーが杞憂したことが起こってしまった。



 通りはまたパニックに陥りそうになるが、今はここには魔法少女がいる。



 敵の増援を確認した水無瀬は「むむむ……」と唸ると魔力を解放する。



「ネズミさぁーんっ! こっちだよー! こっちに来てー!」



 ペカーっと光を放ちながら空中でパパパっと手足を動かし、ゴミクズーたちに自身の存在をアピールする。



 人々に襲いかかろうとしていたネズミさんたちはハッとなって立ち止まる。それからお鼻をヒクヒクさせ、水無瀬の不思議な踊りに引き寄せられるように彼女の方へ走って行った。



 新たに現れたネズミたちが自分たちの方へ集まってきたことを確認すると――



「――マナッ! 今ッス!」


「うんっ! お願い……、“Blue Wish”ッ!」



 水無瀬は胸の宝石に願いをこめピンクの魔力を輝かせる。



 すると広がった光が彼女たちとネズミを包み込み、パっと瞬く。



 光が止むとこの場から魔法少女とバケモノの姿は消えて無くなった。




「な、なんだってんだ……」



 結界の中にゴミクズーとともに移動したなどということは残された者たちにはわからない。


 だがそれを考えている暇はない。目の前で起こった現実と、自身の持つ常識や固定観念との間に折り合いをつけながら救助活動に戻っていく。



 リクオもまた先程救助しようとしていた者の方へ近づいた。


 何が起こっているのかということは考えないようにしながら。



 髑髏の模様が入ったスカジャンを着ている黒髪の男が倒れている。


 コイツ誰だっけと、少しだけ気に留める。



「……急激にチームがデカくなったから、最近は知らねえヤツも増えたな……」



 自身が所属する“龍頭ドラゴンヘッド”の中だけならそんなことはないが、自チームも含めた4つのチームが結束して出来た“R.E.Dレッド SKULLSスカルズ”――特にその本隊である“スカルズ”に最近所属した者の中には、このように見覚えのないヤツがいることも珍しくない。


 だが、それでも仲間であることには違いない。



 そう納得すればもう気にもならず、リクオは気絶しているスカジャンの男を背負いジュンペーたちの方へ戻る。






「オイ、こいつらどうする?」


「アァ、そのへん転がしておいてくれ。オマエらもうフケちまえよ」



 スカルズの兵隊を担いできたモっちゃんへジュンペーが地面を指差す。



「ア? いいのか? 手が足りねェんじゃねェのか?」


「あぁ……」



 眉を寄せるモっちゃんに顔を向けずに返事をしながら、ジュンペーはその場でしゃがんで倒れている者の頬を連続で張った。



「――ブゥッ⁉ イッ、イテェ……⁉ な、なんだぁ……?」



 往復ビンタをくらった男はすぐに目を醒まして辺りを見回す。


 ジュンペーはモっちゃんを見上げて肩を竦めた。



「コイツらビビって気絶したヤツばっかだ。バケモンにワンパンもらったヤツはほとんどいねェ」


「なんだ。死人もいるんじゃねェかってビビって損したぜ」


「モっちゃーん……!」



 そこへ馬島を担いだサトルくんも戻ってくる。



「モっちゃん、コイツよーションベンもらしてやがんだわ……」


「うわ、マジかよ汚ェな……」


「そのクズもそのへんに捨てとけ」


「オラァッ!」



 ジュンペーがうんざりとした顔でそう言うと、サトルくんは何故か叩きつけるように馬島を投げ捨てる。


 ジュンペーは地面に落ちた馬島をジッと見てから、何かを言おうとしてやめた。



「さて、もう逃げ遅れたヤツはいねェか……」


「もういいぞ。世話になったな」


「モっちゃん、オレらどうすんだ?」


「そうだな……、水無瀬ちゃんは逃げろっつってたけど……」


「ヤマト、オレらも行くぞ」


「ん? あぁ……」



 救助者の回収もひと段落し、それぞれで今後の方針を話そうとした時――



「――あっ……、あそこ……っ!」



 目を醒ましたスカルズの兵隊が一つの路地を指差す。



「なっ――」


「あれは――ッ⁉」



 路地の中からネズミのゴミクズーが一匹通りに入って来た。



 ネズミは人間たちに気がついていないのかそれとも関心がないのか、何かを探すようにキョロキョロとしながら歩いている。


 彼らがいる方とは逆の方に鼻を鳴らしながら進んでいき、ある地点で止まると虚空へ向かってピョンピョンとジャンプし始めた。



「……オイ」


「あぁ。音立てんなよ?」



 モっちゃんとジュンペーは目を合わせ、あのネズミがこちらへ興味を持つ前にこの場を離れることを決める。



 モっちゃんが目配せすると彼の仲間たちは無言で頷いた。


 ジュンペーはヤマトに声をかける。



「オイ、ヤマトくん。行くぞ」


「……あぁ」



 こちらは反応が悪い。


 ヤマトは何かを考えるようにして、モっちゃんたちを見ている。


 その視線に気づいたモっちゃんは怪訝な顔をした。



「なんだよ? 逃げねェのかオマエ?」


「……いや、逃げるぜ? だが、その前に――」


「あん?」



 ヤマトはニヤリと頬を吊り上げてパーカーフードをズラした。



「――“跪け”」


「――んなっ……⁉」

「うおぉぉっ⁉」



 超常の存在には通用しなかった力を使い、モっちゃんたちを地面に縫い付けにした。



「な、なんだぁ……⁉」


「オイ! ヤマトっ!」



 たちまちモっちゃんたちが身動きが取れなくなる中、ジュンペーはヤマトを睨みつける。



「どういうつもりだ⁉」


「言うまでもねェだろ? コイツらをここに置いてく」


「なんだと⁉」



 その答えにジュンペーがギリッと歯を鳴らした。



「テ、テメェッ! なにしやがんだ⁉」


「ウルセェよ。万が一あのネズミがこっちに向かってきた時、オマエらは餌になれ。オレらが逃げるまでの時間稼ぎだ」


「ヤマトッ! コイツらはオレらの仲間を――」


「――知ったことか。頼んでもねェし、そもそもが敵だ。カンケーねェだろ」


「この野郎ッ! ふざけんなァ!」


「ヤ、ヤベェよモっちゃん……ッ!」



 冷淡なヤマトの言葉に全員が彼に険しい眼差しを向ける。


 そこへ救助者を回収してきたリクオが戻ってきた。



「な、なんだ……? なにしてんだ?」


「ア? どうでもいいだろ。撤収すんぞ。オマエらもさっさと動け!」



 背後から声をかけてきたリクオにヤマトは振り向きながら不機嫌そうな目を向け、他の兵隊にも指示を出す。



 その命令に思うことがありそうな表情をしている者もいたが、彼らはネズミの方をチラチラと気にしながら慎重にこの場を離れ始めた。



「オイ――」



 それで納得をしない者もいる。


 “ダイコー”のヤンキーたちの拘束を解くように要請するため、ジュンペーはヤマトの背中に声をかけようとする。しかしその言葉が途中で止まった。



 ヤマトの背中越し、向こう側にいるリクオが肩を貸しながら引き摺ってきた救助者。


 それが目に入った。


 スカジャンを着た黒髪の男は意識を戻したのか、自分の足で自身の体重を支える。



「……ん? おぉ、目が覚めたのか。オマエ大丈夫か?」


「あぁ、ご苦労だったな」



 今は一刻を争う時で、ネズミはいつこちらへ襲いかかってくるかわからない。


 ヤマトの言うとおり彼らは敵で、それは変わらない。


 だが、借りを返さないままでこのような卑劣な手段で捨て駒にするのは、ジュンペーの価値観では『ダサイこと』だ。


 だからすぐに彼らを自由にしなければならない。



 そのために早くヤマトを説得する必要があるのだが、ジュンペーは今しがたリクオと軽い会話を交わして立った男にどうにも気を引かれてしまった。



 わりと長身の部類に入る男は気絶から醒めたばかりだというのに、身体に真っ直ぐに芯が入ったように直立する。


 顔を上げたその男と目が合う。


 ゾクリと――背に悪寒が奔った。



「――オイ、リクオ」


「え?」


「ソイツ……、ダレだ……?」


「は?」



 聞かれて思わずリクオは自分が連れてきた男の顔を見上げる。


 冷酷な渇いた瞳と一瞬だけ目が合い、その瞬間にリクオの視界はカクンっと斜めに傾く。それを自覚する前にバチっと火花が散ったように視界が弾けた。



 グラリと体勢を崩したリクオがゆっくりと地面に倒れる。



 全員がそれを目で追ってしまって、見知らぬスカジャンの男から気を逸らした瞬間――



 ダンっと――強く地面を踏む音が鳴り響く。



 男が狙ったのは――



「――えっ……?」



――ヤマトだった。



 一瞬の内に肉薄するほど近くに男が現れ、ヤマトは何の反応も出来ない。



 踏み込んだ左の爪先が捻られ、一拍遅れて右の踵が地面を叩くと、大地から汲み上げた“威”は身体を昇る。


 腰を回すと背骨に沿って立ち昇り、左肩を引いて右肩を突き出すと右腕を徹りながら加速する。


 肩・肘・手首の捻りで増幅されながら迸るその“威”は拳で収束する。



「――ウオォォォッ……!」



 突き出される右拳が触れる瞬間、勢いよく突っ込んできたジュンペーがヤマトを突き飛ばした。



 男は無理矢理拳の軌道を変えると、目標に固執せずに身代わりになったジュンペーの腹部に右拳を当て“威”を徹す。



「――ガッ……⁉」



 鍛えられた筋肉を纏った決して軽くは見えないジュンペーの身体が地面と平行に吹っ飛び、すぐ近くのビルの壁に激突した。



「ジュンペーッ!」

「ジュンペーくんっ!」



 壁に当たって崩れ落ちるジュンペーに仲間たちが駆け寄る。



「あ、あれは……っ!」



 突然の襲撃者を見てモっちゃんたちは目を輝かせる。


 尻もちをついて呆然としていたヤマトはハッとすると、スカジャンの男を睨みつけた。



「テ、テメェ……、ナニモンだァ……⁉」



 多分に焦りを含んだその問いに男は答えない。



「「「「――ビトーくん……っ!」」」」



 代わりにモっちゃんたちがその名を叫ぶが、彼らにもチラリとすら眼を向けはしない。


 その目線はずっとヤマトに向いている。



 ただ目標にだけ湿度を感じさせない鋭い眼差しを向け――



――弥堂 優輝は戦場ステージに立った。

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