1章55 『密み集う戦火の種』 ⑫


 隠そうともしないアニキの怒気に、チャンさんもまた臆しもしない。



「ジイさんよぉ、いくらなんでもそりゃあねえだろ。確かにアンタにはウチの親父が一目置いてるのもあって、ワシらとしても敬意は払う――」


「クカカっ」


「――だがそれとこれとは別だ。若からの話とは言えこれは皐月組からの仕事だ。それを納めませんだなんてな、そんなモン通らねえよ。そうだろ? あんま勘違いすんなやワレ」


「勘違いしとんのはオマエじゃ、小僧」


「アァ?」



 ドスの利いたダミ声で重く話すアニキに、軽い調子のしゃがれ声が答える。



「仕事じゃからよ」


「どういう意味じゃぁ?」


「儂が受けた仕事は『今日ここで集めた情報を渡す』そういうものじゃ」


「ほぉじゃろがい」


「そして『渡す相手は一人』そういう風に言われとる」


「それがなんじゃあ?」


「一人分の料金しかもらってねぇって言っとんじゃあ」


「そんなもん変わらんじゃろが! 一人の前で話そうが二人の前で話そうが一緒やんけ! 屁理屈捏ねるなやアホンダラぼけぇっ!」



 ついには怒鳴り始めたアニキにチャンさんは愉快そうに「カカカ」と笑う。



「阿呆はオマエじゃ。いいか? コンサートでも講演会でもええ。想像してみぃ。客側が一緒に聴くなら、どうせ歌うのも喋るのも一回だけだろと。だからチケット代は一人分にしろと。オメェが言ってんのはそんな無茶苦茶だぜ?」


「なんじゃい。ケチくさいのう」


「カカカ、ケチじゃなけりゃあ情報屋なんぞやっとれんわい」


「ほなら、ええわ。ワシに聞かせえ」


「アン?」



 肩眉を吊り上げるチャンさんの露わになった目をアニキはジロリと見遣る。



「一人にしか言えねえってんなら、それワシに聞かせんかいっちゅうとるんじゃ」


「悪いがそれは出来ない相談じゃなぁ」


「なんでじゃ⁉」


「若様からは狂犬に伝えろと言われとる。確かに皐月組の使いもここに来ると聞いとったが、そいつにも話していいとは言われとらん」


「そないなこと知るかい! ワシがケツもつ言うとんのじゃ! とっとと教えんかい!」


「無理じゃの。特にタツ坊、オメェらには絶対に言うなとまで言われとるわ」


「なんでやねんっ!」



 怒り狂って地団太を踏むアニキの様子に楽し気に笑う。



「ちゅうわけじゃ。諦めろ」


「そんなわけいくかい!」


「そう言われても言えんもんは言えん。儂も仕事じゃからの」


「どうしてもかい?」


「どうしてもじゃ。それともなんじゃ? 力尽くで儂の口を割らしてみるか? あぁん?」


「チッ……」



 チャンさんが眼光を鋭くさせるとアニキは口惜しそうに舌を打つ。



 その様子を見て弥堂は安堵する。


 この後すぐに作戦開始となるというのに、彼らに介入されると非常に面倒なことになるからだ。



 弥堂の依頼人と彼らはほぼ同じ組織に属していると言っても過言はなく、今回の件に対する目的もほぼ同じものであるが、それへのアプローチ方法に大きな乖離がある。


 従って協力して問題解決にあたることは不可能であるし、出来れば彼らには秘密裏に彼らよりも早く事を進めてしまおうというのがこちらの方針だ。



 なので、都合が悪くなる前にそろそろ全員打ちのめして教会の裏に棄ててしまおうかと考えていたが、チャンさんがはっきりと断ったことに安心して一歩前に歩を進める。



「もういいだろ、辰っさん。今回は譲れ。俺のヤマだ」


「……ふん、ガキがナマ言ってんじゃあねえよ」


「だったらどうする? チャンさんじゃなくて、俺とやり合うか?」


「ケェ、血の気の多い野郎だぜ。なんでも腕ずくでどうにかしようだなんてガキのすることじゃ。大人はココを使うのよ」


「アンタにだけは言われたくねえよ」



 得意げな顔で自身のコメカミを指で叩いてみせるアニキに弥堂は胡乱な瞳を向ける。


 その間にアニキは子分へ目配せをした。



「おい」


「へい」



 ダメ阿吽の呼吸で子分たちは従う。


 一人一つ持参していた革製のボストンバッグを持ち出す。


 彼らの様な者がパンパンに膨れたそれを持つと如何わしいモノにしか見えない。



「ジイさんよぉ」


「アァん?」


「随分と立派な御託抜かしとったが、これを見ても同じことがいえるかのう!」



 その言葉と同時に子分たちはバッグの中身を床にぶち撒けた。



 バラバラと落ちてチャンさんの前に積まれたそれは――



「――シケモクじゃぁ~っ!」



 大量のシケモクだった。



 さっきと同じで芸がないと弥堂は思ったが、肝心のチャンさんは大喜びでシケモクの海にダイブした。



「ンパ、ンパッ、シケモク! ンパ、ンパッ、シケモク!」



 その様子に弥堂は「まさかな」と一抹の不満を抱く。



「オゥオゥ、ゴキゲンじゃあねえかクソジジイ。そんなにシケモクが好きかぁ?」


「スキッ、スキッ……! ワシシケモクダイスキッ!」


「そうかいそうかい。もっとあるんだが欲しいか?」


「ホシイ! シケモク! ワシノ! ゼンブワシノ!」


「ほぉかい。それなら……、わかるじゃろ? 代わりにオマエさんもワシの欲しいモン寄こせや」


「ヨコス! ヨコス! ワシ ジョウホウ ヨコス!」


「おい」



 それに黙っていられないのは弥堂だ。


 欲に負けて掌を返した裏切者を睨む。



「どういうつもりだ」


「悪いのう、瘋狗ファンゴォウ。これが情報屋っつーもんじゃ」


「随分と口の軽い情報屋もいたもんだな」


「カカカ、口と尻が軽くなきゃあ情報屋なんぞやっとれんのよ」


「そうか。地獄に送ってやるから閻魔の前で同じ寝言を吐いてこい」


「野蛮じゃのう。そんなことせんでもオメェさんも儂の口が軽くなるように努力すりゃあいいんじゃねえのか?」


「なんだと?」


「情報を独占したきゃあコイツら以上の報酬を寄こしな。そういうもんじゃろ?」


「…………」



 その提案に弥堂は考える。



 裏切りの制裁としてこの老人を殺してしまっては元々欲しかったものは手に入らない。


 今日の作戦上どうしても必要なものではないが、彼の情報で裏がとれれば効率に大きな差が出るのが間違いがないのも事実だ。



 彼の言う“報酬”に値するものを何か持っていなかったかと考える。


 そしてすぐに『無い』と答えが出る。



 今日は孤児院に寄付する物で手がふさがっていたし、何よりこの後に戦闘行為が想定される作戦がある。その時にはなるべく手ぶらに近い状態になっていることが好ましい。


 したがって、彼に渡してやれるようなものは何もなかったし、たとえそんな事情がなかったとしてもここのところ忙しくてシケモクを集めることが出来ていなかった。


 彼ら以上の量を用意することはどのみち不可能であった。



「ガハハ、狂犬よぅ。これが大人の賢さってヤツだ」

「所詮オメェはまだガキなんだよ」

「ファエッフェファアヒャンノオッパイフェモヒュッフェナァ!」



 チンピラたちに口々煽られる。若干一名、大好きなアンパンを食べすぎて歯並びと活舌に深刻なハンデを負っているヤスちゃんだけは何を言っているのかわからなかったが、それはまぁ他と大差のないことだろう。



「何も出せねえんならよ、瘋狗ファンゴォウ。ここから消えるのはテメーだぜ?」



 愉快そうに笑うチャンさんの視線を受け止める。


 劣勢の中でも表情を変えることなく、周囲でバカな大人たちがバカ笑いをする中、弥堂はポツリと呟く。



「――8.1cmだ」



 その言葉に周囲はシンと黙る。



 突然彼が口にした意味不明の数字にヤクザたちは怪訝そうな顔をした。


 老ホームレスは呆れたような顔をしている。



「なんじゃあ? いきなりわけのわからんこと言いおって。オメェのその手口で儂をどうにかできると思っとんのか?」


「わけがわからないか?」


「わかるわけあるか。意味のわからんこと言って相手を混乱させて無理矢理自分の理屈を押しつけんのがオメェのやり口じゃろうが。そんなもん儂には通じんよ」


「本当にわからないのか。俺が何を言っているのか」


「あぁ?」



 手口が露呈しても態度が変わらない弥堂にチャンさんも怪訝そうに眉をあげた。



「いいか? もう一度言うぞ。8.1cmだ。これが何を意味するか、本当にわからないのか? よく考えろ」


「なにを……?」


「オイオイ、往生際が悪ぃぞ狂犬。男らしく退けや」



 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらヤクザたちが弥堂を追い払おうとする中、チャンさんはハッとする。


 弥堂の言葉の意味することに思い当たったようだ。



「ファ、瘋狗ファンゴォウ……ッ、ま、まさか……⁉」


「そうだ。おそらくアンタの思ったとおりのことだ」


「そ、そんな馬鹿な……っ!」


「な、なんじゃ……?」



 戦慄したようにワナワナと震えだす老人の様子にヤクザたちは形勢が変わったことを感じ取る。



「オ、オイ、ジイさん。約束どおりとっとと――」



 おかしなことになる前にとアニキは情報を聞き出すべくチャンさんの肩を掴もうとするが、チャンさんはその手を振り払うように動き、フラフラとした足取りで弥堂へ近づき取り縋ってくる。


 ガラガラと腰から提げた空き缶たちが鳴った。



「も、もう一度……」


「…………」


「後生じゃ瘋狗ファンゴォウ。どうかこの老いぼれにもう一度聞かせてはくれんか……?」


「いいだろう」



 冒険者に払う報酬などない田舎の貧しい村の村長が、通りすがりの冒険者にゴブリン対峙を懇願するように縋ってくる。そんな憐れな老人に弥堂は強く頷いてやった。



「――8.1cm、直径8.1cmだ」


「あぁ……っ! あぁぁぁぁぁ……っ!」



 天からのお告げのようなその言葉にチャンさんはバッと両手で顔面を覆うと、嗚咽を漏らしながら床に膝をついた。



「な、なんじゃ……! なにが8.1なんじゃあ⁉」



 その尋常でない様子にヤクザたちは焦りを浮かべる。


 自分たちが危機に陥っていることは直感したが、何から何まで意味がわからなかったのだ。



 感銘に身を震わせていた老人は顔を覆う指の隙間からヤクザ者をジロリと見遣ると、溜息を吐く。



「……少し昔話をしようか」



 そう言って立ち上がるとおじいちゃんは虚空を見上げてフッと遠い目をした。



「知ってのとおり儂はこの国のモンじゃあない。中国の生まれじゃ。先の大戦中に生まれてな……、日本に来たのはここ20年ほどってとこかのう。それまでは見識を広げるために広大な中国の大陸を歩いて旅しながら修行をしておったのじゃ……」


「…………」



 年寄りの昔話など長い上に大して面白くもなく、おまけに脳が老化により劣化しているので記憶も定かでなく、したがって話の整合性もとれないことが多い。


 正直なところそんなものを聞きたくはなかったが、ヘソを曲げられても困るので弥堂は我慢することにした。



「……旅は苦しく、そして孤独じゃった……、それでも儂は足を止めることはなかった。己の功夫クンフーを高めることが第一じゃったが、他にも目的はあった。探しているものがあったのじゃ……」


「そうか。それは見つかったのか?」



 弥堂の問いに老人は悲し気に首を横に振る。



「何十年も歩き回ってのう、儂は思ったんじゃ。もしかしてこの大陸にはないんじゃないのかと。そして儂は海を渡った。いつの間にか出来取った弟子や愛する者、そして好敵手すら全員を置き去りにしてな。そして流れ着いたのがこの日本よ……」


「…………」



 その言葉は重く、もしかしたら後悔すらも含まれていたかもしれない。


 弥堂は何も言わなかった。


 彼は「見つかっていない」と答えた。


 それはきっと今もそうなのだろう。



 あらゆる物を犠牲にし、それでもまだ目的を叶えられていない。


 僅かなシンパシーを感じてしまった。



「しかし……、8.1か……。素晴らしい……。じゃが、まだ10には届かんのか……」



 先程は感銘を受けていたようだが、彼の目標はもっと上の次元にあるらしい。



「な、なんじゃあ⁉ 一体なんの話をしとんのじゃあ!」



 激昂するアニキの声にチャンさんはスッと表情を落とし、彼を見た。



「なにってそんなもん乳輪に決まっとろうが」


「あ? にゅ、乳輪……?」


「そうじゃ。儂はの。直径10cmを超えるクソデカ乳輪を探して世界中を回ってきたんじゃ!」


「せ、世界って……、そんなことのために国を捨ててきたんか? アホちゃうかこのクソジジイ」


「そうじゃな。しかし、それが男ってモンじゃろ? ちがうのかい? ヤクザもんよ」



 謎の説得力を発揮するその覚悟にスジモンたちは戦慄した。


 弥堂は呆れた眼で彼らを見遣る。



「というか、中国人ってすげぇ人数いるんだろ? それでも見つからないのか?」


「そうなんじゃ……、中国人は小粒というか小豆が多くてのう……」


「だったら似た人種の日本よりそのまま大陸伝いにヨーロッパ行けばよかったじゃねえか」


「それがのう、確かに黒人のネエちゃんたちはいい感じじゃったんじゃが、あっちはやっぱり白人が多いじゃろ? 儂よぅ、アヘン戦争からのしがらみでよぅ、ちっと上海で白人どもぶっ殺しまくってたからよぅ、どうにもちょっとアウェー感がな……」


「アンタ何歳なんだよ」


「日本がダメじゃったら次はアフリカに行こうかのぅ……」



 しょんぼりとする老人に、やはり辻褄の合わない話など聞くべきではなかったと弥堂は疲れを感じた。



「まぁ、でも。8.1はなかなかじゃ。そうそう出会えるサイズじゃあねえ。見事じゃ瘋狗ファンゴォウ


「そりゃどうも。ということで――」


「――あぁ、オマエの勝ちじゃ。情報はもってけ」


「待たんかいコラァッ!」



 話はついたと目を合わせる弥堂とチャンさんにアニキが割り込んでくる。



「なんじゃ? もう勝負はついた。オメェの功夫が足りんかったんじゃ」


「そんなもん納得いくかい!」


「しつこいのう。おい、瘋狗ファンゴォウ


「あぁ」


「あん?」



 チャンさんに目配せされ、弥堂はアニキの腹に掌を当てる。


 そして迷わず零衝ぜっしょうを繰り出した。



「なんじゃ――ぶごぇぇぇーーーっ⁉」


「ア、アニキーーーっ⁉」



 派手にぶっ飛んだアニキは聖堂のガラスをガッシャァーンっとぶち破って外へ転がっていく。


 その後を子分たちが大慌てで追いかけていき、この施設の管理者であるシスターさんは頭を抱えて声にならない悲鳴をあげた。



「ふむ……」



 それを尻目に弥堂は自らの手を見下ろす。



 久しぶりに人間に零衝を打ち込んだ。大分手加減はしたが、記憶にある手応えと相違ないものであった。


 ここのところ人外の化け物相手に使うことが多かったがどうにも感触が悪く、腕が落ちたのかと懸念していたがどうもそういうわけではなかったようだ。



 やはり、人間を壊す方が楽でいいと一定の満足感を得た。



 そんな弥堂の姿をチャンさんは目を細めて見る。



「久しぶりに見たが、見事な発勁じゃ。類似品とはいえ、その歳でなかなかの功夫じゃの」


「……そうでもないさ。師匠にはいつも説教されてばかりだった」


「カカカ、師とはそういうもんじゃ。何も言わんくなるのは見放した時じゃよ」


「…………」



 自分を見放すことが出来なかったのがその師の落ち度だと弥堂は考えていた。


 快闊な老人の笑い声に複雑な気持ちが胸を過ぎる。



「そんなことより――」


「おぉ。早速仕事の話じゃ――」



 最後に見た彼女の顔を浮かべそうになるが、意味のないことだと振り切った。

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