1章55 『密み集う戦火の種』 ⑩


 見るからにそれとわかるヤクザ者が3人、ズカズカと無遠慮に聖堂に踏み入ってくる。



 主の愛を人々に伝えるための奉仕活動をするこの場所が、奉仕の心など一欠けらも持っていないならず者だらけになってしまい、シスタークララは神に赦しを請うた。


 彼らが近づいてくるとシスターは立ち上がり用件を伺う。



「あ、あの……、皐月組さん。本日は一体……?」


「ん? おぉ、尼のネエちゃん。元気そうじゃのう」


「い、いえ、私はシスターです。尼さんは仏教ですよ」


「ほぉかい。すまんのぅ。なんせワシは中学クビになって義務教育も最後まで受けてないもんでのぅ。許してくれや」


「もちろん神は貴方をお赦しになります。それはいいのですが、その……」


「わぁーっとるわ。用件やろ? ワシらが今日来たんは……、ん?」



 機嫌よくシスタークララと話していたアニキはふとシスターの隣の男に気付くと、顔色と態度を一変させた。



「ゥラァッ! クラァッ! オンドリャボケェッ!」


「うるせえな」



 威嚇の鳴き声をあげるアニキから弥堂は鬱陶しそうに顔を背ける。



「オゥコラ、狂犬のぅ……、随分景気良さそうやんけワレェ。オドレこんなしみったれた所で何さらしてけつかんねん」


「何語だよそれ。アンタにはこれが景気良さそうなツラに見えんのか?」


「アン? 知るかボケぇ。オドレいっつもおんなじようなツラしやがって、少しはガキらしくせんかい」


「大きなお世話だ」


「まぁええ。そんなことより狂犬、オマエなんでここにおる?」


「それはこっちの台詞だ。なんでアンタがここに来たんだ? 辰っさん」



 質問に質問で返しジロリと顔を見遣ると、アニキはニヤリと哂った。



「ハッ、まだまだワシの勘も捨てたもんじゃあないのう」


「答えろ。アンタが来るとは聞いてないぞ」


「オゥ、スドウのとこの鼻たれ坊主がなんぞコソコソと事務所出ていきやがったからよう。こりゃ怪しいなってんでドツイたったねん。そしたら若にここに行けと命令されたってゲロりやがってよ」


「チッ」


「ほんであのガキ、鼻血止まんなくって表出れねえってんでよ。可哀想じゃから優しいワシが代わりにおつかいに来てやったんじゃあ」


(惣十郎め、下手打ちやがったな……)


「ケケケッ、んで来てみりゃよう。ここにオドレがおるってことはアタリってことじゃ。そうやろ?」



 得意げにアニキが煙を吐きかけてくると、弥堂は諦めたように溜息を吐き紫煙を払う。



「手を引け」


「アホンダラァ。ガキの使いじゃあるまいし、手ぶらで帰れっかよ」


「ガキの使いの代わりで来たって言ったろ」


「じゃかましいわ。屁理屈こねんじゃあねえよガキが。まぁえぇ、ちょっと待っとれ――」



 そこで弥堂との会話を中断しアニキはパオロ神父の方を向く。



「オドレとナシつけんのは時間かかりそうじゃからのう。先にこっちのシノギを片付けるわ」



 アニキが離れると舎弟の“暴発リュージ”と“アンパン売りのヤスちゃん”が顔を近づけガンをつけてくる。



「ぃよぅ、ザビエルはん。儲かってまっか?」


「あぁん? なに言ってんだタツのアニキ。オレぁパオロだぜ?」


「アァン? そんなん知っとるわ。教会でアーメンしとるんやからオドレはザビエルやろが」


「もしかして大昔にこの国に来たヤツのこと言ってんのかぁ? 確かにカトリックの宣教師ってのは一緒だが、ザビエルは人の名前だよ。オレぁ神父だよ。パオロ神父様だ」


「ほぉかい。カンベンしたってくれや。ワシ歴史はジョーモンまでしか習ってへんねん」


「め、めちゃくちゃです……」


「なんじゃ? なんぞ文句でもあるんけぇネエちゃん」


「文句と言いますか……、その辰さん? 貴方方言もめちゃくちゃじゃないですか?」


「アン? それもカンベンしてくれや。ワシ行儀見習いの時に付いたアニキがよ、次々にくたばっちまいやがってよ。何人かにお世話になったんじゃが、九州のアニキもおりゃ、大阪のアニキもおったし、東北のアニキもおったかもな。なんせ右も左もわからんガキじゃったけぇ、とりあえずアニキの真似してたら言葉混ざってもうたんじゃ。標準語忘れてもうたわ、ガハハッ!」


「そ、そうですか……」



 深く聞こうにも血のニオイしかしないアニキの経歴にシスターは疲れを滲ませ、それ以上突っ込むのをやめた。



「まぁ、嬢ちゃんみとうなアメリカのネエちゃんには下品に聴こえるかもしれんが、カンベンしたってつかぁさいや」


「い、いえ、私はフランス人です……」


「アァン? そうなんかい。そりゃぁえろうスンマヘン。ワシらみたいな田舎モンにはフランスもアメリカもロシアも、白人様はみんな同しに見えるんや。オドレらがワシらと中国人や韓国人の区別がつかんようにのぅ。お互いさまっつーことで手打ちにしてくれや」


「そんな……、いえ、はい……」



 デリカシーの欠片もないヤクザ者の物言いにシスターは閉口してしまう。


 そんな彼女のことを気にすることもなくアニキは神父に水を向ける。



「ほんでパオロ・ザビエルはんよぅ」


「完全に別人が出来上がってんじゃあねえか。なんだよ辰のアニキ」


「おぅ、例の寄付じゃがよぅ、いつもの手口……、もとい手順で今月分が振り込まれてるはずなんじゃがのう」


「――っ⁉」



 アニキのその言葉にパオロ神父は気だるげにしていた瞼をカッと見開く。


 そして素早くスマホを操作して銀行のアプリで口座情報を確認した。



 神父はバッと勢いよく立ち上がると作務衣の襟元を正しすぐに揉み手を作った。



「ヘヘヘッ、これはこれは皐月組のみなさん、ようこそ当教会へいらしゃいました!」


「どうやらきっちり入っとったようじゃのぉ」


「えぇ、えぇ……。いつも皆さんの素晴らしいお心づけ。神だけでなくこのザビエルめも嬉しく思っております……!」


「ガハハッ! そりゃあえがったわい!」



 汚い大人は向かい合ってガハハっと笑いあい、少しして同時にスッと真顔になった。


 今のやり取りがなかったように仕切り直すためアニキは息を吸い込んだ。



「ゥラァッ! クラァッ! ボケェッ! オドレ今月の返済はどうなっとんじゃあ!」


「ヒィィ……っ⁉」



 アニキがダミ声を張り上げると神父はわざとらしくガターンっと腰を抜かしてみせる。



「とっくに期限は過ぎとんじゃあ! 耳揃えて払わんかいっ!」


「たっ、た、ただいまぁ……っ!」



 神父はズリズリと床を這いながら説教壇の足元の床をカパっと開ける。


 そしてその中からやけに綺麗な茶封筒を取り出した。



「こ、こちら今月分になります……」


「おぅ、よこさんかいっ」



 アニキは神父からバッと封筒を取り上げると親指をベロリと舐め、素早く中身の紙幣をベベベっと数える。



「……なんじゃい、今回も利息分だけかい。これじゃあいつまで経っても元本が減りまへんなぁ~!」


「すいません……、もっとお返ししたいのは山々なのですが……。何分我が教会は清貧をモットーとしてまして、どうにもお金がないのです……」


「まぁえぇ。払えんもんはしゃあないわ。これからもお宅さんとは長い付き合いになりそうじゃのう!」


「えぇ、親愛なる我が友よ。完済したい気持ちはあるのですが、お金がないのはどうしようもないのです。あぁ、つらい。いつまで経っても借金が減らなくて、あぁ、つらい……っ!」



 一頻りの小芝居を終え、神父とヤクザは目を合わせると再びガハハっと笑った。


 その様子をシスタークララが汚物を見るような目で見ている。



 この茶番の仕組みはこうだ。



 皐月組の関係する街金で金を借りて返済不能になった債務者たちへ返済の為に仕事を斡旋しその報酬を渡す。


 すると手厚い返済サポートに感激した債務者たちは猛烈に善行を行いたくなって、ネットを通してこの教会が運営する孤児院に複数のアカウントを駆使して小分けに寄付をするのだ。



 そうして美景北教会の財政は潤うかと思いきや、不幸なことに教会には借金があった。


 そのため寄付金の一部は返済に充てられることになる。


 だが教会も孤児院も基本赤字なので返済は利息分しか払うことが出来ない。


 なので、嘆かわしいことに借金の元本は永遠に減ることなく、永遠に返済が続くことになってしまっているのだ。これには神も悲しんでおられる。



 しかしこれは資本主義社会上の真っ当な契約の上での真っ当な借金と真っ当な返済なので何も違法性はない。


 元の借金の額とその利率についてはプライベートな情報なので特に誰にも明かされることはないが、それは現代社会でのリテラシー上の問題なので大丈夫だと本人たちは言い張っている。


 こうして出処不明の金が神の御許で浄化され、清廉潔白なお金となって皐月組に戻ってくる仕組みになっているのだった。



 一仕事終えた大人たちは弥堂の方へ向き直った。



「待たせたのう。ここらでオドレとはいっぺん腹割って――」


「――ただいまぁーっ!」



 先程中断した話を再開しようとするが、弥堂とアニキが壊して常時開放状態となった聖堂の入口からソプラノボイスとともにパタパタと複数の足音が駆け込んでくる。


 教会に併設された孤児院の子供たちだった。



「シスター! 帰ったぜぇー!」



 大きな箱を抱えた一際元気のいい男の子の声にシスタークララはハッとして顔色を蒼くした。



「い、いけません、今ここに来ては……!」



 社会の汚いものの象徴のような連中と子供たちを触れ合わせてはならないと慌てて制止するが、それは遅かった。


 駆け込んできた子供たちはいつもよりたくさん居る大人たちをキョロキョロと見回した。



「なんだよ神父様。また呑んでんのかよ」

「お、ヤクザのオッサンじゃん。もうかってまっかぁ?」

「なんかここくさぁい」



 口々に思い思いの言葉を発しながら彼らは弥堂の存在に気付く。



「お、兄ちゃん! 来てたのかよ!」


「あぁ、邪魔してるぞ。朝陽あさひ


「兄ちゃんサッカーボールまたパンクしちまったんだよ。直してくれよ!」


「また壊したのか、すばる。今度違うのを持ってくるから少し我慢しろ」


「ねぇねぇ、お兄ちゃん。これ前にお兄ちゃんが持ってきてくれたお洋服なんだよ?」


「あぁ、よく似合ってるぞ紬希つむぎ



 顔見知りの子供たちがワラワラと寄ってくる。


 弥堂は朝陽と呼んだ男の子が抱えている箱に気が付いた。



「朝陽、それは?」


「ん? おぉ! こないだ兄ちゃんが教えてくれたシノギやってきたんだ! ボロ儲けだぜ!」



 朝陽くんがニカっと笑って箱を揺するとチャリチャリと小銭の擦れる音がした。



「兄ちゃんすげぇな! ゴミ捨て場で拾ったカラスの羽が金になったぜ!」



 不穏なその言葉にシスターがギョッとした。



「な、なにを……⁉ アサヒ! 一体何をして来たんです⁉」



 泡を食ったような彼女のリアクションに朝陽くんはキョトンとする。



「なにって……、駅前でよ、この箱を置いてその上にカラスの羽並べとくんだよ。そんでオレらみんなでその脇で『お願いしまーす!』って言ってるだけだぜ?」

「そうそう。そしたら大人が勝手に箱に金入れて羽持ってくんだ!」

「これで壁の穴塞ぐガムテープ買えるよ、シスター! 神父様にお酒も買ってあげられるわ!」


「お? オレに酒買ってくれんのか? これは主もお喜びだぜ、ヘヘヘ」


「な、なんということを……!」



 喜び合う子供たちと神父たちに呆然としながらシスタークララはワナワナと震える。



「ビトウさん!」


「なんだ」


「子供たちになんてことを教えるんですか!」


「……? なにか問題があるのか?」


「当たり前です!」



 己の罪をまるで理解していない子羊にシスターはその罪深さを説く。



「あのですね……? 一応以前に黒い羽募金っていうのがありまして……」


「これは黒い羽募金などではない。子供たちも『お願いします』『ありがとうございます』と新卒社会人となった時の為に発声練習をしていただけで『募金』とは一言も言っていない。そうだろ? お前ら」


「おぉ! ちゃんと言われたとおりにしたぜ!」


「つまり、ただ地面に箱を置いて立っているだけの子供たちに、何かを勘違いした通行人たちが勝手に金を入れて、きっと気を利かせて箱の上に落ちていたカラスの羽を拾い、奇特にも引き取っていってくれただけのことに過ぎない」


「それを世間では詐欺というのですっ!」


「詐欺? 恐いことを言わないでくれ。俺も子供たちも何も嘘を言っていない。何も言っていないのに人々が勝手に施しをしただけだ」


「き、詭弁を……!」


「大体お前ら教会がやってることと何が違う? 適当なことを言って信者から金を巻き上げてお前らはそれを施しだと言っているだろ? それよりはマシだ」


「あぁ、主よ。この者の罪をどうかお赦しください」


「何故そうなる」



 跪いて祈りを捧げるシスターに弥堂は怪訝そうに眉を寄せる。


 どうやら今回に限っては確信犯ではなく本気で悪いことだと思っていないようだった。



 信心深く心優しいシスターはこの男の壊れた倫理観を憐み、代わりに神に祈りを捧げたのだ。



「どう言い繕ったってコイツらは普通のガキとは違うんだ。早い内から生き抜く強かさを仕込んだ方がいい」


「……一応、この子たちのことを思ってのことなんですね……。余計に悲しくなります」


「それが嫌なら教会のシノギで真っ当に儲けろ。ここに来る信者少なすぎねえか?」


「……言いたいことはたくさんありますが、とりあえず教会の仕事をそのように呼ぶのはおやめ下さい」



 こいつらのようなガラの悪い者が度々出入りすることが一般の来訪者が遠のく原因となっているので、本当はそのことについて言及したかったがグッと飲み込む。


 嘆かわしいことにこういった者たちからの支援がなければこの教会はとっくに潰れているからだ。



(神よ……、これも試練なのですね……っ!)



 敬虔な信徒であるシスタークララは神様がお与えになった試練に向き合うことにした。


 とりあえずこの後行われるであろう、さらに真っ黒なクズどもの営みを見せぬよう、子供たちを奥に行かせることから始めた。

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