1章55 『密み集う戦火の種』 ⑥


 水無瀬の隣に腰掛けてから、そういえばここでの用事はもう済んだので自分はもうここに居る必要がないことに気が付いたが、『もういいか』と諦める。



「いただきますっ」


「いただきます!」

「いただきます!」

「いただきます!」

「いただきます!」



 そうしている間に彼女と彼らは声を合わせて食事を始めてしまった。



「えへへ、弥堂くんは私とはんぶんこしようね?」


「その必要はない。元々自分の分は持っている」



 スリスリとお尻を引き摺ってピタっと隣にくっつく彼女へ断りを入れ、懐から常食しているバランス栄養食の『Energyエナジー Biteバイト』を取り出した。



「またそれ食べるの? ちゃんとしたの食べた方がいいよぅ」


「大きなお世話だ。俺よりもお前の方がそのちゃんとしたメシとやらを食え。チビなんだからな」



 蓋を開いたお弁当箱をこっちへ向ける彼女を無視して『Energyエナジー Biteバイト』の袋を破り1ブロック噛む。



「あぅ……、私も背おっきくなりたい。ななみちゃんと一緒くらいになりたいの」


「あいつは……、160ちょいくらいか。今から10cm以上伸ばさなきゃならんのは難しくないか?」


「やっぱりそうなのかなぁ。おんなじくらいの背になっておんなじ景色が見たいなぁって……」


「目線を合わせて同じ物を目に映したとしても、それはそれぞれの脳で別々の情報として処理される。背伸びをしたって意味がない」


「そっかぁ……。あ、ねぇねぇ、弥堂くんはどうしてそんなにおっきくなれたの? 牛乳いっぱい飲んでるけどなかなか伸びないの……」


「別に。背を伸ばそうとして何かを心掛けたことはない。食事をロクにとれなかった時期もあったが、栄養失調になるレベルでもなければそこまで関係ないんじゃないのか?」


「そっかぁ……、そうだよね……。私もご飯あんまり食べれなかった時あってね、元気になってからいっぱい食べて背伸ばそーって思ったの。でもあんまり伸びなくって、横に拡がっちゃったの……」


「そうか」


(元気になってから、ね……)



 言葉を聞き流しながら『Energyエナジー Biteバイト』をもう1ブロック噛み砕く。


 バックグラウンドでは男たちの「ウメェー!」「ウメェー!」という涙声が鳴っていた。



「私お腹がぷよぷよしてるじゃない?」

「知らんが」


「でもななみちゃんはシュッてしてるじゃない?」

「知らんが」



 どうでもいい気分で彼女のお喋りに付き合いながら雲の流れを見る。



「いいなぁーって思って、それでたまに『さわらせてー』ってお願いするんだけど、ななみちゃんって擽ったがりじゃない?」


「……そうだな」



 それは知っていた。


 こうしていると、そうしてしまうと、少しずつ彼女と――彼女らと共有できるものが増えていってしまう。



「だからあんまり乱暴にしちゃダメだからお腹やわやわってするんだけど、そうするとななみちゃんシュンってなっちゃって。あんまりすると可哀そうかなって思うんだけど、でもねすっごくカワイイの。だからね? イジメちゃうのはダメって思うんだけど、でもななみちゃんのカワイイところ見たくってまたしたくなっちゃうの」


「……お前は今なんの話をしているんだ?」



 冷静に指摘をしつつも、『こいつもしかして意外と嗜虐趣味があるのか?』と弥堂は内心で戦慄した。彼女さえその気になれば、彼女を止められる者など早々いないからだ。



「……あれ? なんのお話してたんだっけ?」


「……ちゃんと考えてから口を開け。お前いつも勢いで喋ってるだろ?」



 呆れを見せて嘆息しつつ、内心で別のことを考える。




 何を話しているかわからなくても、今何をしているのかわからなかったとしても――



 こうして同じ時間を過ごしていれば、それを続けていれば、同じ記憶――思い出として積み重なってしまう。



 例え別々の脳みそで別々の情報として処理されたとしても。



 それでも声で、言葉で。


 身体で瞳で。



 自身の外側――『世界』へ発したモノがお互いの間に現象として顕れてしまえば、それは大気を――『世界』を構成する霊子を運動させ、互いの『魂の設計図アニマグラム』へ情報を伝え、そしてそれぞれの記憶に保存されて、それぞれの一部と為る。



 生きていれば誰にでも起きる当たり前のことだ。



 特に何も考えていなくとも、何も意図せずとも、勝手に誰もがそう為る。



 死ぬまでの間そうやってずっと。



 弥堂はその積み重ねを出来るだけ避けて生きたいと、可能な限り他人の影響を自身の『魂の設計図アニマグラム』に反映させたくないと、自分はもうこの自分のまま自分だけのままで死んでいきたいと、そのように考えている。



 恐らく水無瀬は逆だ。



 彼女は積極的に他人との関りを持ちたいと考えているだろう。


 なのに、皮肉な話だがおそらくきっと――



 弥堂はそんな彼女のことをある意味羨ましいと思っている。



 他人から忘れられ、誰からも興味関心を払われず、誰にも知られない。



 そんな風になることを望んで弥堂はこの美景の地に流れて来た。



 だから羨ましいと言われたところで彼女は何にも嬉しくないだろうが。



「――お前はなんで希咲と仲がいいんだ?」


「え?」



 考えても意味がないことを思考から追い出そうとして、ついどうでもいいことが口から出る。


 水無瀬はぱちぱちと瞬きをしてから嬉しそうに笑った。



「あのねっ、私ね、花壇を作ろうとしてたんだけどね? 土がいっぱいでたいへんだぁってなっちゃったのね? そしたらななみちゃんがね『あんたどうしたの?』って後ろに居てね? 『もしかして困ってんの?』って助けてくれたの!」


「……そうか」



 何を言っているのか全くわからないはずだが、なんとなくその時の絵が浮かぶような気がする。



『――ニュアンスで掴んで雰囲気で熟すんだ。何を言っているかちょっとわからないだろうけれど、でもね弥堂君。これは、そういうものなんだ』


(なるほど。そういうことですか、部長)



 記憶の中の廻夜の言葉を今更ながら理解する。



「いつまで続けるつもりだ?」


「え?」



 気も漫ろな様で何も考えずに口を開いたことで、また言うつもりのないこと、言う必要のないことを言ってしまう。


 思わず舌打ちが出た。


 言ってしまったなら仕方ないと、続けることにする。



「……いつまで秘密にするつもりだ?」


「あっ……」



 それで水無瀬も言葉の意味を察する。



「もしくは、いつまでその秘密自体を続けるつもりだ?」


「…………」



 水無瀬は膝の上の弁当箱に目線を落とす。



「どちらを選ぶにせよ、どのみちどこかでケジメは必要なんじゃないのか?」


「そう、だよね……」



 もしもこれで水無瀬が自分で希咲に事情を打ち明け、そして弥堂を抜きに彼女ら二人で勝手にやってくれれば、それはそれで悪くもない。


 さっきまで楽しそうに喋っていた水無瀬の言葉が切れた間に、そんな言い訳を思いついた。



「……弥堂くんはどうしたらいいと思う?」


「…………」



 希咲といい、揃いも揃って自分などにそんな重要なことを聞くなと苛立ちを覚える。


Energyエナジー Biteバイト』の最後の1ブロックを口に放り込んで、彼女の問いに答える。



「……お前はあいつを危険に巻き込みたくないと考えているのだろうが、今は危険であることを隠しているだけだ。それでは向こうが勝手にお前を心配して危険に危険と知らずに飛び込んでくることにもなりかねない。危険を危険と知らせた上で遠ざけ――っ⁉」


「――弥堂くんっ⁉」



 何やら重要そうなことを言っている途中に突然ゴーンっと白目を剥いた男に愛苗ちゃんはびっくり仰天して、おさげをぴょこんっと跳ね上げた。



「び、弥堂くんっ、どうしたの⁉」


「…………だからちゃんと考えてから口を開け。勢いで喋るんじゃない」


「えっ……? えと、その……うん……?」


「先に何を喋るかを考えてから話し始めれば少しは上手く喋れるようになるんじゃないのか」


「あ、うん……、うん……?」



 すぐに再起動をした弥堂だったが、彼の言葉の前後が全く繋がっておらずに意味不明で水無瀬は首を傾げる。



「あの……、弥堂くんだいじょうぶ……?」


「……? なにがだ?」


「だって、今、白目になってたよ?」


「なってない」


「え、でも……」


「でも、じゃない。お前の話は前後のつながりが滅茶苦茶で何を言っているのかわからないから、それをちゃんとしろという話をしていただろ」


「えっと……、うん……、ありがとう……」



 話の前後の繋がりが滅茶苦茶で何を言っているのかわからない男から説教をされたが、愛苗ちゃんは優しい“いいこ”なのでとりあえずお礼を言った。



「さぁ、昼休みはそんなに残ってないぞ。さっさと食ってしまえ」


「あ、うん……」



 弥堂に急かされまた膝元の弁当に目を落とした彼女は何かを思いつく。



「えいっ」と声をあげ、から揚げにフォークをぷすっと突き刺した。



 そしてそれを弥堂の顏へ向けて差し出す。



「はい、弥堂くん。あーんして?」


「…………」



 弥堂はフォークの先のから揚げを無感情に視る。



「お母さんが漬けておいてくれたから揚げ、美味しいよ?」


「…………」



 それはここに運ばれてくるまでにこの鶏肉に触れた人間が増えたということを意味する。



 弥堂は少し考え、それから口を開けてそのから揚げを彼女の持つフォークから受け取った。



 何故だかこれ以上喋りたくなくて、口の中にものを入れてしまおうと考えた。



「えへへ」



 水無瀬は嬉しそうに笑う。



 もしもこのから揚げに毒物が混入されていたとしても、この彼女に――こんな彼女に殺されるのなら、それはもう一周回って面白いなと、そんな投げやりな気持ちになった。



「おいしい?」


「あぁ、『美味しかったよ、ありがとう』」



 どっちでもいい話をして、どうでもいいことをして、雲が流れるどうでもいい現象を見て、どうでもいい時を過ごす。



 地べたに座って見上げる空はいつもよりも遠くなった檻の出口のように思えて。



「みんなでピクニック楽しいねっ」


「へへっ……、へへっ……」



 隣に座る彼女の笑い声と、その向こうに聴こえる他の者たちの声とで構成された『世界』。



 それらと自分との間には半不滅の隔たり。



 やはり許されるものではないと、感じた。







 少し小走りになりながら水無瀬は先を進む男の背中を追う。



 体育館裏での食事を終えて今は教室へ戻ろうと、室内シューズへ履き替えるために昇降口棟へと向かっていた。



 歩幅の差など一切慮ることのない男が先行するせいで、普段の自分の歩行ペースよりもずっと速く手足を動かすことを強いられるが、今の水無瀬にはそんなことは気にならなかった。



 その理由の一つとしては先ほど新しい友達が出来たことによる喜び。


 そしてもう一つは周囲を見回して探しているものがあるからだ。



 学園の西側から校舎沿いに移動してきて、南側正門より真っ直ぐ北に伸びる並木道へと入る。



 先行する男は桜の木に挟まれたその道を左に曲がり昇降口棟の入口へと向かう。


 水無瀬は右に曲がって、テテテっと少し走った。



 そして桜並木の足元に敷かれている花壇の前で足を止めてしゃがむ。



「よかったぁ……、壊れてない……っ」



 少し運動をしたことと、ずっと懸念していたことによる焦燥感で高鳴った胸を撫でおろす。


 朝に登校してきた時は少しボーっとしていてこの花壇のことに思い至っていなかった。



 昨夜この学園内で戦闘があった。



 数体のゴミクズーと戦って派手に魔法を使ってしまい、迂闊にも結界を張り忘れたために校舎に被害を出してしまった。



 戦闘領域になったのは今居る場所とは校舎を挟んだ反対側で、自分が放った魔法の射線からもこの場所は外れていた。


 だからここは壊れていないはずだし、というか壊したはずの場所や物も何故か今朝には全て元通りになっていたのだが、こうして直接自分の目で確認すると安心する。



 大切な場所で、大切な思い出となった場所で、大切な友達が出来た場所。


 以前にもここでこうして花壇に向かってしゃがみこんでいたら、今では大切な親友となった彼女に声をかけてもらえて、初めて彼女に出逢うことが出来た。


 それからもう少しで1年が経つ。



 頭上の桜の木からひらひらと薄桃色の花びらが舞いながら降り落ちてくる。


 あの時はもうこの桜が散ってしまった後の季節ごろだった。



 胸の奥から拡がってくる懐かしさが身体より滲み出て、周囲の世界に影響する。



 ひらり、ひらりと舞う花びらが幻想に塗り潰されて消えていく。




『――あんたなにしてんの?』


「――えっ?」



 背後からよく知った声でよく憶えている言葉がかけられる。



 水無瀬は少し驚いてすぐにクスリと笑った。



 思い出の幻視。



 あの時は突然声をかけられたことに驚いてすぐに振り返った。


 その時の彼女の姿は今でもよく憶えている。



 あの時はまだピンクゴールドの色は入っていなくて、金髪に近い亜麻色の髪が木々の隙間から降り注ぐ光に照らされキラキラと輝いていた。


 あれから1年経った今でもあのキラキラよりも美しい輝きを知らない。



 目を閉じて胸の前で両手をギュッと合わせ、その美しさをより鮮明に思い出す。


 その後の言葉もちゃんと憶えている。



『――もしかして困ってんの?』


『――手伝ったげようか?』



 まぶたを開けるとそのふちが少し潤んでいた。


 優しい気持ちが自然と顔を微笑ませたままにした。



 あの時、あの後は、彼女に助けてもらい、優しくてカッコいい彼女に憧れを持つようになった。



 そんな彼女とあれから共に過ごし、あれから時間が経って、こんな自分でも少しは成長したと思う。



 だから――




「――ううん、だいじょうぶだよ……っ。私、まだがんばれるから……っ!」




 その答えを口にしながら水無瀬は彼女の方へ振り返った。



 光を遮り水無瀬の身体を陰に入れる人の姿がある。



 それを目に映すと、人影と重なる思い出の彼女の姿が消えていく。



 幻想が晴れるとそこに残ったのは背の高い男の姿。



 輝きのないのっぺりと塗られた黒い瞳が見下ろしている。



 自分とその男の上に桜の花びらが再び舞い落ち始めた。



 振り返った水無瀬と目が合うと彼は何も言わずに手を貸すこともなく、踵を返してまた校舎の方へと歩いて行った。



 水無瀬はその背中をみつめる。



 この世界に自分は独りぼっちだと、寂しくて張りつめた背中。



 あの時彼女がそうしてくれたように、自分もその寂しい背中に声をかけてあげたくて、目で、足で追ってきた背中。


 彼女のように上手には出来ていないから、去年とまだ変わっていない背中。



 水無瀬はクスリともう一つ笑ってから立ち上がり、その背中を追ってテテテっと駆けていった。



 彼は何も変わっていなくとも、その背中を追う今の自分の気持ちは変わっていることには気が付かずに。



 変わっていないものと変わったものが混在し、それらは両立するのか、混ざり合い溶けあって生まれ孵り生まれ直して全く別のモノに為り変わるのか。


 その生末を知らずに。






 教室に戻り席に着く。



 隣の席で次の授業の準備をする彼女の横顔を弥堂は視た。



 伏せた瞼、生える睫毛の先に言葉が引っ掛かっている。




(――“まだ”、ね……)




 見下ろした掌、写る魂の設計図にはそれが残された。

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