1章55 『密み集う戦火の種』 ①

 昼休み。



 弥堂 優輝びとう ゆうきは校舎を出て体育館裏へと向かう。



 少し遠回りをしながら学園内を廻り、昨夜の戦いの痕が残っていないかを視ている。


 どうやら本当に跡形もなく直っているようだった。



 特段それが見つかることに大きな意味はないのだが、彼女らの出来ないことがわかれば、先々にもしも敵対した時に役立つこともあるかもしれない。


 その程度の腹づもりだった。



 これ以上続けることには見切りをつけ、弥堂は右腕を動かそうとしてすぐにやめる。



 無意識にいつも通りの歩調を維持しようとする身体に命令を送り、普段よりはペースを落として歩き続ける。



 そして鼻から薄く嘆息を漏らし、左腕を動かして左の胸ポケットに入っているスマホを左手で掴み、画面を点灯させた。




 放課後には街での重要な仕事がある。



 先日に美景市内で起こった家畜の殺戮事件、それは目下大型の獣によるものだと考えられている。


 本日は警察や関連機関によって大規模な捜索チームが組まれて、最早この世に存在もしていない犯人を探し回っているはずだ。


 その為、街中の警官の数が捜索期間中は減るだろうと見立てている。



 そうなると、普段は身を密めてコソコソと営業活動に勤しんでいる犯罪者どもが動き出すはずだ。


 弥堂の目的はその犯罪者の中でも、最近街で出回り始めている新種の薬物――それを取り扱っている売人だ。



 その薬物の出処は新美景駅北口にある外人街と呼ばれる半ば治外法権化しているスラム街で、普段やりたい放題しているはずの連中がそのクスリだけは妙に慎重に扱っている。


 一般的に知られているような有名な薬物はスラムの入り口で堂々と捌かせているというのに、この“WIZウィズ”と呼ばれる新種のヤクに関しては売人も客も大分選んでいるという情報だ。



 だが、徐々に販路を伸ばしているということは、奴らが『売りたい』と考えているのは間違いがないはずだ。


 今回のこのチャンスを逃すわけがない。



 一度射ってやってハマらせてしまえば、あとは客の方から勝手に買いに来てくれる。


 どんな商売であろうとも客とはただの消耗品であり、新規ユーザーの獲得は重要だということだ。



 たとえ外人街の連中が直接出てこなかったとしても、そのシノギを卸されている傘下や外部の下請け連中が勝手に動き出す可能性が高い。


 選んで売れと言われていたとしてもノルマは必ずあるはずだ。


 それなりに悪いことをしている奴らなら今日の警察の動向は把握しているだろう。


 やらかす馬鹿は絶対にでてくる。



 奴らにとってチャンスであるように、こちらにとっても売人を攫う大チャンスだ。



 その為の準備を入念に行い、万全に遂行をする必要がある。



 弥堂は左手の親指でEメールのアイコンをタップしアプリを起動する。



 作成する新規メールの送り先はY’sだ。



 弥堂の所属する部活動である“サバイバル部”の同僚であり、情報担当を任されている身元不明の部員だ。


 昨夜の学園での窃盗行為のサポートもさせた。



 その昨夜の任務で手に入れた監視ドローンを本日の任務で運用する予定なので、その件についての連絡をするつもりだ。


 先だってその旨は伝えてはあるが、配備状況を密に確認する必要がある。



 それに加えてもう一つ。



 昨夜の件の口止めだ。



 元々は学園への侵入と窃盗の手伝いをさせるだけのつもりだったが、成り行き上ゴミクズーとの戦闘にも参加させることになってしまった。


 時計塔の屋上に仕込んだ有刺鉄線に電流を流す仕掛けを作動させるようY’sに指示を出した。



 それ自体は別にいいのだが必要上、ゴミクズーと戦っている姿をヤツが操作するドローンのカメラを通して見られたことになる。



 弥堂の上司でサバイバル部の長である廻夜部長は既にゴミクズーを使役する“闇の秘密結社”について掴んでいるようだが、Y’sがどこまで知っているのかは把握出来ていない。



 ヤツもゴミクズーや闇の秘密結社についての情報を共有しているのなら構わないが、そうでなかった場合は口止めするか始末する必要がある。



 Y’sに盗ませ操作させていたドローンはいつの間にか撤収していた。


 ゴミクズーとの戦闘が始まってからは弥堂にもそれらのことを考慮する余裕がなかった為に、ヤツがいつまで戦場に居たのかが不明だ。



 弥堂が学園を出るまでの間に撤収していたのなら然程問題は大きくないが、学園を出た後からのこともドローンに撮影されていたのなら話は変わる。



 いつまで、どこまでを見ていたのか。


 それを把握しなければならない。



 そしてその結果によって対応を決める必要がある。


 その為にはY’sの素性を掴んでいつでも始末出来るようにしておいた方が都合がいい。



 弥堂はメールの文面をいつものような高圧的なものではなく、熟練の出会い厨のような柔らかいものにして文章を作成し送信をした。



 Eメールのアプリからホームに戻るとSNSアプリの“edge”のアイコンに赤い通知のマークがついていることに気付く。


 それを起動するとメッセンジャー機能のタブに二桁の赤い数字が出ている。


 未読のメッセージだ。



 嫌な予感に眉を顰めてページを開くと、通知の原因は『@_nanamin_o^._.^o_773nn』さんではなく、キャバ嬢だった。



(華蓮さんか。こっちに連絡してくるのは珍しいな……)



 現在弥堂の手の中にあるのは学園に入学する際に仕事用のつもりで自分で購入した物だ。


 華蓮さんは普段はもう一つの、もっと前に彼女が買ってくれた方のスマホに連絡してくることが多い。



 なんにせよ、現在休学中のギャルからでないことに安堵の息を漏らしながら、左手の親指でタップしチャットルームを開く。



 そして途端に眉を寄せ、思わず足を止めた。



 ピタっと立ち止まり左手で持ったスマホを睨んでいると、右腕だけが僅かに前に進んで遅れて止まる。



 そのことは極力気にしないようにしつつ、怒涛の連打をされているメッセージの文章を流し見る。


 これらが送られてきたのは昨日のようで、どうも彼女は随分と怒っている様子だ。


 作戦行動に支障が出るので通知を切っていた為に着信に気が付かなかったようだ。



 上から下に未読メッセージを流していくと、『なんで来ない?』『なんで返事しない?』というような恨み辛みが重なっている。


 一体なんのことだと眉を潜めていると下層に近づくに連れて内容が『なにかあったの?』『今なにしてる?』『無事なの?』『生きてる?』と変化していく。



 生きてなかったら返事など出来ないのだから聞くだけ無駄だろうと呆れる。


 しかし、華蓮さんほどの賢い女性が酷い取り乱し様だなと考えたところでふと思いつく。



 弥堂は左手のスマホを制服上着の左のポケットに突っ込み、空いたその左手でズボンの右の後ろポケットからもう1台のスマホを取り出す。



「…………」



 そちらのスマホ用の別垢で“edge”を開くとこちらにも鬼のような連メッセが届いていた。


 着信の時刻的にこちらの方に先に送って、反応がないからもう1つの方にも連絡してきたようだ。



 一体どうしたことだろうか――そう思い込もうとして失敗する。



 華蓮さんが何故怒っているのかは本当はわかっている。



 昨日彼女の家へ行く約束をしていたのに、人妻専門のデリヘルの予約を優先してバックレたからだ。



 元々行くつもりはなかったのだが、『行く』と明言するまで密室から出してもらえなそうだったので、破るつもりで約束をしたのだ。


 そりゃこうなるよなと納得しつつ、返事は返さずに画面を消す。



 そもそも自分が約束を破ったのはこれが初めてではない。


 もしかしたら守った方が少ないかもしれない。



 そんな相手とまた約束を交わそうとする方が間違っているのだ。


 それを承知で約束をしたというのなら、その結果に怒る方がお門違いなのである。



 そう思うことにして切り替え、弥堂は左手で右の後ろポケットにスマホを無理矢理突っ込むとまた歩き始める。


 すると右手だけが動かずに一瞬後ろに引っ張られ、それから遅れて着いてくる。



「…………」



 気にしないようにして進むが、もう何歩か歩いたところで諦めて立ち止まる。



 振り返って右手の方をジッと見た。



 すると、弥堂の右腕の袖をキュッと握った愛苗ちゃんがふにゃっと眉を下げて見つめ返してきた。



 弥堂はハァ……と溜息を吐く。



 彼女がどういうつもりなのかサッパリわからない――と思いこもうとして失敗する。



 本当はわかっている。



 水無瀬は教室に居づらくて、昼休みになってから外に出ようとする弥堂に着いてきていた。


 教室を出てからずっとこの有様なので右腕の動作を制限されっぱなしになっていたのだ。



 朝に希咲とのビデオ通話があった以降、時間が経つにつれて結局生徒たちの水無瀬への反応は元に戻っていってしまった。


 元、とは当然先週までのようにではなく、ここ最近のように彼女を認識していないような反応だ。



 そして居た堪れなくなった彼女は唯一自分のことを覚えたままの弥堂を頼ったというわけだ。



「弥堂くん、ご飯食べなくてもいいの?」



 情けない顔をする彼女へ何を言うか考えている内に、水無瀬の方が先に口を開いた。


 彼女が顔の横に持ち上げて見せる二つの弁当袋を眼に写し、また答える言葉を探す。



「……キミの方こそ食事を済ませなくていいのか?」



 口から出たのは答えにもならない価値のない言葉だった。



「うん……、あのね? 弥堂くんと一緒に食べたいなって……」


「……俺は風紀委員の仕事がある。それにかかる時間によっては飯の時間を確保できないかもしれない」


「えっ? そんなに忙しかったの……?」


「……教室に戻った方がいいんじゃないか?」



 いつものように明確に悪意をもって喋ったわけではなく、無意識に反射反応で言葉を返す。


 だから、言ってから『意地が悪いな』と気が付いた。



 当然彼女はまた眉尻を下げる。



「また、みんな私のこと忘れちゃったみたいで……」



 正確にはそうではない。


 水無瀬の方から話しかければ一応反応は返ってくる。



 ただ、彼女へ興味関心が向かないようになっているようで彼女を意識することがなく、これまでの彼女との共通した記憶を正確に認知できなくなっている。


 それが多くの生徒たちに現在起きていることだ。



(まぁ、同じことか……)



 いちいち訂正したところで彼女の問題が解決するわけでもないので、意味がないと言葉を飲み込んだ。



「……もしかして、私、邪魔かな……? 迷惑だった……?」



 いつものように無邪気に真っ直ぐにではなく、こちらの顔色を窺うようにそう聞いてくる。


 1年生の時から何故か彼女にやたらと構われて、弥堂はずっと彼女にそう気付いて欲しいと願っていたはずだ。



 なのに――



「……迷惑だと言ったらその手を離してくれるのか?」



 口から出たのは相手に選択を押し付けるような曖昧なものだった。



(なんだそりゃ。バッサリ切れよ)


『まったくだぜ。クソかよテメェ』



 思わず心中で自嘲すると、緋い髪の女――以前の保護者のような立場の女だったルビア=レッドルーツに嘲笑われる声が聴こえた気がした。



 だが、遠慮がないようでその実他人に強く出ることの出来ない水無瀬なら、こう言えば「ごめんね」と言って退くだろうと思えた。


 だったら結局どう言っても結果は同じだと、記憶の中の女を無視することにした。



 だが――



 ギュッと強く袖が握られる。



 思っていた反応と違ったので彼女の手に引かれるように弥堂は水無瀬の瞳を視る。



「――でもっ……、今日は甘やかしてくれる日だって……、言ったもん……っ」


「…………」



 庇護者を求めて彷徨っているようで、揺れる瞳の奥には強い意思の光が在る。


 彼女の眼窩の奥に在るモノが視えた。



 とはいえ、これくらいの我の強さがなければあんな魔法は使えないかと、弥堂は彼女の評価を修正した。



 水無瀬 愛苗みなせ まなは魔法少女だ。



 そして彼女は『神意執行者ディードパニッシャー』だ。



 『神意執行者ディードパニッシャー』とは『世界』から特別な『加護ライセンス』を与えられ、普通の生物よりも優遇された存在だ。


 そして彼女の持つ『加護ライセンス』とは、おそらく『願えば叶うという魔法』。



 弥堂 優輝という矮小な存在よりも、水無瀬 愛苗はずっと格上の存在で、当然この『世界』ではそんな彼女の方が優先される。



 つまり、彼女に願われてしまったら、魔法を向けられてしまったら、自分のようなゴミクズには抗う術などないということだ。



 弥堂は右腕を振って袖を握る水無瀬の手を振り払った。



「あっ――」



 そのことにより、水無瀬の眉尻がまた悲し気に下がりそうになって止まる。



 彼女はぱちぱちとまばたきをする。



 そんな彼女の視線を向ける先は弁当袋を持つ自分の手――弥堂の右手に握られた自身の左手だった。



 それを見つめて不思議そうに首をコテンと傾ける。



「袖を持たれていると歩きづらい。行くぞ」


「――あっ……! うんっ!」



 パァっとお顔を輝かせて水無瀬はギュッと手を握り返してくる。


 そして歩き出した弥堂にワンテンポ遅れて横に並ぶ。



「えへへ」


「……おい、弁当が腿に当たって痛ぇだろ。もういい、寄こせ」


「あ……、うんっ、ありがとうっ」


「………」



 ルンルンで握った手を振り回す彼女を迷惑そうに見て弁当袋を二つとも取り上げる。


 するとすぐに彼女はまた手を振り始める。



 それを止めてほしかったのだが、弥堂はもう面倒になり好きにさせることにした。



 擦れ違った通りすがりの生徒さんが二人の姿を見てギョッとする。


 キャスティングによってはほのぼのとするような光景だったのかもしれないが、生憎と弥堂と水無瀬の組み合わせは絶望的に犯罪的な絵面に見えてしまったようだ。



「ねぇねぇ弥堂くんっ。ピクニックするの?」


「なんでだよ。仕事だって言っただろうが」


「あ、そっか。えへへ、忘れちゃってたよ」


「……お前が飯食う時間がなくなるから手早く済ませる。だから邪魔をするなよ」


「うんっ! 私もお手伝いするね?」


「……頼むから何もするな。大人しくしてくれてるだけでいい」


「そお? お手伝い欲しくなったら言ってね? 私いっぱいがんばるから!」


「……キミは素晴らしいな」



 弥堂は色々と諦めた。



 今彼女に弁当を食えと言われたら断れるだろうかと気が重くなる。


 もう別に構わないじゃないかと、その結果どういうことになってももうどうでもいい、そんな気分になる。



 投げやりになる虚弱な意思をギリギリのところで繋ぎながら、いつもよりもずっと遅い歩調で校舎の外れの方へと進む。



 自分よりもずっと背の小さな少女と手を繋ぎながら、普通の者たちがあまり通らない不良たちの溜まり場になっているようなエリアへと連れ込んでいった。



 今日は彼女を甘やかす日だ。



 自分で口してしまったのだから仕方がない。



 そうやって理由を造った。



 結局、約束とは必ず守るものでも、必ず破るものでもなく、守るか破るかはその時々の自分の都合だ。

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