1章53 『Water finds its worst level』 ⑭


 画面の中で暴れる男の無法っぷりにワナワナと身が震え、お口の端がヒクヒクと引き攣る。



 彼の所業は希咲の目の前で行われている出来事ではなく、あくまでスマホの画面に映し出される映像だ。


 しかし、これはエンタメコンテンツなどではなく、恐ろしいことに希咲自身も通っている学園の教室内で現実に行われている事案なのだ。



 ヤツの所業とは手近な女の子にセクハラをし、そしてそれを見ていた他の女の子にその感想を述べさせる。そういった行いだ。



 見た目が派手でモテ力の高いギャル系JKと周囲から思われている希咲とはいえ、所詮は10代そこそこの小娘に過ぎない。


 そんな幼気な女子高生には到底理解の出来るような凡百の性癖ではなく、あまりに業が深すぎた。



 ヤツが実際何をしているのかは頭がおかしすぎて理解出来ないが、しかし何のつもりなのかは察してしまう。



 思い出されるのは希咲が旅行に出かける前の最後に登校をした先週の金曜日。


 その放課後。



 美景台学園の正門前で彼とちょっとした口論になった際に、あの男は突然通りすがりの女子高生たちのおパンツを手当たり次第にリスペクトしだしたのだ。



 今思い出してもあの出来事は一体何だったのかまるで理解が出来ないし、理解したくもないが、しかしあの行動に関してもヤツが何のつもりであんなことをしでかしたのかは希咲にもわかる。



 自分への嫌がらせだ。



 会話で相手を説得できずに自分の思い通りにならないと、あの男はこうしてこちらの社会性を勝手に担保に入れてチキンレースを仕掛けてくるのだ。


 今回のこともそれに違いない。



 先程まで希咲に対して執拗に「セクハラをさせろ」と強要してきて、それを頑なに断った結果がこれだ。



 そこまで考えて希咲は徐におでこを押さえる。



(な、なんなのよ……。セクハラさせろとか、させないとか……。クラスメイト同士の会話じゃないでしょ……っ!)



 自分の貴重な青春時代の一幕がそんな出来事で汚されたことに激しい憤りを感じる。


 しかし今はそれを考えている場合ではないし、感情的になってはあの犯罪者の思うつぼだ。



 ヤツの狙いは明確だ。



――自分へのセクハラだ。



 そこまで考えて七海ちゃんはゾワっと背筋に悪寒が奔り、ブワッと二の腕に鳥肌がたつ。



 今まで男性からも男の子からも、少なからずそういった種類の目を向けられたと自覚した経験があるが、こうまでに正面きって性的な交渉を仕掛けてくるような馬鹿は流石に初めてだった。



(うぅ……、キモいよぅ……)



 しかしここで挫けるわけにはいかない。



 この男がこうまで『セクハラをしてもいいか』と許可を求めてくるのは、最終的に同意があったからと無実を主張するためだ。


 なんて卑劣な男なんだろうか。絶対にこんな男に屈するわけにはいかない。



 おまけにだ。



 この男はこんな要求をしてくるくせに自分のことを好きでもなんでもないのだ。



 好きな子が相手だからそういう興味を持っちゃったり、そういう目で見ちゃったりするのは、ちょっとだけなら仕方ないことだ。


 しかし、このクズは好きでもなければそういう興味関心もないくせに、まるでどうでもいい作業を熟すだけのように『セクハラをさせろ』と事務的に言ってくるのだ。


 なんて最低な男なんだろうか。絶対にこんな屈辱は許すわけにはいかない。


 このような狼藉は乙女的に看過することは出来ないのだ。



 現在あの男は希咲がセクハラ許可を出さなかったために、他の女の子たちを人質にしてこちらへプレッシャーをかけてきている。


 これはどう考えても脅迫であり、ヤツの得意なことだ。



 断固として抵抗し、そして対抗しなければならない。



(…………えっ? これどうすればいいの……⁉)



 しかし対抗策は浮かばなかった。



 あの頭のおかしい男は希咲が首を縦に振って身体を差し出すまでは絶対に止まらず、徹底的にやり通すだろう。


 というか、白プリンがどうのとか最早セクハラなのかどうかもよくわからくなってきたが、なんかキモかったので絶対にやめさせる必要がある。



 だが、現在の希咲は2年B組の教室から遠く離れた無人島に居る。


 先週のように最終手段でぶっとばしてしまうことも今日は出来ない。



 現在の希咲に出来得ることであの男を止めるには――



(――セクハラオッケーしろってこと⁉ ジョーダンじゃないわ……っ!)



 絶体絶命っぽいピンチに七海ちゃんは頭を抱えてしまった。



 そうしている間にも変質者は行為を続けている。



「おい早乙女。お前ちょっとおパンツを見せてみろ」


「普通にイヤなんだよっ⁉」


「そうか。で、どうだ?」


「どうもこうも普通にクソだと思います!」


「なるほどな。ところで日下部さん、キミは?」


「絶対に見せませんけど⁉」


「そうだろうな。で、どうだ?」


「普通に最低だと思います! てゆーか、なんなのこれ⁉」


「マホマホ、これはきっと大喜利なんだよ。弥堂くんが満足するような面白い返しが出来るまでののか達解放されねーんだよ」


「えぇ……、私お笑いは観る専なんだけどなぁ……」



 被害は拡大していた。


 水無瀬のスマホのマイクを通った少女たちの悲痛な声だけが、希咲のスマホのスピーカーからこちらへ逃げてくる。だが彼女たちの身は悪質な変態に囚われたままだ。



「困ったわね。次はきっと私たちの番よ楓。どちらがより面白いことを言えるか勝負ね」


「……え? あ、うん。そうだね……?」


「……楓? アナタまたスマホなんか見て何を……、自撮りモード……? アナタ今前髪直してたでしょ? 心なしかソワソワして。もしかして楽しみにしているの?」


「そんなことないよ」



 いつも冷静な舞鶴さんや野崎さんからも不安と怯えが吐露されている。


 希咲の焦りは加速していく。これ以上は見過ごせないと判断した。



『ちょっと弥堂っ! やめなさいよ!』


「あら、どうやら私たちには回ってこないようね……、楓? アナタ残念そうにしてない?」

「し、してないよ?」


「顔。すっごいガーンってなってるわよ。そんなに大喜利したかったの?」

「あ、あははー」



 咄嗟に友人たちを庇って希咲が前に出るとそんな安堵の笑い声が聴こえる。


 これから自分はセクハラされてしまうかもしれないが彼女たちだけでもどうか無事に逃げてと、悲壮な覚悟をもって変態に立ち向かう。



 ちなみに彼女はもうテンパっていて、わけがわからなくなってきていた。



『いい加減にしなさいよ! この無差別セクハラやろーっ!』


「差別が無いのならいいんじゃないのか? 差別があると先週のように変態どもが暴れ出すからな」


『今ここで暴れてる変態がなに言ってんのよ!』


「ここ? こことは俺たちが居るこの教室のことか? それともお前が居る場所のことか?」


『うるさーーいっ! ヘリクツで誤魔化そうとしたってダメなんだからっ!』



 希咲は威勢よく変態を怒鳴りつける。


 今話に出た先週の変態たちとの一件で、どんなにわけがわからなくても勢いだけは負けてはいけないと学んだからだ。



『あんたガチでサイテーっ! あたしに断られたからって他の子に手当たり次第とか……っ! このヒキョーものっ!』


「おお。七海ちゃんがジェラってるよマホマホ」

「いや、今回はちょっと無理があるでしょ」


「えー? 修羅場じゃないのー?」

「余計なこと言うとまたセクハラされるよ」


「直で触られたりしなきゃもういっかなー? ののかなんか慣れてきちったよ」

「……どうかと思うわよ? 私普通にイヤだし……」


『二人とも! ここはあたしに任せて早く逃げて……っ!』


「えっ? あ……、おぉ……?」

「あれ……? なんかこっちもちょっとおかしくなってない……?」



 助けた友人たちに応援され希咲は不退転の闘志を燃やす。



『他の子たちまで巻き込むんじゃないわよ!』


「そう言われてもな。お前がやらせてくれないんなら他の女で済ますしかないだろ」


『……そういう意味じゃないのはわかってるけど、どんな意味で言っててもサイテーのセリフね!』



 何をしてもクズムーブにしかならないナチュラルボーン・クズに強い軽蔑の視線を向ける。



「じゃあ、なんだ? ようやくセクハラに応じる気になったのか?」


『なるわけねーだろボケ! あんたね! 他の人を狙ってあたしを脅迫してくるとかマジないんだけど!』


「なんのことだ」


『惚けんな! そんなんで騙されるわけないし!』


「だが、そうだな。いいことを聞いた。他の女を狙うとお前は困るんだな?」


『えっ』


「おい、水無瀬」



 弥堂は希咲の映るスマホから視点を上に移動し、そのスマホを持つ水無瀬に眼を向ける。



「なぁに? 弥堂くん」


「頼みがあるんだが、セクハラをさせてくれないか?」


『び、弥堂っ……やめて……っ!』



 猛った男の性の銃口が水無瀬へ向けられ希咲は焦る。


 そんな彼女とは裏腹に水無瀬さんはコテンと首を傾げた。



『ま、愛苗っ、ダメよ……! そんなのさせちゃダメ……っ!』



 急いで彼女を止めるため叫びをあげる。


 ぽやぽやした女の子である愛苗ちゃんなら、男の子に言われるがまま何でも許してしまうかもしれないと危惧したのだ。



 だが――



「――ダメだよ?」


『えっ?』



 意外にも水無瀬さんはきっぱりとお断りをした。


 思わず希咲の口から驚きの声が漏れる。



「いいじゃないか。ちょっとだけだ」


「でもでもっ、弥堂くん。セクハラはいけないことだからダメなんだよ?」


『きゃーっ! 愛苗かっこいー! やっちゃえ! そんな変態やっつけちゃえ!』


「やっつけないよぅ」



 自身の大好きな親友が見せた毅然とした態度にテンションが上がり、希咲から思わず黄色い声があがる。



「そうか。それなら仕方ないな」


「ごめんね?」


『もう諦めることね! 悪あがきしたってムダなんだから!』


「ところで、水無瀬。胸を触らせてくれないか?」



 一旦は諦めたような仕草を見せた弥堂だったが、当たり前のことのようにとんでもない要求をした。



『はぁっ⁉ あんたまだ言ってんの⁉ キモすぎ! 愛苗っ! 言ってやって!』


「あ、うん。弥堂くん、お胸さわりたいの?」


「あぁ、そうだ」


「わかったぁ、いいよー? はいっ」


『えぇっ⁉⁉』



 つい一つ前のやりとりは一体何だったのか。


 そんなまさかの快諾に希咲は驚愕の叫びをあげる。そんな彼女に周囲の者たちも声をハモらせた。



『ま、愛苗っ! なに言ってんの⁉ そんなのダメよ!』


「でも……、弥堂くんがさわりたいって言ってるし……、いいかなって……」


『よくないわよ!』


「え? そうなの?」


『ダメに決まってんじゃない!』


「でもでもっ、セクハラじゃないし。お胸くらいならいいかなって……」


『どういうことぉっ⁉』



 価値観と性知識についての親友との認知の乖離に希咲は混乱する。



 そしてそれ以上に男子たちはザワめいた。



『お胸くらいなら』



 彼女は確かにそう言った。


 もしかしたら、お願いすれば自分にもワンチャンあるのではと、そんな希望を持ってしまった。



『愛苗っ! おばか! 胸触ったらセクハラになるの!』


「えぇっ⁉ そ、そうだったんだ……」


『とにかくダメだから!』


「で、でも一回いいよーって言っちゃったし……。次からでもいい? 今からダメって言ったら弥堂くんがカワイソウだし……」


『ダメに決まってんでしょ! そいつみたいなの甘やかしたらダメ! 際限なくつけあがるに決まってんだからっ!』


「おい。本人がいいと言ってるんだ。お前はすっこんでろ」


『うっさい! オマエがすっこめ! 絶対に愛苗にそんなことさせないんだから!』



 ここぞとばかりに前に出てくる変質者を怒鳴りつけて追い払おうとする。


 しかし不運なことに彼女はこの場には居ない。いくら声を張り上げてもそんな制止には何の実効力もないのだ。



「ふん、させないだと? 一体どうやって止めるつもりだ。お前はそこでぜいぜい指を咥えて見ているがいい」


『くっ……、そんな……っ! やめて……! やめなさい弥堂っ……!』


「ねぇ、マホマホ。この人たち実は遊んでるよね」

「雰囲気に流されてるよね」



 奮闘虚しく魔王には敵わなかった勇者と、その勇者の目の前で村人を殺害しようとしている魔王のようなムーブをする二人に、周囲の人たちは意外と冷静だった。



『――にげてっ! 逃げるのよ愛苗っ!』


「え? どこに?」



 打つ手のなくなった希咲は親友へ逃走を促す。


 しかし危機感をまったく持っていない水無瀬さんは呑気に首を傾げた。



『どこでもいいわ! そのバカの手の届かないところに……!』


「えっと、でもでも、私が逃げちゃうと――」


『――いいから早くっ! 手遅れになる前に!』


「え? えっ……?」



 七海ちゃんが映っているスマホを持っている自分が逃げちゃうと、七海ちゃんと弥堂くんがお話出来なくなってしまうため、どうしたものかと困ってしまった愛苗ちゃんはオロオロする。


 その様子にこれでは間に合わないと希咲は焦りを浮かべた。



『弥堂……っ! あんたなんだってこんなヒドイことするのよ……!』


「その質問にはもう何度も答えたはずだがな」


『あんたは……っ! 心が痛まないの⁉ こんなこと……! あんたはなんで……っ!』


「生憎俺はメンタルで仕事はしない。必要なことをするだけだ」


『なにが必要だっていうの! セクハラで何が変わるっていうのよ!』


「変わるか変わらないか。それを確かめようと言っているんだ」


『そんなの間違ってる……! セクハラじゃ誰も救えないわ……っ!』



 まるで宿命のライバル同士の決着前のようなテンションで言いあう二人の会話に、周囲の人々は「この人たち真顔で何言ってるんだろ」と当たり前の感想を持ったが、雰囲気的に誰も言い出せなかった。



「何もしないでいれば誰が救われるわけでもないだろう。やれることは全てやるべきだ」


『そう……かも、しんないけど……! でも、セクハラだなんて……!』


「だが、明確にセクハラによって状況が変わった。その事実は否定できない」


『それは、なんかの間違いかもしんないじゃん! セクハラでなんて、そんなのありえない!』


「そのありえないことが既に他にいくつも起きているのが現状だ。そんな時に試しもしないで『ありえない』などと可能性を断じることは出来ない」


『そ、そんなのヘリクツよ!』


「なら、正しい理屈を聞かせてくれ」


『え?』



 一際鋭さを増した弥堂の視線に希咲は僅かに怯む。



「状況が大きく改善された時は二回。その共通点はお前との電話とセクハラの二つだ。お前の方には何かをした覚えも、こうなった心当たりもないと言ったな? だったら残った物が真実だ。違うのか?」


『そ、そんなの……、理屈じゃそうかもしんないけど……、でも――』



 しどろもどろになりながら反論をしようとして、その途中で希咲はハッとなる。



 この瞬間に気が付いた。



 自分が酷く思い違いをしていたことに。



『あ、あんた……、まさか……っ』


「あ?」



 不快そうに眉をしかめる画面の中の男に希咲は恐れを感じる。



 自分にセクハラを了承させる為に周りの人たちを狙っているのだと思っていた。


 そういう脅迫だと思っていた。


 しかし、それは大きな勘違いだった。



「おい、どうした? なにか反論があるんじゃないのか?」


『う……、えっと……』


「セクハラが原因でないというのなら、お前には他に心当たりがあるんじゃないのか? 俺を納得させたければ他の可能性を提示しその根拠を示せ」


『あ、あんた……、やっぱり……』



 やっぱりそうだ。間違いない。


 そう確信を得る。



 この男はセクハラを要求するフリをして、こちらの情報を引き出そうとしている。


 これはそういう脅迫だったのだ。



 そう気付いて希咲は焦る。



 どうすることも出来ないからだ。



 事前に望莱から今回の件について色々と聞かされていた希咲には、心当たりが全く何も無いわけではない。


 それは真相に迫るほどの核心的なものではないが、少なくともセクハラによってどうこうなるようなものではないということだけは確信している。


 しかし、それを弥堂に説明することは出来ない。



 そうすることで自分や幼馴染たちの情報を明かすことに繋がるからだ。



 弥堂の素性がわからない内に今この場で先んじてその情報を渡す決断は下せない。それも自分の一存で、というのは尚更無理だ。



 だが、セクハラで解決することはないとわかっているのに、セクハラをさせろという彼からの要求を呑むだなんてバカげたこともまた絶対に出来ない。する意味がない。



 セクハラでの解決を否定するために心当たりだけを伝えたところで彼は絶対に納得をしないだろう。


 その心当たりを何故知っているのか、何故そんなことがありえるのかということを説明するには必ずこちらの素性が必要になる。


 つまりそれを言わない以上は彼を退かせることは絶対に不可能だということだ。



 それに気付き、希咲は先ほどまでとは別種の鳥肌がたつ。



 またバカなヤツがバカなことを言い出したと思っていた。


 しかし、それは完全に彼を甘く見ていた。



 この手口、この悪辣さ。


 こういったことにかけては一級品だと知っていたはずだ。



 希咲は唇を噛む。


 これは自分のミスで、完全にやりこめられる一歩手前だと認めた。



「どうした? 何を黙っている?」


『……ずるいっ!』


「あ?」



 最早そんな負け惜しみしか出てこなかった。



『あ?っつーな! ヒキョーもの!』


「なにがずるいってんだ」


『ずるいじゃん! こっちばっか言わせようとして!』


「なんのことだ」


『なによ! あんたから言えばいいじゃん!』


「なに言ってんだお前?」



 余裕たっぷりに惚けるその態度も気に食わない。


 だが、やはりもうどうすることもできない。



 セクハラでみんなの記憶が戻る。


 こちらの持つ知識と同じものが弥堂になければ、恐らく可能性の一つとしてはそれもありえると彼は考えているはずだ。


 だとすれば、このまま放っておけば彼はそれを満足するまで試すだろう。



 それを止めるためにはより真相に近いこちらの情報を渡す必要がある。


 だが、ここまで追い詰められたとしてもそれもやはり出来ない。



 この場でそれを言ってしまうことで、彼らの人生を滅茶苦茶にしてしまうほどの迷惑をかけることになってしまうかもしれない。


 幼馴染たちの実家の事情に弥堂を巻き込んでしまうことにも躊躇いがあるが、何よりこの場には彼女も居る。


 普通の女の子である水無瀬を自分たちの事情に巻き込んでしまうことは絶対に出来ない。



 だから、絶対にこちらの秘密を明かすことは出来ないのだ。



 だが、そうするともう打つ手が――



「――ななみちゃん……?」


『えっ?』



 心配そうに呼びかける水無瀬の声で、自分が思考の沼に落ちて黙り込んでしまっていたことに気が付く。



 画面に目を向けると、聴こえた声のとおりに心配そうに彼女がふにゃっと眉を下げた。



「ななみちゃんかなしーの……?」


『…………んーん。だいじょぶよ……』



 奇しくもそれだけのことで覚悟が決まる。



 悩むまでもないことだと一瞬で気付き切り替わった。



 この場において彼女よりも大事で優先させるものなどないのだ。



 そして今一番つらいのは、こんなわけのわからない現象の中心になってしまい、傷ついている彼女なのだ。



 そんな簡単で当たり前のことすら頭から飛んで行ってしまうほどに自分が追い詰められていたことに気付き、呆れたように自嘲の笑みを浮かべる。



 そして――



(しっかりしろ、七海っ!)



 だとすれば、打つ手はある。


 冷静になれば簡単なことだった。



『――愛苗? あのバカにスマホ向けてくれる?』


「え? うん。いいよー」



 言われるがまま素直にやってくれる彼女の顔が画面から消える瞬間、希咲は寂しげに微笑む。


 そして彼女と代わって画面に嫌いな仏頂面が現れる頃にはもう迷いのない強い意思を瞳にこめていた。



『――弥堂っ』


「なんだ」



 こんなことには負けないという強い闘志で無感情な渇いた瞳を睨みつける。



 そして希咲は決定的な言葉を口にする。



『――こいっ……!』


「あ?」



 一回で伝わらないことに怒りを燃やしながら再度クズ男に挑戦的な目を向ける。



『よしこいっ!』


「……は?」


『やりたいんならセクハラでもなんでもすればいいじゃん!』


「…………」


『よしこい!』



 まさかのセクハラオッケーに周囲がドン引きする。



 彼女はまったく冷静などではなかった。

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