1章53 『Water finds its worst level』 ①
人間の記憶は曖昧だ。
記憶に記録されている物事を覚えていたり、思い出したり――
その作業の正確さは認知能力の性能に左右され、年月で劣化もする。仮にその能力に優れていたりしても、その時々のコンディションで“うっかり”忘れてしまうこともある。
だが、機械はそうではない。
データの記録端末ならば、記録されていさえすれば必ずそれを閲覧できる。
壊れでもしてしまえばそれが不可能になるのは人間も機械も変わらないが、そうでないのなら機械には“うっかり”がない。
それは記録する者と閲覧する者が別だからだ。
人間は他人の記憶を閲覧したり、させたりすることは出来ないが、機械は記録をするだけでそれを自身で閲覧することはない。
そこに曖昧で不完全で邪魔な人格が存在しない。
自我が無ければ認知が歪むことはないので、そこに“うっかり”も“つい”も“なんとなく”も存在せず、只正確に『それ』は『それ』だ。
だから彼女たちの前に、早乙女の端末に保存された『憶えのないはずのもの』を突き付けてやれば、その歪んだ認知に変化が見られるのではと考えたのだ。
しかし、その保存されているはずの動画が存在しないと、早乙女 ののかは言った。
「どういうことだ?」
「ん~、それっぽい動画ないみたいなんだよね」
眼を細めて露骨に訝しむ弥堂に早乙女はあっけらかんと答える。
その姿には何かを隠し立てるような後ろめたさや、傲慢めいた欺瞞もない。
それも当然で、彼女は嘘を吐いているのではなく、ただそうだと思っているからだ。
偽っているのではなく、誤っている。
だから、その誤り――そうだという思い込みを破壊する為に物的な証拠を見せようと仕向けたのだ。
だが、弥堂のその思惑通りに事は運ばないようである。
「そんなわけがないだろう。よく見たのか?」
「えー? 見たぞー? 弥堂くんを撮った動画なんてなかったよー」
「もう一度探せ。必ずあるはずだ」
「えぇ……? そんなこと言われてもなぁ……」
「ちょっとこっちへ来い」
「え? うん」
スマホを覗き込みながら困った顔をする彼女に焦れた弥堂は尊大な態度で命じる。
そして何の警戒もなくノコノコと近寄ってきた彼女の腰へ手を回しグイっと引き寄せると、逃げられないように腕の中に閉じ込めた。
「――へ?」
「見せてみろ。俺も確認する」
「ちょ、ちょちょちょちょ……っ⁉」
「早く出せ。グズグズするな」
「あ、あの、あのっ、弥堂くんっ⁉」
「うるさい。さっさと言われたとおりにしろ」
「は、はわぁー」
ちょっとでも思い通りにならないとすぐにイラつき始めるメンヘラ男にオラつかれて早乙女は目を回す。
そこへ日下部さんも近付いてきた。
「弥堂君、弥堂君。離してあげた方が早く進むと思うよ?」
「日下部さん。何故だ?」
「その子普段から変なことばっか言ってイキってるけど、実際全然免疫ないからテンパっちゃってるの」
「免疫? なんの話だ」
「それそれ。手」
日下部さんに指摘され、早乙女の腰をガッシリ掴んだ自身の手を見る。
「これがなんだ?」
「な、なるほど……、意外と無自覚なのね……?」
戦慄する日下部さんに訝し気な眼を向けていると、腕の中の自称ロリ系JKがイキリ始めた。
「は、はぁー? ののののののののかはこれくらい全然ヨユーだけど?」
「“の”が大分多い。自分の名前も言えてないから。アンタまた調子乗ると後悔するわよ? こないだパンツ見られたことも後になってからめっちゃヘコ――」
「――ふわぁーーっ⁉ それ言っちゃうのぉっ⁉」
「え? なんかダメだった……? ご、ごめん……」
「王道ロリ営業に失敗したののかはもうロリビッチJKとして生きてくしかないんだよ……、もう後がないんだよ……っ!」
「い、いや、なんかやたらと犯罪性の高い生き物になってるけど……、やめといた方がいいんじゃ……?」
耳元でピーピーと喚く不快な女の声に顔を顰めた弥堂が不毛な話に介入する。
「よくわからんが、このままでいると困るということだな?」
「うん。そうそう。この子困っちゃってるの」
「べべべべべつにぃっ? でも七海ちゃんに誤解されると弥堂くんは困っちゃうと思うから、もうやめといた方がいいんだよ?」
「そうか。じゃあ解放されたくばさっさと俺の言う通りに動け。お前が従うまで俺は絶対に離さんぞ。授業が始まろうともな」
「「脅迫されたー⁉」」
恐れ慄く二人を無視して、早乙女のスマホを奪い取る。
「おら、さっさとしないと好き勝手に弄るぞ。一回千円で売春を持ちかけるメッセージをお前のフォロワーの男全員に一斉送信されたいか?」
「はわわわっ……、それはロリビッチにもほどがあるんだよ⁉ てゆーか、せめて5桁は請求して欲しいんだよ!」
「拒否するとこそこじゃないでしょ……」
弥堂の手ごと掴んで慌ててスマホを操作し始める早乙女に日下部さんが呆れる。
彼女のそんな視線を尻目に弥堂は早乙女と一緒に彼女のスマホを覗き込んだ。
「こ、これがギャラリー一覧ですっ!」
「……随分多いな」
画面に表示されたサムネイルの多さに眉を顰めていると、空いているスペースから日下部さんもヒョコっと顔を覗かせてきた。
左腕で早乙女の腰を抱き、右手で膝の上の水無瀬の後頭部を抱き、正面にはおでことおでこが触れそうな距離の日下部さん。
ハーレム王である
「この子さ、しょっちゅう色んなもの撮ったり落としたりしてくるくせに見なくなったやつ消さないからさ。いっつも容量パンパンでゴチャゴチャなのよ」
「……そうか」
あまり何を言っているのか理解できなかったが、とりあえず弥堂はわかったふりをした。
「これだけあるなら見落としたんじゃないのか?」
「うーん、でも日付順に並べてるからなー? 4月20日はなんにもないし……」
「やっぱり弥堂君の勘違いとかじゃ……?」
「そんなはずは……」
小さな画面を睨みつけ、眼に映るものを片っ端から記憶に突っ込んで該当の動画を探すがそれらしきサムネイルは見当たらない。
「お前、この小さな画像偽装してないだろうな?」
「サムネのこと? なんのためにののかそんなことするの?」
「本当だろうな? 嘘だったら死にたくなるほどの……、これはなんだ?」
慣れた舌の動きで滑らかに脅迫の文言を口にしかけて、その途中で一つのサムネイルに気が付いた。
「え? ののか的には『死にたくなるほどの』の後がすんごい気になるんだけど……⁉」
「うるさい黙れ。いいから答えろ。これだ」
「どれどれー?」
弥堂の指差す先を覗き込んだ早乙女の目に写ったのは、薄いピンクで塗り潰されたサムネイル。
動画内の一場面を切り取ったものが多い他のサムネイルと比べると文字通り異色な画像だった。
「これだけ他のと少し違うだろ。これはなんだ?」
「あ、ホントだ。自分で撮影した感? ちょっとクオリティが低いっていうか、他と違うね」
「でも色かわいーよ?」
「あー、これ? これかー。いやー、見つかっちゃったかー」
マジマジと見る弥堂と日下部さんの二人と、ちゃっかり覗き込んで感想を述べる水無瀬さんに、早乙女はムフフと意味深な笑いを浮かべる。
「貴様。やはり隠してたか。さっさと出せ」
「え? ホントにあったの? ていうか、見てみればわかるか。ちょっと再生してよ、ののか」
「えー? ホントにー? いいのかなー? マホマホー」
「なんで私……?」
ニマニマといやらしい笑みを浮かべる早乙女を日下部さんは眉を寄せて訝しんだ。
「いいかー、マホマホー? よく思い出せー? この色に見覚えねーかー?」
「はぁ? そんなこと言われても……」
「もういい。他を探せ」
脱線のニオイを敏感に感じ取った弥堂は先を促すが、二人には無視された。
「このピンクかわいーね?」
「…………」
「――ぅぎゅぅっ」
気を遣ったわけではないだろうが、ニコッと微笑みかけてくる水無瀬さんをまたも胸板に押し付けて黙らせる。当然八つ当たりだ。
すると、キャイキャイと言いあっていた女子たちが弥堂に話しかける。
「――ムフフー。弥堂くん、よく聞けー? なんとこれは、マホマホのパンツなのだー」
「はぁ? またウソばっか。そんなのアンタに動画撮らせたことないし」
「ホントかなー? よーく思い出すんだよ、マホマホ。最近その色の時になにかなかったかー? ヒント、昼休みのトイレ」
「え……? 昼休みの……、トイレ…………っ⁉ ぴんくっ!」
何かに思い至ったのか日下部さんの眉が突如吊り上がる。
「アンタそれ! なんでっ!」
「聞いて聞いて弥堂くんっ。マホマホったらこないだねー――」
「……キミの言う通りだ」
女が『聞いて聞いて』などと言ってくる時は大抵下らない無駄話なので、弥堂は素早く白目になって可能な限り知能を下げた。
「――ちょっと! やめてよ!」
「昼休みに連れションしたんだけど、ののか先に終わって待ってたら個室から出てきたマホマホを見てビックリ! なにがあったか聞きたい聞きたいー?」
「そうだな」
「マホマホったらパンツ上げる時にスカート巻き込んじゃったみたいでさー。スカートの後ろの裾がパンツにインしちゃってお尻丸出しだったんだよー! どう? 得したでしょ? ののかエライ?」
「きゃーーっ! 言うなバカーーっ!」
「キミは素晴らしいな」
余程に知られたくなかったのか、珍しく日下部さんが声を荒げる。
「ていうかアンタあれ撮ってたの⁉」
「当たり前なんだよ! あんな絵に描いたようなパンチラ逃すわけがないんだよ!」
「アンタはぁーーっ!」
ついに二人は揉み合いを始めた。
早乙女のスマホを奪い取ろうとした日下部さんに勢いあまって頭突きを食らわされたことにより、弥堂の黒目が戻る。
「おい、二人ともいい加減にしろ」
「ささっ、弥堂くんご査収ください! このサムネをポチッと!」
「マジでやめてーーっ⁉」
「…………」
言葉での説得を早々に諦めた弥堂は早乙女の手からガッとスマホを奪い取って、スッと日下部さんに差し出す。
「――はい削除っと……」
「あぁーーっ⁉」
お宝映像が無慈悲にポチッと消されて早乙女が頭を抱える。
「えっと、ありがとう……?」
「気にするな」
「あ、あと、出来れば忘れてくれると……」
「俺は見たものは忘れられないんだが、見ていないものはそもそも覚えられない。なんの話かわからないな」
「ふふっ、ありがとう」
「弥堂くんはたまにはののかの好感度を上げることも視野に入れるべきでは? ちゃんと平等に攻略して欲しいんだよっ」
「簡単に“なかったこと”に出来るそんなものに価値は感じないな」
日下部さんにクールに肩を竦めてみせた後に、早乙女へ侮蔑の視線を投げかけ、ようやく軌道を修正する。
「さて、該当の動画を探せ」
「って言われてもないものはないんだよ?」
「……全部再生してチェックするしかないのか」
「いや、だから言ったじゃん。日付順に並んでるんだから19日と21日の間になければないんだよ」
「ふむ」
それは確かにそうだなと思考を回す。
人間と違って機械なら自分の自我で自分の記憶を改竄することが出来ないと考えたが、思惑は外れた。
早乙女の言うとおり、この一覧になければその動画はないのだろう。
先程、機械も人間も壊れていなければ記憶は消えないと考えた。
だが、機械に限り任意の記憶を失うことはある。
それは他の自我によって記憶を消された時だ。
「……お前、動画を消したりしていないだろうな?」
「消してないぞー? ののかいっつもデータがパンパンになるまで整理しないんだけど、最近は何故か少し余裕あったから消してないよ」
その言葉を信じていいものか少し考え、すぐに嘘ではないと判断を下す。
後ろめたいことを隠し立てするなら嘘も吐くだろうが、現在の彼女はそんな動画は存在しないと認識している。だから本当にそう思っているんだろう。
その動画が存在しない理由はわからないが、それは一旦置いておいて先に他の確認方法を試すことにした。
「このスマホに動画がないのはわかった。だが、キミは希咲に送っただろ? それならその記録が残っているはずだ」
「だろ? って言われても覚えがないけど……、でも七海ちゃんと連絡するのはedgeだね」
「ならチャットの履歴を見てみろ」
「う~ん……、ないと思うけどなぁ……」
渋々と早乙女はedgeを起動させる。
この頃には彼女も言いがかりをつけられているように感じてきたのか、表情に陰りが見え始めた。
「……やっぱりないよー?」
「見せてみろ」
「わっ⁉ もう……、女の子同士のメッセを見るなんてホントはダメなんだぞー?」
強引な弥堂の行動にさすがの彼女も眉を顰める。
「見ていいのは該当の日だけなー? 何日だっけ?」
「21日の午前中、昼の少し前だ」
「……はいっ。こっから下は見ちゃダメだぞー?」
該当箇所まで画面をスクロールさせた早乙女の指す箇所を視る。
「……ない、だと……?」
「な? だからののか言ったじゃーん?」
しかし、やはり期待していたものは見つからない。
細かいメッセージのやりとりがあるだけで、アップロードされた動画のリンクは見当たらない。
「……他の手段で送った可能性はないか? メールなどだ」
「ののかメール使ってないしー」
「そんなはずが……、ん? これは……」
ぞんざいになってきた早乙女の受け答えを聞き流しながらチャット履歴を視ていると、一つのやり取りに眼が留まる。
『七海ちゃんみてみてー!』
早乙女が希咲へ送ったメッセージだ。
このメッセージに対して希咲はスタンプ一つで返事をしている。
一見すると別に何の問題もないやりとり。
しかし、先程動画リンクを見つけることに注視していた時には気付かなかったが、これは少しおかしいと弥堂は眼を細める。
早乙女のメッセージは文章だけだ。
『みてみてー!』の後には特に何も画像も動画もなく、何を見てもらいたいのかがわからないし、この後のやりとりにも特にそれに対する言及はない。
もう一つの違和感は希咲の返信だ。
彼女が送ったのはスタンプ一つだけ。『シャー』と怒っているネコさんスタンプだ。
別にこれだけでやりとりが完結しているように見えなくもないが、弥堂が注目したのは希咲が返信をした時間だ。
早乙女が『みてみてー!』と送ってから返信するまでに大分時間が経っている。
これまで弥堂が何度か希咲とメッセージの交換をした経験上、彼女の返信速度は他に類を見ないほどに速い。
メッセージを送ってから1時間後くらいにスタンプ一つだけ送って済ませるのは少々彼女らしくないと感じた。
通常なら授業に出ている時間に受け取ったメッセージに返信するのが遅れるというのはありえる。
だが、彼女は現在学校を休んで旅行に行っており、通常よりはスマホを自由に見ることが出来るはずだ。
それに、この会話の自然な流れとしては、『みてみてー!』に対して、『なにを?』と返すのが普通だろう。それを聞かずにスタンプで怒りだけを表現しているのは、既に早乙女から“なにか”を見せられていて、そしてそれに怒りを感じたというわけだ。
そして、決定的なのは早乙女がメッセージを送った時間。
3限目が終わった後の休み時間だ。
これはおそらく、元々は早乙女のメッセージと希咲のスタンプとの間に、動画のリンクがあった。
そういうことだろう。
(だが――)
少し考え早乙女へ視線を向ける。
「……ちなみにメッセージを削除した記憶は?」
「そんなのないんだよー」
「だろうな」
予想通りの答えに用意していた返答を返した。
(だが、そんなことがありえるのか)
もしも彼女がその手で履歴を削除したのでないのなら。
人間の記憶は曖昧で認知がずれれば記憶しているはずのことが思い出せなくなり、無かったこととなる。
(それと同じことが機械にも言えるのか……?)
端末内に保存された動画のデータが勝手に消えて、サーバー内に保存されたメッセージ履歴が勝手に消える。
そんなことがありえるのかを弥堂は少し考え、そして諦める。
機械やインターネットに詳しくない自分では答えが出せないと判断をした。
チラリと、野崎さんへ眼を遣る。
彼女ならそういったことにも詳しそうだが、しかし聞いたところで自分の知見では恐らく理解できないだろう。
仕方ないと、弥堂は自身の裡でスイッチを一つ押し、意識して切り替えを行う。
出来ればやりたくなかった最後の手段を使うことに決めた。
溜め息を吐き出し、弥堂は胸元へ右手を伸ばす。
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