1章51 『死線上で揺蕩う窮余の一択』 ④
「あぁぁぁ、もうっ! こんな時間っ!」
洗濯済みの枕カバーを被せ終わると壁掛け時計を睨みつけ、枕をベッドにぽふっと投げつける。
「んま、はしたない。七海ちゃんったらゴキゲンななめです」
「うっさい」
「夜更かしするなんて七海ちゃん女子力よわよわです。お肌への意識低いです」
「誰のせいよっ」
「七海ちゃんはいいですよ? 見た目のよさ以外にも色々出来ることいっぱいで」
「はぁ?」
「でもわたしはどうするんです? 見た目のよさを取ったら一体わたしに何が残るって言うんです!」
「それこそあんたのせいでしょうがっ!」
ただでさえ不機嫌なお姉さんを果敢にイジりにいった為、当然余計に怒られてしまう。
しかしみらいさんは、「急におっきな声ださないでってゆってんじゃんっ」とぼやきながらプリプリと怒る彼女の様子に、ムフーっと満足げに鼻息を漏らした。
そしてすかさずペタペタとスマホを弄り始める。
起きている間は四六時中ゲームをしている妹分を希咲は一度ジト目で見遣り、それからぱふっとベッドへ倒れ込むと自分もスマホを弄り出した。
「んもぅ。埃をたてないでください。せっかくお掃除したのに」
「したの、あたしだし。言うほどホコリたってないし」
「寝る前にスマホすると目が冴えちゃって良くないらしいですよ」
「どのクチで言ってんのよ……」
「このお口ですー」
チュチュっと唇を鳴らして求愛行動をしてくるみらいさんから希咲はプイっと顔を逸らした。
その仕草に昂ってしまったみらいさんは自分のベッドを下りて、隣の希咲のベッドへと侵入を開始した。
ベッドの中央で寝そべる希咲の二の腕に自身の二の腕をピッタリと合わせ、そのままグイグイと希咲のことを押し出そうとする。
「あによ」
「えー?」
これは一見自分のスペースを確保するための侵略行為のように見えるが、実態はそれを隠れ蓑にただ密着をしたいだけという恐るべき策略だった。
しかし、なんだかんだで優しい七海ちゃんは文句を言いつつもコロンと横に転がってスペースを開けてくれる。
数秒でハッスルタイムが終わってしまい、みらいさんはふにゃっと眉を下げる。
策士が策に溺れた瞬間であった。
「なんで背中向けるんですかーっ」
「せまいのよ。自分のベッド帰れ」
だが、ただでは転ばないみらいさんは希咲の背中に不満を投げかけながらチラリと視線をズラす。
その先にあるのは横になって身体を丸めた希咲のお尻だ。
部屋着のスウェットのショートパンツの布地が張り詰めたことで浮かび上がった下着のラインを横目で確認し、みらいさんはニコッと笑った。
「まだプンプンなんですかー? 七海ちゃんのメンヘラさん」
「誰がメンヘラか」
「なんでそんなに怒ってるんですか?」
「なんで、ですって……?」
ピクっと眉を跳ねさせて聞き咎めた希咲は、身体をクルっと180度回して望莱の方を向く。
「――っ⁉」
不意のガチ恋距離にみらいさんは息を呑んだ。
さらに、同じベッドでお互い横になって至近距離で向かい合うこのアングルは絶対に“彼女アングル”だ。彼女でしか在り得ないアングルだと俄かに発奮する。
みらいさんは素早く希咲からは死角となる自身のふとももの裏に手を回し、むぎゅっとお肉を摘まんで捻る。
興奮していることが希咲にバレたら彼女はすぐにまた向こうを向いてしまうだろう。この場では強い自制心が必要とされた。
しかし――
「あんた鼻息荒い。はなれてっ」
「むぎゅぅっ」
――しかし、みらいさんの身体能力はクソザコなので当然握力もナメクジだ。自分でツネっても戒めになるような痛みは得られなかった為、欲望が顔からダダ漏れだった。
とはいえ、自分から近づいてきておいて「はなれて」と顔に手をやって押しのけようとしてくる理不尽さに萌えたので“結果プラス”だと満足した。
「あんたね。あたしだってホントは言いたくないんだけど――」
そう前置きながら希咲はお説教を開始する。
言っても無駄だという先入観があるので、言葉どおり本当に言いたくなかったのだが、しかしだからといって黙っていれば自身の怒りもなかったことになるわけではない。
言う機会を得てしまえば、愚痴めいたお小言を止めることは難しかった。
「――マジなんなの? 狩りをします。獲物は用意しましたとか言ってさ。そんでクマさん登場とかマジありえないんだけど。んで、こっちがそのクマさん捕まえてどうしよっかってしてたら、終わるの見計らったように後から来てさ――」
取り留めのない彼女の不満をみらいさんはニコニコ笑顔で黙って聞いてあげる。
「――そんで『ペトロビッチくんを殺さないでください!』ってどうゆうことなわけ? あんたがやれっつって放したんでしょ? なんで突然情が湧くわけ? 意味わかんないんだけど――」
「…………」
「――じゃあ、あの騒ぎは一体なんだったんだっつーのっ。リィゼは森を燃やすし、
「………………」
「――それから『わたしが飼いますー』とか言ったくせに結局なんもしないし。なんで無人島まで来て、あたしが巨大クマさんの小屋作んなきゃいけないのよ。つーかさ、食糧不足だからって狩りに行ったのに、あんなでっかいクマさんが仲間になったから余計食料危機になっちゃいましたーって、マジ意味わかんないんだけど――って、こら! あんたなに白目になってんのよ! マジメに言ってんだからふざけないでっ!」
「い、いえ……、そういうわけでは……」
希咲に肩を掴まれユッサユッサと揺さぶられると、みらいさんの三半規管は不具合を起こし顔を蒼くする。
最初はニコニコと彼女の愚痴を聞いていた望莱だったが、思ってたよりも希咲が止まらなかったので白目になってしまったのだ。
みらいさんは現代っ子のため、他人の話を長時間聞く機能が備わっておらず、意識が宇宙へと旅立ってしまったのだった。
「――もういいっ! 要するにっ、あんたがイロイロやらかしたせいで、あたしがイロイロ忙しくなって、そんでこんな時間になっちゃったってこと! 反省してよねっ」
眉をナナメにしてジロっと睨まれると望莱は「うんうん」と頷く。
「わかりました。つまり、そんなにイロイロとしてあげたくなっちゃうくらいに、わたしのことが好きということでよろしいですね?」
「よろしくねーよ」
「えー?」
希咲から向けられる胡乱な瞳に望莱はわざとらしく惚けた。
「ぜんっぜんわかってないし。やっぱ言わなきゃよかった」
「まぁまぁ、そう言わず。かくなる上は、わたしも女です。しっかりと責任をとりましょう」
「は? せきにん? 意味わかんないけど、あんたちゃんとペトロビッチくんにエサあげて洗ってお散歩連れてきなさいよね」
みらいさんは聴こえないフリをして徐に胸元を緩める。
「……なにしてんの?」
「責任をとっておっぱい出しますので、それで許してください」
「いらないし」
「そんな――っ⁉ そうしたらもうお金しか……。わたしにはおっぱいとお金しか出せるものがないんです……っ」
「もっといらねーし」
「トゥンク……、お金よりもわたしのおっぱいの方がいいって思ってくれてるんですね……?」
「……あんたさ、その無敵なのやめてくんない?」
呆れてこれ以上は言い返す気にもならずジト目を向けてみるが、無敵のみらいさんが唇をチュチュッと鳴らして至近距離での求愛行動をしてきたので、諦めた希咲はプイっと後ろを向いた。
そして望莱を無視してまたスマホを操作し始める。
再び目の前にきた希咲の背中をみらいさんは人差し指でイジイジした。
「ひゃんっ⁉ ちょっと! なにすんのよ!」
「七海ちゃんがえっちな声だしました」
「だしてない。くすぐったいから触んな」
「七海ちゃんがイケナイんです。いっつもスマホばっかでちっともわたしのこと構ってくれない」
「メンヘラ彼女気どりやめろ」
ちょっかいをかけてもスマホに向いたままで見向きもしてもらえず、望莱は希咲の肩に顎をのっけて一緒に画面を覗き込む。
すると、思いのほか希咲が真剣な目で画面とにらめっこしていたので、頬ずりすることは自重した。
「さっきのチン凸せんぱいのヤツですか?」
「んー、みんなからメッセ返ってきてたからちょっとチェック」
「誰かシッポを出しましたか?」
「犯人がいる前提やめろ」
お互いに言葉足らずで意思を疎通させる。
数時間前に弥堂に現状報告を求めた際に彼から『他のクラスメイトたちにも聞いてみろ』と言われた件。
そのことに関して野崎さんたちのグループ個人個人に、希咲は世間話を装ってそれとなくメッセージを送っていた。
それから望莱たちがやらかした件の後始末をしていて現在の就寝時刻になったのだが、眠る前にクラスメイトたちから返ってきたメッセージの内容を確認していたのである。
「それで結局なにかあったんですか?」
「んー……」
改めて望莱が問うと希咲は一層に眉根を寄せて難しい顔をした。
「なにも、ない……」
「とは思ってないお顔ですね」
「んー……」
チロリと肩越しに目線を一瞬だけ望莱へ向けて、希咲は考えながら話しだす。
「何もないって、みんなそう言ってる。でも……」
「嘘を吐かれてます?」
「そういうわけじゃない、と思う。あくまでメッセの文面からだけど」
「じゃあどういうわけなんです?」
「……なんか、ヘン」
「ヘン……? ですか?」
「うん」
希咲は再びコロンと寝転がって、コテンと首を傾げる望莱の方へ体ごと向く。
「なんていうか、サメてるのよ」
「醒めてる……?」
「そう。あからさまに興味ないとかウザがってるとかじゃなくって、なんか教室で話してた時よりも熱がないっていうか……。自分でもなに言ってるかわかんないけど、でも――」
「――でも。七海ちゃんは『なんかヘン』って感じたんですよね?」
「うん」
「じゃあ、それは絶対に『ヘン』なんですよ。間違いないです」
望莱には滅多にない、真剣な表情で希咲の後押しをした。
「弥堂せんぱいは? 実際には何て言ってきたんです?」
「んー、ちょい待って……」
「見せてください」
「これよ」
希咲は弥堂とのチャットの履歴を表示してスマホごと望莱へ渡す。
望莱はスッと表情を落とすと少しだけ目を細めて、目線を上から下へ滑らせる。
「どう思う?」
「…………嘘は言ってないと思います。けれど、意図的に聞かれてないこと、必要な情報を削ってる。そんな気がします」
「削ってる……?」
「ちょっと待ってください。一回最後まで読みます」
希咲はチャットを読み込む望莱の横顔を見る。
滅多に見せない真剣な顔。
望莱はいつもふざけてばかりだが、その実とても頭がいい。
彼女はどこか厭世的で世の中を斜めに見ているので、滅多にその知能スペックを悪ふざけ以外に使うことはない。
しかし、今は違う。
希咲の抱える問題を真面目に読み解こうとしている。
付き合いの長い希咲には表情からそれが見て取れた。
いつもキラキラと輝きを放つ少し垂れ気味の望莱の目は、瞼を細めると一気にハイライトが消え暗い光を瞳に携える。
その黒い瞳にブルーライトがぼんやりと反射している様を、希咲はしばし眺めた。
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