1章51 『死線上で揺蕩う窮余の一択』 ③


「――あ~あ、おにぃさんいっけないんだぁ~」



 駅へ向かう途中にある空き地にて、細い煙を昇らせているとそんな甲高い声をかけられる。



 明らかに子供の声。



 時刻はとうに日付の変わった深夜。


 こんな時間にこんな場所に居るはずのない存在。



 小学校高学年程度、いってて中学に入学したばかりくらいか。どう見てもそれくらいの年頃の女子児童だ。


 しかし着ている服装はその見た目の年齢に釣り合わないものだった。



 最低でもあと5歳ほどは上の年代の少女、その中の一部の趣向を持った者が選びそうな派手で露出の高い服装。


 肌が晒されている少しぷっくりしたお腹とその中心にあるおへそを見て、希咲みたいな女が着ていそうな服だなと弥堂は感想をもった。



 次に周囲に眼を遣る。


 保護者やそれに類する者の姿も気配もない。



 現在この空き地に居るのは弥堂だけだ。


 深夜に住宅街から外れた場所を一人歩きする、明らかに見覚えのない子供が、どう考えても自分に話しかけてきている。



 考えるまでもなく不審だ。



 弥堂は眼を細めた。



 空き地の入り口から声をかけて、そしてニコニコと笑顔を浮かべながらこちらへ近づいてくるその女児を視る。




 水無瀬と同じか少し低いくらいの身長。


 年頃を考えれば不謹慎な、場末のクラブのステージで踊る女のような丈の短いスカートから伸びるやけに白い足を交互に動かす。


 派手なデザインのスニーカーで空き地の砂利を踏みながらゆっくりと歩いてくる。


 服装どおり少し背伸びをしたような生意気さが窺える笑顔。



 月の光に照らされる銀髪は肩の上まで伸ばされており、耳の上で二つ結びになっている。


 その銀色は若干くすんでいて月光を反射しない。


 髪と同じく月の光を浴びる顔の肌は少し血色が悪いようにも感じるほどに白く、瞳は赤い。




 その姿を眼に写して、「あぁ、なるほどな」と得心し、弥堂は表情を緩める。口の端が持ち上がりそうになるのを意識して自制した。



 目の前まで来た少女は立ち止まり、地面に積まれた建材に腰掛けている弥堂の顏を覗き込むように腰を折った。



「こんな夜遅くにこんなとこで何してるの? おにぃさん」



 背後に突き出した尻の上で左の手の平の上に右手の甲を重ねて組んでいる。右利きの可能性が高い。


 絡み合わせた指は少し落ち着きなく動いていた。



「それを問われるべきなのはキミなんじゃないのか?」



 視線を切って少女の顏に移し、弥堂は答える。



 弥堂にしてはまともな発言だ。


 だが、確かに深夜に一人歩きする女児は保護対象だが、深夜に空き地で火の点いた煙草を持っている男子高校生は補導対象だ。



「え~? 質問に質問で返しちゃダメなんだよ? おにぃさん。てゆーか、おにぃさんって“こーこーせー”でしょ? タバコもってるし、おにぃさんの方が悪いと思うなぁ~」


「じゃあ、お互いさまってことで内緒にしといてくれ」


「え~? なにそれ~?」



 クスクスと笑いながら少女はイタズラ気な視線を向けてくる。



「タバコは身体に悪いから吸っちゃダメなんだよぉ~?」


「だから吸ってるんだ」


「は?」


「これで寿命が縮めば長生きしなくて済むだろ」


「わ。ヤバ。お喋りして10秒で話しかけたこと後悔しちゃった。おにぃさんってばもしかしてアブナイ人なの?」


「そうだ。近づかない方がいいぞ」



 見た目女児でも変わらずに愛想のないことばかりを返すが、目を丸くする少女を見て、希咲みたいな喋り方と仕草に内心苛立ってきていた。


 表には出さないように努める。



「んで? アブナイおにぃさんは何してるの?」


「……何をしているように見える?」



 先程の弥堂の問いには答えずに、再度問い直してきた彼女に弥堂も答えない。


 まるで煙に巻くような弥堂の態度に少女は「むぅ~」と頬を膨らませた。


 その仕草も希咲がしていたことがあったので、弥堂はピクっと眉を跳ねさせる。


 悟られぬように息を細く吐き出し、メンタルを調整する。



 この手のタイプには気を荒立てて相手のペースに呑まれることがあってはいけない。


 事前に廻夜から渡されていた資料にて履修済みだ。



 その資料によれば、間違いなくこの少女はメスガキだ。



 メスガキにキレてしまった場合、『わからせ』というものを実行しない限り勝つことは難しくなると廻夜部長が声を大にして熱弁していた。


 その場合は条例違反をすることになるので、遵法精神などカケラもない弥堂といえども、出来ればそれは避けたいと考えていた。



 そんなことを考えている間にも少女の話は続いている。



「おにぃさんってもしかしてメンドクサイ人?」


「そうだ。近づかない方がいいぞ」


「あぁーっ! わかった。おにぃさんってば“いんきゃ”の人でしょ? 友達いないからお喋り苦手なんだね」


「そうだ。近づかない方がいいぞ」


「しょうがないにゃ~。カワイソウだからこっちが優しくしてあげるね? アタシにはぁ、おにぃさんはちょっと休憩してるように見えるなぁ~。まる? ばつ?」


「“まる”だ。というわけで俺は休憩する。キミは家に帰れ」


「なにそれ冷たいーっ! 正解したんだからご褒美もらえるとこなんじゃないのぉ?」


「生憎と煙草くらいしか持っていない。欲しいか?」


「いらないっ! もぉー、おにぃさんっ。アタシ子供なんだよ? タバコあげちゃダメじゃん。クサイからキライだし」


「そうか」



 適当な返事をしながら弥堂は燃え尽きた煙草を地面に捨て、火を踏みつぶしてから残骸を足で掻き混ぜて灰を砂に混ぜる。


 そして新しい煙草を一本取り出して着火し、身体の脇に置いた。



 その行動に少女はわざとらしく咳き込んでみせるが、弥堂は意に介さずただ渇いた瞳を向けただけだ。


 諦めたように溜め息を吐いた少女にジト目を向けられる。



「……わかっちゃった。おにぃさんってば“こみゅしょー”の人だ。カワイソウだからアタシがトモダチになってあげようか?」


「結構だ。そんなことより、キミも俺の質問に答えろ」


「ん?」


「俺はキミの質問に答えただろ? 次はキミが答える順番なんじゃないのか?」


「ん~、たしかに。それもそうだね」


「で? キミはこんな時間にこんな場所で何をしている? 何故俺に声をかけてきた?」


「……なんか質問増えてる気がするんだけど?」


「気がしただけなら気のせいだ」


「おにぃさんはワルイ人だね~」



 呆れたように言ってからコロッと表情を笑顔に戻す。



「アタシこのへんに住んでるんだけど、なんだか眠れなくってお散歩してたの。そしたら見かけない人が空き地でポツンっとしてたからどうしたのかなーって声をかけたの」


「そうか」



 せっかく聞かれたから答えたのに、どうでもよさそうに返事をする弥堂の態度に少女はまたムッとした。



「なに、そのキョーミなさそうなお返事。もっと話が広がるように答えないとトモダチ増えないよ?」


「話を広げて欲しいのか?」


「えっ?」


「いいだろう」



 お説教ぶって人差し指を立てながら男子高校生を諭していた女子児童は、ジロリとした眼を向けられながらの予想だにしない返答に怯んだ。



「まず、眠れないからといってキミのような姿の者がこの時間に一人で散歩に出るなんていうのは大変不自然で不審だ。実際はどうであれ、それを信じる者は少ないだろう。次に、それが真実だったとしても、それをそのまま口にするのはお勧めしない。何がどうあれ保護対象と見做され家庭の事情を勘繰られる。そして家の者に迷惑をかけることになるだろう。三つ目、事情がどうあれ、知らないニンゲンに声をかけるべきではない。それも不自然だし不審だな。自衛の為にもするべきではない。そして――」


「――わっ……、わっ……、急にいっぱい喋った……っ⁉」


「――そして、なにより。俺はキミをここいらで視たことがない」


「へ……?」



 怒涛の揚げ足とりに目を白黒させる少女にさらに言い募る。



「言っただろ? 俺はここで休憩していたと。この時間帯以外でもよくここを使うんだ。だがキミをここらへんで視たのは今夜が初めてだ。ここらへんは比較的古くから住み着いている者が多い。もう少し駅の方へ行くと一か所に長くは居着かない種類の人間が増える。キミの住処を決めるのは当然キミのかいぬしだ。以上のことから、てっきりこの近所が地元なのではなく、新興住宅地――そうだな、川の向こうなんかは家族連れで越してくる者たちが近年増加傾向だ。そのあたりに住んでいるんじゃないかと予想した」


「えっ……、えっと……」



 言い切るだけ言い切って弥堂が口を閉ざすと、少女はしばし目を泳がせる。


 そして困ったような苦笑いを浮かべた。



「あの……、いっぺんにいっぱい言われすぎて何に答えればいいかわかんないんですけど……?」


「別に無理して答える必要はないんじゃないか?」



 どうでもよさそうに言いながら、弥堂はまた煙草を地面に落とし溝に灰を埋めていく。



「う~ん……、さすがにアタシもバカじゃないっていうか。住んでる場所に関してはちょっとボカして言ってたというか。確かにこのへんの子じゃないよ」


「そうか。その部分には答えるべきと判断したんだな」


「なっ、なに……っ⁉ なんかすっごく裏がありそうな言い方っ⁉」


「そうでもない。それほどのことでもないからな」


「な、なんかシツレーなこと言われてる……? てゆーか、おにぃさん」


「なんだ」


「“しょたいめん”でそんなに細かくどこに住んでるのかーとか考えるのコワすぎなんですけど……? おにぃさんってばキモイ人だったんだね」


「そうだ。近づかない方がいいぞ」



 適当に返答をしながら弥堂は立ち上がり、空き地の出口の方へ歩き出す。



「あ、あれっ? もしかして今のでお話終わり? おにぃさんってばマイペースすぎない……⁉」



 他人のことを全く慮る様子のない高校生の振舞いに少女はびっくり仰天する。



「用事があるからな」


「あ、おにぃさん待って!」



 振り向きもせずに話を打ち切ろうとする男を少女は慌てて呼び止める。



「なんだ」



 弥堂は足を止めずに言葉だけを短く返した。



「おにぃさんってここによく来るの?」


「そうだ。俺はここのところ、この先の駅前で毎日仕事をしている。その仕事前と終わりにここで休憩をするようにしている。毎日だ。今夜は約束の時間までの待機をしていただけだが、そういう場合も必ずここを利用する」


「す、すっごいここに居るアピールしてくるねっ……⁉ ここはオレのナワバリだー! 的な?」


「ナワバリを作る習慣は俺にはないが、領域テリトリーではあるかもな」


「さ、最初っから最後まで何言ってんのかわかんない人とか初めてだよっ……!」


「そうか。次はわかるといいな」



 戦慄する少女に対してにべもなく、一瞬だけ視線を送り、弥堂は空き地を出て駅方面へ曲がる。



「あっ……! おにぃさんバイバーイッ!」


「あぁ、またな」



 とっくに入り口を曲がって道を進んでいたので、お互いの姿は工事現場の仕切りに遮られてもう見えない。


 聴こえているかどうかもわからない声で、聴こえても聴こえなくてもどうでもいい言葉を発音し、弥堂は立ち去った。



 歩きながら腕時計を見る。



 約束までの時間つぶしをしていたというのは事実だ。


 思いもよらぬ客の相手で予定よりも出発が遅れてしまった。



(もうこんな時間か……)



 ボロボロに破けた袖口を腕時計に被せ、弥堂は目的地である新美景駅北口のホテル街へと足を速めた。

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