1章47 『ー21グラムの重さ』 ⑦

 校庭の中を渡って学園の敷地の北側にある山の入り口の方へ向かう。


 生徒たちからは裏山と呼ばれている場所だ。


 そこを目指して歩く弥堂に半歩ほど遅れて白井さんが着いてきている。



「――ねぇ、知ってる? 弥堂クン……」



 ここまでの道中、やや途切れ気味にポツリポツリと彼女に話しかけられていた。



(なんでこいつ着いてくるんだ?)


「……なにをだ?」



 思っていることは全然別のことだがそれは口に出さずに、弥堂は彼女の話に彼なりにではあるが、付き合ってやっていた。


 もしかしたらビニール袋輸送機として便利に使える可能性があることを考慮したからだ。



「……その猫、学園に棲み着いていたのよ……?」


「そうか」



 それで話は途切れる。



 白井さんにはまだ一度しか遭遇したことがないので、普段の彼女の口数の程は弥堂にはわからなかったが、しかしそれでも今回の件で彼女も多少なり消沈しているようで、話が続かない。


 弥堂の会話スキルが低いせいもあるが、彼女自身も本当にその話題について会話がしたいというよりは、気を紛らわせる為に声を出しているようにも見受けられた。


 当然、それを弥堂が気遣って話が拡がるように返答をしてやるようなことはない。



「みんなでその子にエサをあげていて、でも、誰も引き取ったりはしないで……、私も何回かエサをあげたことがあったわ……」


「そうか」



 下を向いて歩く彼女にそうとしか言えない。



「……あまり悪く思わないであげて欲しいの……」


「……? なんのことだ?」



 心当たりのないことを言われ、ここでようやく弥堂の方からも問いを返す。



「さっきの先輩よ。最後まで残ってた、三人組の。女子の」


「……あぁ」



 それで白井さんが誰のことについて言及しているのかは合点がいく。しかし、『悪く思わないで』という点については見当がつかない。



「あの先輩、ずっとその子の面倒を見てたみたいで……、何回もエサをあげている場面を見たことがあるわ……」


「なるほどな」



 ようやく得心がいった。



 死骸の処理を押し付けられた弥堂の為に、わざわざ探し回って袋を持ってきてくれた。


 この彼女の行動について、前回会った時の印象とは大きく乖離しているように思えていた。



 とてもそんなことをしてくれるような人物には思えない。


 そのように感じていたが、なんのことはない。


 弥堂の為にではなく、この猫だったものの為にそうしたのだ。



 先程の三年の女がエサをやっている場面を何度も見た。


 それはきっとその目撃の回数と同じだけ、白井さん自身もエサをやりにこの猫の元を訪れていたのかもしれない。



 その大小の程は知れないが、彼女自身にもこの猫に対して何かしらの思い入れを持っており、だからこその先程の行動と現在の態度なのだろう。



 その考察が合っているかどうかには弥堂は興味が持てなく、だから特に彼女に対してそのことを指摘することはしなかった。



 またしばらく無言のまま、これから墓となる場所へと続く道を何歩か進む。




「とても可愛がっていたみたいだから、その分……、きっとショックが大きかったんでしょうね……」


「……そうか」



『お前がそうだからそれがわかるのか?』と口にしかけてやめた。



「だからつい、あんな風になってしまったのだと思うし、一緒に居た先輩たちも友達だから庇ってしまって、貴方にあたってしまったのだと思うの。だから許してあげて欲しいわ」


「許す許さない以前に特に何も思っていない」


「……優しいのね」


「そうだ」



 本当になんのことだかわかっていなかったのだが、この話の続きに関心がなかったので弥堂は適当に肯定をして終わらせる。



「意外ね。絶対否定すると思ったわ」


「そうでもない。キミの方が意外だと思うがな」


「私……?」


「あぁ。キミが他人を庇うようなことを口にするとは思わなかった」


「ふふ、失礼ね。知っているでしょ? 私も一応、弱い人を擁護する組織の一員よ?」


「そうだったな」



 冗談めかして言っていることは弥堂にもわかったので適当に流した。



 それで彼女も多少気が解れたのか、そのせいで気が緩み、口が緩む。



「すごく可愛がって……、でも、それなら……いっそのこと――っ、いえ……、なんでもないわ。ごめんなさい……」


「……? なんだ?」



 何かを言いかけた彼女を怪訝そうに見ると、その表情には言わずにおいたことを言ってしまったと、そんな悔恨が浮かんでいた。



「……本当になんでもないの。言うべきではないことを言いそうになってしまっただけ……。言えた立場じゃないわ。ただの八つ当たりよ。だって私も同じだもの……」


「そうか」



 言うべきでないのなら、聞くべきではないのだろうなと、弥堂も深追いをすることはしない。



「ふふ、危ないところだったわ。せっかく今回のことで私の好感度が上がったはずなのに、ここで口汚く罵詈雑言を撒き散らせばそれも台無しになってしまうわ。もしかしたら貴方に嫌われてしまうかも」


「安心しろ。俺に好感度などという機能はない。それからキミのことは既に嫌いだ」


「んん……っ。悪い男ね。落ち込んだ女の子にそうやって擦り寄ってから、甘い言葉で溶かして依存させて、金も身体も奪っていくのね……」


「……言葉は難しいな」



 希咲と違ってこいつは落ち込ませておいた方が楽なのかもしれないと考え直し、迂闊にフォローするようなことは言うべきではないと留意することにした。



「まぁ、だから、今日は耳障りがよくて口当たりのいい言葉だけを言うことにしておくわ。そんなわけで、あの先輩も他の世話をしていた人たちも、あの子を助けていたことには違いないし、貴方にはあんな仕打ちになってしまったけれど、みんな基本的にはいい人なのよ」


「……そうか」



(――そうだろうか?)



 心中では同意しかね、思考をする。



 白井の方も、言葉どおり迂闊に口を開いて毒を吐きたくないのか、それきり黙ってくれたので、歩きながら考えを巡らせる。



 “助ける”とはどういうことで、“いい人”とはどういう人なのだろうか。



 誰かを――何かを助ける人が“いい人”なのだろうか。


 つまり“いいこと”をする人が“いい人”だと、彼女は言っているのだろうか。



(それは違う)



 目の前で飢えている者に食わせるのは“いいこと”かもしれない。



 だが、その場を助けることにはなっても救いにはならない。



 なぜなら、放っておけばまた飢えるからだ。



 救いを成し遂げるには、その者を完全に苦境から引き上げ、生涯に渡って二度と脅かされない環境に囲い込まなければならない。



 そこまでやってようやく救いとなる。



 それなら、救うためにはずっと面倒を見ていなければならないのか。



(馬鹿げている)



 他者を助けることは“いいこと”だ。


 だが、一度、もしくは何度か“いいこと”をしたからといって、それで生涯“いい人”に為るということにはならない。


 一度や二度助けただけでは人は救われない。



 だから、“いいこと”をした人は“いい人”ではない。



 人は他人の一部分を見て、その人物が“いい人”か“悪い人”かと急いで決めつけたがる。



 そして、“いい人”だから“いいこと”しかしないはずだと半永久的に強要をし、“悪い人”だから“悪いこと”をするはずだと疎み遠ざけようとする。



 自分が救われている側に常に居たくて、自分が脅かされたくなくて。



 その為に安易で早計な安心を求めて、全ての他人を“いい人”か“悪い人”の二種類に分別しようとする。



 だが、それは大きな間違いだ。


 弥堂はそのように考えている。



(そもそも――)



 この世には、“いい人”も“悪い人”も、そのどちらも、一人たりとも存在はしない。



 “いいこと”をしたから、“いい人”。


 “悪いこと”をしたから、“悪い人”。



 “いい人”だから“いいこと”をする。


 “悪い人”だから“悪いこと”をする。



 全て思い違いだ。




 人は救いを求める。



 それを自身に齎してくれるものとして――或いはくれるものだと思い込みたいから――神を崇める。



 だが、本当はそんなものは何処にも存在しないことを誰もが知っている。



 だから、他人に――手近で、目に付いた、適当な、同じ人間に、それを求める。



 自分は救われたい側の――弱者の席に居座り、本来は自分と同様に同等に救われるべきはずの他人に、人に救いを齎すという神意を執行する代行者たれと求め、それを身勝手に押し付ける。



 自分だけは常に、いつ何時も救われていたいから――



 勇者は、勇者だから生来の勇敢さを以て人々を救い、その後も救い続けねばならないのか。


 魔王は、魔王だから生来の悪性を持って人を脅かし、常に敵対をし続けねばならないのか。



 逆に――


 勇者は勇敢さを見せて人々を救ったという結果を以てして、勇者と呼ばれるようになるのではないか。


 魔王は人類悪と認定されるほどの悪を為し続けたからこそ、魔王と呼ばれるようになるのではないか。




 そこまで考えて頭を振る。



(論点が逸れたな)



 勇者と魔王の話は以前に考え、後者であるべきだが前者しか在り得ない。


 そういう結論になったはずだ。



 そしてこの話はただの不文律であり、“いい人”と“悪い人”の話は不変の真理であり、そして別々の話だ。


 変わらないのであれば改めて考えることでもないと思考を切り替える。




「――逃げちゃった人たちも、悪気はないと思うわ……」


「あ?」



 だが、次の『有料コインパーキングの売り上げの配分』についての思考を始める前に、白井からまた誰かを擁護するような言葉を向けられる。



「たぶん酷く驚いてしまって、それで恐くなってしまって……。無責任な――あまり適格な言葉ではないわね……。いいことではないかもしれないけれど、責めないであげて欲しいの……」


「なんの話だ」


「同じ話よ。誰も手伝ってくれなくて、逃げちゃったじゃない。でも、仕方がないかなって思える部分もあるのよ」


「別に気にしていないが。この校庭一面に死体が転がっているならともかく、これ一つ処理するのに人手は必要ない」


「そういう意味ではないのだけれど……。そんなことが起こったらパニックになりすぎて他人の行動の是非なんて何も気にならなくなるでしょうね……」



 子猫の入ったビニール袋を軽く持ち上げてみせる弥堂へ白井は苦笑いを浮かべる。



「私たちくらいの年代だと、きっと生き物の死体を一度も見たことがない人も割といると思うのよ」


「あぁ、そういうことか」


「えぇ。単純に死体を、生き物が死ぬところを見慣れていないから怖くなってしまっただけって、そういうことが言いたかったの」


「そうか。キミは違うのか?」


「え?」



 弥堂は目線を動かして彼女の顔を視る。



「キミは戻ってきただろう? それは見慣れているからか?」


「あぁ……、いえ、違うわ」



 問われた意味に得心がいき、白井はどこか言いにくそうな顔をした。



「慣れているってほどでは、ないわね……、前に一度だけ……」


「そうか」


「……何年か前にね、家で猫を飼っていたのよ。外で遊びたがって、閉じ込めておくのも可哀想だから少しくらいならって、許している内にクセになっちゃって……。それで、今日は帰ってくるのが遅いなぁって探しに行ったら……、車に轢かれてしまっていて……」


「そうか」


「見つけた時にはもう……。私はその1回でもう動物を飼うことは出来なくなってしまったわ。同じ思いをしたくなくて……。だから、経験がある分彼らよりは少し……。だから、本当は彼らを擁護しているわけではなくて、きっと感情移入しちゃっているだけなのかもね……」


「なるほどな」



 彼らはただ救われたい、傷つきたくない、それだけで。


 彼女らは救おうともしなければ、助けることも出来ず。


 誰もがただ死体を見たくなかった。それだけのことだ。


 弥堂はそのように理解した。



 人は通常、死体を見たがらない。


 自分がそうなった姿を想像したくないからだろうか。



(馬鹿げている)


「私はあの時、動かなくなっちゃったあの子の前で、泣いていることしか出来なかった……。貴方みたいには出来なかったの。だから弥堂君、貴方は…………」



 こちらへ目を向けつつも過去を見ながら、その後悔の言葉を話し終えてから白井は弥堂を見る。



「……いえ、ごめんなさい。なんでもないわ……」


「そうか」



 そして続きを口にするのを逡巡し、結局白井は告げることをやめた。


 聞かれたとしても絶対に答えないことなので、弥堂も催促することはしない。



 それっきり、会話はなくなった。



 二人分の足音を聴きながら、心中で答える。



(慣れ過ぎただけだ)



 言葉にされなかった問いに言葉にせずに答え、そしてその続きは自分の思考の中でだけ続いていく。



 人は他の生き物の死体を目にすると生理的に嫌悪感を抱くように通常はなっている。


 毎日のように他の動物の死体をバラシて手に入れた肉を食って「美味しい美味しい」と喜んでいるというのに。


 なのに多くの者は死体そのものを見ると「気持ち悪い」と嫌悪を露わにする。



 それは『世界』が人をそのようにデザインしているから――



――などではない。



 狩りなどをする者たちは自分で仕留めた獲物に気分を悪くしたりはしない。それはきっと多くの場合は白井の言った『慣れ』によるものだろう。


 だから動じないし、むしろ喜ぶべきものだろう。


 しかし、今の世ではその喜びを他の人間に見られると袋叩きにされるので表には出さない。


 それでも大昔のもっと多くの人が狩りをして自分の食い扶持を稼いでいた時には、もっと大っぴらに喜びを表せたはずだ。



 つまり、喜ぶべきことだったものが、喜んではいけないことに変わったのだ。人間自身によって。



 人が死に喜ぼうと悲しもうと、そんなことは『世界』にとってはどうでもいいことで、だからこそ『世界』は人がどちらを選ぶことも許容をしている。



 人が選んで人間はこう為ったのだ。



 死は恐ろしいもので、死は酷いことだと。


 そして生きていることは素晴らしく、生きている人間は素晴らしく、人間は素晴らしい存在であると。


 だから、その人間を殺す者は恐ろしく、殺す者は酷い存在で、素晴らしい人間を殺す者は悪であると。


 人間が死ぬことはこの世に在り得てはいけないほどの出来事なのだと。



 そのように死を避けて、視界の外にまで追いやり、それでもたまに視界に入ってくる訃報に「コワイコワイ」「ヒドイヒドイ」と怯えながら幸福な夢物語に浸ることで尚も逃げ続ける。


 そうして口先だけで「人の生命は重い」「何よりも重い」とお互いを監視しながら言い続けている内に、段々と実際にそれを手に持ったことがある者が減っていき、今ではほとんどの者が実際のその『重さ』を知らない。



 だけど、誰に聞いても「重い」と答え、またそう答えなければいけないことになっている。



 だから、人は他の動物よりも同族である他の人の死体により強い嫌悪感を抱く。


 動物の死体には眉すら動かさない狩人でも、人の死体には取り乱したりする者もいる。



 それはやはり『世界』がそのように人をデザインしているからでは当然なく、人がどちらを選ぶことも『世界』は許容している。


 人が人にそれを許していないのはただのリソース管理の為の法であり、『世界』は人間如きのそんな些事に目を向けはしない。



 人が人の死に嫌悪感を抱くようにしているのは、その方が人類全体に都合がいいからであり、だから大多数の人はそうなっている。


 だからそうであることが普通で、そうでないことが異常なのだ。



 人の死体に何も感じない者と悦びや喜びを感じる者。


 そう為ってしまった者と、初めからそうであった者。



 そう為ってしまった者にはやはり慣れがあり、初めからそうであった者には異常がある。


 だが、大多数の人間にとってみればどちらも一纏めにただの異常者だ。



(だが、それが“正しい”……)



 そう考えつつもしかし、弥堂は共感はしなかった。


 全体としては“正しい”ことで、個人個人で見れば“下らない”と、そう思っていた。




 生きている以上は、自分も必ず死ぬのに。



 見たくないと目を逸らしても、逸らしたその先にもしたいだ。



 今の世の中何処を向いてもしたいがいる。



 何処を見ても何処に行ってもしたいしたいしたいだ。



 この国だけでも1億以上のしたいがいる。


 そしてその全てが死体になる。


 そうなる間にも新たなしたいは補充されていっている。



 だから、人の世で生きていればほぼ必ずそれを目にする機会はある。



 その事実を認めたくないと、自身の目に死を見止めたくないと、人々は他人に自分を救えと泣き叫ぶ。


 そして、他人を殺し自分を殺すかもしれない、そんな人の世に死を振り撒く“悪い人”を殺せと他人に命じる。



「お前が俺を救え」「お前こそ私を救え」と唾をかけあいながら怒鳴りあうのだ。



(無駄なことだ)



 他人は自分を救わない。


 自分自身が他人を救っていないのに、何故他人は自分を救ってくれると考えるのだ。


 本当は誰もがわかっているはずだ。



(自分で自分を救えばいい)



 それが出来ない人間にとっては、ここまでの思考と一部矛盾するようではあるが、だがそれでも、たった一つだけ方法はある。



(今すぐ自殺すればいい)



 自殺を許されておらず、自分で自分にそれを許していない弥堂には、それが出来る人間を妬ましく思える時もある。



 自分が先に死体になれば他の死体を見ずに済むし、他のしたいに死体にされることもない。


 自分は救われないという、その苦しみから永遠に解放される。



 それも本当は多くの者がわかっているはずだ。


 しかしそれでも、ほとんどの者がそれを選ばない。



 救われたい、失いたくないと、そう怯え嘆きながら1秒でも長い生に縋る。


 叶わないことだと知っていながら。


 無駄な一生だとわかっていながら。



 しかし、それはきっと正しく、それが正しい。



 そして、多くの者がそうであるのならば、それが普通であるということになる。



 弥堂 優輝びとう ゆうきは普通の高校生だ。


 そのように為るとして、そう為るようにしている。



 ならば、弥堂自身も死を畏れ救いを求めなければならないはずだ。



 だが、今の此処から。


 自分が一体どう為れば救われたことに成るのか。



 それがわからなかった。



 わからないまま、死体の間を歩き、死体を運んで行った。



 言葉はなく。

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