1章40 『生徒会』①

 午後の授業も全て終わり現在はHR中だ。


 これが終われば放課後となる。



 5限目の移動教室で水無瀬が置いてけぼりにされて以降、彼女らの間にある空気のぎくしゃくさは加速したように思える。



 とは言っても、別に水無瀬が他の生徒たちに無視をされていたりとか、悪態をつかれていたりとか、そういう話ではない。


 むしろ野崎さんたち4人の女子生徒は、5時限目の授業開始ギリギリに特別教室に移動してきた水無瀬に気付くと、とても慌てた様子で真摯に何度も謝罪をしていた。


 弥堂の眼から見てもそのように見えた。



 彼女らは善良な人間だ。


 自発的に他人に悪意を向けたりすることはまずないだろう。


 それこそ脅されでもしない限りは。



 そのように弥堂は見立てていて、希咲もそう見立てたからこそ彼女らに水無瀬のことを頼んだのだろう。


 そしてそれは今でも間違ってはいないと考えている。



 だが、それでも、それが間違っている可能性も考慮すべきだろうと思い始める。



 今のところ彼女らに悪意を隠し持っているような様子はなく、誰かに脅されてこうしているようなそんな証拠もない。


 だが、そうでなければ現状起こっていることの説明がつかないし、逆に言えばそうでさえあれば全てのことに説明がつくようになる。



 なによりも、もしもそうであるならば、その場合は希咲の見立てが間違っていたことになる。


 つまり、希咲が悪い。


 そういうことになる。



 そうなった時のことを考えると何故か弥堂は胸がすくような気が僅かにする。


 だからそうであって欲しいという願望が自身の裡から沸き上がってきていることを自覚しつつ、希咲が悪いことにするための事実を固めるためにその根拠となる証拠を捜し始めることにした。




 ここまでの間、担任教師が連絡事項を喋り続けているのを全く聞いていないが、それでも聴こえてさえいれば記憶の中に勝手に記録されるので、後で必要になればいつでも思い出せる。




 弥堂は先生から意識だけでなく目線までをも離し、チラリと、横目で隣の席の水無瀬を視た。



 普段からボケーっとしている彼女でも流石に察するものがあるのか、少々気落ちした様子だ。


 激しく落ち込んでいたり、泣いたりまでしているわけではない。


 朝や昼よりも強く不安を感じている。そんな様子だ。



 直接的な暴力を奮われたり罵詈雑言を浴びせかけられたりしているわけでもないし、あの廻夜部長でさえ恐れる『フルシカト』をされているわけでもない。



 というか――



(――そもそも、こいつ『何』をされているんだ……?)



 繰り返しになるが、所謂イジメといわれるもののように、暴力も暴言もなく、無視もされていないし、具体的にあげられるような嫌がらせがあるわけでもない。


 改めて考えると『何』をされていると言語化が難しいが、かといって何もされていないとは最早到底思えない。



『何』はなんでもいいのだが、希咲が帰ってきた時にドヤ顔で「お前のせいだ」と言ってやれるような材料をどうにか手に入れたいと、弥堂は熟考する。



「起立!」



 学級委員である野崎さんの号令がかかる。


 どうやら教師が話し終えてHRが終了するようだ。



 弥堂は大事な考え事をしていて気を逸らしたくないので、号令を無視して座ったまま思考を続けた。



 全員が立ち上がっている中で一人だけ座ったままなので、教壇に立つ木ノ下先生と他の何人かの生徒が戸惑ったような視線を弥堂に向けている。



「礼っ!」


「えっ⁉」



 先生が弥堂を注意する前に押し通そうと野崎さんがゴリ押しの号令をかける。


 木ノ下先生はびっくりしてしまったが、多数の生徒がそれに倣って――或いは流されて礼をしたので本日のHRも有耶無耶に終了をした。



 周囲が騒がしくなり生徒たちがそれぞれの行き先へ散っていく中、弥堂は一人の人物を掴まえにいく。



 その相手は水無瀬ではなく――



「――野崎さん」



 友人たちと談笑をしていた彼女へ声をかける。



「うん、なにかな? 弥堂君」



 弥堂は一度周囲の者たち――舞鶴、早乙女、日下部さんに視線を走らせてから用件を伝える。



「少し、いいか?」


「もちろん。いいよ」


「風紀委員のことで少し話があるんだ。ここでは――」


「――あ、うん、そうだね。あっちの端っこの方でもいい?」


「構わない」


「うん。それじゃ、みんなゴメンね。先に帰っちゃっていいからね」



 手早く話がまとまり弥堂は一定の満足感を得つつ、野崎さんと連れだって教室の角の方へ外れていく。


 残った3人はそのままお喋りを続けているようだ。



「それで野崎さん。話なんだが――」


「――うん。移動教室の件かな?」


「…………」


「あ、ごめんね。被せちゃって。でしゃばりすぎました」


「……いや、かまわない」



 弥堂の言葉尻に若干被せる形で喋ったことで弥堂が気分を害したと思ったのか彼女から謝罪をされる。しかし気分を害したどころか弥堂は彼女に感心をしていた。


 なんて話が早く使える女なんだと。


 どこかの口ばっかり回転するわりに余計なことしか発言しない頭の悪い女とは違うと、改めて野崎さんの有用さを認める。



 しかし、現在はその頭と口が悪いギャル女の依頼中だ。


 自分にとって都合がいいのは野崎さんの方で間違いがないが、その依頼を達成する為にはこの後の彼女の返答次第では野崎さんを処分しなければならなくなる可能性もある。



 残念ではあるが、人のめぐり合わせなど所詮はそんなものだと割り切り、弥堂は野崎さんの眼鏡の奥の瞳を冷酷に見下ろした。



「まずは、そうだね。さっきも謝ったけど、ごめんなさい。水無瀬さんを置いていく形になってしまって」


「……正直なところ、キミらしくない手落ちだなと思っている」


「弁解の余地もないよ」


「何故こんなことに?」


「……言い訳にしかならないし、多分何言ってんだこいつって思われちゃうかもしれないけれど、正直に答えるね」


「頼む」



 現段階では彼女を責めて事を荒立てるようなことはせず、弥堂は静かに野崎さんの言葉を待つ。



「……信じてもらえないかもしれないけど――忘れてたの」


「……忘れてた?」


「うん……。自分でも不思議なんだけど、そうとしか言えない、かな」


「それこそキミらしくないというか、そんなことがあるのか?」


「……自分でもおかしいって思ってるの。自慢じゃないけど記憶力は悪い方ではないし、それに人との約束を忘れたことなんて今まで一度もなかったのに……」


「それがたまたま今日起きた、と……?」


「一緒にごはん食べてた時は確実に覚えてたの。当たり前だけど。それが水無瀬さんがいなくなって少ししたら、すっぽり頭から抜けちゃったみたいで……」


「…………」


「どんな理由があっても許されないけど、水無瀬さんには本当にヒドイことしちゃったって反省してます。弥堂君が彼女と一緒に来てくれてよかったよ。ありがとう」



 嘘をついているようには見えないが、やはり腑に落ちない。



 この事件――と呼んでいいものかどうかはまだわからないが――全体に付きまとう不明瞭さと一致する印象の証言だ。



 弥堂の知る野崎 楓という人物は責任感の強い人物だ。


 その責任感は友達だからだとか、仲が良いからなどというあやふやなモチベーションで維持されているものでなく、学級委員という責任ある立場だから責任感を発揮するという、そういった種類のものだから一定の信頼性があると評価していた。



 その彼女がうっかりとクラスメイトとの約束を忘れるか。


 そんな風にはまったく思えない。



 仮に、百歩譲ってそれが本当だったとして。



 それでも――



「――4人全員が同時に約束を忘れるなどと、そんなことがあるのか?」



 弥堂のその問いに、野崎さんは一瞬言葉に詰まり気まずそうな顔をしてから口を開こうとするが。




「――テメェ、どのクチで言ってんだ」



 その前に背後から別の人物が口を挟む。



 弥堂は振り向く。



 しかし視点を180度回したその先には誰もいない。



「古典的なことやってんじゃねえよこのヤロウっ! こっち向けよ“ふーきいん”!」



 少しだけ視点を下げると、そこには赤い髪のちびメイド――“まきえ”が腕組みをして立っていた。



「カエデをイジメんじゃねえよ、“ふーきいん”」



 今日は一段と機嫌が悪いのか咎めるように向けられる目がいつもよりも険しい。



「あのね“まきえ”ちゃん。これは私が悪いの。約束を忘れてて弥堂君と水無瀬さんに迷惑をかけちゃったの」


「アン? カエデでもそういうことあんのか?」


「うん。失敗しちゃった」


「まぁ、気にすんなよ! 誰でもそういうことはあるぜ。オレもよく忘れ物しちゃうんだ」


「あらら、そうなの?」


「あぁ。出かける前にハンカチをポッケにいつも入れてるはずなんだけど、使おうと思ったら無くって。それでよく“うきこ”が渡してくれるんだ」


「“うきこ”ちゃん優しいね」


「アイツはオレの嫁だからなっ! そんなことより、オイっ! “ふーきいん”!」



 野崎さんとほのぼのと話していたと思ったら、弥堂には鋭い目を向けてくる。



「“ふーきいん”ではない。“ふうきいいん”だ」


「カァーっ、うるせーなテメェはよぉ! ホントそういうとこな! どっちでもわかるだろ」


「どうでもいい。今は彼女と大事な話をしているんだ。失せろ」


「なにが大事なんだよ。カエデも謝ってんだから許してやれよ。オマエはホントに小せぇ男だな! ダセェよ!」


「許すとか許さないとかそういう話ではない」


「うっせ。いいだろうが、ちょっと忘れちゃったくらい。約束を覚えてても守らないクソやろうだっているんだからよ!」


「そんなヤツがいるのか。それは許せないな」


「テメェのことだよ! クソやろう!」


「なんのことだ」



 そうやら彼女は自分を責めに来たようだ。何のことを言っているのかは心当たりがいくらでもあったが、弥堂はとりあえず惚けてみた。



「なんのことだじゃねーよ! オマエ騙しただろ⁉」


「俺が? それは誤解だ」


「そういうのいらねえんだよ! 何が『お宝』だテメェ! 無駄にいっぱい穴掘らせやがって何も出てこねえじゃねえか!」


「それはまだお前が当たりを見つけていないだけだ。さぁ、今からでも遅くない。もう一回チャレンジしてこい」


「ウソばっか言うんじゃねえよ!」


「嘘? どうして嘘だと言い切れる? 俺は裏山のどこかに『お宝』を隠したと言った。その『お宝』があるのかないのかは『お宝』が発見されるまでは証明されることはない」


「うるせーんだよ! いみわかんねえこと言ってまた騙そうとしてんだろどうせ! それに今日の用件は『お宝』じゃねーよ!」


「じゃあ、なんだ。いつも言っているがまず先に用件を言え」


「お嬢様のところに一緒に行くぞ!」


「なんだと?」



 放課後のこちらの予定を勝手に決めているかのような物言いに弥堂は眉を寄せた。



「なんだとじゃねーよ! テメェ結局昨日もバックレやがっただろ!」


「それは誤解だ」


「誤解じゃねーよ⁉ だってオマエお嬢様のところ来てねーじゃん!」


「そもそも行くとは言っていない。勝手に約束をした気になっているお前の認識が誤っていると言っている」


「それ昨日もやったよな! カエデっ! ほら見ただろ? コイツいっつもこうなんだ!」


「あ、あははー……、弥堂君は真面目だから……」


「真面目なヤツはこうはなんねえよ! そんなことより! 今日という今日は連れてくからなっ!」



 そう宣言して“まきえ”はジリっと間合いを測る。



 弥堂はそんなちびメイドを尻目にすぐ近くに立つ野崎さんの腰に手を回して彼女を抱き寄せた。



「えっ――⁉」



 突然のことに驚き身体を硬直させる彼女の顔にもう片方の手をやって、野崎さんの顔から眼鏡を奪い取る。



「オっ、オイ! テメェ、カエデになにをっ……⁉」



 そして背後で喚く“まきえ”にポイと眼鏡を投げ渡す。



「わっ――⁉ おっととと……」



 それをちびメイドがキャッチしている間に、野崎さんの顔へ自分の顔を寄せ――



「オッ、オマエなにして――」



――ながら野崎さんごと身体の向きを180度回すと、野崎さんの肩を軽く押して彼女の背後の位置にいる“まきえ”へ向かって突き飛ばした。



「カッ、カエデっ――⁉」



 そして、目を閉じている状態で背中から倒れようとする野崎さんを“まきえ”が受け止めるのを横目で確認しながら、教室の窓に身体ごとぶつけてガラスをぶち破る。



 2階の教室から外へと勢いよく飛び降りた。



(ふん、馬鹿め――)



 心中で侮蔑しながら空中で着地の体勢を整える。


 このまま一気に走り去ってしまえば余裕で撒ける。



 そのような算段をしていると、ふと自分の上から影が差したことに気が付く。



 反射的に上を視ると、上空から迫る者があった。



 近くに生えている木の枝から飛び降りた青い方のちびメイド――“うきこ”だ。



「“ふーきいん”逃がさない」



 得意げに笑いながらその幼い瞳を嗜虐的に光らせた彼女は弥堂の首を両の腿で挟むとグリンと無理矢理姿勢を崩して上下を反転させる。



 そしてそのまま地面へと脳天から弥堂を叩きつけた。



――フランケンシュタイナーだ。



 コンクリの地面に二階から飛び降りた勢いを増幅させられた上で頭部を叩きつけられ、弥堂はグリンと目玉を裏返した。



「ふふっ……、つーかまーえたっ」



 そんな無邪気で楽し気な声を遠くに聞きながら弥堂は意識を手放した。


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