序-22 『聖域の証左』
「お前らもう帰れ。カスどもが」
あれから十数分。邪魔者(被害者)を無力化し、犯人グループに訴訟をチラつかせて彼らの両親から示談という名目で慰謝料を巻き上げようと気炎を揚げていた弥堂であったが、あっという間にやる気をなくしていた。
「狂犬クン、キミさ。連行すると言って暴力を奮ったと思ったら帰れ。次に訴訟するとか脅したと思ったらまた帰れ。傍若無人にもほどがあるぜぇ」
いよいよ大詰めといった様相を演出したのちに、彼らに対して具体的にどれほどの額を出せるのかヒアリング(脅迫)をしたところ、彼らの家庭は然程裕福なわけでもなく、とても多額の慰謝料も学園への寄付金も払える余裕などはないということが発覚した。
彼らの口から語られた内容が事実であるか確認をするために、弥堂は自身の所属する部活動の情報部と言ってもいい存在である『
何故、対象の名前を告げただけで彼らの両親の経済状況をY'sに調べることが出来るのかは弥堂にはわからなかったが、あのやり手の廻夜部長が任命した情報官である。その真偽を疑っていては仕事にならない為、弥堂はそこには疑問を持たずに事実であると認定をした。
例え裁判で勝ったとしても被告が支払い不能な金を国が立て替えてくれるわけではない。分割にしたとしても、その後は彼らに対し毎月夜逃げを警戒しながら自力で金を回収しなければならない。とてもそのような労力は割いてはいられなかった。
知り合いの闇金業者で無理矢理金を借りさせて東南アジアあたりの漁船に突っ込む方法もとれたが、なるべく業者に外注をして借りは作りたくない上に、学園の支配者たる生徒会長からも極力退学者を出すなと厳命されている。
これでは諦める他なかった。
弥堂はいつだって自分のような社会的に立場の弱い者が不遇を強いられる、そんな世の中を嘆いて憤って、すぐに切り替えてやる気を失った。それと同時に金になると先程脳内で上げた希咲 七海に対する評価を4つほど下げた。
そしてそんな弥堂の態度を見て希咲 七海は彼女のこれまでの人生で最も強い軽蔑を込めた視線を投げた。
「あんたマジでクソね」
ついさっきまではやり方は色々な意味で本当に最悪で酷かったが、少なくとも自分の為に戦おうとしてくれている姿勢は見えたので、ギリギリどうにか飲み込んできた。しかし、金にならないと見えるや否や隠そうともせずに露骨にやる気をなくし、即断で事態を放り捨てた無責任極まりないこの男への怒りがぐつぐつと煮え滾る。
「ちっ、使えない女だ」
「あんだとこらぁ。てめぇ勝負しろこのやろー」
そんな自分へと本当につまらなそうに舌打ちして吐き捨てる弥堂が憎たらしくて仕方ない。なんならこの場にいる誰よりもこのクラスメイトの男子をぶっ飛ばしたかった。
元々対立していた法廷院たち『
唯一の救いは、弥堂が現れるまでの出来事は落ち込んでしまう類のショックだったので、それが弥堂からの仕打ちにより怒り一色で全身をカッカと燃え上がらせるようなエネルギーに現在満ちているのはある意味ではよかったと言えなくもない。もちろん無理矢理いい風に捉えるなら、の話だが。
「そういうわけだ。全員帰れ」
そういうわけで、不遜に言い渡す風紀委員の男に対してこの場の全員のヘイトが向いていた。
「いやよ! まだ私の要求を叶えられていないわ!」
弥堂への憤りはあるものの、疲労感の方が勝るので全員がもう帰りたいと願う中、不屈のメンヘラ女である白井さんが強情にも主張を取り下げない。この場の全員がうんざりとした眼を彼女へ向けた。
「いつまで言ってるんだ、鬱陶しい女だな。失せろ」
「ふん、今更そんな甘い言葉を囁いたって騙されないわ! 私の目の前で希咲を口説いておいてどの口が言うのかしら」
「白井さん的にこれは甘い言葉なんだ……」
希咲は違う生き物を見るような眼を白井へと向けた。
「なによ! その勝ち誇った顏は! 見下さないでちょうだい!」
「いみわかんない。一体これまでの何を見てきたのよ……なんなら、ここに居る全員の中でこいつが一番嫌いだわ、あたし」
そう言って弥堂を指差すが、このような希咲の態度もメンヘラフィルターを通すと『あたしは別に全然好きとかじゃないんだけどー、こいつがさー勝手に言い寄ってきてさー、強引で困ってんのよねー』という、煽りにしか見えない。
「もういい、面倒だ。一緒に便所にでも行っておぱんつを見せてこい。それでいいだろ」
「それじゃダメよ! ちゃんと男たちの居る前で晒してもらうわ! 私と同じ場所まで降りてきなさいよ‼」
「ちっ、狂人めが」
目ん玉をガン剥きして血走らせながら叫ぶ女を弥堂は心底から見下した。頭が狂っている人間を説き伏せることは不可能なので彼女と話していても埒があかない。
「――だそうだ。お前ちょっとそのスカート捲れ」
「はぁ⁉」
なので比較的話が通じる方に無茶な注文をしてみた。
「ちょっと醤油とってみたいなノリで、気安くとんでもないこと言うんじゃないわよ! いやに決まってんでしょ!」
「だが、このままじゃこいつを殴って表に放り捨てる以外に終わらんぞ。サッと捲ってそれで終わらせた方が効率がいいだろう」
「あんた女性の尊厳をどうこうする専門家なんじゃなかったっけ」
「そんな時もあったな。しかし、お前はどうせいつも其処彼処で頼まれもせんのにおぱんつを見せて廻っているらしいじゃないか。減るもんじゃなかろう」
「んなことするわけあるか! 適当なこと言うな!」
「しかし、然る筋からの確かな情報だ」
「どこの筋だぼけっ! 教えろ! そいつ引っ叩いてやる」
「それはお勧めしない、俺は構わんがお前らは大変なことになるぞ」
「どういう意味よそれ!」
弥堂は頭にお花の咲いた、目の前の希咲の親友である少女を思い浮かべながら忠告をした。彼としては皮肉や脅迫のつもりではなかったのだが、今の希咲にとってはそれは挑発にしかならなかった。
「ほら、私の言った通りじゃない! やっぱり誰彼かまわず――」
「――白井、だまれ」
「――…………」
すかさず調子づいた白井さんが口を挟もうとしたが、いい加減我慢の限界が近い希咲にマジの眼を向けられさすがの彼女も委縮した。
基本的に一般生徒に手を出したりなどはしない希咲さんであったが、あくまでそれは基本的な話であり、ここまで基本と呼べるような日常からかけ離れた状況が続くと例外的な対応もとらざるをえない。
少なくともそう匂わせるだけの迫力が今の希咲の形相にはあった。
「おい、さっさと見せてやれ。早くしろ」
「いい加減にしときなさいよ、あんた。てか、さっきまでのあんたの理屈からいくと、あたしは今あんたに何割レイプされてることになるのかしら?」
「何の話だ? 知らんな」
「こっ、このクズやろう……」
拳を握りしめプルプルと震えながら怒りをギリギリで堪える希咲の様子に、周囲の者は身を退くが、弥堂は何ら悪びれる様子もない。
「きょ、狂犬クン? ほら、さ? 実際問題ね、女子にそんなこと要求するのは普通に間違ってるし、キミがさっき言ってた通り犯罪だからさ、ね? やめよ?」
何故か、法廷院が気を使って執り成しに入るが、すぐにギロッと白井に睨まれて口を閉ざす。
「ふむ、そうだな。では間をとろう」
「あいだ? こんなのに何の間があるってのよ」
平和的に公平な解決方法をとろうと風紀委員の弥堂から提案を持ち掛けるが、希咲の険は緩まない。油断をするとこの男は突然何を言い出すかわからないので一層不信感を強めた。
「うむ、こいつらはお前のおぱんつが見たい。お前は見せたくない。そうだな?」
「当たり前じゃない」
「いや、ボクらがパンツ見たがっているって言い方はなんか誤解を生むんじゃないかな」
「事実でしょ、変態ども」
「では、見たくないのか?」
「忌憚のない意見を言わせてもらえるのであれば、正直なところそりゃ見たいよ」
「しね、へんたい」
忌憚のない意見を述べた法廷院は希咲に害虫を見る時の眼を向けられるが、何故か彼は胸を張り己というものを曲げなかったことを堂々と誇った。
「では、こうしよう。直接の目視はなし、代わりにどのようなおぱんつを着用しているのかを口頭で情報開示する。これで双方折れろ」
「ほう」
「ふざけんじゃないわよ!」
弥堂からの折衷案に弱者の剣側は一定の興味を示し、希咲は激昂した。
「そんなの生温いわ! 納得できるわけがないじゃない!」
「ちなみにこれで解決しないのであれば、俺は再びお前らに暴力の行使をする。次は手加減はしない」
ついでに白井さんも激昂したが、弥堂からの無慈悲な脅迫に屈してすぐに黙った。
ということで、この場で納得のいかない者は希咲だけとなった。当たり前だが。
「どこが間なのよ! 結局あたしだけ損してんじゃない! ちょっと、聞いてんの? こっち向きなさいよ!」
弥堂へと抗議をするが、怒りの声を向けられている彼はじっと車椅子に座る法廷院の方を見て反応をしない。弥堂の視線に気づいた法廷院も不思議そうに首を傾げた。
「ちょっと、弥堂!」
「あぁ、少し待て」
詰め寄ろうとする希咲を片手で制し、ズカズカと法廷院の方へと歩いていく。
「ヘっ? えっ? なに? なんだい?」
無言で近づいてくる弥堂に危機感を感じ焦るが彼は何も答えない。法廷院の背後の高杉が警戒の体勢に移るよりも早く、弥堂は車椅子のフットレストに置かれた彼の足をガッと乱暴に掴むとそのまま引っ張り上げた。急に重心が派手に加わって背もたれからひっくり返りそうになる。
「うっ、うわわわわっ」
「くっ、代表っ」
それにより車椅子を支えることを余儀なくされた高杉は法廷院を守るために割って入ることが出来なくなった。
「ちょっ、ちょっと、何するんだよ狂犬クン!」
弥堂は尚も無言で作業を進める。法廷院の履いている室内シューズをこれまた乱暴に脱がせるとその辺に適当に放り、そのまま続いて彼の靴下を脱がせにかかる。
「あぁっ! やめてぇっ! いやぁっ、無理やり脱がせないでぇっ‼」
暴漢に乱暴をされる乙女のような悲痛な叫びをあげるが、弥堂は当然無視をした。
そして何の苦もなく法廷院の両足の靴下を剥ぎ取ると、制服の上着の内ポケットから押収した証拠品を一時的に保存する為に常に持ち歩いている大きめの密閉袋を取り出し、その中に靴下を放り込み淀みなくチャックを閉めると懐へと仕舞う。
脱ぎたてほやほやの靴下の温もりが袋と制服越しに伝わって大変に不快だったので、腹いせに車椅子に一発蹴りを放ち、そのまま何事もなかったかのようにもとの場所へと引き返してくると、唖然と口を開けて自分を凝視している希咲へと向き直る。
「どこが間なのか、だったな。いいか、よく聞け――」
『いやいやいやいやいや‼』
その場の全員からの総ツッコミが入った。希咲からの質問に真摯に答えようとしていた弥堂は気分を害した。
「なんだ」
「なんだ、じゃねぇわよ! 今のなんなのよ⁉」
「なんのことだ?」
「いや! あれっ! くつした!」
何のことだと聞かれても、何が起こったのかさっぱりわからなくて説明のしようもなく、突然衣服を剥ぎ取られて大変なショックを受けたのか、高杉の逞しい胸元に顔を埋めて泣きじゃくる法廷院を指さして一連の弥堂の行動を示唆する。
「うん? まぁ、気にするな」
「あんた何もかもが脈絡なさすぎるのよ……」
弥堂は面倒だったので説明を拒否したが、希咲ももうだいぶ疲れが色濃く、別にあのような凶行の理由がどうしても知りたいわけではないのでスルーすることにした。
「うぅ……突然無理矢理に身を晒される恐怖がよくわかったよ……やっぱりこんなことはよくない……」
法廷院は涙ながらに深く反省をした。
「うむ、どうやら奴も自らの行いを悔いているようだ。お前も少しは歩み寄っておぱんつの色と形状だけでも教えてやれ」
「ちょっと待って……とりあえずいやだけど、あたしもう、ほんともう……頭が追い付かないの……あんたマジでなんなの……」
「風紀委員だ」
「…………」
希咲は身に襲い掛かる未だ経験をしたことがないような途轍もない疲労感に押しつぶされそうで、眉間を指で揉み解しながら何かを言い返そうとして口を開け、しかし返す言葉が何も見つからなくて諦めた。
風紀とは何だったか、正しさとは何か。もう何もかもがわからなかった。
「うやむやにしようたってそうはいかないわよ。あなたのその口からしっかり説明なさい」
「白井さんホントしつこい……」
「白井さん! もうやめよう! これはとっても『ひどいこと』なんだ! だってそうだろ――あの差支えなければで結構ですので、簡単に開示できる範囲でいいのでどうかお願いします」
改心した法廷院が擁護に回ろうとしたが、白井の一瞥であっというまに寝返った。人はそう簡単には変われはしないのだ。
「ほれ、さっさと言ってしまえ。適当でいいそうだぞ」
「てっ、適当たって……なんであたしが…………その、ふ、ふつうよ。ふつうのやつ……」
嫌がりながらも希咲は何故か答え始めた。彼女からはもうだいぶ正常な判断能力が失われていたのだ。主に弥堂のせいで。
「普通ですって……? 色は?」
しかし白井さんはその程度では納得しない。懐疑的な視線だ。
「え? 色?…………しっ、白よ。ふつうに白」
「怪しいわね……Tバックでしょ?」
「ちっ、違うわよ! 普通の白いやつ!」
「嘘ね」
「なんで!」
キョロキョロと目を泳がせ、何故か周囲の者の顔色を伺いながら答える希咲の様子から、白井は嘘であると断定した。
「希咲、いい加減に観念しなさい。あなたはギャルなんだからどうせ黒でしょう?」
「ちっ、ちがうわよ! 嘘じゃないから!」
白井による尋問が続く中、希咲はあくまで自身はシロであると言い張る。
そもそも、もはや適当に答えればいい状況になっているので、黒だと言って納得させてしまえばいいだけの話なのだ。弥堂なりに配慮した結果このような状況を作り出したのだが、その意図は全く以て彼女に伝わってはいなかった。重ねて言うが、彼女は判断能力が疲労により平時よりもはるかに低下していた。主に弥堂のせいで。
その弥堂は、希咲の下着になど興味がないので、スマホのメールチェックをしていた。すると新たに届いていた情報を確認していく中で、ふと、昼休みにY’sから送られてきた画像のことを思い出した。その画像とはもちろん『希咲 七海おぱんつ撮影事件』の証拠画像である。
「ふむ」
顎に手を置き一つ頷くと、シロだクロだと言い合う女たちに目を向ける。
適当に相手に話を合わせて終わらせろというこちらの意図は希咲には伝わっていない様子だったので、弥堂はもう自身が介入して終わらせることを決めた。
「白でも黒でもないだろう」
「は?」
「え?」
声が大きいわけでもないのに何故かよく通る彼の声に二人はやり合いを一時中断した。
「ちょっと! なんで弥堂クンがこいつの下着を知っているの⁉」
「白井うっさい。けど、弥堂あんたまたいい加減なこと言って掻き回さないでくれる」
どうして言い合いをする女どもを止めると毎回一緒にこっちに敵意を向けてくるのかと、浮かんだどうでもいい疑問を脇に放り、弥堂は希咲へと答える。
同時に声をかけても弥堂が毎回返答を希咲へ向けてすることを、白井さんは大変腹立だしく思っていた。嫉妬に狂う害悪女の宿命である。
「いい加減なことを言っているのはお前だろう、希咲。今日のお前のおぱんつは白ではない。さっさと本当のことを言ってその煩い女を黙らせろ」
「は、はぁ? なんであんたに嘘かホントかがわかんのよ! 適当なこと言うな!」
威勢よく弥堂に言い返すも希咲は内心焦りを感じ、『えっ? 今日こいつに見られちゃったようなタイミングってあったっけ?』と、本日の出来事を脳内で巻き戻して該当箇所を検索する。
「…………」
弥堂は特に何も答えず、希咲の頭を見ていた。正確には、彼女のサイドテールを括っているシュシュをジーっと見ていた。釣られてその場の全員がそれに目を遣る。
「ふむ、そうだな。ちょうどその髪留めのような色だ」
「へ?」
弥堂が指差すそれを、今日どんな色だったかしらと、カーディガンのポッケからスマホを取り出すと自撮りモードにし、鏡代わりに自身の頭を映す。
緑に近いような水色のかわいらしいシュシュが画面に映っていた。
「はっ⁉ えっ⁉ うそっ――なんでっ⁉」
それを確認するや否や希咲は疑問と羞恥に焦り、一気に顔を紅く染め上げた。
「そんな感じの青だか緑だかよくわからん感じの色だろう、お前のおぱんつは」
「びっ、びとっ――あん、たっ! なんでっ!」
何で知っているのかと問い質したいが言葉が上手く出てこない。
「詳細に言うのであれば、基本的にその薄い青のような布地が大部分で両側面は何故か薄桃色。他に黄色のリボンと花の刺繍が無駄に施されている」
「ちっ、ちがっ――うそっ、ちがうもんっ!」
追い詰めた犯人に次々と証拠品を突き付けてトドメを刺しにいく探偵のように、弥堂は希咲に人差し指を突き付け乙女の秘密を審らかに暴いていく。審らか過ぎて若干ひくほどだ。希咲はその追及に対して論理的に反論することが出来ずに、ただ彼から秘密を守るかのようにせめてもの抵抗でスカートをぎゅっと抑えて否定の言葉だけを連ねる。どちらが優勢かは一目瞭然であった。
「呆れ果てたわ、希咲 七海。結局彼とはそういう間柄なのね。恋人でもない男が当然のように下着の色だけでなく細やかな形状まで知っているだなんて、やっぱりあなたは不潔だわ!」
「ちがっ――ちがうっ! うそよ!」
完全に白井さんは『おまいう』なのだが、本日何度目かの絶賛大混乱中の希咲にはそのことに気付き指摘をできるだけの余裕はなかった。
「ふん、あなたのその態度が何より物語っているわ。語るに落ちたわね、希咲 七海っ!」
「ちがうっ! 嘘よ!――そうだ、証拠よ! そこまで言うんなら証拠をだしなさいよ!」
「希咲さん……それは完全に敗けフラグだよ……」
法廷院が若干優しい目になり指摘をしたが、それを理解するだけの余力はもう希咲には残されていなかった。
そして、優しい目になりつつも、内心では湧き上がる期待感に彼はそわそわしていた。それは高杉以外の他の面々も同じようで、期待を込めた視線を弥堂へと集める。
「ふん、証拠だと? いいだろう。お前が自らそう望むのならば引導を渡してやる」
「はっ、はぁ? 何が引導よ。大体証拠なんてあるわけないじゃない。あたしがここでスカートの中をあんたに見せない限り確かめようがないじゃないの。そうよ、箱の中のパンツよ。スカートを捲って見なきゃ白かミントブルーかなんて確定しな――」
「これを見ろ」
「――見ろって、あんたのスマホじゃない。これが一体なん、だっ……て…………」
弥堂は法廷院たちを背にして希咲へと自身のスマホの画面を向けてやる。それを、希咲は別に視力は悪くないのだが、雰囲気的に目を細めながら近づいて画面を覗く。後ろめたさを隠すように早口で何やら捲し立てていたが、画面に映っているものが何なのか理解するに連れて尻すぼみに言葉が消えていく。
「なっ、なななななっ、なんっ……これっ、あんた……なんっ……」
そこに映っていたのはもちろん本日の昼休みに弥堂がY's 経由で入手した高解像度の希咲 七海のパンチラ画像だ。先程弥堂が説明した通りの色と柄の下着を身に付けた自分の下半身が露わに写し出された画像に一瞬で羞恥が全身を駆け巡った。
画面に映っていたのはカメラに背中を向けている自身の親友と対面しながら、片足を上げてスカートの中を露わにした自分の姿だ。
否定をする余地などないほどに下着だけでなく顏まではっきり映し出されている。
一目見てすぐわかった。朝のHR開始前に、水無瀬 愛苗の髪を直してやった時の一幕を切り取ったものだ。水無瀬が落としたヘアブラシを両手がふさがっていたので、膝で落下中のそれを蹴り上げてキャッチしたあの時のものだとすぐに思い至る。
あの時内心で自分の手際に、『キマったわ、ふふん』とドヤっていたのに、奇跡的なタイミングで足を上げた瞬間を盗撮されていたとあっては、完全に自分がバカみたいで頭がカッとなった。それが怒りからなのか羞恥からなのか、自分でももう何が何だかわからない。
角度的に窓の外から撮影したはずのこんな画像が何故存在するのか、さらに何故この男がそれを所有しているのか、わからないことだらけで頭の中がグチャグチャになる。
「何だと? お前のおぱんつだろうが。まだしらばっくれるつもりか」
女生徒の下着盗撮画像を証拠品として堂々と突きつける男は強気に自供を迫った。
「そうじゃなくって…………てか、あんたそれ――とうさつ! かえせっ‼」
大分遅れて、現在目の前に居る普段教室を共にするクラスメイトの男子が、自分のあられもない姿を撮影した画像を所持していることの恥ずかしさに理解が追い付き、すかさず飛び掛かってスマホを奪い取ろうとする。
それを弥堂は余裕をもって躱した。
「返せも何もこれは俺の私物だ」
「そうじゃ! ない! わよ‼ わかってんでしょ! それ消せっ‼」
身を躱す弥堂を追い、言葉を連ねながらスマホを奪うためにパンチを繰り出すように連続で腕を伸ばしていく。それを弥堂は半身になり上手く重心を連続で移動させながら彼女の攻撃を空転させていく。
その様子を遠巻きに見ながら法廷院たちは一体どんな画像だったのかという議論を重ねていた。彼らの方からは死角であり、弥堂のスマホの画面に写っていたものを窺い知ることは出来なかったが、しかしそれが却って思春期の少年たちの豊富な想像力と好奇心を強く刺激した。
白井はそれには加わらずにまたも視線に憎しみを漲らせていた。
「これ見よがしにまたじゃれつきやがって……」
「…………」
その横で高杉もまた議論には加わらずに無言で二人の応酬を見ていた。その表情は真剣そのものであった。
「どうしたんだい? 高杉クン」
「……代表……いえ、ただ…………」
その様子を怪訝に思った法廷院が彼に尋ねるが、高杉は彼らしからぬ煮え切らない返事をした。視線は弥堂と希咲に釘付けなままだ。希咲が攻撃を繰り出し、それを弥堂が避ける。その応酬の速度がどんどんと上がっていく。
「消すことは、出来ん、なっ。これは、証拠品として、俺の元へ預けられた、もの、だっ」
「ふざっ、けんじゃ! ねぇっ、わよ! いい、からっ! そのスマホっ、よこせっ‼」
弥堂のスマホを奪うべく伸ばしていた希咲の腕はもうそれを狙ってはおらず、弥堂自身へと目掛けて直接放たれていた。彼女の速度が加速度的に上がっていき、もはや拳を握って繰り出されているその突きは、ついには弥堂の顏を確かに掠めた。
弥堂の眼つきが変わる。
「ただ、これはもう、じゃれあいなどというかわいいものでは――」
「――もう怒った」
高杉がそこまで答えた時、静かに声を発した希咲は次の瞬間には弥堂の懐に入り込んでいた。
「――⁉」
高杉とやり合っていた時でさえ一切の余裕を崩さなかった弥堂の眼が見開かれる。完全に反応が遅れた。
その隙に流れるような動作で、しかし高杉の、そして先程の弥堂のスピードよりも圧倒的に速く希咲はその細長い美しい右足を跳ね上げた。
虚を突かれた弥堂は回避は不可能だと断じ、左腕を上げて彼女のハイキックをガードしようとする。その速度には確かに後れをとったが、しかし所詮は細い女の力だ。じゃれついてくる程度ならあしらってやるが、このように実力行使に出るのならば話は別だ。
彼女の蹴りをガードした後に床に引き倒して制圧する。そのように弥堂はプランを立てた。
しかし、それは叶わない。
希咲の足が弥堂のガードの腕に叩きつけられた瞬間、ズガンっと重い音を立て弥堂の身体が浮いた。
「なん、だと――」
腕と足、とは謂え体重が50㎏あるかどうかすら怪しい細身の希咲に完全に力負けをした。
弥堂は追撃を警戒してバックステップで距離をとる。希咲はそれを追わなかった。その場に立ったまま静かに弥堂へと視線を向ける。
「バカな……」
その様子に高杉は驚愕で目を見開いていた。
先のマッチアップで一度たりとも自分は弥堂にクリーンヒットを与えられなかった。しかし、多少は素人なりに喧嘩は出来たとしても、まさか本格的な戦闘を熟せるなどとは微塵も考えていなかった女子生徒が、ガードの上からとはいえあっさりと自身を打倒した男へと有効打を見舞っていた。今まさに目にした出来事であるが、俄かには信じ難い。
「どういうつもりだ。ここまでの暴力の行使をされればこちらとしてもただで済ますわけにはいかんぞ」
強気な姿勢とは裏腹にそれとなくガードした左の腕の動作を確かめる。多少の痺れが残ってはいるが、折れてはいなかった。それはつまり、折れていてもおかしくはない威力の攻撃を、この少女が撃ってきたと体感したということだ。
「どういうつもり……? ハッ――こっちの台詞よ。てか、もういいわ。喋んなクソ野郎」
「そうか。ならば業務妨害と見做しこちらも実力で排除する」
完全に雰囲気が変わり嘲笑うかのように吐き捨てる希咲の様子を見て取り、弥堂もまた完全に彼女を敵性存在として相対することを即断する。
「うっさいのよ、風紀委員だかなんだか知んないけど、エラっそうに。あんたチョーシのりすぎよ」
「…………」
先程までとは違う。希咲の眼に宿るのはもはや敵意しかなかった。
「なに? 黙っちゃって。一発でビビっちゃったわけ?」
「黙れと言ったり喋れと言ったり、コロコロと言うことが変わるな。典型的なバカ女の特徴だ」
「減らず口ばっかね。あんた絶対泣かしてやるわ」
「さっきから泣いてばかりいるのはお前だろう。安心しろ、どうせお前はまた泣くだろうがちゃんと泣き止むまでいくらでも付き合ってやる。拷問部屋でな」
「上等よ――」
完全に敵対し戦闘に入る二人の雰囲気に緊張が高まる中、高杉は固唾を飲んでそれを見ていた。
他4名は突然始まったガチな仲間割れに着いていけず、ぽかーんと間抜けに口を開いて思考停止していた。
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