序-17 『適応異なる異なら不る因子』

「俺はホモだ」


『どん‼』と大きな衝撃が空間に走ったかのような錯覚をその場に居る者全員に与えるほどに、唐突にしかしあまりに正々堂々と明かされたその男の性癖は誰しもに沈黙を強いた。



 まるで戦場で名乗りを挙げた将のように威風堂々と佇む高杉、その後ろで玉座から見下ろす王のように不敵に哂い車椅子の上で踏ん反り返る法廷院 擁護ほうていいん まもる、その二人と対峙して先程の高杉の言葉にも何の感慨も見せず普段通りの無表情は崩さずにしかし決して油断なく己の敵を見据える弥堂 優輝びとう ゆうき、そしてその弥堂により戦闘不能に追い込まれすすり泣く3名の『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の構成員たち。


 この場にいるその全員を希咲は気まずそうにキョロキョロと顔色を窺うように見回し、誰もが口を開く様子がないと見て取ると、何か言わなきゃと口を開きかけるが、寸でのところで自身のカーディガンの萌え袖から出たお手てでお口を塞ぎ、やがて鎮痛そうな面持ちで俯いた。



 無理もない。

 近年何かとセンシティブな問題として世間を賑わせることの多い議題だ。迂闊に口から軽率な言葉を発してはどんな大惨事に繋がるかわからない。


 希咲 七海きさき ななみはプロフェッショナルなJKである。場の会話が途切れることを恐れとりあえず何か喋って会話を繋ぎたくなる習性を持つが、同時に何よりも炎上を恐れる習性もあった。


 七海ちゃんはお口をもにょもにょさせた。



 そんな希咲の様子を高杉はくだらないものを見下ろすように「ふん」と鼻を鳴らし一瞥すると口火を開いた。


「女。俺を憐れむな、俺は敗者ではない」


「えっと、あたし、そんなつもりじゃ……いえ、ごめんなさい……」


「謝るな、女。俺は被害者などではない」


「はい……えっと……その、はい……あ、でも女って呼ぶな。散々あんたの仲間があたしの名前呼んでたから知ってんでしょうが」


「はい」と答えるしかなくあっという間に言うべき言葉がなくなってしまったので、希咲はとりあえず自分の要望だけははっきりと伝えた。


 そして高杉はそんな希咲をまた鼻で嘲った。


「あ、やっぱ、こいつもムカつく奴なのね。ほんとなんなのあんたたち」


 希咲は眉をピクピク跳ねさせて苛立ちを露わにするが、高杉はもう彼女へは取り合わず弥堂へと言葉を掛ける。



「弥堂 優輝。こうしてお前に会う日を待ち望んだぞ」

「そうか」


 にべもなく端的に弥堂は返すが、希咲は「えっ、それってまさか……」と顔を青褪めさせて弥堂と高杉の顏の間で視線を往復させる。


「邪推をするな、女。俺はただこの男と拳を交える日を渇望していただけだ」

「あ、えっと、はい。勘違いしました、ごめんなさい」


 七海ちゃんは素直にぺこりと頭を下げた。


「ふん。お前ら汚らしい女はすぐに『ソレ』に直結させる。その愚かしく浅ましい口を開くな、黙っていろ女」

「あんだとこのやろぉ? こいつより先にあたしがやってやんよ。かかってこいおらぁ、ぶちのめしてやる」


 寡黙な男かと思えば口を開くたびに自分を罵倒してくる高杉に、七海ちゃんはぶちギレてチンピラのように恫喝した。


「やめろ希咲。校内での生徒同士の喧嘩、それも暴力行為を伴うものは重大な校則違反だ。貴様そんなことすら知らんのか。引っ込んでいろ間抜けが」


「なっ! んっ! なのっ! よっ! もうっ‼ ばかっ! しねっ! あほっ‼‼」


 先程人間一人を校舎の二階の窓から放り捨てようとしていた男に「暴力はいけないよ、あと危ないから下がっててね」と注意をされ、希咲は行き場のなくした怒りを壁をゲシゲシ蹴って無理矢理発散させようとする。

 その彼女の鬼の形相に近くに居た西野君と本田君は抱き合いながら悲鳴をあげた。


 学園の治安を守る責務を負う風紀委員の弥堂は、学園の所有する建造物に危害を加える無法者を看過することはできずに、チッ、とめんどくさそうに舌を打つと怒り狂う希咲の背後へと歩み寄る。そして猫にそうするように、希咲のカーディガンと制服ブラウスの首の後ろの襟元を掴んで、ひょいっと持ち上げて壁から引き剥がした。


「おい、やめろ馬鹿」

「ぎゃーー! バカはあんたよばかっ! やめて放してっ、女の子になんて持ち方すんのよっ! はなせっひっぱんなお腹見えちゃうでしょあほー!」

「じゃあなんだ。肩に担ぐかそれとも横抱きにでもすればいいのか?」

「いいわけないでしょ! やだやだやめてっ! さわんないでおろしてっ、へんたいせくはらばかすけべしねっ‼」

「お前ホントうるせぇな」


 希咲のあんまりな剣幕に弥堂はうんざりとした表情で、ぺいっと彼女を床へ放る。希咲は猫のように空中でくるっと姿勢を変えると着地と同時に弥堂に向って「ふしゃーっ」と威嚇をした。


「じゃれあいは終わったかな? 何でキミたちはすぐに脱線させるんだい?」


「「お前(あんた)が言うな(っ!)」」


 期せずして言葉と声が重なってしまい、それに不満を覚えた希咲がキッと睨んでくるが弥堂は無視をした。


 法廷院がその二人の様子に「仲がよろしくて結構だよ」と呆れた調子で揶揄うと希咲は今度はそちらに威嚇の視線を向ける。


「まったく怖いねぇ。まぁ、それはともかくとしてさ、そういうことだよ狂犬クン。ボクら今日は基本的に希咲さんに用事があったんだけどね、この高杉君だけはキミに大変ご執心なのさ」

「そうか。だが、俺はそいつに興味はない。いいか、今からそいつを昏倒させる。目が覚めたら専用の用紙に俺への用とやらを書き込んで、明日にでも風紀委員会事務室前の意見箱に投書しておけ。然るべき検閲が入った後に必要であれば俺の元に届く。精々上手く文章を考えることだな。わかったか? ホモ野郎」

「ちょ、ちょっと!」


 挑発的な姿勢を崩さない弥堂を希咲が窘めに入るが、弥堂は面倒そうに舌打ちをした。


「舌打ちすんな。あんたね、もうちょっと言い方考えなさいよ! 今のご時世的というかそういう配慮ってもんがあんでしょうが――あ、こら、なによその嫌そうな顔は――」


「構わん」


 敵とは謂えどもアルファベットを数文字並べる系の事項については、最大限の配慮とリスペクトが必要であると、希咲はクラスメイトの男子に現代人としてのマナーを説いたが、擁護をした当の本人から赦免の沙汰が言い渡される。


「女、構わん。先程俺は自らホモであると名乗った。俺はホモであることを誇りに思っている。小癪な英字頭文字での上っ面の装飾などは不要だ。俺は逃げも隠れもせん」

「は、はぁ……そうですか」

「気遣いには感謝する。だが、以後は不要である」

「は、はぁ、どういたしまして……」

「今の時代を生きる俺たちは恵まれているのだ――」


 高杉はそこで突然ふっと遠い目をした。しかし何やら続きがありそうだが話を続けようとはせずに虚空を見上げている。と、思ったらチラっと横目でこちらを見る。しかし喋り出す気配はない。


 希咲は自身の隣にいる男に「あんたの担当でしょっ」と視線を向けながら肘で突いて促すが、弥堂は応じる気配を見せない。七海ちゃんは一回お口をもにょもにょさせると、「何でこの連中いちいち語りたがるのよ」と不満を漏らしながら高杉に相槌を送る。


「え、えと、はい。恵まれている、ですか?」


「そうだ」

 

 高杉君は再起動した。どうやら聞き手役を欲しがっているので正解だったらしい。希咲は室内シューズのつま先で床をぐりぐりした。


「先人のホモたちはもっと過酷であったと聞く……表だった場所でもやはり差別や弾圧はザラに存在したそうだ。笑いのネタになっているものなどまだマシな方であったと伝え聞く」


「なるほど」


「それを考えれば、今の時代は恵まれている。勿論まだ問題は山ほどある。しかし、表向きの差別などはなくなった。いや、表向きしづらくなった、見えづらくなった、と言うべきか。今よりももう一歩進むためには皆がしている大きな誤解を解かねばならない」


「誤解?」


「そうだ。今は自分と『違うもの』も尊重しよう。そういったスローガンのもと俺たちに理解を示さない者に『非人道的』『差別主義者』といったレッテルを貼って袋叩きにすることで抑圧をしている。だが、それはとても歪なのだ」


「それは――でも、そうね。確かにそういう見方もできるかも」


 想像していたより遥に真面目な話でなんかすっごい大事なことっぽかったので、七海ちゃんは普通に聞き入り始めた。


「まず、前提が違う。我々は『違うもの』ではない。『別』なだけなのだ。そして根底にあるものは総て『同じ』なのである。俺も、女――お前も『同じ』なのだ。それが何かわかるか?」


「え? えっと……なんだろ……ごめん、わかんない……」


「謝るな、女、代表も仰っていただろう。知らぬは罪ではない。こうして今、お前は俺の話を聞いている。理解を示そうとしている。その心がけと行動は立派なものである。誇れ、女――いや、希咲 七海きさき ななみ


「あ、ありがとうございます」


 七海ちゃんは高杉先生に褒められた。


「うむ。では、俺たちの根底にある『同じ』ものとは何か。なに、難しいものではない。それは――『愛』だよ……」


「あ、愛……」


 七海ちゃんは口に出した後でちょっと照れてキョロキョロした。そんな自分の仕草に気付かれてないかと窺うように隣の男の顏を見たら、全く愛も情も解さぬ目でつまらなさそうに聞いていた。希咲は大きく失望した。


「そうだ。愛だ。お前が誰か男を愛するのも、そこの男が誰か女を愛するのも、そして俺が誰か男を愛するのも、その時俺たちのこの胸に宿る気持ちは『同じ』ものであるはずだ。違うか?」


「……ちが、わない……うん、そうね。あんたの言うとおり同じだと思う」


 希咲は理解を示した。脈絡もなく開口一番性癖をカミングアウトし、女呼ばわりをされて、この高杉という男には最悪に近い第一印象を抱いていたのだが、だがこうして考えを聞いてみるとこうも簡単に印象が変わるものなのかと感心をした。


 弥堂ほどではないが、希咲もやたらとトラブルに見舞われるせいで、いつの間にかそれが作業化されており、他人と対立した際に少し話をして通じなければもうぶっ飛ばしてしまえばいいという短絡的な思考に自分が陥っていたことに気付き、そしてそれを恥じた。

 よく知らない他の誰かも、それぞれみんな一人一人、自分と同じように何かを思って、何かの考えを持っているのだと、そんな当たり前のことを失念していたことに反省をする。


 思いもかけずこれはとてもいい話が聞けたぞと、嬉しくなってしまった七海ちゃんはプロのJKなので早速その喜びを誰かと共有したいと、今この場で同じ話を聞いて共感しているはずの隣にいるクラスメイトの男の子に話しかけようと、彼の制服の袖をクイクイひっぱる。


「ねぇねぇ弥堂、あんたも聞いてたでしょ。これすっごくだいじな――」


 しかし、希咲の期待にはそぐわず隣の男は死んだ目でどこを見るともなく、ぼーっと視線を虚空に漂わせていた。希咲は大変に気分を害した。


「あんたにはがっかりだわ」

「なにがだ」

「ふんっ」


 珍しく返事は返してくれた弥堂からぷいっと顏を逸らした。


(でもこいつ彼女いるのよね……?  愛する彼女……こいつが?  愛? うーーーん、想像できない……)


「では次は何が『別』なのか――」


 弥堂 優輝の恋愛事情に想像を巡らしそうになったが、続く高杉先生の授業にハッとなって希咲は静聴の姿勢を作る。


「同じ愛であるが、それは人によって『違う』のではなく、ただ『別な話』なだけなのだ。例えば希咲、お前が誰かを愛すること、お前の友達の女子が誰かを愛すること。それは人の持つ普遍的な愛という感情で、ヒトという種が誕生してよりずっと行われてきた同じ愛という営みではあるが、だが別の愛の物語なのだ。それはもちろん俺が誰か男を愛することも同じ人の生命の根源にあるものでありお前たちとは別の愛の物語で紡がれており、だが決して違うものではない。俺たちは違う種ではないのだ。それぞれただ別の物語を演じているだけであって、同じ愛をもって生きている」 


「――うん、うん。わかる。ちゃんとわかるわっ」


 希咲は前のめりになって首肯する。しかし、サラッと弥堂は例え話のキャスティングから降板させられていた。


「仮に『違う』ものがあるとすれば――それは性癖の違いでしかない」


「うん――……うん?」


「同じ愛から来る衝動をしかし異なる性癖でもって別れた道を辿り、しかし最終的には同じ頂きへと昇りつめ、そして至る。つまり、お前が好みのイケメンを想い毎晩股を掻き毟るのも、俺が好みのマッチョを想い毎晩摩擦係数の限界に挑むのも、同じ自己の啓発であり研鑽なのだ。違うか?」


「ちがうわよっ。あたしそんなことしてないしっ! 普通に感動してたのに何であんたたちって、ちょいちょいセクハラ挟んでくるわけ⁉」


 今日寝る前にこのお話の感想をSNSで絶対投稿しようとウキウキしていたのに、突然汚い下ネタを混ぜられ希咲は憤慨した。

 すると、隣の男が眉根を寄せてこちらを見ていることに気付く。珍しく彼の表情に変化が表れているがその目に宿る色は軽蔑だ。


「あによっ、してないっつってんでしょ! こっちみんなへんたいっ」


 色々台無しにされて七海ちゃんはまたプリプリ怒り出した。


「恥じることではない、誇れ」

「しねっ‼‼」


 通じ合うことが出来たと思ったらすぐに感情的に怒り出す目の前の女を見て、高杉は失望するとともにやはり男を愛する自分の道は誤りではなかったのだと己を誇った。


「ふむ、だが隠し秘めるのもまた性癖か。いいだろう」


「おい、このくだらん与太話はいつまで続くんだ?」


「ふふっ、せっかちな男だな。嫌いではないぞ。しかし、下らないなどということはない。弥堂よ。お前にもあるはずだ。お前だけの愛を紡ぐ性癖が……」


「意味がわからんな」


「おっほ、焦らしてくれるじゃないか。嫌いではないぞ。お前はどんな女が好みなんだ? もしくはどんな男が好きなのだ?」


 高杉のその問いに「おっと、それは重要な情報だ」と、希咲もくるっと身体の向きを弥堂へと向けて、彼の顔をじっと見る。


「なんだ?」

「いえいえおかまいなく。ささ、続きを、どうぞ」


 訝し気に問う弥堂に希咲はその綺麗な指を伸ばした掌を見せボーイズトークの続きを促した。


「女の好みだと? ふむ――」


 何の必要性も感じない会話だったが、弥堂は経験上何でもいいから適当に答えた方が早く済むことを知っていたので、記録を探ってみる。


「そうだな。メイドかシスターだ」

「あんた意外と俗っぽいのね……てかそれただのコスプレじゃん」


 過去のあれこれから真っ先に浮かんだものを適当に口に出したが希咲からは侮蔑の視線を当てられた。



「弥堂ちがうぞ、それはちがうっ。好みのコスプレを訊いているのではない。上辺を飾る服装ではなく裸のままの相手と肉体と肉体でぶつかりあうのが愛だ!」


「そうか。では、裸に剥いても腹の中に何を隠し持っているかわからないような地雷女が好きだ」

「なにそれ。なんか倒錯してるわね、なんか変態っぽい」


「ふむ。難しいな。つまりメンヘラ女が好みということか。よかったではないか、希咲」


「は⁉ どういう意味よ! あたしメンヘラじゃないしっ」

「まだ終わらんのか」


「照れるな。熱心に聞いていたではないか」


「はぁ? これはそういうんじゃないからっ! あんたも勘違いしないでよねっ!」

「何の話だ」


 前半は高杉に否定しながら、そして途中で弥堂に矛先を変えて、キレイに整えられた爪を載せた細長い人差し指でビシッと指さす。日本国の歴史と伝統を感じさせるような見事なツンデレ芸であった。

 弥堂が鬱陶しそうにその突きつけられた希咲の指を、人差し指と中指で挟んで自分から外すと「さわんなぼけっ」と悪態をつきながらガシガシと足を蹴ってきた。


 こいつ段々遠慮がなくなってきたなと思いながら、うんざりとした面持ちで高杉に続きを促す。


「で?」


「ほう、俺に興味が湧いたのか? 嫌いではないぞ」


「俺は興味ないが、こいつが聞いていただろ。途中で打ち切って後でギャーギャー言われても面倒だ。さっさと済ませろ」


 希咲の方を親指で示しながら催促する。


「おほ。優しいのだな。嫌いではないぞ」


「こいつって言うなっ。あたしあんたの女じゃないんだからっ」

「お前ほんとうるせーな」


「お前って言うのもやめてっ」と尚も喚く希咲を弥堂はもう無視した。



「まぁ、続きというほどのものもないのだが、さっきのでほぼすべてだ。要は俺のような者たちのことは、自分の住む物語とは別の物語の住人だと思ってくれればいい。不当な差別を受ければもちろん戦うが、かといって過剰に尊重もしなくていい、称賛をするなどは持っての他だ。ただ、そっとしておいてくれればそれでお互いに幸せになれる」


「ふむふむ、なるほど。セクハラは最低だけど、よくわかったわ。ちゃんと考える」


「うむ。お前らはよくSNSなどをやるだろう? 我々を過剰に称賛をして理解を示すような素振りを見せて己のステータスにしているような者どもは明確に我々の敵だ。感情に訴えかけられて移入してしまったからといって、その者の言うことを全て真に受けて簡単に影響されてはいかんぞ」


「あたしそんな浅はかじゃないわ、バカにしないでっ。でも、ちゃんと受け止めて注意します。ありがとうございます」


 そう言ってぺこりと頭を下げる希咲を見て、既に高杉の言葉に影響されている気がするし、弥堂から見て割と成熟しているイメージを持っていたが、やたらと子供っぽい仕草が見えてくるのは水無瀬の影響を受けているのではないかと、弥堂は懐疑的な視線を希咲へと向けた。


「うむ、あとはそうだな、出来れば、LだのGだのなんだのといった記号で一括りにはするな。ホモとは言っても千差万別。男なら誰でもいいわけではない。線の細い美少年が好きなホモもいれば、俺のように熱い汗の迸る屈強な男が好みのホモもいる。ホモとホモでも性癖は違うそれぞれ別のホモなのだ」


「あ、そうか。まぁ、そうよね」


「そうだ。ちなみに俺は屈強で逞しい男と全力でぶつかり合った果てに、力づくで組み敷かれて蹂躙をされるというのがフェイバリットパターンだ」


「訊いてないんだけど」


「お前ら女でも個人差はあるだろう? 白井のように特定の男に粘着質な想いを絡み付け頼まれもしないのに尻を見せつけることを好む女もいれば、お前のように仕事でもないのに不特定多数を対象に毎晩別の男の上でスクワットをすることを好む女もいる。俺には理解はできないが、見て見ぬフリをしてやることは出来る」


「だからあたしそんなんじゃないって言ってんでしょ‼  なんで頑なに聞き入れないわけっ⁉」


 先程と全く同じパターンで感心していたと思ったら怒り出す希咲に、弥堂は懲りない女だと侮蔑の目を向ける。


「あによ、その目は。ちがうっつってんでしょ! ばかっ」


 その弥堂の目にありもしない性生活を誤解され想像されているのではと勘違いし抗議をしてくる。そんな希咲を無視して、弥堂は話を締めに入った。


「よし、もう終わっ――「あ、ねぇねぇ、てかさ――」――……」


 しかし、希咲に邪魔をされて今度は弥堂が無言で抗議の視線を送る。無表情だがどこか不満気だ。


「あによ? こっちみんな」と威嚇してくる希咲に顎をしゃくってみせ、さっさと終わらせろと促す。


「んん。てかさ、なんであんたこいつらと連んでるわけ? なんか主張もちょっと違……別っぽいし」


 高杉は『違う』と言いかけて慌てて言い直した希咲に満足げに頷くと答える。


「そうでもないさ。俺は敗者でも被害者でもないが弱者ではある。俺もまた居場所を失くした弱き者であり、それを代表に拾っていただいたのだ」


「ふーん……みんな色々あんのね」


 高杉はそう言うと目を閉じる。そしてバトンを受けとったように法廷院が続きを引き継いだ。


「まぁ、拾ったって言うと語弊があるけどね。友達になろうってそれだけさ。だってそうだろぉ? ボクらは対等だからね」


「あ、あんたまだいたんだ」


 辛辣な希咲の言葉を法廷院は聞こえないフリをした。


「彼はね、空手部だったのさ。狂犬クンには馴染みあるよね? 何せ空手部を潰したのはキミなんだから」


「は? あんたそんなこともしてるわけ? ――え? てことは――」


「あぁ、違うよ。誤解しないでほしい。確かに練習中の空手部に乗り込んでいって、乱暴にも部員全員を叩きのめして無理矢理に解散をさせたのはそこの狂犬クンだけどね。でもそれで高杉君が居場所を失くしたわけじゃあない。高杉君はそれよりも以前に空手部をクビになっていたのさ」


「あ。そうなんだ」


 希咲は自分に関係ないこととはいえ、クラスメイトの無法な行いによる被害者ではなかったのかと少し安堵する。それを抜きにしても大概酷い弥堂の行いを非難したいところではあったが、自身の幼馴染でクラスメイトの天津 真刀錵あまつ まどかもほぼ変わらないことをしでかしているので、お口をもにょもにょさせ、間違ってもこの二人がタッグを組むようなことにはならないよう留意しようと誓った。


「彼がクビになったのはとっても不当な理由でね。あまりの不幸に彼は大変に傷ついてしまい、そして寄る辺をなくしてしまったんだ。一体どうしてクビだなんてことになったと思う?」


「え? クビ……不当に――あっ」


 不当な退部処分。通常では部活動などはよっぽどの理由がなければクビになどなるものではない。


 居場所をなくす。不当な除名。そして高杉という男の性質。


 嫌な推察を辿ってしまい、希咲は高杉へと痛ましい目を向けるが、「憐れむな」と、先の彼の言葉を思い出し、すぐに表情を改め法廷院へと向き直る。


「フフフ。キミは優しい子だね、希咲さん。そっちの狂犬クンは全然興味もないみたいだけれど。まぁ、ご推察のとおりの悲しい出来事さ。みんながほんの少し他人に優しくなれれば、こんなことにはならないのにね。心が痛いよ。でも仕方ない。集団の中で『違う』と思われてしまえば排斥されてしまうのさ。痛ましく許せないことではあるが、それもまた人の持つ『弱さ』と考えれば、ボクはそれもまた許さなければならない。どっちも擁護しなければならない。守っても守っても足りないのさ。そうだろぉ?」


「でもっ。いくら――だからって、そんなの許されちゃダメよっ!」


 早速感情移入してしまった七海ちゃんは義憤を燃やす。


「俺を庇うな、希咲。そもそも事が露呈したのは俺のミスだ。自分の弱さを許すためにはまず、自分の弱さを認めなければならない」


「だけどっ――あ、そうだ。ねぇ、弥堂。あんた風紀委員でしょ? こんなの不正もいいところなんだからあんた達の方か……ら……」


 風紀委員の方から不当な処罰であると言及をして退部を取り消してはもらえないのかと、そう弥堂に提案しようとした希咲であったが、喋っている途中でそもそも復帰するにしてもその空手部を丸ごと潰したのはこいつだったという事実を思い出し、悲痛そうにうるうるしていたおめめが見事なジト目になる。


「あんたにはがっかりだわ」

「そうか」

「ていうか、何で空手部潰したりしたわけ? なんか悪いことしてたの?」

「お前には知る資格がない」

「あんた説明すんのめんどくさいからって適当にそれ言ってるんじゃないでしょうね? ――あーーっもういいわ……」


 こいつに訊いても無駄だと希咲は諦めた。


「でも、ミスってどういうこと? その、普通にしてればそんな簡単にバレたりはしないわよね」


 法廷院たちへと問いかける。


「そうだな。今にしてみれば俺も若かったのだろう――」

「あ、また例の語りですね、はい、どうぞ」


 同じ高校生であるはずの高杉君はやたらと老成した仕草でまたスッと遠い目をした。その意図を敏感に察知し速やかに続きを促す希咲は、この短時間で聞き手役がかなり板についてきた。


「うちの空手部は中々に成績のいい部でな、この学園の中でも所謂本気系と呼ばれる部活動なのだ。学園自体が設立して十数年程度のまだまだ新設校と呼ばれるようなうちの学園ではあるが、空手部はその学園設立当初から活動をしている、我が校ではそれなりに伝統のある部なのだ」


「あ、そうなんだ。あたしが入学した時ってなんかやたら格闘技の部活多かったからそういうの全然知らなかったわ」


「そうだな。今ではそこの弥堂のおかげでファッション感覚の軟派な格闘部は大分減ったが、本気で活動をしていたのは空手部に柔道部とあとは精々ボクシング部くらいで、残りはもう過ぎ去ったがここ数年の格闘ブームの影響で設立された遊びでやっているような部活なのだ」


「はー、そうだったんだ。なんか全部一緒くたに見ちゃってたわ。ごめんね」


「よい。直接的な関わりのない者には意外と知られていない、そういうことは間々ある」


 知ろうとしなければ得られない知識、こうして偶発的に遭遇しなければ知らないままであること。


 希咲は自分が1年間毎日通った学園でもまだまだ知らないものは多くあるのだろうと、自身の通う学園への理解をより深めることを決める。今後自身が卒業をして何年か経てば自分の弟や妹たちの進学先の選択肢として、当然この私立美景台学園もその候補に挙がってくる。その時にしっかりと自身の母校となるこの学園を紹介できるように、もっと色々知っておかねばと『うん、うん』と頷き胸中に留め置く。



「つまり空手部は本気で武を志す者たちの集いであったのだが、そうすると当然俺好みの屈強な男たちが多くてな」


「あっそ」


「今時――という風に思われるかもしれぬが、そういう気質の運動部であるから当然上下関係には厳しい」


「まぁ、ありがちよね」


「うむ。なので当時――俺が在籍時の去年は一年生だったわけだが――下級生の俺たちはなかなか組手などをさせて貰える時間やスペースは与えられなくてな、専ら基礎トレーニングや雑用仕事が主な活動となっていたのだ」


「は? ちょっと待って、てことはあんた今二年生? あたしとタメ? 先輩だと思ってたわ」



 三年生として見たとしても実年齢の割に老成していて、制服を着ていないと高校生としてすら認識されないことに慣れていた高杉はスルーした。


「当時の三年生は空手部歴代最高の黄金世代と謂われていてな、元々幼少から空手の経験のあった俺などは彼らとの本気のぶつかり合いを望んでいたのだが、道場や部室などの清掃、トレーニング器具の手入れ、それに先輩方の道着の洗濯などの雑用仕事に日々を追われ、生憎そのような機会には恵まれなかったよ」


「はー、やっぱそういうもんなのね。度合の差はあるだろうけどサッカー部とかもそういうのはあるって聞いたわ」


 希咲は自身の幼馴染でクラスメイトの紅月 聖人あかつき まさとから彼が所属するサッカー部の話をたまに聞いていたので、脳裏でその話を想起し照らし合わせる。


「先輩の言うことは絶対!――とか、あたしもちょっと苦手だけど、ふふっ――あんたは絶対無理よね? 誰の言うことも聞かなそうだもの」


 そう揶揄うような調子で人差し指を立てて、弥堂へと悪戯そうな視線を向ける。


「お前と一緒にするな。上司・上官の言うことは絶対だ。厳格な規律がなければ組織は維持できん」

「軍人かあんたは。てか、どの口が言ってんのよ……」


 今度は半眼になり懐疑的な視線で刺してくる。弥堂はそんな希咲を、『ただし、スパイである自分は必ずしもそれに従う必要はないがな』と胸中で呟き鼻で嘲笑った。そんな自分の仕草に今度は眉を吊り上げ「あによっその態度」と言い募る、コロコロと表情を変える彼女の顏から面倒そうに視線を外し、希咲 七海に対する印象を上書きした。



「弥堂の言う通りだ。規律は大事である。規律を守ること、守ろうとすることによって遵法精神や公徳心が養われ、それに雑用とは謂え他者の為に労働をすることで奉仕の精神を身に付けることもできる。精神修養もまた自己を高めてくれるものだ。現在の巷で『精神論』などと一括りに謂われると悪いイメージが先に連想されてしまうようになったが、その総てが軽視されていいようなものではないと俺は考える」


「そうだ。人間は何をするにしても肉体を操作することによって行動をする。その操作精度と継続性を担保するのは精神の強度だ。辛いのならばやらなくてもいい、出来なくてもいいなどと謳う連中が増えたが、そいつがやらなくても出来なくても環境が保たれるのは、他の誰かがそのやらなかった分を肩代わりして日常を維持しているだけだ。自分が放棄した分の精神負荷を代わりに負っている者がいる可能性がある。それを忘れてはならない」


「でもだからって全ての人が同じことを出来るわけじゃあないんだ。自分が出来たからってお前も出来るはず、だなんて理屈で安易に押し付けられた荷物に潰されてしまう人だっている。その出来なかった人の出来ることを見つけて、居場所を作ってあげることの出来る寛容さと懐の深さ・広さも社会には必要だとボクは思うね。だってそうだろぉ?」


「この会話部分だけを切り取ったらあんたたちがまともな人間に見えるから怖いわね。テレビとかSNSでご立派なこと言ってる人たちの中にも、あんたら3人みたいに頭おかしいのが居る可能性もあるってことよね……あたし人間不信になりそうよ」


 精悍な顔つきで議論する男3人に希咲は人間の恐ろしさを垣間見た気がした。



「まとも……ふっ――まとも、か――」


「そこだけ抜き出すな。褒めてねぇっつーのよ」


 そう言いつつも、高杉君が再度遠い目をして虚空を見上げたのを希咲は察知し、尚も法廷院と議論を続ける自身の隣に立つ弥堂の制服のブレザーの腰あたりを掴んで、クイクイと引っ張り黙るように合図する。引っ張られた弥堂が鬱陶しそうに希咲へと顔を向けたことにより会話が切れ、それによって場に出来た静寂を受け取って高杉が話し出す。



「俺は決してまともな人間などではないのだ。大きな罪を犯してしまった。代表は不当だと擁護してくれたが、そんなことはない。全面的に俺に非がある」


 その言葉に込められた罪人と名乗った男の想いが言葉に重量を持たせ、空間に伝わり場の空気を重くさせたように希咲には感じられた。より神妙な面持ちで無言で先を促す。


「去年のある日のことだ。部活終了後いつも通りの雑用を熟そうと、先輩方の使用後の更衣室の清掃を終わらせ、洗濯の当番であった俺は脱衣かごに放り込まれた全員分の道着を回収していたのだ。だが、その中に金丸先輩の道着だけが入っていなかったのだ」


「金丸……」


「金丸先輩はな、当時の黄金世代と謂われた先輩たちの中でも飛びぬけて強いエース的な存在であった。金丸先輩はとても強い男であったが、少々大雑把で忘れっぽいところがあってな、そんなところもキュートなのだが、まぁ、きっと脱いだ道着を脱衣かごに入れ忘れてしまったのだろうと、俺はそう推察をして彼の個人ロッカーを見てみることにしたのだ」


 屈強な男たちの集まりである空手部最強の男をキュートと称したことについて、希咲は気付かなかったフリをした。



「仕事とはいえ他人の個人ロッカーを見ることなど本来よいことではない、しかしおっちょこちょいな金丸先輩のことだ、道着を洗濯に出し忘れたことを失念して翌日替えの道着を持ってくることも忘れてしまうかもしれない。そうしたら彼は洗っていない道着で過ごさなければならなくなる。それは可哀想だと思い、俺は少々出過ぎた真似だが彼のロッカーを開けてみて、もしも鍵がかかっていたらそれで諦めようと考えたわけだ」


「そういう考えや気遣いはまともなのよね……恐ろしいわ」


「ロッカーの鍵は開いていた。そして予想した通り先輩の道着もそこに入っていた。そこまではよかったのだ。だが、そこで気付いてしまったのだ……その時部室に居るのは俺一人、当番は俺だけで全部員はもう既に下校済みだと……恥ずかしい話だが、魔が差してしまった。許されることではないが、そうとしか言えない。情けない限りだ」


「えっと……何か――物を盗っちゃった……とか?」


 その状況から考えられる罪となると、ほぼそれで間違いはないだろうと予測がついたが、頭のおかしな集団に属する頭のおかしな男ではあるが、そういったことをするような印象は抱いていなかったので、希咲は少々意外な結末だと思った。


 だが、高杉は沈痛な面持ちで頭を振り否定する。


「違う――いや、そうであった方がまだマシだったのかもしれん。俺は己自身に、己の弱さに打ち勝つことが出来ずにとんでもないことをしでかしてしまったのだ……」


「いっ、一体何を……」


 おそらく次の言葉で明かされるであろう真相に、ゴクリと喉を鳴らした。



「金丸先輩は汗っかきでな……練習後はいつも道着は水浴びでもしたかのように濡れそぼっているのだ。それを忘れていた俺はロッカーにあった先輩の道着を結構な勢いをつけて取り出してしまった。他人のロッカーを勝手に開けているという後ろめたさもあったかもしれない、そして憧れの金丸先輩のロッカーを覗き見ているという興奮も確かにあった。俺はそれらから逃れる為に早く作業を済ませたかったのだろう。少々力を入れ過ぎて、ハンガーに吊られた先輩の道着を引っ張ってしまった。それがよくなかった」


「んん? 道着が破れちゃったってこと? でもそれくら――」


「――そうではない! 道着は無事に取り出せた……だがっ! 勢いよく引っ張りすぎた道着が、その袖が俺の頬を打ったのだ!」


「――ん? ……んん?」


「当然金丸先輩の道着に打たれた俺の頬は、道着に染みこんでいた先輩の汗で濡れた。並外れた分泌量であった。顔を濡らす先輩の青春の残滓と匂いに俺は茫然自失した。まるで先輩の胸に頭を抱かれているようだと……そして。そして頬から垂れてきたその先輩の汗が俺の唇に触れた時、俺は――反射的にそれを舐めとってしまった。そこで……俺の理性は消し飛んだ――」


「は?」


「気が付いたら俺は全裸となり、頭上高く掲げた先輩のソレを両手で搾り上げ、先輩のソレから放たれる熱き迸りを全身で受け止めていたのだっ‼」


「き、気持ち悪い……」



 高杉の渾身の罪の告白に希咲は顔を青褪めさせ、カタカタと震えながら弥堂の背後に隠れた。



「ごめん、むり。ほんとむり。もうほんきできもちわるい。まじむりぃ」


 涙目で弥堂の制服をぎゅっと握って彼を盾に少しだけ顔を覗かせながら、しかしそうとしか言えなかった。



「尤もだ。俺はどんな誹りも受け止めねばならない。今でも悔やまれる」


「てか、ホモバレして追い出されたみたいな雰囲気出してたけど全部100%あんたが悪いんじゃない。男と女でも、女と男でも、女と女でも、どの組み合わせでも気持ち悪すぎてムリなんだけど」


 本気の悔恨を滲ませるその男にもはや配慮もクソもなく事実を述べる。


「しかし俺の罪はそれで終わりではない。そこで終わっていればまだよかったのかもしれないな――」


「またそのパターン? あたしもうホントにやなんだけどぉ」


 泣きが入った七海ちゃんは弥堂の背中に完全に隠れ、彼の制服を握る手にさらにぎゅっと力を込める。


「おい、邪魔だ。放せ」

「むりぃ。ちょっと隠れさせてよ。あたしもう鳥肌すっごくて――」


 そう言いながら弥堂は嫌そうに顏を希咲へと向けたが、彼女は「ほらっ」と制服の袖を捲り露わになった自身の腕に浮き出たものを見せてくる。そんな彼らの様子には構わずに高杉の独白は続く。



「俺の行いも悪かったが、運も悪かったのだろう。普段忘れっぽい金丸先輩がな、珍しく忘れ物を思い出して部室に戻ってきたのだ。道着の出し忘れを思い出したのか、それとも他に忘れ物があったのかは今では定かではないが、しかし彼はそこで見てしまったのだ。開け放たれた自分のロッカーの前で全裸で転がり、自分の道着にむしゃぶりつく俺の姿を」


「やだやだやだきもいきもいきもい、むりむりまじむり」


「あぁ、そうだな。お前の言う通りだ。きっと金丸先輩もそう感じたであろう。しかし勇猛果敢な男である金丸先輩はな、嫌悪感に囚われながらも無法を働く俺を成敗しようと殴りかかってきたのだ」


「あたしだったらムリね、そんな現場に遭遇したら気絶しちゃうかも。少なくとも泣く。絶対泣く」


「気合を発する先輩の叫びに俺は我に返ってな。なんてことをしてしまったのだと。制裁は甘んじて受けようと拳を構えこちらに迫る先輩を黙して待った」


「当たり前よ。そんなんで暴力はいけませんとか言われても納得できないわ」


「しかし……しかし、そこで俺はまた魔が差してしまったのだ――」


「は? ちょっともうやめてよぅ、もうやだぁ」


 拳を強く握って後悔の強さを示唆する男の様子に、希咲はまた弥堂の背後にサッと顔を隠し、彼の背中に頭を押し付け対ショックの姿勢をとる。弥堂は死んだ目で希咲と高杉、どちらにもうんざりとした。



「迫りくる先輩の鬼の形相を見てな、ふと思ってしまった。思いついてしまったのだ。先は精神修養だの奉仕だのと言ったがな、だが俺の中には強い男と全力で戦いたいという望みがあった。その時の俺は未熟で、俺の中にあるその望みを抑えきれなかったのだ。俺を殺さんばかりの気合で向ってくる本気の中の本気の空手部歴代最強の男と仕合う機会など、きっとこの先ない、と。そう思い至ってしまったらもう俺の未熟な精神では自制が出来なかった。俺は先輩を迎え撃ってしまった、全力全裸で」


「頭おかしいんじゃないの」


「結果だけ言ってしまえば、俺が勝った。気が付いたら気を失い床に倒れ伏した先輩の傍らで、俺は先輩を仕留めた正拳突きを放った右拳を握りしめ佇んでいたのだ」


「金丸先輩かわいそう……」


 七海ちゃんは顔も知らない卒業生の先輩を本気で気の毒に思い、眉をふにゃっと下げると悲しみを紛らわせるため、弥堂の背中をよく手入れされキレイに伸ばされた人差し指の爪でカリカリした。弥堂はイラっとした。


「その時確かに己の罪の大きさを感じていた。しかし、それ以上に充足感があった。許されることではないがな。先輩は強かった。先輩の拳は何度も俺の肉体を突いた。鋭く重く、硬くて太い素晴らしい拳であった。その先輩が俺の身体に残した残滓が鈍い痛みと熱を発し、闘争で火照った俺の身体は鎮まることはなかった。そこで目に入った。先輩の顏についた、俺がつけた痣が――俺はもう我慢できなかった。とにかく鎮めたかった。俺は先輩の制服を脱がそうと彼に覆いかぶさり、そして――」


「は? うそでしょぉ……」


 嘘だと思いたい、そう信じたくなるほどに凄惨なその先の予想に血の気は引き、聞きたくない事実から耳を塞ぐことも忘れ茫然とする。


「そして――そこに他の先輩方が現れたのだ」


「え? あ、はぁ……」


「おそらく忘れ物を取りにいった金丸先輩の戻りが遅くて様子を見に来たのだろう。部室に戻ってきた先輩たちが目にしたのは、気絶して制服を開けさせられた金丸先輩と、それに覆いかぶさる全裸の俺だった。もちろん先輩方は激昂し俺に襲い掛かってきた。空手部史上最強の世代と謂われた先輩たちが。俺は当然の報いだと思った。だが、しかし、そこでまた悪魔の囁きに負けてしまったのだ! 俺は拳を握った! 全力全裸で‼‼」


「頭おかしすぎる」


「気が付いたら、空手部史上最高の黄金世代と呼ばれた先輩方は全員が床に倒れ伏していた。満身創痍の俺だけが立っていた、二つの意味でな」


「しね」


「まぁ、そこまでいくとかなりの騒ぎになっていたようでな、野次馬も幾人かおり、空手部顧問の箕輪先生が様子を見に現場へ来られたのだが、箕輪先生は空手四段でな、フルコンタクトの大会で全国3位にまで辿り着いたことのある猛者なのだ。当然俺は先生にも襲い掛かったがまぁ、普通に負けてお縄になったという次第だ。ふふっ、あの時の箕輪先生の拳――今思い出しても滾るぞ」


「クズじゃん……ただのクズじゃん……」


 希咲は両手で顔を覆うとへなへなと脱力し弥堂の足元にしゃがみこんでしまった。この男もこの場に居るクズの一人なのだが、希咲はもう疲労と失望と生理的嫌悪感で、何かに摑まっていなければ心が保てないと弥堂の学生服のズボンをぎゅっと掴む。


 それを弥堂は嫌そうに見下ろしたのだが、もういっぱいいっぱいな七海ちゃんはそれに気付くことはなく、せめてパンツだけは誰にも見せないような姿勢を保つだけで精一杯であった。



「まぁ、そのあと先輩たちは幸いなことに大きな怪我もなく先に帰されてな。俺は箕輪先生に聴取をされそこで自分がホモであること、前から金丸先輩のことを愛していたこと、そして今日箕輪先生のことも好きになったことを告白したのだ。騒ぎが空手部以外の者にも知られてしまい部内だけで治めることは難しくそこでは謹慎の仮処分を言い渡され、そして数日の協議の結果、俺は一週間の停学と退部処分の沙汰となった」


「よくそれで済んだわね。退学になってもおかしくない気がするんだけど」


 希咲は弥堂の足の間から懐疑的な視線だけを向こう側に放つ。


「うむ、教師にまで殴りかかってしまったからな。俺も退学を言い渡されても甘んじて受け入れようと思っていた」


「まぁ、種明かししちゃうと三田村教頭なんだよね。彼女すっかり流行りの勘違いポリコレやジェンダーに染まり切ってるもんだから、同性愛者である高杉君を全力で擁護したそうだよ。それこそ校外にも届いちゃいそうなくらいでっかい声で。んで、表沙汰にしたくない学園側が多様な方面に最大限にご配慮した結果、退学は免れたと。そういうわけさ」


「はっはっはっ。白井は随分と教頭を嫌っているが俺は彼女には感謝しなければならないな」


「なにそれ。あんた実は全然反省してないでしょ」


 法廷院の加えた補足に朗らかに笑う高杉に胡乱な目を向ける。弥堂の足の間から。



「てか、何が過剰な配慮は必要ないよ……おもいっきり恩恵受けてんじゃない……」


「フフフ。言ったろぉ? 弱者は許され守られるべきだって。それが証明された出来事と云えるねこれは。だってそうだろぉ?」


「ハッハッハッ、面目ないっ」


「もうやだ……ここクズしかない……」



 わけのわからないやべぇクズどもに絡まれたと思ったら、そこに別口のやべぇクズが乱入してきて事態は拗れるばかり。



「真面目に聞いて損した……はやくかえりたいよぅ……」



 彼女の心からの願いが人気の少ない廊下に響いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る