序-15 『箱の中の猫』

 放課後の廊下。文化講堂から三方向へと道が別れる連絡通路にて希咲 七海きさき ななみは、自分のせいで地獄に落とされたという白井 雅しらい みやびの事情を聞かされていた。




「えぇっとぉ、あなたの事情はわかったわ、白井 雅さん。その、とても痛ましい事件だったと思うし、同じ女として心から同情するわ。でも……あの……」

「なによ? はっきり言いなさいよ」


 言葉の通り希咲は心の底から同情をしていたが、どうしても一点だけ解せぬ箇所があり、しかしこの空気の中それを言い出すのはどうなのだろうと、気まずそうに切り出す。


「んとね、この流れでちょっと言いづらいんだけど、怒らないでね?」

「わかったから早く言いなさいよ、これ以上どう怒れというのよ」

「ん、ありがと。じゃ、じゃあね……ちょっと気になったことがあるからズバリ聞くけど……あのさ――あたし関係なくない?」

「は?」

「え?」

「希咲あなたね、これまでの私の話をどう聞いてたらそんな結論になるわけ? これ全部あなたのせいじゃない」

「なんで⁉」


 あまりに無茶苦茶な言い分に七海ちゃんはびっくり仰天してサイドアップの髪がぴゃーっと跳ね上がった。


「は? 何でも何もないでしょうが。いい? 私は黒パンツを晒したせいで怒られた。これが白でフルバックだったらそうはならなかった。これはいい?」

「う、うん」

「次。私が怒られたのは黒でさらにローライズのTバックだったから。校則では色の禁止はないけれど、あの女の価値観では黒もローライズもTバックもいやらしくて高校生にはふさわしくないからって理屈。これもいい?」

「えぇ、わかるわ」

「じゃあ、希咲。あなたはギャルよね?」

「え? まぁ、そんなつもりもないけど、一応ギャル系というか、そうなのかも」

「ほら、あなたのせいじゃない」

「なんでぇっ⁉⁉」


 異次元な論理展開に七海ちゃんのサイドの髪は再度跳ね上がった。


「はぁ? なんでこれでわからないわけ? あなた頭悪いわねぇ、これだからギャルは……男に抱かれることに脳のリソース全部回してるのかしら?」

「こ、こんのぉ……大人しく聞いてれば好き放題言ってくれやがって……」


 希咲は段々普通にムカついてきた。


「まぁ、いいわ。代表あと説明してあげて。私はもう疲れたわ」

「え⁉ ボク? ボクがやるの? ボクもうテンションだだ下がりなんだけど」

「そうよ。女性としての尊厳を踏みにじられて弱くてかわいそうな私が困っているのよ。さっさとしなさい、役目でしょ」

「ぐぬぬぬぬぬ……なんて都合のいい……でも――」


 法廷院は希咲へと向き直ると表情を改め、その目にまたギラついた光を灯し粘着いた視線を絡めてくる。


「――でも、そう言われちゃあ、ボクとしては前に出ざるを得ないねぇ、だってそうだろぉ? ボクは弱者の味方だからさ」


 法廷院 擁護ほうていいん まもるは不敵にそう言ってニヤァと哂う。しかし――


「…………」


 希咲はめんどくさそうに彼に視線を向けると特に何も言わなかった。


「え? あ、あの、希咲さん?」

「あによ?」

「えっと、ちょっとリアクション薄くないかな?」

「そう? そんなことないけど。あ、続き、早く、どうぞ、手短に」

「えぇ……」


 つい先刻まで異質に過ぎる彼と彼らに畏れを抱いていた希咲だったが、割と透けて見えてきた彼らの人間関係や個人個人の人間性にもうすっかり慣れてしまっていた。

 得体の知れないものは畏れる。だが、知ってみれば意外と大概何でもなかったりもする。



「なぁんか釈然としないけど、まぁいっかぁ。大分時間も過ぎちゃったしね」

「大概あんたのせいだけどね」

「んんっ。いいかい希咲さん。キミの疑問を晴らそうじゃあないか。『黒のローレグTバックはいやらしい』と『だからギャルが悪い』。おそらくキミの理解が追い付かないのはこの二つが繋がらないからじゃあないかなぁ?」

「そうね。さっぱり意味がわかんないわ」

「オッケー。いいだろう。じゃあその部分――あ、あの希咲さん? できればスマホはしまって頂いて真剣に聞いてもらえると……」

「ん? あぁ、だいじょぶだいじょぶ。メッセ一個返すだけだから。聞いてる聞いてるー。続けてー」

「ぐぐぐぐ……まぁいい。じゃあね、何でギャルのせいで黒のローレグTバックがいやらしくなるのかを説明しようじゃあないか」

「あーい、よろー。あ、一応だけどローレグとローライズは別物だからね? 今回のはローライズよ」

「えっ? そ、そうなんだ……ふ、ふぅーん……」


 気のない希咲の態度に消沈しかけた法廷院だったが、突如として明かされた、女の子の口から語られる女の子の下着の細やかな分類についての知識を得て、興味のないフリをしつつも興奮を禁じ得なく、内心彼のテンションはうなぎ登りだ。

 返信が終わったのかスマホを仕舞った希咲がこちらをジトっと見ているのに気づき、法廷院は滾る内なる己を戒めて説明を続ける。


「実はね、これはとある有識者に教わった理論でね。あ、その有識者ってのはボクの友人なんだけど、とても博識な男でね。このボクも一目置いているのさ」

「へー、あんたそんなんで友達とか普通にいるんだ」


 法廷院は聞こえなかったフリをした。


「んんっ、その彼がね言ったのさ。ギャルは基本的に黒のローレグ――「ローライズ」――あ、うん。そのローライズのTバックを穿いているってね。あいつらなんかいやらしいから黒でローレ、ライズでTバックだってね。そして男の前でガニ股でスクワットをするってね。彼は信頼できる男だ。彼の言うことは間違いないよ。つまり、黒のローレッグイズTバックにいやらしいイメージがあるのはキミたちいやらしいギャルが好んで着用するからってことさ。だってそうだろぉ? ガニ股スクワットだなんてそんなの『えっちすぎる』じゃあないかぁ」

「あんたもそいつも頭おかしいんじゃないの」


 思っていた以上にイカれた『りろん』とやらを披露されて希咲は疲労感に押し潰されそうになる。『ローレッグイズTバック』にもツッコみたかったがもう気力が湧かなかった。


 しかし、法廷院は勢いを止めずに畳みかけてくる。


「おいおいおいおい、頭おかしいだなんて、なんて『ひどいこと』を言うんだ。傷ついてしまったらどうするんだい? 自殺してしまったらどうするんだい? だってそうだろぉ? 憲法により『思想の自由』は誰にだって保障されているはずなんだぁ」


「そうだ、そうだ」とここに来てずっと大人しくしていた『自由の剣ナイーヴ・ナーシング』の面々が同調の声を上げる。


 すっかり脱力して油断していた希咲はその彼らの勢いに圧されてしまう。


「な、なによ。あんたたち急に――」


「さぁ、希咲さん。どうするんだい? かわいそうなかわいそうな白井さんは深く傷ついている。まさか自分は無関係だと? 彼女には泣き寝入りしろとでも言うのかい? それとも、地味でブスな女がイキって黒の――「代表」――え?」


 白井さんがじっと法廷院を見た。まばたきもせずじっと。

 目がマジだった。


「私、ブスではありません」

「あ、はい」

「あんた女の子にブスって言うのマジでやめなさいよ。白井さん普通にかわいいし、次言ったらぶん殴るわよ」

「はい、おっしゃるとおりです」

「認めましたね? 謝ってください」

「す、すみません」

「いい加減にしなさいよね」

「は、はい、ごめんなさい」


 女子二人に責められて、法廷院はしょんぼりした。彼の周りに集まった男子たちが小声で声をかける。


「代表。白井さんにブスって言うのやめてくださいよ!」

「そうですよ! 彼女のあの目マジでこわいんですよ!」

「い、いや、でもね? ボクだって別に本気で白井さんがブスだなんて思ってないけれども、こういうのはわざと大袈裟に表現を拡大して騒がないと効果がね……」

「回りまわって僕達に一番効きますからこのパターンはもうやめましょ? ね?」

「わ、わかったよぅ」


 仲間たちに説得され法廷院 擁護は考えを改めた。彼は周囲の意見を聞き入れることの出来るリーダーなのだ。



「んんっ、失礼したね。えーっとなんだっけ? ……そうそう! どう責任とるのさって話だ! さぁ! どうなんだい⁉ 希咲 七海さん‼」


 もう大分ぐだぐだだったが法廷院はとりあえず勢いでいった。


「どうするって言われても……でもさ、悲しいけど終わっちゃったものは仕方ないし、切り替えて次の恋を――「終わってないから」――え?」


「まだ……終わってないから」


 即死級の痴態を晒したが、この恋はまだ終わってはいないのだと白井さんは主張した。彼女の目はマジだった。


 希咲は気まずくて目線を彷徨わせながら「だって……でも……」と彼女のために精一杯言葉を選ぼうとしたが、結局適切な表現を見つけることが出来ずにお口をもにょもにょさせて、やがてただ彼女へと痛ましい目を向けた。


「そんな目で見るんじゃないわよおおっ! 見下さないでっ!」

「ご、ごめんなさい……」

「ふん。自分が男であれば相手は誰でもいいからって他の女まで同じだと思わないでちょうだい。私は一途なの。こんなことくらいで気持ちを変えたりなんかしないわ」

「だから別にあたしそんな遊んでなんか――」

「言い訳なんて聞きたくないわ! どうせ毎晩別の男の上でスクワットしているのでしょう! このセックスアスリートめ!」

「そんなアホいるわけないでしょうが! ……誰がアスリートよ。くっそこの女ぁ……」


 白井への同情で下手に出ていたが、あんまりな濡れ衣にいい加減怒りの方が勝ってきた。


「私は一つも諦めてなんかいない。むしろもうこれ以下はないと思ってある意味開き直れたわ。今も毎朝彼へとアピールをし続けているもの」

「白井さんメンタルどうなってるの? アスリートなの? そこは素直に尊敬するわ」

「これは戦いなのよ。私はね、失ってしまった自分自身の名誉を取り戻すために、この生命をかけて彼へと自分がちょっと地味めだけど清楚で可憐な普通の女子であると証明しなければならない……でもね、それにはとてもお金がかかるの……そう、私の地獄は今もまだ続いているのよ」

「は? お金? え、えと……白井さん一体何してるわけ?」


 また突然話が飛躍して希咲は嫌な予感がしたが聞かないわけにもいかなかった。


「ふっ、よくぞ聞いてくれたわね。私は黒のローライズTバックを穿いているところを彼に見られてしまった。そしてあのババアの洗脳教育により『黒パンツだからいやらしい女である』とレッテルを貼られてしまった。そうよね?」

「え、えと、まぁ、うん」

「だからね、あの惨劇の日の翌日から……毎朝彼の前でわざと転んで純白の清純な下着に包まれた清楚なお尻を彼に見せつけることで私のイメージの回復を図っているのよ! あの日はたまたま黒だっただけで、基本は毎日白しか穿かない清廉潔白な女であると証明し続けているの‼」

「頭おかしいんじゃないの?」

「あなたにはわからないでしょうね! 私の苦しみなんて!」

「うん、ごめん。なんでその結論に辿り着いたのかさっぱりわかんないわ」

「だからあなたは淫乱なのよ!」

「淫乱はおめーだろーが」


 この騒ぎが終わったらID交換して友達になろうと思っていたが、希咲は考えを改めた。


「てか、さ。なんでそれでお金がかかるわけ?」

「私だって女なのよ!」

「はぁ……」


 何を訊いても異次元な答えしか返ってこないこの連中から早く解放されたいと、希咲は心からそう願った。


「私にだって見栄はあるの……毎日毎日パンツを見せていけば白パンツのバリエーションなんてすぐに尽きるわ。彼だって何週間も何ヶ月もに渡って毎日パンツを見せられればそのうち覚えてしまって『あ、このパンツ前に見たな。最近もう見たことあるやつしか穿いてないけどこの女パンツのローテ回転早くね? スタメン弱すぎ』って飽きられてしまうかもしれないじゃない! だから私はバイト漬けの日々よ。常に新たな白パンツを用意するためにね。私の家の家庭環境ではバイトの許可が学園から降りないから、内緒でパンツ買う為にバイトをしてるの!」

「なんか目的変わってきてない?」

「そ、それに――どうせなら彼の目を飽きさせずに楽しませてあげたいしぃ、もしかしたら彼が私のお尻にムラムラきちゃったりとかして、そうしたらワンチャンあるかもしれないじゃない……」


 急にもじもじして本音を吐露し始めた白井さんを尻目に希咲は「ねぇ」と、西野へと声をかける。


 まさか自分に直接声がかかるとは思っていなかった西野君はビクっとすると「……な、なんですか?」と激しく視線を彷徨わせながら挙動不審に自分の肘から肩にかけて擦り上げた。


「あんたがさっき言ってた『男に媚びるしか能のないクソビッチ』ってこういうのを言うんじゃないの?」


 ジト目でそう言う希咲さんはビッチ呼ばわりされたことをしっかりと根に持っていたのだ。


 西野君はギクっとするとしばし反論の言葉を探したが、


「…………ぼ、僕の口からはなんとも……」


 西野君は仲間のことを慮り明言を避けた。



「とにかく、希咲。あなたが、あなた達が好んで黒のローライズTバックを着用して、軽率にガニ股スクワットなんてするものだから、同じ女だからってだけで、私までいやらしい目で見られているの。たまたま黒のローライズTバックを穿いていただけなのに。私とっても傷ついたわ」


「そういうことさ、希咲さん。キミが、キミたちギャルという強者がね、好き勝手に振舞っているその足元では、か弱い民衆が理不尽な重税を課されて苦しんでいるんだよ。これは『搾取』だぜぇ。そうだろぉ?」


 白井、法廷院に追従するように西野と本田も希咲を責め立てる声を出す。


「そ、そんなこと言われたって……ギャルがいつもそれ穿いてるってあんた達が勝手に決めつけてるだけじゃない。てか、あたし別にギャルじゃないし」

「口では何とでも言えるねぇ。でもね、こっちはしっかり情報ソースを提示しただろぉ? 決めつけだなんて『ひどい』ぜぇ。だってそうだろぉ? 何せ『専門家がそう分析したんだ』、間違いなんてあるはずがないじゃあないかぁ」

「何よ、専門家って。バッカじゃないの? どこのどいつよ、そいつ」

「おっとぉ。それは軽々しくは明かせないよぉ。ボクは個人情報の扱いには特別厳しい男なんだ。だってそうだろぉ? 勝手に喋ったら『プライバシーの侵害』じゃあないかぁ」

「だったらそんなの言ったもん勝ちじゃない!」


 狂信的な『弱さ』への信仰を掲げて不条理に断罪を迫る集団に、希咲はまた畏れを抱きつつあった。同じ言語で話しているはずなのに会話が全く成立しない。同じ人間、同じ生物に見えるのにその思考に理念に全く理解が及ばない。


 しかし、勢いに飲まれるわけにはいかない。正しいのは間違いなく自分のはずなのだ。何か言い返さなきゃと、焦燥に駆られ彼らに言葉を投げ返す。


「で、でもだからって、あたしがそんなの穿いてるなんて、あたしがあんた達の言う変な女だってそんな証拠もないじゃないっ」

「へぇ? じゃあキミは黒のローライズTバックなんてそんな物は所有してはいないと、そんないやらしい女ではないと、そう主張するんだね?」

「そ、そうよ! あたし別に遊んでる女じゃないしっ」

「――嘘ね」

「え?」


 法廷院との問答に白井が口を挟む。希咲の主張に異議を唱えた。


「嘘つくんじゃないわよ、このアバズレが。あなたさっき自分で言ったじゃない。黒のローライズTバックを持ってるって。しかも便利で重宝してるみたいに言ってたじゃない」


 先程の白井との話の中で確かに希咲はそのように言っていた。そう証言してしまっていた。

 まさか、あんなアホみたいな話の中で自分を嵌める為にこんな罠を張っていたのか――希咲は裏切られたような気分になって白井を見た。


「そ――それは……確かに持ってはいるけど、でもっ――「――謝りなさいよ」――えっ?」

「嘘をついたでしょ? いけないことよね? 謝りなさいよ」

「う、嘘って……そんなの……でも……」

「嘘をついたら、ごめんなさい。小学生でも出来るわ。あなたそんなこともできないの?」


 白井を援護するように彼女の仲間たちからも「そうだ」「あやまれ」と次々に希咲を責め立てる言葉が飛ぶ。



 納得など出来なかった。


 確かに嘘を吐いたことになるのかもしれない。だけど、男の子との会話の中で自分がどんな下着を持っているかなんて、そんな事実を細やかに明かす必要なんてないと思っていた。しかし、同性である白井との会話では女の子同士だしという気持ちもあって、普通に気兼ねなくそれを話してしまっていた。


 先程の法廷院とのやりとりだって別に彼を騙そうとして、言いくるめようとして本当のことを言わなかったわけではない。だが、自分の口から出た言葉は相手によって相違してしまっていて、証言に矛盾が生じてしまっていて。


 嘘を吐いた。そこの部分だけを、事実だけを切り取ってしまえばそうなのかもしれない。


 だが、希咲は認めたくなくて、到底納得など出来ようはずもない。しかし――



「――ごめんなさい……」


 大きな、はっきりとした声ではなかった。しかし、彼女は、希咲 七海は確かに自分のその口で、その言葉を、「ごめんなさい」と、そう言ってしまった。


 納得もしていないし、今でも自分は間違っていないと思っている。しかし、場の空気に、雰囲気に、この場に居る自分以外の全ての人間から「お前が間違っている」と、そう責め立てられる情勢に、希咲は屈してしまったのだ。



 悔しかった。

 絶対に自分は悪くなんてないのに。


 希咲はそのキレイで大きな猫目を揺らす。瞼の奥から溢れてくるもので視界が滲む。

 だけど悔しくて、悔しいから、それだけは絶対に嫌だと、強く歯を噛み締めて堪えた。




「ふん。謝ったわね? つまり自分が悪いって認めたってことよね」

「そ、それは――あの、言ってることが食い違っちゃったのは認めるけど、でも、だからってそれであたしのせいになるなんておかしいじゃないっ」

「やれやれ、強情だねぇ。キミが黒のローライズTバックを穿いていやらしい活動をしてるせいで、白井さんはとっても辛い思いをしたんだよ? 彼女が『かわいそう』だと、彼女に悪いと思わないのかい? ボクなんかは怒りに震えて涙が止まらないよぉ」

「だって、あたしそんなの学校に穿いてきたことないもん!」

「おいおい、それをどうやって証明するんだよぉ? ついさっき自分の口で『嘘をついた』って、そう認めたばかりのキミの証言を、何の証拠もなく鵜呑みにしろって言うのかい?」

「でもっ、だってっ、そんなの証明しようがないじゃないのっ」

「その通りだよ希咲さん。証明しようがない。でもね、この法治国家では証明できないことは事実として認められないんだぁ。ボクだってキミを信じてあげたいよぉ。心が痛いね。でもさぁ、さっきキミは嘘を吐いたばかりだし、黒のローライズTバックなんて穿いてない、その口でそう言ってはいるけれど、もしかしたら今日――今のこの瞬間だって、そのスカートの下に黒のローライズTバックを着用しているかもしれないじゃないかぁ。だってそうだろおぉぉっ!」


 追い詰めた犯人に名探偵がそうするように、法廷院は希咲のスカートを指さした。

 希咲は彼の突きつける冤罪から守るように、明るみに出さぬようにスカートを手で抑え、言い逃れる。


「き、今日違うっ、そんなパンツ穿いてないもんっ」

「ふふっ、どうかなぁ? キミはそう言うけれどもボクにはわからないなぁ」


 法廷院はすっかり調子を取り戻しニヤニヤと粘着いた笑みを顏に張り付けながら、その目を激しくギラつかせる。


「そんなこと言われても……じゃあ、どうしたらいいの……」

「なぁに、そう難しいことじゃないさ。証明できないことは証言にはできない。だからここは被害者に寄り添ってね、キミは過失を認めて素直に謝罪を――「見せなさいよ」――えっ⁉」

「――え?」


 希咲にトドメを刺そうと締めに入った法廷院の言葉を遮って、冷たく静かな声でそれを遮る者があった。



 希咲は何を言われたのかわからない、そのような茫然とした目で彼女を、白井 雅を見た。


 法廷院を含む『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の男子生徒の面々も「この人何言い出してんの⁉」といった風に、全員がギョッとして白井の方へバッと顏を向けた。



「何よ? 簡単でしょ? 見せればいいじゃない。証明出来ないなんてことはないわ。今この場で、その短いスカートをちょっと捲り上げてパンツ見せればいいじゃないの」

「え? ……うそ……だって、やだ……そんなの、白井さん……」


 希咲は信じられないといった風に白井へと縋るように異議を唱えようとするが、しかし動揺しすぎて上手く言葉にならない。



「あ、あのね、白井さん? ……さすがにそれはちょっと、その……どうかなって、ボクも思うんだけれど……」


 仲間であるはずの法廷院が見兼ねて、白井と希咲の間で視線を往復させながら少々怯えたように、白井に向って希咲の減刑を嘆願する。


「そ、そうですよ白井さん。そこまでいくともういじめに……」

「セクハラってレベルじゃ済まないですし、というか、いくらなんでもかわいそうですよ……」


 ここまで同調する時くらいしか喋らなかった西野、本田の二人の男子生徒も希咲を庇うように声をあげる。女に対して一番残酷になれるのは同じ女なのであった。


「なによ、この女の味方をしようって言うの? 弱い私を守ってくれるって言ったじゃない。私を騙したの?」

「それは違うっ! それは違うよ白井さん、騙してなんかいない。何というか……そう、それは違うんだっ」


「あなた達もよ。私たち仲間じゃなかったの? やっぱり顔がいい女の味方につくの? 簡単にヤらせてくれそうな女の方がいいわけ?」

「ヒッ、そ、そんなつもりじゃ、僕たちはただ……」

「ただ、何よ? どうせこのヤリ〇ン助けてやって優しくしてやればすぐにヤらせてくれるかもって思ってんでしょ? クソ童貞どもが!」

「そ、そんなこと考えてるわけないじゃないか! そんな言葉使っちゃダメだよ白井さん……」


 白井は裏切った仲間たちを順に詰め倒し、やがて黙ってじっと法廷院を見た。まばたきもせずじっと。

 その目はやっぱりマジだ。


 すっかり怯え切った法廷院は彼女の視線から逃れるように、目玉をキョロキョロ動かし、ややあって助けを求めるように同志たちを見た。

 西野君と本田君はサッと視線を逸らした。


 そして法廷院は内なる己と戦っているかのように身を震わせ、そして――



「そっ、そうだぜぇ! 希咲さん! 簡単なことだぁ! キミがちょっとそのスカート捲って見せてくれれば総てが解決する。こんな簡単なことはないだろぉぉぉっ⁉」


 ヤケクソ気味に声を張り上げた。

 白井はじっと西野と本田を見た。マジな目でじっと。


「そ、そうだそうだ! キミさえ我慢すればそれで丸く収まるんだ! ……あの、ほんとすいません、犬にでも噛まれたと思って。僕達目瞑ってますから……」

「潔白を証明したければ大人しく見せるんだ! ……本当にごめんなさい。絶対見たりしませんし、映像に残したりもしませんので、ここは何ひとつどうか……」


 西野君と本田君も続いた。


 彼らは保身を選んだのだ。



「そ、そんなのできないっ……無理に決まってるじゃないっ!」


「ふん。いつもやってることでしょ? もったいつけてんじゃないわよ、クソビッチが!」

「無実を証明したいんだろぉ? いいかい? 事象は観測をするまでは確定はしないんだ。箱の中の猫はその箱を開くまでは生きているか死んでいるかは確定しない。そうだろぉ? だから、 スカートの中のパンツも捲って見るまではえっちかえっちじゃないかはわからないのさあぁぁ‼ だってそうだろぉ⁉」


「おかしいわよそんなのっ! ……だって、そんなのむりだもんっ……」

「無理? 何が無理だと言うの? スカート捲るだけの簡単なお仕事でしょ?」

「だって……男子だって居るのに……見られちゃう……そんなの絶対だめ……絶対むりぃ……」

「は? それは私をバカにしているの? その絶対ダメで絶対に無理なことをしてしまった私を侮辱しているわけ? 底辺女だって見下してるのかしら⁉」

「ちっ、ちがっ……けどっ、だってっ……あたし、やだもん……男の子たくさんいるのに……見られるのやぁ……」

「ハッ、泣けば許されるとでも思ってるの? どうせいやらしい下着を穿いてるから見せられないのでしょう⁉」

「ち、ちがっ、泣いてないもん……白井さんどうして同じ女の子なのに、こんないじわるするの……?」


 希咲はその目に大粒の涙を溜めながら壁際へと後退る。白井さんはそんな彼女を、気が強そうで口の悪い希咲が今にも泣きだしそうな表情で、幼児退行したような口調で許しを請うてくる姿を見て、若干イケナイ気持ちが湧き上がってきた。



 白井はハァハァと荒くなった自分の鼻息の音でハッと我に返り、一度息を吐き出し気を静める。


「――同じ…… そう、同じよ」

「え?」


 そしてまた何やら語りだした。


「ねぇ、七海ちゃん。何故私がこんなクズどもと行動を共にしていると思う?」

「えっ? そっ……そんなのわかんないよぉ……」


 鼻をスンスン鳴らして答える希咲を何故か白井さんは『七海ちゃん』呼びし始めた。


 仲間だと思っていた白井に突然クズ呼ばわりされた男たちは、彼女へと「えっ⁉」っと驚愕の視線を向けた。



 全員が自分に注目をしていることを確認し、白井は続きを語る。


「私ね。さっきは教頭のことバカにはしたけれど。男女平等――それ自体はとっても立派な考えで、これからの社会が性差なく公平なものになっていけばいいと。私自身そうしていこうって、そう考えているの――でもね」


 白井は一度言葉を切り、七海ちゃんに絆され穏やかになっていた瞳を再度ギラつかせる。


「――でもね、男と女を同じにする前にね、やることがあると思ったの……それはね、女と女もまた平等でなくてはならない、そう思ったのよ……代表、そう思うでしょう?」

「え⁉ そ、それはまぁ……その通りだね! 『平等』はボクの最も好きな言葉の一つさ! だってそうだ――「黙れ」――はい、すみません」


 法廷院は両膝の上に手を置いて姿勢をよくした。


「女と女もまた平等……フフフ……私って今さ、底辺じゃない? 大好きな彼の前でババアにエロ下着を説教された惨めで憐れな底辺女だと思うの……だからね、全ての女を私と同じ場所にまで引きずり降ろしてやるっ。この世界の全ての女が私と同じところまで落ちてくれば、それで私は普通になれるの! 普通に戻れるのよ! アハッ……アハハハハハハハハハハっ――」

「く、狂ってる……」


 希咲 七海は畏れた。目の前のこの怪物を。壊れたように哂いながら爛々とギラつく眼を向けてくる女が恐かった。


 先程白井は、三田村教頭を指して「同じ女の足を引っ張るな」と言った。

 しかし、その白井もまたこうして他の足を引っ張ろうとする。



 同じにする。


 自分は他人には為れない。だから他人を引きずり降ろして、違うモノも自分と同じにしてしまう。

 知らない、わからないモノは恐い。だけどすべてを自分と同じモノにしてしまえば、もう恐れるべきものなど何一つないのだ。


 怪物が怪物を生み出す。


 それが社会せかいの仕組みであった。



 虚空を見上げ狂ったように哂い続けていた白井だが、ピタっと嗤うのを止め、首をぐりんと回して希咲へとその凶相を向ける。


「きぃさぁきぃぃぃっなぁなぁみぃぃぃぃぃっ」

「ヒッ――いやっ、こないでっ……こないでぇっ……」


 希咲は怯え切り、白井から逃れようとするがその背が壁に当たる。これ以上はもうどこにも逃げ場はない。


「さぁ――見せなさい。見せて早く楽になるといいわ。大丈夫……ただ私と同じになるだけよ……」

「おな……じ……? でもっ……いやっ、やなのぉ……」


 希咲を追い詰める白井の背後からは男子生徒たちから「みーせーろ! みーせーろ!」の大コールだ。


 先は希咲を庇うようなことを言ってはいたが、気の強そうな希咲が泣きそうになりながら自分たちに怯える姿を見て興奮を禁じ得なくなってきたのである。

 また、こんなかわいい女の子が目の前で自分でスカートを捲ってパンツを見せてくれる機会など、今後の人生で二度とないだろうとシビアに自己分析をした童貞たちは必死だった。とにかく今この瞬間に死力を尽くそうと一生懸命だった。



 希咲 七海は恐怖した。


 不条理に罪を着せられ、理不尽な罰を強要され。集団に大きな声で、血走った目で。



 自分は場馴れをしていると思っていた。大抵のことは一人でどうにでも出来ると考えていた。


 甘かった。ナメていた。


 他人を。人間という生き物を。



 暴力という手札が使えない闘争に放り込まれれば、自分という存在はこんなにも無力で、こんなにも小さく、こんなにも弱い。




 身体が震える。足元は揺れ、視界は廻り、思考は定まらない。


 こんなのおかしい。こんなの間違っている。



 今でも思う。自分は間違ってなんかいないと。彼らの言っていることは滅茶苦茶なことで、おかしいと。



 世間一般でも普通は誰でも同じことを思うだろう。



 でも。その普通は今、ここには自分しかいなくて、自分以外のここに居る者は全員が希咲が間違っている、希咲がおかしいと、口を意を揃えている。


 何が何だかわからなくなってくる。何が普通で、何が正しいのか。



(あたし、間違ってない、よね……? ……なんで……なんでみんなあたしを責めるの……?)


 今も彼らは叫んでいる。


『お前が悪い』『謝罪しろ』『償え』と。


(こんな場所で……たくさんの男の子たちの前で……そんなこと、絶対ダメなことなのに……あたし悪くなんてないのに……)


 思考と行動が定まらなくなってくる。


「ほんのちょっと、ほんの一瞬のことよ? たったそれだけで終わるの……楽になれるわ……」


 白井の言葉に、希咲は彼らから守るようにスカートを抑えていた手で、その手でギュッと制服の青のチェック柄のプリーツスカートの裾を握る。


(あたし、間違ってない……絶対悪くない……でも――)



 ――でも、ここにはそう言ってくれる人は一人もいなくて、自分に同意、共感してくれる人は誰一人としていなくて、やっぱり自分を助けてくれる人なんか何処にもいなくて――


(ほんの、ちょっとだけ……ほんの少しだけこの手を上に持ち上げるだけ……ほんの僅かな間、恥ずかしいのを我慢するだけで……それだけで――)




『許してもらえる』



 希咲 七海はスカートを握ったその手を上に――










「――全員そこを動くなっっ‼‼」



 突如廊下を駆け抜けた声にこの場に居た全員がその身体を縫い留められる。


 

 自分を助けてくれる人なんていない――そう諦めた時に、まるでヒーローのようなタイミングでここに来てくれた人。

 下腹から響いてくるような低い音、低い声音で声を発した誰か。


 希咲はその声が送られてきた方へと茫洋とした瞳を向けて、自分の危機に駆けつけてくれた、自分のためのヒーローの姿を見て――





「うわぁ」



 希咲 七海はすっげぇ嫌そうな顔をした。






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