+α
佐古間
1.宿屋にて
鏡に映った男は無感情にこちらを見返していた。
真っ白い髪は足首に届くほど長く、低い椅子に座っている今は無造作に床に散らばっている。首の後ろで固く一つに結んでいるため、長いけれど鬱陶しくはなかった。
血のように赤い瞳は仄かに暗い色をしている。見る人が見れば畏怖を覚えるような、無機質な色だ。幼い頃からこの色が嫌いだった。
髪の根本のあたりに、研いだばかりのナイフを当てた。く、と引っ張られて、少しばかり頭皮が痛い。鏡の中の白色が僅かにくすんだ気がした。
(いち、に、)
さん、と、心中で数を取って息を呑む。勢いのままにナイフを引いた。
ざくり、と。
切れ味の良いナイフは難なく髪を切り落としたようだった。すっと頭が軽くなり、鏡の向こうの顔が揺れる。髪を掴んだ手の中が、ぐ、と重量を増した気がして。
(……このくらいでいいだろう、きっと)
固く縛ったおかげで、腰ほどまであった髪はただの白糸のようにまとまっている。絡まぬように、ゆるい力で折りたたんだ。畳んだ真ん中でもう一度紐を結べば、ぱっと見ただけでは髪とは思えぬだろう。
もう一度、鏡の中を覗き込む。
映り込んだ男は見慣れた顔で、見慣れた長さの髪の毛で、けれど切りっぱなしの毛先は随分とみっともない。この顔で、この長さで、赤い瞳のままで、白いままの髪を見るのは久しぶりの事だった。
――うさぎちゃん
耳の奥で幼い声が揶揄うようにそう呼んだ。忌々しい記憶に首を振る。ばらばらの毛先が首筋に当たってくすぐったかった。
ナイフを置いて鋏を取る。髪の長さをそろえながら、すぐにムズムズと伸びそうな毛先をそっと魔力でコーティングしていく。少しずつ、少しずつ、濃い茶色に変わるよう、変色の魔法を混ぜながら。
やがて鏡の中の男の真っ白な毛先から、茶色がどんどん浸食していく。数度、瞬きする頃には、赤い瞳だけが鮮烈な、茶髪の男がそこにいた。
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