もしもあの日少しでも違ったら

 2019年4月28日 穏やかな絶好の乗馬日和。

 この頃のあーこは順調で、馬体はピカピカ、週休2日ペースで運動を続けていました。調子がいいので、もう少し詰めてやってもいいのかな? と思うほどでした。

 5月から競技会シーズンが始まります。

 このまま順調にいけば、競技にも連れて行けるかもしれない。

 クラブのレッスン馬に乗ってB級を取ると言っていたまこさんも、あーこで出てくれるかもしれない、Fさんも競技会デビューができるかもしれない、そんなワクワク感でいっぱいでした。


 この日、Fさんが調馬索であーこを回し、歩様を確認した上で、レッスンを受けました。調馬索がうまく行って、あーこといい関係が結べたFさんは、ものすごく楽しそうでした。

 インストラクターに、何のための調馬索? と聞かれFさんは、はっきりと「自分のため」と答えたそうです。

 あーことの関係作りに、この調馬索でのやり取りがとても大きな意味を持っていた、ということでしょう。

 私は、シェルにも使っていた白いゼッケンを出しました。

 競技会では、白ゼッケンを使うという決まりです。でも、あーこは馬装に敏感でうるさい馬なので、ゼッケンを変えるとヘソを曲げるかもしれない。白ゼッケンで問題が起きないか、確認しておこうと思ったのです。

 春の日差しの中で、白いゼッケンはピカピカに見えて、あーこの毛の色に映えました。


 私には素晴らしい将来しか想像ができませんでした。

 このチームで、あーこを競技会デビューさせて、あーこを散々ダメ馬扱いしてきた人たちにあーこの実力を見せてやるのだ、と息巻いていました。

 インストラクターが下乗りのためあーこに乗って馬場に向かいました。

 私は、クラブハウスから、あーこの様子を眺めることにしました。


 ところが。


 先ほどまではいい歩様だったあーこですが、運動を始めると、明らかにおかしいのです。でも、インストラクターがやめないので、まだエンジンがかかっていない状態なのかな? と思いました。

 Fさんが乗り替わる時、馬場に降りて、ビデオ撮影をしました。

 が、やはり、乗り替わっても歩様がおかしい、いや、ますますおかしくなって行く感じでした。

 半巻きして手前を変えた時、さすがにFさんもおかしいと気がついて、何か変です、と言い出しました。

 そこで、レッスンは中断となりました。


 馬場に向かう途中に坂道があります。

 おそらく、その坂を降りる時に、足を捻ったのか、何かあったのか……。

 でも、どこが悪いのか、よくわからない、私は右前だと思うけれど、インストラクターは左腰じゃないか? とも。

 いずれも、この時は、少し休めば良くなるんじゃないか? 大事をとって右前を冷やして、終わりにしようとなりました。


 まさか、これが悪夢の3ヶ月の始まりとも知らず。


 この時をきっかけに、あーこは良くなったと思って乗れば、また悪くなり、悪くなったと思って休ませてもなかなか良くならず、しかも、どこが悪いのか、あまりはっきりせず、休ませすぎて放牧して走り回って再び悪化、など、思う存分乗れない日々が続きました。

 常歩でとにかく歩かせるのがいい、というアドバイスを受けて、Fさんは来るたびに丸馬場で30分間、あーこを常歩で歩かせてくれました。

 乗りたい人にとって、ただ常歩で同じ風景の中をぐるぐる歩くだけ、というのは、楽しいはずがありません。それなのに、嫌な顔ひとつせず、延々と面倒を見てくれました。

 夏が過ぎた頃、やっと普通に乗れるようになりましたが、春先の好調さは戻ってきませんでした。

 装蹄の問題ではないか? と装蹄師を変えてみたり、そもそも蹄鉄がよくないのでは? と裸足にしてみたり、鍼治療したり、歯を治療したり、漢方薬を飲ませたり、治療効果の高い馬着を着せてみたり。

 

 明らかにあの日、何かがあり、あーこは故障し、それがずっと後を引いている。でも、それが何なのかはわからない。

 私は、やはり坂が原因で、前膝が緩いあーこのこと、何か妙な力がかかって痛めたのでは? と思って、それ以降、坂は引き馬で降りることにしました。

 とはいえ、その時、膝は腫れていず、それが原因とも限定できないのでしたが。

 それでも、何か気をつければ、この故障は防げたはず、防げていたら、また違う未来があったはず、と思えてならないのです。

 もしも、たら、れば、は、意味のないことですが。


 もしも、あの日、何かが少しでも違っていたら。


 あーこは、まこさんを乗せてB級試験を取り、Fさんを乗せて競技会デビューを果たし、3人で喜びを分かち合えたのかもしれない。

 3人、もしくは、2人で、あーこを持ち続けて、幸せを分かち合えたのかもしれない。

 そして、あーこの名馬ぶりは、私の勝手な評価ではなく、一般的な評価になっていたかもしれない。

 私は、クラブで鼻高々になっていたかもしれない。


 実現不可能になってしまった夢は、なぜ、こうも甘美なのでしょうか?

 私はいまだに、あの白ゼッケンのあーこの姿が懐かしいのです。



 馬術競技に出るのには、かなりのお金がかかります。

 今の状況では、とてもとても、競技会を目指すことは考えられません。それに、競技に出て、何とか箔をつけて、オーナーを探したい、と思っていただけで、私自身がさほど競技にこだわっていないのもあります。

 だから、あーこが競技に出ることはないでしょう。

 ただ、まだまだA2にはこだわっています。

 あーこが、乗馬として再生できたのは、ただ、休ませて体が良くなっただけで、乗馬としてのトレーニングを積まなかったからだ、甘やかしていたからだ、それならどんな馬だって、おっとりになりますよ、と思われたくないからです。

 大事にし過ぎれば物にならない、そう思われてしまえば、あーこと同じ馬があちらこちらに現れて、ひたすらがんばらせられてダメ馬のレッテルを貼られて、捨てられてしまうからです。

 私たちとあーこが歩んできた道でも、ちゃんと立派な乗馬になると、自分でも確認したいのです。

 あーこが乗馬として再生し、立派になるのは、まだまだ道半ばです。



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