偉い奴には忠義をつくす

 よく馬に馬鹿にされる、とか、舐められる、とか、いう人がいます。私も、かつては馬に馬鹿にされてばかり……と思っていたものですが、それはちょっと違うようです。

 馬は、気が動転して我を忘れない限り、安全安心、自分の身に一番危険の及ばない選択をする、のです。

 全力で走ったら疲れるし、足を怪我するかも知れない。だから、中途半端な命令には従わないのです。

 男性ライダーには、よく「足が折れてもやれ!」という強い気持ちで馬に乗っている、と言う人がいます。女性ライダーは「足が折れても、は、かわいそうでしょう!」と言う人が多いように思います。

 男性には問答無用で従うけれど、女性には甘えてきて、なんとか、やらない方向でいかがでしょう? と提案してくる。

 その結果、男性には一目置くけれど、女性には舐めてかかる、と言う図式に見えるのでしょう。


 足が折れてもやれ! は、実際、野生の馬の世界では、日常だったと思います。

 肉食獣に襲われた時、群れから外れたものがターゲットとなります。つまり、足が折れても群れについていかなければ、自分がターゲットになってしまう、だから必死で命懸けなのです。

 しかし、リーダーがそこまで強く命令しなければ、わざわざ故障覚悟で走ることはなく、できるだけ安心安全、疲れない方向で、動くのです。

 それは、馬にとっては当たり前で、別に、その人を舐めているとか、馬鹿にしているとかではなく、強い命令をしない人、という認識なのだと思ます。



 Fさんがあーこのオーナーになった時、最初の1ヶ月間は、とても従順でした。おそらく、様子見していたのだと思います。

 かつて、オーナー候補だった老婦人には、それほど従順な態度を取らなかったため、私はホッとしました。

 あの時のあーこは、いかにも気に入られなくてもいいんだぜ! って態度で、自分の意思でお断りしたんだな、と思えるくらいでした。


 Fさんは穏やかな人で、私のような激情型ではなく、むしろ、まこさん風の平常心で馬に接するタイプの人だと思います。

 しかし、そういう人にはまこさんほどの経験がなければあーこは難しいタイプでもありました。

 1ヶ月間、模様眺めをしたあーこは「コイツ、オイラよりも下じゃね?」と順位をつけ始め、徐々に狼藉を働くようになりました。

 自分よりも下のものが、そんな態度でいいのかよ! と、怒るようになったのです。

 乗ってしまえばそんなに問題はないのですが、お手入れの時が大変で(元々うるさいのですが、輪をかけてうるさい)Fさんを随分と落ち込ませました。


 そこで、私は、グランドワークをFさんに教えました。

 グランドワークといってもほぼ我流なのですが、馬に乗らない状態で常歩、速歩、駈歩、停止、方向転換などが出来れば、Fさんとあーこに絆ができると思ったのです。

 実際、乗るのが苦手な私は、グランドワークをやって、絆を確認してから乗ることが多かったのです。

 乗らずに命令が通じるのなら、乗っても命令が通じるだろうと、自信を持って乗ることが出来たからです。


 ところが、これが、信じられないほど、散々でした。

 Fさんが、ほぼ私と同じことをしているのに、あーこは全くいうことを聞かず、Fさんをますます落ち込ませることになってしまいました。

 一緒に丸馬場に入って指示のタイミングなどを教えている時は従うのですが、私が全く指示を出さないでFさんにお任せしてしまうと、あーこは途端にFさんを無視してしまうのです。

 なんとかできそうな雰囲気になり、一人でやってみます! となり、私は丸馬場の外に出て、隠れてこっそり見ていたのですが。

 あーこは、Fさんにまとわりついてしまい、いい立ち位置を取らせず、全く言うことを聞かないのでした。


 初めてやることだから……と、最初は気にしていなかったFさんですが、次も、また次も、1ヶ月くらい頑張っても、全くあーこが言うことを聞きません。

 そして、私に変わった途端、今までが嘘のように命令に従うのですから、だんだんFさんも落ち込んできてしまいました。

 そこで、私も方針を変えました。ハミと調馬索を使うことにしたのです。

 ハミは、馬の口の中に入れる金属の棒でハンドルやブレーキの役割をはたします。これがあるなしでは、馬の口に作用する力が10倍は違うと言われている強い道具です。

 ハミがなければ、今の馬と人との関係は成り立たなかった、と言われていますが、同時に強い道具なので、ハミから馬を解放したい、と考えて活動している人々もいるくらいです。


 そして、ハミの効果は絶大でした。


 たった1回、ハミをつけて調馬索をしただけで、あーこは、Fさんの言うことを聞くようになったのです。

 あれ? こいつ、もしかして、オイラより偉くね? と思ったようです。

 その後、あれだけ散々だったグランドワークもすぐに形になってきて、問題なくできるようになりました。

 その劇的変化に、私も目をみはりました。

 Fさんも、すっかり自信を取り戻し、Fさんとあーこの蜜月が始まったのでした。

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