19.本体を探せ

 邪気が強まり、葉は蠢き、あたりはより一層暗くなる。殺気が肌を刺したかと思えば、四方八方から枝が伸びて突き刺そうとしてくる。


「うわッ⁉」


 森の奥へ奥へと逃げ惑うあお達を、獣のように身震いした木々がいくつも目玉を生やし、襲いかかってきていた。


 ひたすら反射神経を利用して避けまくる蒼に対して、一鞘ひさやは冷静だった。


「――『静葉じょうしょう』!」


 強固な〈言〉が紡がれたと同時、枝々が何かに縛りつけられたように動きを止めた。


「こっちだ!」


 姫織いおりの手を掴んだ一鞘に促されるまま、蒼は全速力でついて行く。


「あのー、今の術って……?」


「〈大気〉と〈地心〉に働きかける〈言〉だ。植物の生命活動を一時的に制限するだけだから、時間稼ぎにしかならないけどな。……というかそのぐらい思いつけよッ!」


「ご、ごめんなさーいっ!」


 またしても怒鳴られてしまった。


 そうして蒼達は、襲われては逃げ、襲われては逃げを何度もくり返すハメになった。


「確実な逃げ場が全くないってのは厄介だな……。どこにいたって四方八方囲まれてる」


 もう何度目か分からない逃亡の末、辿り着いた場所で一鞘が不愉快そうにつぶやいた。


 もうどのくらい奥に入ってしまったのか分からない。どこまで行っても、邪気で満ちた木々があるだけ。日の傾きで方角を確認しようにも、葉が完全に空を埋め尽くしてしまってそれもできない。……というのは、先程一鞘が言っていたのだが。


「そ、そうだね……」


「……」


 姫織に至ってはもう、喋る余裕もないほど肩で息をしている。蒼のようにすばしっこく避けることはできないが、一鞘のように術でカバーしてくれていた。術を使えば呪力を消耗するし、〈言〉を紡ぐということは喋っているから、走りながらではもっと息が乱れる。一鞘が引っ張っていたとはいえ、小柄で体術に慣れていない姫織が1番疲れるのは当たり前だった。


 そんな姫織を見かねてというのもあって、蒼は緊張しながらも一鞘を見た。


「……ごめん、龍能を使うわけにはいかない……?」


 一鞘を便利な道具扱いするようで気が引けたが、ずっと思っていたことであった。恐る恐る尋ねた蒼を見た一鞘は少し眉根を寄せたものの、すぐに口を開いた。


「あれは力が強過ぎるから、使えない」


「……そ、そっか」


 確かに呪力とは別次元の力であった。しかし、思うところはある。


「でも、中庭と道場では使ってたよね……?」


「……あれは周りに敵がいるわけじゃなかったから、無害でいられたんだ」


 一鞘が慎重な口ぶりで答えた。


「敵に囲まれてるこの状況で使ったら、制御できる自信がない。……森だけじゃなく、学校もまるごと吹っ飛ばす可能性がある」


「……!」


 制御できる範囲であれだけ圧倒的な力を発揮していたというのに、それが制御できないとなると。蒼はゴクリと唾を呑み込んだ。


「それに、あれは本来妖を殺す為に使うものじゃないんだ。……これ以上は教えてやれない」


 最後にボソリと付け足された一言に、蒼は瞬いた。


 ――何でもいいだろ。


 ――それは教えてやれない。


 そんな風に、キッパリと線を引かれたことはあった。しかし今のには、ちっとも胸が痛まなかった。


(もしかして、一鞘も図書館での窓掃除の時のこと気にしてくれていた……?)


 思わずじっと見つめるも、一鞘の側はとっとと切り替えていた。


「――となると、この妖の本体を倒すしかないよな」


 一鞘の決断に、ようやく息が整った姫織がコクリとうなずいた。蒼もそれに続こうとして――……、


「……え、えぇ――――――――――――ッ‼」


「うるさい叫ぶな!」


 ……容赦なく頭をはたかれた。


「だっ、だってこんな高位の妖……!」


「殺らなきゃこっちが殺られる」


「でも、先生達の助けを待った方がいいんじゃ……!」


 これだけ学校敷地内の森が豹変しているのだ、教師達が気付いていないわけがない。


「無理だな。早くて明日の朝だろ」


 一鞘が投げやりに言う。しかし、ここの教師は妖退治にもある程度精通していなければなれる職業ではない。


「先生達でも、救出が難しいってこと……⁉」


「……それは少し、違うと思う」


 かぶりを振ったのは、姫織だった。


「……結界内で、高位の妖が発生している異常事態。学校内の生徒や、周りにある住宅地の住民を、きっと避難させる」


「同時並行で、森を囲むように結界も張ってるだろうな」


「そんな!」


 妖だけでなく、先生達にも閉じ込められているなんて。


「そんで今頃緊急会議でもして、膠着状態」


「……」


 こーちゃく、とは分からないが、話が進んでいないと言いたいのは分かった。しかし蒼にはまだ、あきらめ切れない。


「……でも、戦闘局の人を呼んでくれてるかも」


「それも含めて『明日の朝』だって言ってるんだ」


 一鞘は揺るがない。


「龍脈付近に突如発生した、高位の妖相手だ。いきなり突っ込むような真似はできない。戦闘員を無暗に死なせるわけにもいかないだろ」


 戦闘員を無暗に……。その言葉に、ギリッと胸が痛む。


「だから、妖力が高まる夜じゃなくて、弱まる朝に調査で入るだろう。今はもうとっくに18時をまわってる。まず誰も入らない」


 自分の腕時計を確認しながら、一鞘が言う。確かにそうだ。……そうなんだけど‼


「あたし達、まだ1年生だよ⁉」


「だから何だよ」


 何だよとは何なのだ。蒼にしては現実的な問題を上げたというのに、一鞘は白け切った目をしている。


「だって、まだそんなに術習ってないし」


「こっちには姫織がいるんだぞ。おれもそれなりに知ってるつもりだ」


 確かに先程森の攻撃を回避する際、2人が聞き覚えのない〈言〉を唱えているのを何度も耳にしているが。


「13,4歳の呪力って、大した量じゃないし……!」


 呪力は、使えば使うほど――つまり練度が増せば増すほど強くなり、量そのものも底上げされていく。肉体と精神の成長・安定ともかかわりがあるらしく、まだ経験が足りなくて気持ちが不安定な、子どもの体である自分達では無理があるのだ。


「おれも姫織も呪力量は大人の平均値より上だ」


「は……ッ⁉」


「ここまでも最小限の呪力しか使っていない。だからまだ余裕がある」


 ついでに言えば、と一鞘がこちらを指差した。それはもう遠慮なく。


「お前に至っては、基本的に身体能力で避けてたから呪力はほとんど使っていない」


 地面に穴開けたくらいか、とつまらなさそうに言われたのがトドメである。


「……まいりました……」


 蒼はうなだれ、完敗を認めるほかなかった。


 それに対し、一鞘が「よし」と短く言ってうなずいてみせた。特別満足そうでもなく、さも当然のような態度なのが嫌なところである。


「……で、お前にいくつか質問がある」


「へ?」


 すっかり敗者の気分に陥っていた蒼は、一鞘の言葉に顔を上げた。


「お前さっき、『森全体でひとつの妖』って言ってただろ。あれ、どういう意味だ?」


「あぁ……」


 そういえばそういう話してたなぁ……と遠い昔のような気もしながら、蒼は口を開いた。


「同じ邪気しか感じられないから」


「同じ邪気?」


「うん。ほら、妖によって邪気って違うから」


「……それはわたし達には分からない」


 姫織が緩やかに首をふり、蒼はえっと驚く。


(あっ、でも)


 先程、一鞘からも「自分と姫織は邪気の濃度くらいしか分からない」と言われていたのだった。……となると……、


「森が高位の妖っぽい邪気でいっぱい! ……ってことしか分からない……?」


「バカっぽい言い方なのが癪に障るが、まぁそういうことだ」


「ひどっ⁉」


 とは言ったものの、一鞘も姫織も機嫌を損ねる様子ひとつない。ただ事実を言われたのだからうなずいただけ、という感じだ。何というか、


(お、大人の反応だ……)


 普段あんなに問題児しているとは思えない落ち着きぶりである。


「この森には、1体の妖しかいないのか?」


 一鞘に話を戻され、蒼は我に返る。


「う、うん……。確かにこんなに強いとそれより弱い妖がいたら分かりづらいんだけど、本当に1体だけに感じるかな」


「『森全体が』って言ったのは?」


「この森、木の1本1本から邪気が出ているみたいで……」


 空気中に漂っているのかと最初は思ったのだが、落ち着いて気配を探ってみると木そのもの、枝の1本1本、そして葉の1枚1枚から邪気が水のようにしみ出しているのである。


 一鞘は「マジか」と眉根を寄せてから、さらに尋ねた。


「お前、閉じ込められたばっかの時、地面に穴開けたよな」


「え……そ、その話に戻るの……?」


 蒼としては嫌な話題である。しかし一鞘は気にせず進めてしまう。


「お前、アレには気付かなかったのか?」


「アレ……?」


「お前が穴開けたら、根っこがウヨウヨいて、動いてただろ」


「あー……」


 あのキモチワルイ光景をできるだけ思い出さないようにしながら、蒼は答える。


「その……、あの時は閉じ込められたばっかりでいっぱいいっぱいで、あんまり地下がどうなってるとか、考える余裕もなくって」


「あんだけニョロニョロしてたのに気付かなかったのか」


「やめて! 思い出させないで‼」


 一鞘に半眼で言われ耳を塞ぎたくなってしまう。


「そりゃあ、森で最初にワッて邪気が湧いたりとか、一鞘の龍能とか、近くに妖がいるとか、そういうのは何にも考えてなくても気付くよ? でも、他の気配に気を取られてたら、さすがに気付きづらいっていうか……」


「お前の守備範囲が広いとは限らないことはよく分かった」


「う、うん……? えーっとあと、やっぱり殺気には敏感になるかなぁ」


「お前枝の攻撃は絶対に当たらなかったもんな」


 そういえばそうである。寒気を感じた時には体が勝手に動いているのだ。だから避けた後にさっきまでいたところに攻撃が飛んできて、ビックリしっ放しなのである。ということを伝えたところ、


「……脳筋ノーキン……」


脳筋ノーキンだな」


「ひどっ⁉」


 ふたごからはこの言われようである。


「……森全体でひとつの妖……木全部から同じ邪気……殺気なら即反応する……根は攻撃してこなかった……」


 傷付いている蒼をよそに、一鞘は瞳を伏せ何やらぶつぶつと言っている。


「……それぞれに役割があるのか?」


 ざわり、と森全体が蠢く気配が充満する。






「……ぜっっっっったいどんどん強くなってきてる……‼」


 激しい逃走劇の末、蒼は地面に膝をついていた。さすがにこれには息切れもするというものだ。


 枝の攻撃は速さが増し、蒼の反射速度でもかすることが増えてきていた。姫織に術で援護してもらったり、一鞘に足を引っかけて転ばされた頭上を鋭い枝が通過したことも1度や2度ではない。……一鞘はもうちょっと優しく扱ってくれてもいいと思う。


「……だな」


 その一鞘もさすがに息が乱れていた。姫織に「深呼吸しろ」と気を遣えるだけ、まだ余裕があると言えるが。


「姫織、大丈夫?」


「……」


 姫織は無言のままかすかにうなずいた。土下座するように丸くなり、その華奢な背中が大きく上下している。見ているだけで苦しくなる光景だ。


 3人とも、あちこちを鋭い枝で切って傷だらけになっていた。しかも最初は平らだった地面は今や巨人が暴れたかのように荒れ放題で、凸凹が多く足場が悪かった。地中深くに埋まっていたんだろう岩まで顔を出している始末だ。致命傷や大怪我こそ負っていないものの、消耗しているのは明らかであった。


「ほら、飲め」


 一鞘が自分のベルトに固定していた水筒を取り出し、姫織のそばへとしゃがんでいる。


 戦闘服にはベルトがあり、そこには薬品や暗器などのちょっとした道具を入れられるポーチがついている。それと一緒に、水筒を固定できるように輪っかもできていた。制服を着ていた蒼と姫織はほぼ手ぶら、一鞘だけが戦闘服であった。つまり貴重な水分を持っているのも、一鞘だけ。


(何で今日に限って制服にして来ちゃったんだろ……)


 蒼もカバンには水筒を入れていたのだが、度重なる森での逃走劇でみんなとっくの昔に落としていた。姫織に至っては、中に図書館から借りた本が入っていたので大層未練がましそうだった。


 とにかく、こうして森の猛攻が止む度に一鞘の水筒の水を3人でちょっとずつ回し飲みするしかなかったのである。間接何たらとか気にしている場合じゃない。というかそんなの気にした途端に一鞘に「は?」と絶対零度の眼差しを向けられかねない。


(一鞘が満杯に入れてくれててよかった……)


 何でも、すぐに飲み切ってしまう為定期的に冷水器から補充しておくらしい。お陰で今3人とも水分補給できているので心底感謝だ。しかし、その水ももう3分の1を切っていそうだ。


「これ、毒だったりするかなぁ?」


 頬に走っている切り傷を指差し、蒼が尋ねる。一鞘がそんな蒼に水筒を差し出しながら、「どうだろうな」と言う。


「毒が操れる奴なら、とっくにおれら3人とも毒殺されてるんじゃないか」


 それもそうか。痛みはあるものの、変な痺れがあったり、意識が朦朧とするといった典型的な症状は今のところない。


 蒼は納得しつつ、ふたくち飲んで一鞘に水筒を返した。


「……ま、毒素を強める為に夜を待っていたのかもしれないけどな」


「……遅効性で、後から効くのかも」


 できればそうじゃないと願いたい……。


(……待てよ?)


 げんなりする話ではあったが、ひとつ思いついた。


「……そういえば、2人とも毒の術って使えたりしない? それか、毒薬持ってるとか」


 途端、飲んでいた水筒から口を離した一鞘と座り込んでいた姫織から、冷たい目で見られた。


「……後半の意味は訊かないでおいてやる」


 毒薬なんざ持ってないと言いたいらしい。蒼はそっと首をすくめた。


「でも、2人なら毒の術なんて知ってたり……」


 蒼は術については学校で習ってきた以上のことはあまり知らない。毒の術なんて、初等学校では一切習わなかった。晦日つごもりから教わっていたのは、体術や邪気の感知、妖のことばかり。だが、毒の術があるらしいというのは聞いたことがあった。


(頭のいい2人なら、毒を生み出す〈言〉を知ってるかも――)


「無理だな」


 だが期待とは裏腹に、キッパリと否定されてしまった。姫織までもが、ふるふると首を横にふる。


「毒の術は、使える人間がごく限られてるんだ。そんでその中におれも姫織も入っていない」


「そ、そうなの?」


「適性があるんだよ。異能――個別能力ってやつだな」


「……『毒素精製』って、呼ばれてる」


 個別能力とは、ごく限られた人だけが使える、術に関する能力だ。誰もが着物を着ていたような昔では、「異能」と呼ばれていた。絶対音感だとか、瞬間記憶みたいなものだと学校で教えられた。呪力や妖力にかかわる能力を個別能力としているので、例に挙げたこれら自体は個別能力には数えられないらしいが。ついこの間、「個別能力はあまりにも多岐に分かれ過ぎている上に術ほど爆発的な威力が出せないものばっかだから全然研究が進んでいないんだよな」と呪学の教師である国母こくぼが嘆かわしそうにぼやいていた。数人しか使えないちょっとした能力より、多くの人が使える強大な力を発揮する術の方が優先的に追究されるのは、仕方のない話であった。


(毒の術って、個別能力だったんだ……)


 蒼にとっては初耳であった。


「お前……は、扱えるか分かんねぇってところか」


 であれば試している暇がない今は全員扱えないとした方がいい。それに、毒を扱える術者自体がまれなのだ。一鞘の言葉に、確かにと蒼はうなずいた。


 そしてひとまず気持ちが落ち着いたので、もっと本題だろうというところに踏み込んでみる。


「……それで、『本体』って言い方なんだけど、」


「あ?」


「ほら、妖の本体見つけて倒す……とか何とかって話。……あれ、『本体』なんて言い方してなかったっけ?」


「……いや……」


 したにはしたが、とこぼした一鞘が、ふと真面目な顔でこちらを見つめてくる。そんな風に不機嫌さも容赦なさもなくただ見つめられると、一鞘が大人びた雰囲気をしているだけで13歳――もしかしたらもう14歳になっているのかもしれないが――らしくどこかあどけなさも残っているのだと分かってしまう。姫織とはまた違った、端正な顔立ちであることも。何だか急に、落ち着かなくなってきた。


「そこに気が付いて覚えてたお前は本物か? と思って」


「ひど⁉」


 緊張が吹き飛ぶ失礼さである。


「やっぱり、『本体』って言い方したってことは……」


「あぁ。……やっぱり操作型の妖の仕業なんじゃないかと思ってる」


「そうだよね……」


 木々で攻撃してくるものの、その妖自体は一向に姿を現さない。典型的な操作型の戦い方だ。


「他のタイプの可能性が消えたワケじゃないけどな」


「幻を見せる……とか?」


「おれ達のケガは本物に思えるけどな。高位の妖だったら、そう錯覚させる可能性もある」


 ただ“幻を見せる”といっても、妖にはいくらでもやり方がある。眠らせて夢を見せたり、蒸気や蜃気楼のようなものを妖力で応用して幻を見せたり。自らが作り出す毒で幻覚を見せることもあるのだという。姫織がそっと教えてくれた。


 試しに、頬の痛む箇所に指をすべらせてみる。やっぱりピリッと痛い。さすがに幻はなさそうだ、と蒼も思い直した。


(そういえばお父さんが、幻を見せる高位の妖はそもそも幻だって気付かせないって言ってたっけ……)


 それ故に、その妖自体は弱くとも高位に分類されるという。これはあくまでも人間が決めた基準でしかないが。


「とりあえず今は操作型だと仮定しておく」


 一鞘が両腕を組んで言い切った。


「もう日は暮れているだろう。これからどんどん、妖の力は強まっていく」


「……丑三つ時――夜中の2時が、ピーク」


「だからって今が大丈夫だとも言い切れない」


 こちらから動く時だ、と一鞘が言い切った。時間が経てば経つだけ、どんどんこちらが不利になる。


「だからその本体を見つけ出して叩く」


 一鞘が強い眼差しで断言した。目標が明確に見え始めてきたからだろうか。蒼はぶわりと鳥肌が立つのを感じた。


(本当に、高位の妖を倒そうとしてるんだ……)


 そうするしかないところまで、来てしまっている。


「でも、本体をどうやって見つければいいんだろ」


「……枝で攻撃をされる前」


 姫織がぽつりと漏らした。


「……わたし達が、その妖にとって都合の悪い方へ向かっていたとしたら」


「……あ……‼」


 致命的な怪我を負わせず、別の方向へ行くよう追いやっていたということになる。


「つまり攻撃が激化すればするほど、本体に近付いている可能性が高い」


「……そこを何とか、抜けるしかない?」


「……そうなるな」


 頭をガシガシとかきながら、一鞘が肯定した。


「姫織、目くらましの結界は張れるか?」


「……多分」


 姫織がうなずいた。結界術はかなり高度で、初等学校では簡単な魔除け程度しか教わっていない。その魔除けすらも苦手な蒼としては、姫織に感動すら覚える。


「つうワケで――」


 一鞘がビシリと、蒼を指差した。……さっきもちょっと思ったのだが他人を指差すなと教わらなかったのだろうか。


「お前が本体を探せ」


 蒼は目をぱちくりさせた。そして、


「えムゴッ⁉」


 ……叫ぼうとしたところで、姫織に真後ろから容赦なく口を塞がれた。本気で見知らぬ暴漢に突然襲われたのかと思った。


(で、デジャヴ……)


 と言いたくても、きっちり隙間なく口を手の平が覆っているので言えない。


「恐らくこの妖は、木のパーツ毎に役割があるんだ」


 と言いながら、一鞘が姫織に目配せする。それを受けて姫織が無言で蒼の口から手を離してくれたので、蒼は聞き返せた。


「パーツ? ……役割?」


「葉は、量を増やして日光を完全に遮ってる。他にも役割があるのかもしれないが、今んところ不明だ。それから枝は攻撃手段。枝を伸ばしてしか攻撃してきていない。幹からも枝が生えてきてたから、そっちは枝を即座に生やす為の栄養源……ってところか?」


(……そ、そんなところまで見てたんだ……)


 こんなにも激しい攻防戦、逃亡劇だったというのに。しかも一鞘は蒼と姫織が逃げるフォローまでしてくれていた。


(……遠いなぁ)


 同い年で、同じ戦闘科1年生であるはずなのに。


「……そんで気になるのが根だ」


「根っこ? ……って、あのニョロニョロしてた……」


「それだ」


 ため息混じりに、一鞘が肯定した。


「お前が穴開けた時、根は絶えず動いていたが一切攻撃はしてこなかった。あの妙な目玉が開いて枝が攻撃してくるオート機能もなかったしな」


「えぇっと、つまり……?」


「……根は攻撃の役割じゃない……?」


 そっと尋ねたのは姫織である。「多分な」と一鞘がうなずいた。


「それでもしかしたら、移動手段なんじゃないかって思った」


「……本体が、移動してるってこと……?」


 姫織の言葉に、蒼は目を見開いた。ぶわりと鳥肌が立ったものの、違和感が首をもたげる。


「まっ、待って! でも本体が根っこにいるならなおさら、穴を開けた時にあたし達を攻撃してもおかしくないんじゃ」


「……そこに本体がないと、思わせたかったのかも」


 ぼそりと言ったのは、姫織だ。


「あぁ。それか地中深くにいて、穴を開けられた程度じゃ見つからないと踏んだか」


「……あのまま深くに入ろうとしてたら、オート機能が働いて攻撃が飛んできたとかもありそう」


「本体の周りは守りを固めていて、絶対に突破されない自信があったとかな」


「………………………………………………………………」


 蒼は2人の会話に完全に呆気に取られていた。そうして言葉を失っている間にも、「穴を開けた時はたまたま本体が遠い位置にいたのかも」だとか「本体自体が根の中に入っていてあの瞬間に急いで逃げてた可能性も……」などと話している。


 とりあえず、蒼が負けだということだけはよく分かった。地中を見て攻撃してこない=そこに本体がないとは限らないということも。


(ひとつ勉強にはなったかも……)


「……え、えーっと! それであたしは、どうすれば……」


「地中の気配を探ってくれ」


 一鞘が当たり前のように言う。


「大まかな位置を、お前に見つけてもらう。恐らく一定の距離より近くなったら、攻撃が飛んでくるだろう。本体からおれ達が遠ざかるように仕向けてくるはず」


「……でも、そうはしない?」


「あぁ」


 姫織の問いかけに、一鞘がうなずいた。


「姫織にはあらかじめ、目くらましの守護をおれ達に施してもらう。これで少しは妖側もおれ達の認知が狂うだろう。そこでお前に、また正確な位置を見つけてもらう」


「お、おぉぉぉぉう……」


 何という責任重大な役目なんだろうか。「変な声出すな」と一鞘が半眼で命令してくる。


「お前が言いたいことは何となく分かる。こんなに邪気が濃い上に攻撃がどんどん飛んでくる中で地中の気配まで探る余裕なんてないってところだろ。しかもお前は殺気には特に敏感だとか言ってた。殺気のない相手を探るのは自信がないってところか」


「……。うん」


 認めるのが悔しいが図星である。


「お前のはあくまで保険だ。もし見つけられなくても、攻撃の方向からどこに本体がいるかは読めなくもない」


「あ……。そ、そっか。そうだよね」


 何を1人重大な立ち位置だと思い詰めていたのか。蒼は恥ずかしくなって、顔を赤くする。一鞘も姫織も優秀なのだ。そのぐらいできるか。


「だが正確な位置情報があれば助かるのも本当だ」


 一鞘が付け足した。


「だから、できるなら力を貸してくれ」


「……ん。そうなると、わたし達も楽」


 一鞘だけでなく、姫織までもが誠実な目で見つめてくる。あの二大問題児が、とか、こんな自分なんかに、とか。思うところはたくさんあったが、蒼はおずおずとうなずくことを決めた。


「わ、分かった……。できるか分かんないけど、やってみる」


 2人は、ただ黙ってうなずいてくれた。


「……それと、やるなら目を閉じた方がいい」


「え」


 姫織にそっとアドバイスされ、蒼は目を瞬く。


(確かに、集中したい時は目をつぶってたけど……)


 だがそれは、安全な場所で妖を観察する時だとか、それこそ、一鞘の龍能を探っていた時だとか。周りに危険がないから、のん気に目をつぶっていられたのだ。


「そうだな。そうした方がいいかもしれない」


 一鞘までもが、同意している。


「五感の内ひとつでも潰せば、こうしたことにはより意識が鋭敏になる。今まで感じ取れなかったものが感じ取れるようになるかもしれないぜ」


「……わたしが手を引くから」


「……」


 蒼は呆気に取られた。だって、危険な妖退治でそんなことするなんて、今まで考えたこともなかったのだ。


「攻撃の対処はおれと姫織が全部担う。お前は地中にだけ集中してくれればいい」


 当たり前のように、そう言ってくれる。


「ただ、本体に近付くってことはそれだけ攻撃が激化する可能性が高い。そうなると、ずっと目をつぶるってワケにもいかなくなるが……」


「大丈夫。そうなったら、ほんの数秒とかで集中する」


 蒼が真剣にうなずいたのを見て、一鞘が「そうか」と笑った。


 ――あれ、優しい?


 不意打ちの笑顔に、思わず見とれてしまった……って!


(そ、それどころじゃないからッ!)


 蒼がぶんぶんと首を振っているのを、一鞘が怪訝そうな顔で見ている。蒼は慌ててそっぽを向いた。


(今はとにかく、集中、集中!)


 蒼は顔の熱をふり払い、屈伸をした。これからまた走ることになるんだろうしと、気持ちを切り替える。姫織も真似して、膝を伸ばしたり曲げたりしている。


 そんな中。


「……」


 一鞘が軽く、あたりを見渡す仕草をした。


「? どうしたの?」


「……いや……」


 一鞘は蒼に視線はやらず、相変わらず遠くの方までを見渡している。


「……ないな、と思っただけ」


「ない?」


「いいや何でも」


 一鞘はそれ以上何も語らず、ひとまずは本体捜索が開始されたのだった。

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