12.理不尽な取引
――何でこんなことに。
「――それ、おれらのこと」
今度は蒼も、さすがに叫べなかった。「それ」が何のことをさしているかなんて、訊かずともわかる。……わかってしまう。
「【
「……たつ……?」
蒼は、喉がカラカラになるのを感じながら、うつろにくり返していた。
「お前、さっき
「……」
こくり、と蒼はうなずく。
「その内のひとつ、
「…………」
ヤバイどうしよう頭がグラグラしてきた。
そんな蒼を、一鞘は何故か黙ってしげしげと見つめている。蒼の隣からぴったり離れない姫織も、この近距離でじろじろと。
うわぁ、もう何だこれ。美男美女にこんなにも見られているというのもあって、蒼は限界値を突破しそうになっていた。【五天】? はい? だ。
「――で、お前は」
「へっ」
突然水を向けられ、蒼は間抜けな声を上げた。一鞘は鋭く、蒼を見据えている。
「お前はどこの家だ」
「……え、
「だっから、残りの四家の内のどれかっつってんだ。締まらねぇ奴だな」
(そこまで言う必要なくない⁉)
一言多い一鞘に、蒼は絶句する。しかしそこでハッとした。
(……待って⁉)
「まさかっ、【五天】の内のどれかって言ってるの⁉」
「だから、今そう言い直しただろ」
言語機能死んでんのか、とこれも一言多いし口が悪過ぎる。
「どこでもないって‼ さっきも言ったけどただの一般人!」
蒼は慌てて、両手も首もぶんぶんと横に振った。
「
「……それは本当にそうなんだけどな」
「……本当に」
一鞘が真剣な顔でうなずき、ずっと喋らないでいた姫織までもが深刻そうに同意した。もう泣いてもいいだろうか。
「本当に違うのか?」
それなのにまだ訝しげにこちらを見てくる。蒼もさすがに言い返していた。
「だから、違うって言ってるじゃん!」
詰め寄ってくる一鞘からも姫織からも、数歩離れた。話が全然通じなくて、こわくなってくる。
「大体、そんなこと言うなら、
そう口走ってから、蒼はそうだ、と思い至る。
(証拠なんて、何もないんだ)
一鞘と姫織の瞳に不思議な色が浮かんでいたのは認める。だがそれが【五天】の証だという話は聞いたことがない。そう気が付き、自分はものすごくでかしたのではと思えてきた。
「だから、全然信じられないし、もし本当だったとしても、一般人のあたしには全然関係ないことだから!」
そう言って、今度こそ蒼は扉に駆け寄ろうとした。しかし。
――………………………………。………………………………よな。
蒼は今度は、自分から足を止めていた。
「……。今、何て?」
ギギギギギ、と軋む音を立てながら、何とか首を後ろに向けた。正確には――たった今ボソリとこぼした張本人に。
相手は冷静な眼差しで口を開く。
「『そのツッコミ、もっと早くしろよ』」
「……その後」
「『あとお前、妖を逃がしていたよな』」
尋ねられた張本人、一鞘は、腕を組んだまま塩そのものの態度で同じことを言ってくれた。
……そうだ、確かに言っていた。そのツッコミ、もっと早くしろよ。あとお前、妖を逃がしていたよな。一言一句、間違っていない。
(――ッ⁉)
蒼はザッと全身の血の気が引くのを感じた。その反応を見て、風端一鞘は初めて蒼に――蒼だけに笑いかけた。しかしそれは聖人のような慈悲の笑みではなく、
「……え、えと……あの……?」
カタカタカタカタ。蒼は生まれたてのヤギのごとく足の震えが止まらない。
「――5月1日昼休み、第3校舎小中庭」
「!」
凛とした声が耳に届き、蒼は動きを止めた。そちらの方をふり返る。唐突に口を挟んできたのは、姫織であった。
(何……?)
日付と場所だけを言われた。
しかしいきなりそれだけを言われても、リアクションに困る。眉根を寄せながら、つい姫織をまじまじと見つめてしまった。
それが何曜日なのか、パッと出てこない。しかし第3校舎小中庭といえば、1つ覚えがあった。
(確か、こないだ1人でお昼食べたような……?)
この広い校舎中を見てまわるのが好きで、蒼は誰かと約束していない昼休みはあっちこっちで1人で食べていた。あの小ぢんまりとした中庭を、登下校や講義関連で通ることはまずない。縁がなかったからこそ、行ってみようと思ったのである。そしてその中庭にはまだその1度しか行けていない。――そしてそこで何をしていたかといえば。
(……ん……?)
夕方でも明るい、春を越した5月という時期。であるにもかかわらず、蒼の背筋を冷たいものが走り抜けた。
「5月3日放課後、実技棟裏」
「……。ッ‼」
「5月4日3時間目と4時間目の間の休み時間、第1校舎2階廊下」
「――、……‼」
姫織が何か言う度に、1度その場所で自分が何をしていたのかを思い出し。そして記憶と合致する度に声のない悲鳴が止まらない。
――それらは全部、蒼が学校内で妖を発見し、観察し、そして逃がしていた日時と場所だったからだ。しかも。
「5月6日放課後、
「――学校以外でも張ってたのッ⁉」
思いっきり自宅の近所でのことまであげつらえられ、蒼は思わず叫んでいた。……あ、と気が付いた時にはもう遅い。
一鞘が自分の真正面に手を伸ばし、ん、と真下を指差した。蒼はすごすごと、指示された場所まで戻った。……戻された。
「逃げたら分かってるな」
「……はい……」
一鞘に釘を刺され、うなずくしかない。
人々から忌み嫌われている妖を触りまくって観察した挙句逃がしていたなんて知られたら、戦闘科をやめさせられるかもしれない。しかしその一方で、疑問も残る。
(……あたし、見られていないかいつもちゃんと確認してたのに……?)
蒼は人の気配よりも、邪気や呪力に敏感だ。とはいえ、見られていたらそれなりに分かるつもりでいる。それなのに、どうやって。
「――で、だ」
一鞘が仕切るように言い、蒼はビクッと肩を跳ねさせた。そうだ、自分はアレを見られていたのだ。一体何を要求されるのかと、身体が強張る。
「お前が言ってた『証拠』とやらを、まずは見せればいいんだろ」
「……。へっ?」
予期せぬ主張に、蒼はぽかんとした。そんな蒼の脇を、一鞘が右肩をまわしながらすり抜けて行く。わけが分からずその背中を目で追っていると、くい、と控えめに袖を引かれた。
「えっ」
見れば、姫織である。
「……危ないから。下がって」
「危ないって……」
「いいから」
そのまま、道場の隅にまで連れて行かれた。そこまで来ると姫織は手を離し、目線で一鞘の方を見るよう促してくる。蒼は、改めて一鞘を視界に収めた。一鞘は、道場の中心あたりにまで移動していた。
一鞘が、こちらに体を向ける。真正面から目が合うような形になり、蒼は自然と緊張してしまう。しかし、一鞘はそんな蒼を気に留めた様子もなく目を閉じた。――精神統一のような、静けさ。
「……壁に背中をつけて」
「えっ」
「いいから」
姫織からの唐突な指示に戸惑いつつ、蒼はすごすごと従った。これでいいんだろうか、と思いながら、壁にピッタリくっつく。
そうして、何の気なしにまた一鞘に目を向けるか向けないかの内に――変化が起こった。
ぶわり、と突如匂い立つ風の気配。
ゆっくりと、一鞘を中心に渦を巻く。
一鞘の髪が、風とは明らかに違う何かに揺らぐ。
道場内の空気が、確かに、風を孕み始めていた。――地上に吹く風ではない。空高く、雲を支配する風だ。
一鞘がゆっくりと目を開く。その目を見て、蒼は息を呑んだ。一鞘の目は、あの間近で見ないと分からなかった特別な光を、はっきりと映し込んでいた。こんなに距離が離れているのに、初めて間近で見た時よりもよく見える。強く感じる。激しく光る。
蒼のことも姫織のことも見ていない一鞘が、祝詞を紡ぐかの如く口を開いた。
――……――――――――――――――――ッ‼
(――っ!)
突如放たれた咆哮に、蒼は自分の体が吹き飛ばされるかと思った。銅鑼を叩き鳴らしたかのように、重いのにどこまでも響き渡っていく。
呪力とはまるで違う力だ。それでいて、呪力よりも遥かに高い次元にある力だ。
(……そうか、あれは“咆哮”だったんだ)
「前に」聞いた時は、音だとか、言葉だとか思っていた。でも違った。目の当たりにして、ようやく思い至る。
――これは、龍の雄叫びなのだと。
今や道場内は、雲を押し流すがごとくの大風に完全に支配されていた。一鞘の口から発される咆哮に応え、室内なのに風が吹き荒れる。姫織は壁に背中をつけるよう忠告してきたが、それがなくたって否が応でもそうなっていただろう。一鞘を中心に巻き起こった嵐の風は、一鞘を中心に外へ、外へとその力を押し出しているのだから。
しかし一鞘は、その力を道場より外に広げることはしなかった。
咆哮が徐々に形を変える。叩きつけるように命じていた声が、別の圧をはらみ出した。それはまるで、勝手に意志を持ち暴れようとした大風を、「鎮まれ」と御するような。
吹き荒れた風は、すぐには治まらない。それでも徐々に、確かに一筋、また一筋と、無に帰していくのが肌で感じられた。ごうと吹く風の中で、ひゅるり、ひゅるりと風がほどけていく音を、蒼は生まれて初めて聞いた。
「――これで信じる気になったか?」
一鞘の声で、蒼は我に返った。いつの間にか、近くまで来ていた一鞘に見下ろされていた。大風が完全に止んだ後、極度の緊張感から解放されて腰が抜けてしまったのだ。
「……体術の座学の時に聞こえたのは、風端君の声だったんだ」
一鞘を見上げ、蒼はそう尋ねていた。
――体術の講義で突如鳴り響いた『音』、『言葉』、『咆哮』。それがたった今一鞘が発していたものと、完全に一致していた。
「あぁそうだ」
一鞘は何の躊躇もなく肯定した。
「これが遥か太古に龍が【五天】に授けた力――
龍能、と蒼は声には出さずにつぶやいた。
……心臓が、まだ圧迫されているかのように苦しい。咆哮の残響が、頭の中で何度も再生される。未だに鳥肌が立ったままだ。胸をおさえる手が、どうしようもなく震えてしまう。
「……本当に、感知できるんだ」
ぽつりと落とされたつぶやきに、蒼はいつの間にか下がっていた顔をのろのろと上げた。真剣に見つめてくる姫織の瞳と、視線がぶつかる。
「ま、そういうワケでだ」
ぱん。と両手を叩く音と共に、空気が一掃された。蒼ははっとして、一鞘を見上げる。
「お前、随分と龍能にアテられてたから」
蒼の視線を受け、一鞘はそれだけを言った。
一鞘の、取り仕切るような声。パンと弾けた両手を叩く音。それが響き渡った途端、ウソみたいに全身をこわばらせていた何かが消し飛んでいた。蒼は驚きに、一鞘をまじまじと見つめてしまう。
一鞘と姫織は、お構いなしに話をしている。
「……っつうことは、コイツやっぱり【五天】じゃないのか?」
「……この間も今も、演技には見えなかった」
「ま、どう考えても演技のド下手クソそうな奴だしな」
「絶対、大根役者」
……にしてもお構いなし過ぎるのではないだろうか。
思わず胡乱な目になっていると、一鞘と姫織がこちらをふり返ってきた。代表してか、一鞘の方が口を開く。
「おい、お前」
……「おい」も「お前」も失礼だと思う。
「お前と取引させてもらう」
またお前呼ばわりですか……と遠い目になりかけた蒼は、へっと現実に引き戻された。
「と、取引っ?」
「そうだ」
と言った一鞘が、蒼の目の前にまで来て、しゃがみ込んだ。至近距離で目が合い、蒼はヒッとすくみ上がる。
「おれらからお前に要求することは2つ」
そう言って、一鞘が人差し指だけを蒼の目の前で立ててみせる。
「1つ、他の【五天】を見つけ出すこと」
「他のごて……、はいッ⁉」
「2つ、」
蒼の反応などガン無視で、一鞘が中指を立てた。
「学校内で上位の妖の気配を感知したら報告」
「ちっ、ちょっと待ってよ、意味わかんない!」
容赦なく話を進めていく一鞘に、蒼は無茶苦茶に両手を振った。
「冗談言わないでよ、あたし、関係ない!」
「冗談でこんなこと言うか」
「冗談にしか聞こえないよ⁉」
何を言ってるんだ、この男は。
「いきなり【五天】がどうだとか、龍能? ……を浴びせられただけでももういっぱいいっぱいなのに、何で妖⁉ もうワケ分かんないよ!」
「それについてはまた明日以降説明する。お前要領悪そうだし」
「ひどっ⁉」
蒼はとうとう、言っていた。その情けないような怒ってるような声に、一鞘が瞬いた。仲のいい子相手みたいに言ってしまい、蒼は真っ赤になった。
「とっ、とにかく‼ 龍能だとか、【五天】のことだとかは黙っておくので! ほんともうそれで勘弁して!」
「オイコラ話を聞け」
「あたしみたいな勉強苦手で脊髄反射だけで生きてるみたいな一般人、【五天】の人達に関わっちゃダメだって!」
「いやそれ最早一般人じゃないだろ」
うわぁホントだぁ、とは思うものの肯定するワケにはいかない。
「それにっ、それに……、ほらっ、2人の目がすごく綺麗で神秘的で特別な光が宿ってるとか、ものすごく恥ずかしいこと言っちゃうんだよ、あたし! 特に風端君! そんな風に言う女子、さすがにナイよね⁉ 引くよね⁉」
「ドン引きはした」
決死の思いでド最近の黒歴史を自ら掘り返した蒼は、一鞘の冷静な即答に泣きたくなった。女子に人気のある男子にそんな風に思われていたら、さすがの蒼でも精神的にクるものがある。――でも、でもそれでいい‼
「だからっ、やっぱりこの話は聞かなかったことに」
「――妖を捕まえて観察して逃がした件」
「ッ‼」
蒼は完全に凍りついた。はくはくと酸素を求めて口を動かすも、一口分も口の中に入ってこない。
「学校に報告したら――お前、どうなるんだろうな?」
……かくして、脅迫という形で手を組むことが決められた。蒼ごときの黒歴史で怯むほど、【五天】――その1人だという一鞘は、甘くはなかったのである。
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