3.重なる2人

「食堂、食堂……っと!」


 午前の体術の訓練が終わり、あおは駆け足で食堂へと向かっていた。片付けの当番だったので、少し終わるのが遅くなってしまったのだ。着替えるのは後回しにして、戦闘服のままである。


 東間あずま研修学校では、学科によって制服のデザインがかなり異なる。戦闘科は紺色の詰襟の上着に、下は女子ならベージュのスカート……と見せかけてキュロット、男子ならベージュのズボン。上着はボタンではなく、ベルトみたいな四角い金具で前を留めるタイプだ。


 それと戦闘服も制服として支給される。こちらも紺色をベースとしていて、夜闇に紛れる為だろうフードもついている。裾は腿の三分の一を覆うまで長さがあって、腰の茶色いベルトで帯のように締める仕様だ。ウエストバッグが通されていて、小型の武器や薬品といった道具が収納できるようになっていた。ズボンは足首まできっちり覆い隠すタイプで上と同じく紺色。ブーツはある程度の規定はあるものの、その範囲内でなら自分の好きなものを使っていい。


 戦闘科は、制服と戦闘服、どちらの着用も認められている。さすがに実践的な訓練の際は戦闘服固定だが、授業を戦闘服で受けてもいいし、術の実技くらいなら制服で受けても怒られない。だが、学年が上がると敢えて制服で訓練を受けさせられることもあるらしい。有事の際に備えてといったやつだろう。


 蒼としては、やはり動きやすいので戦闘服の方がお気に入りだ。けれど最中さなかに「せっかくの学校生活なんだから、制服も着なさい」と言われている為、頻度としては戦闘服6に対して制服4ぐらいか。


 昼休みの時間は限られているし、お腹も空いているので、今は着替えずに校舎裏を突っ走っている蒼である。


 学校にもだいぶ慣れて、このだだっ広い校舎の地図も大体頭に入っている。食堂への近道に、蒼はいいルートを確保していた。


 目の前には、第2校舎。その2階の窓のすぐ下を、なぞるようにパイプが通っている。


 蒼は数歩下がると、軽い助走から地面を蹴り上げて――スタン、とそのパイプの上に着地した。一拍遅れて、ひょろりと長い髪が舞う。……その高さ、3メートルほど。


 1年生でここまでできる者はかなりの少数派だ。


 パイプの上を音もなく走って行けば、校舎に阻まれることなく食堂裏に辿り着ける。だが無論、


(……見つからないように、見つからないように……!)


 訓練でも緊急時でもないのにこんな風に体術を駆使していれば、それは怒られる。体術はひけらかすものじゃないと、教師が怒鳴る姿が目に浮かぶ。じゃあやらなければいいだろうという話なのだが、とにかく今はお腹が空いていたし、こういう足場は使わずにはいられない性分なのだ。


 なのでパイプの上から窓の内側をちらちらと気にしながら、前屈みになって小走りしている。とはいっても、この第2校舎の2階は資料室だとか、ちょっとした倉庫だとか、そんな部屋ばかりで人の出入りが少ない。クラスが常駐する教室がないのだ。ましてや今は昼休み。どこかしんみりした廊下にも、階段にも、誰もいない。


 待てよ――誰も?


 1,2歩戻って、蒼は今度は窓の向こうをじっと見た。


 2階と3階をつなぐ階段……その踊り場に、足しか見えないが女子が3人。


 いや、違う。4人いる。1人が3人に隠れて、ほとんど見えなかったのだ。


 その囲まれている1人だけ、服装が違うように見える。あの紺色は……、戦闘服?


 幸いにも鍵がかかっていなかった窓をそっと開けたのは、直感だった。


「うん、だからね、そういうの、感じ悪く見られちゃうよって」


 まるで気遣うかのように話しかける声。あの4人の中の1人。


 蒼はそろそろと廊下に着地した。


「そりゃあ、風端かざはた君と初等学校でもずーっと同じクラスで、縁があるって思っても仕方ないんだけどぉ」


「でもそれって、ちょっと勘違いしてるように見えるっていうか」


 戦闘服でない子達が、そのあたりでクスクスと笑い出している。


 蒼は思わず眉を寄せた。……今、そんなおかしいこと言った?


 というか……、風端君?


狭見はざみさん、風端君から距離置いた方がいいと思うよ」


「そうそう! その方がお互いの為っていうか」


「ほら、狭見さんかわいいから、狭見さんのこと好きな男子もいっぱいいるし!」


 どこかヘラヘラとした笑い声で、3人はきゃっきゃと盛り上がっている。そして、「どうかなぁ?」という感じで、囲んでいる1人の反応を、さも気遣っているかのようにうかがう。


「……もし」


 戦闘服の子がつぶやいた。ものすごく、聞いたことのある声だ。蒼はゆっくりと階段に近付く。


「えー? ごめん、何て?」


 1人が楽し気に続きを促す。


 その戦闘服の少女――狭見はざみ姫織いおりが、聞こえるように言ってやった。


「もし仮に私とサヤが付き合っててこれを機に別れたとして、あなた達に興味を持つとは限らないと思うけど」


「なっ……!」


 ――相手の化けの皮を剥がすには、十分過ぎる破壊力だった。


「あっ、イオリここにいたんだーっ⁉」


 咄嗟に蒼が叫び、3人の女子がぎょっとしたようにこちらをふり返ってきた。――後には引けまい。


「もーっ、探したんだよ⁉ 一緒に食堂行こうって言ったのに」


 たった今来たばかりだと言わんばかりに、ズカズカと階段を上る。3人の女子は、姫織と同じく戦闘服姿の蒼にちょっとたじろいでいるようだった。


「……えーっと、図書科の人ですよね? 初等学校が一緒だった友達とか?」


 チョコレート色の落ち着いた色味のかわいらしい制服なので、学科はすぐに分かった。4人を見渡すと、図書科の3人がひきつった笑みでそれに応じた。


「そ、そうなの。懐かしくって話し込んじゃった~」


「狭見さんごめんね~、戦闘科の友達が待ってるならそう言ってくれればいいのにぃ」


「じゃあ、また今度ね~」


 そして、3人はそそくさと階段を下りて行った。やがて、足音が完全に消えてから、


「……おせっかい」


「うっ⁉」


 いきなりの毒舌に、蒼はたじろいだ。ボソリと口にしたのは、もちろん、隣にいる姫織だ。


「あの程度の人達、1人で切り抜けられたのに」


「そう……なの?」


 いや、よくよく考えたらその通りだった。だって教師達をことごとく言い負かしている。


 何かを考えるよりも先に割り込んでしまったのだが、確かに余計なお世話だったのかもしれない。ちょっと恥ずかしくなって顔が熱くなる蒼に、姫織がこくりとうなずいた。そして、


「そもそも私、サヤと付き合ってないから」


 蒼は思わず瞬いた。


 教師がどれだけ頭ごなしに怒鳴ってきても、さっきの女子がどれだけ笑いながら陰湿に諭してきても一切変わらなかった声音が、表情が、――確かに変わっていた。


 わずかながらに眉根を寄せ、声には微妙に不快感が混じっている。


「サヤ……って、風端君のことだよね?」


 風端かざはた一鞘ひさや、だからサヤなのだろう。姫織がまたひとつうなずいた。それを見届けても、やっぱり瞬かずにはいられない。


「何でわたしに言うの?」


 素朴な疑問を、口にしただけであった。しかし、姫織が引っ叩かれたかのようにこちらを見上げてきた。


「えっ、な、何⁉」


 姫織は小柄で、蒼の目線の位置に辛うじて頭が届く程度しかない。そういった意味では、あまり怖くはない。しかし、あまりにも反応が急で、ギョッとしてしまう。


 わたし何か変なこと言っちゃった⁉ と困惑しつつ、蒼は見上げてくる瞳を見返していた。


 ――人と話す時はちゃんと相手の目を見なさい。


 と、これは蒼が小さい頃から割とうるさくしつけられたことだ。それがもうしっかり染みついている。……だからこそ、分かったのだ。


 ――うわ、きれい。


 姫織はいつも本を読んでいて目を伏せているし、顔を上げても教師を挑むように見つめ返してばかりだ。だから真横から見てばかりだった蒼は今まで気が付かなかったのだが、姫織の目は青く輝く泉の水面のような、澄み切った色を浮かべていた。実際に青いのではない。感覚として、不純物の極めて少ない水のような清浄さがあるというか。


 妖が人に変化した場合、目を見れば人ではないと分かる。だが姫織の目はそれとも違う。完全に人の目なのだが、何か特別な力を秘めたような光が宿っていた。


 淡く、どこまでも澄み渡っている。


「……別に」


 思わず見入ってしまった蒼から、姫織はサッと目を逸らした。そしてツカツカと階段を、何故か食堂とは反対方向である上の階へと上って行ってしまった。






 姫織の瞳の強い印象が消えないまま、3日が経った。


 姫織はあれから何事もなかったように本を読み、たまに教師を言い負かすだけ。蒼の方は見もしない。あまりにもいつも通りだ。あの時の蒼の言動を怒っているのか、それとも別に気にしていないのか、分かれという方が無理な話である。


「あーぁ……」


 ……と、今蒼がげんなりしているのはそれとは関係なく。


「『薬草学入門 -毒の章-』は……っと」


 ぶつぶつつぶやきながら、本棚に並ぶ本の背表紙をそろそろと指でなぞる。そして、


「あ――ぁ……」


 またため息を吐く、と、これのくり返しだ。


 薬草学の小テストで見事に赤点をたたき出し、レポートを書かなくてはならなくなった次第である。


 学校の生徒用図書館を、のろのろと歩いている。


 この学校には、図書館が全部で3つある。誰でも入れる生徒用、教師と許可が下りた生徒のみが入れる教師用、そして禁忌の術などが秘められた危険な図書を扱う禁書用。ここには特別な許可が下りた者でなければ、教師であっても基本入れない。


 ちなみに生徒用図書館は地下2階、地上4階まであり、その蔵書量はハンパじゃない。


「……ないっ!」


 目的の本が見つからず、蒼は頭を抱え込んだ。


 カウンターの方をチラッと見ると、本を借りる生徒が何人か並んでいて、司書の女性は忙しそうだった。さっきからずっとそうで、なかなか本の行方を訊くことができないでいる。


(どうしようかな~……)


 おろおろと悩んでいると、隣の本棚の影から男の人が出てきた。その胸には――司書バッヂ!


「あのっ、すいません!」


 これ幸いとその司書をつかまえ、本の居場所をようやく聞き出せた。






「あぁ、その本ね。まぎらわしいんだけど、薬草学じゃなくて毒草学の本棚にあるんだ。2階の本棚を探してごらん」


 ずっと3階を練り歩いていた蒼は、意気揚々と階段に向かった。


 ……そしてこれが蒼の悪いところなのだが、お構いなしに突っ走ってしまう癖がある。精神的に、ではない。物理的にだ。


 階段を文字通り軽い足取りで駆け下り――……、


「うぇっ⁉」


「っ!」


 最後の5段、というところで蒼が飛び降りたのと、その真ん前に少年が足を踏み出したのが同時だった。


 さすがに投げ出した足の勢いを止められない。蒼はその少年を押し倒すようにして不時着した。


 少年は背中を強打するより素早く両手の平で床をとらえ、尻餅をつくにとどまっていた。


「ってぇ……」


「うわっ、ごめんなさいっ!」


 眉をしかめたらしき少年に慌てて頭を下げ、「大丈夫ですか⁉」とその人の顔を覗き込んだ。


 少年は、やはり不機嫌そうに眉をしかめていた。――いや、それよりも。


「……イオリ……?」


 そう呼んだのは、つい先日、蒼が姫織のことを咄嗟の判断で名前呼び捨てにしていた名残だ。心の声のつもりでいたら、


「はぁ?」


 少年が露骨に不愉快そうな顔をした。思いっきりにらみつけられ、どうやら口を突いて出てしまっていたらしいと気付く。


「えっ⁉ あっ、何でもないです‼」


 慌てて少年から離れ、ぶんぶんと高速で首を横に振ってみせた。


「まさか女子と間違えたんじゃねぇだろうな」


 少年にギロリと凄まれ、いえいえまさか! と、蒼は立ち上がりながら弁明した。


「ただちょっと、似てるな~と思っただけで……」


「はぁ?」


「いやっ、その、気のせいで!」


 あからさまに眉間のシワを増やした少年に、蒼は更に慌てて付け足した。少年も制服をはたきながら立ち上がった。変なものを見る目で蒼をじろじろと見ていたが、


「……あっそ」


 やがて不機嫌そうに目を逸らすと、階段を上って行ってしまった。


 その背中を見送り、蒼は気のせいだよね、と独りごちた。


 見間違えようがない。ネームプレートを確認するまでもなく、あれは二大問題児の内の一人、風端一鞘だ。


 けれど、確かに重なって見えたのだ。もう1人の問題児、狭見姫織と。

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