【KAC202211】終活 母に学ぶ夫婦の在り方

いとうみこと

終わり良ければ全て良し

 母が終活を始めた。よわい七十。娘の私としてはちょっと気が早いと思うのだけれど、母に言わせると動けるうちじゃなきゃ意味がないらしい。私が放ってある荷物も整理して欲しいと言われたので、三連休を利用して帰省することにした。


 久しぶりに車で走る実家への道は少々遠く感じた。若い頃はいつでもどこへでも気軽に出掛けたものだが、いつの間にか私も年を取ってしまったのだなあと感じる。四十五歳にもなれば仕方のないことなのだろうか。当たり前だが、四十五歳になるのは初めてなので比べようがない。


 田んぼや畑が広がる集落の中の一軒家が私の実家だ。父は十五年前に他界していて、私が嫁いでから十一年の間、母はここでひとり暮らしをしてきた。自宅分の野菜が採れる程度の小さな畑の世話と、近くにできた道の駅でのパート仕事と趣味のウクレレの練習で、それなりに忙しく充実した日々を送ってきたようだ。


 しかし、昨年腰を痛めたのを機にパートをやめ、時間に余裕ができたことで家の片付けをする気になったらしい。ある意味その巻き添えを食った形だが、遅かれ早かれやらなくてはならないのだから、少し時期が早まっただけだと思えばいい。


 母は畑で焚き火をしていた。手許の段ボールには古びた大学ノートがぎっしり詰まっている。


「ただいま。何を燃やしてるの?」


「日記よ」


「日記? そんなにたくさん、いつからつけてたの?」


「ここにお嫁に来てからずっとだから五十年近くなるのねえ」


「えー、もったいないじゃない」


「何がもったいないもんですか。遺して読まれたりしたら一大事よ」


「読まれたら困ること書いてあるんだ?」


「そりゃあ、五十年も嫁をやってたら色々あるわよ」


「ふうん」


 私は母の色々に思いを馳せた。普段は優しいけれど怒ると怖い母。よく笑う母。意外と強気な母。いつか見た、部屋の片隅で泣いていた母。母には母の人生があったのだと今更ながらに思う。


 実家は思った以上に片付いていた。母の兄の息子、私にとっては従兄いとこにあたる大ちゃんに手伝ってもらって不用な大物はあらかた運び出したと言う。壁一面を覆っていた婚礼タンスや鏡台も、父の趣味だったボトルシップもきれいさっぱりなくなり、更には畳表まで替えた一階の続き間の和室は、そのまま通夜も葬儀もできそうな見栄えの良さだ。


「どう? さっぱりしたでしょ」


「うん、予想以上」


「あとはあんたの部屋だけなのよ。必要な物は持ち帰ってね。あとはみんな処分するから」


「ええっ、うち狭いから無理だよ」


「だったら捨ててちょうだい。ずっと使わないからこの家に置きっぱなしになってるんだから」


「私の思い出を軽々しく扱わないでもらいたいわね」


「バカらしい。高校のクラスTシャツが今更何になるのよ」


 口を尖らせる私に、母はあくまで冷静だ。以前は物を捨てられないのはむしろ母の方だったのに変われば変わるものだと思う。


「何はともあれまずはお茶にしましょ。宝屋の塩豆大福買ってあるわよ」


 母はいそいそと台所へ入って行った。未だ生活感溢れる台所は、実家に帰ったことを実感させてくれる。食卓のいつもの席には既にお茶と大福が置かれていて、母が向かいの席にどっこいしょと言いながら座った。


「お父さん好きだったよね、塩豆大福」


 私は口の周りが粉だらけになるのも厭わず大福にかぶりついた。ここの少し硬めの豆が私のお気に入りだ。


「ほんとね。糖尿病が悪化して食べられなくなってもしょっちゅう欲しがってたわね」


 居間の仏壇を見遣りながら母はお茶をすすった。そこにはもちろん大福が供えてある。


 私は残りの大福をお茶で胃に流し込むと、少し姿勢を正した。


「ご報告があります」


「なによ、改まって」


 囓りかけの大福を皿に戻して母は私の顔を見た。


「離婚でもするの?」


「えっ! なんでわかったの?」


「そんなのわかるわよ、母親だもの」


 驚いた私を呆れた様子で見る母。そんなことはとうにお見通しの顔だ。出鼻を挫かれて私はどう話を展開していいかわからなくなってしまった。


「理由とか聞かないの?」


「夫婦なんてね、百組いたら百組それぞれの事情があるもんよ。それに理由なんてひとつとは限らないしね」


 母の言葉が胸に滲みた。唇を真っ白にして言う言葉ではないけれど。そういう私もきっと真っ白だけど。


「いちばんはやっぱり子どもができなかったことかな。共通の趣味もないし、最近じゃろくに会話もなくて、私たち夫婦でいる意味あるのかなって」


「子どもがいりゃいいってもんでもないけど、少なくとも会話の糸口にはなるわね」


「お父さんとお母さんもそうだった?」


「うちはあんたがいようがいまいがお父さんが私にベタ惚れだったからねえ。それが結構鬱陶しかったよ」


 そう言って笑う母の顔は満更でもなさそうに見えた。


「で、智昭ともあきさんとはもう話し合ったの?」


「ううん、まだ」


「離婚したがってるかどうかは?」


「わかんない」


「あらやだ、まだその段階? 浮気したとか会社のお金横領したとかヤバい連中とつるんでるとかそういうのでもないんでしょ?」


「お母さん、言い方……」


「多分だけどね、お母さんの予想だと、智昭さんはあなたがそんなこと考えてるなんて微塵も思ってないと思うわ」


「そうなの? え、なんでわかるの?」


「こういうことって意外と外からの方がよくわかるものよ。智昭さん、何か不満そうにしてる? 帰りが遅かったり、給料入れてくれなかったり、あなたに酷い言葉投げつけたりする?」


 私は普段の夫の行動を思い浮かべた。「おはよう」と言えば「おはよう」と言う。朝ごはんは残らず食べて、ゴミ袋を持って「行ってきます」と出掛け、残業がなければまっすぐ帰って一緒に夕食をとる。その後は酎ハイをちびちび飲みながらスポーツチャンネルでひたすらサッカーやバスケの試合を見続ける。その横で私は私で自分の好きなドラマの配信を見る。ふたりの間に会話はない。会話はないけど、不仲というわけでもない?


 頭からはてなマークを飛ばし続ける私を、母は穏やかに見守っていてくれた。


「なんかよくわからないけど、離婚するほどでもないのかな?」


「離婚はいつだってできるんだから、慌てることないわよ」


「そうだね」


「それとね」


「それと?」


「結婚なんて一割楽しきゃそれで十分。元々修行みたいなものだからね。楽しみは配偶者以外で見つけなさい」


「それでウクレレ?」


「まあね」


 しれっとお茶を飲む母。父だとて、休日にはひと言も口を利かずにボトルシップに熱中していたものだった。


「ボトルシップ全部捨てちゃったの?」


「大ちゃんがネットで紹介したら欲しいって方がたくさんいてね、ひとつを残してみんな譲ったのよ」


「ひとつって?」


「仏壇にあるでしょ」


 私は仏壇の前に座った。お菓子や花のお供えの真ん中に、父が最後まで取り組んでいた未完成のボトルシップが鎮座していた。写真の中の父は手を伸ばして続きを作りたそうな顔をしている。私はろうそくに火をつけ線香をあげて手を合わせた。


「お父さんも愛されてたみたいだね」


 私は不思議と満たされていた。こんな夫婦もいいなと思えた。


「お母さん、もうひとつ大福食べてもいーい?」


「お父さんが良ければどうぞ」


 私は仏壇の大福をひとつ摘んだ。


「いただきます、お父さん」

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