『異世界戦略ゲームに転生したので勇者として好きなキャラの好感度だけ上げて一緒に亡命します!※本人にバレた‼』

龍宝

「異世界戦略ゲームに転生したので勇者として好きなキャラの好感度だけ上げて一緒に亡命します!※本人にバレた‼」




 石畳の回廊に、軍靴の足音が響く。


 その主は、年の頃二十ほどの若い女だ。


 差し込む陽光に照らされた身体が見える。


 かぶと代わりの帽子の下には、紫みをびた黒髪。


 肩口で切りそろえているのが如何にも軍人といった感じがする。


 肩章付きの短い外套マントが歩くたびに風を受け、剣帯で腰にいた長剣が音を立てる。


 気温など関係ないとばかり、律儀に黒い手袋をはめているのがまた将校といった感じ。


 性格を表すような、正確な足音の調子。


 向かいから連れ立ってやってきた兵士が、女を認めるやあわてて敬礼を取った。




「――ご苦労。貴様らが、あれの案内を?」


「はっ。先ほど、サーリ・シエルマージュ殿より、軍団長殿をお呼びするよう言われまして、執務室へ向かっていたところであります」


「そうか。分かった。では、元の任に戻るといい」


「はっ。失礼します」




 駆けない程度の早足で去っていく兵が、小声で何か言い合っていた。


 その様は、街中で憧れの騎士に花束を渡してすぐさま逃げる乙女とそう変わらない。


 もっとも、女は一介の騎士ではなく、誉れ高き王国の軍団長――名をアヴリル・テュストラム、第五軍団長――だった。


 ここは、アヴリルが守備を任されている辺境の城塞で、隣国との国境防衛の要衝でもある。

 



「リサめ。供回りも連れずに、どういうつもりだ」




 回廊を抜けた先、貴人の生活空間として設計された区画に足を踏み入れながら、アヴリルは


 リサ・サーリ・シエルマージュ。


 王国の正勇者であるはずの少女――サーリ・シエルマージュはその称号――が、王都での執務を放り出してこんなところまでやってくるからには、よほどの事態があったに違いない。


 しかし、それならそれで、どうして前もって連絡を寄越よこさないのか。


 つい半年ほど前に別れたばかりの、年相応に気分屋で自由気ままな少女の顔を思い浮かべて、アヴリルは腹立たしいやら懐かしいやら、どんな顔をすればいいのか分からなかった。




「――失礼する。リサ。……居ないのか」




 重たい木製の扉の向こう、返事はなかった。


 かわやか何かで外しているのだろう、と思ってアヴリルは室内に入る。


 かつては城主の家族が暮らしていたらしい、無駄に広い部屋の中には、リサのものと思しき荷物が散乱していた。




荷解にほどきの最中だったか……しかし、やけに物が多いが――」




 城内で一日、二日をしのごうという量ではなかった。


 これは、本格的に厄介やっかいごとでもあったか。


 細いあごに指をりつつ、アヴリルは荷物を見渡した。


 あるいは、リサが執務に飽きてなまけに来たのだろうという線もあったのだが――それが可能性として上がる程度には、あの可愛らしい勇者殿にアヴリルはなつかれていた――どうもそれは除外した方が良さそうである。




「王都からの命を受けてきたのであれば、私てに軍令書のひとつでもともなっていそうなものだが……」




 生来の生真面目さでもって、アヴリルは寝台や長卓の上に散乱した荷物をあらため出した。

 

 しばらくして、地味な装丁の本が一冊だけ見つかった。


 それなりに重く分厚いが、軍の伝令に使われるような代物ではない。




「――日記か」




 何となく開いた一面の内容を見て、アヴリルは思わずつぶやいた。


 リサに、日記を付ける習慣があったとは知らなかった。






 ――こっちに来てから五日目。

 忘れちゃいそうだから、落ち着いたし今日から日記を付けることにした。

 そうだ、王国の正勇者になった。

 当然といえば当然だけど、周りは知らない大人ばかりで、とっても不安。

 でも、わたしには大事な目的があるから、頑張らなくっちゃ。






 あの人懐こくて明るいリサも、やはりまだ子供だったのだな、とアヴリルは思った。


 自分とて既に大人の一員だが、それでもリサにしてみれば同性で比較的に歳の近い存在だったのだろう。


 出会った当初から好意的だったのも、そういう事情が手伝ったに違いあるまい。






 ――こっちに来てから六十日目。

 ついに、アヴリルと会えた!

 わたしが平民上がりだって――この世界じゃそういう風に見られても仕方ないけど――貴族のおっさんたちに遠回しに馬鹿にされてるところを、アヴリルがさっそうと助けに来てくれたんだ!

 見ず知らずのわたしをだよ⁉

 もう、めちゃくちゃかっこいい!

 やっぱり、アヴリルが一番好きだなー、わたし!

 お屋敷の場所も聞いたし、これは案外早く終わるかも⁉

 うわー、だめだ、興奮して寝れそうにないや。






 そう思っていたアヴリルが、数十枚紙面をめくったところで、違和感に手を止めた。


 これは、覚えている。


 リサと初めて会った時の場面だ。

 

 見かねて口を出したアヴリルにリサが懐いたのは、単純な話、子供ながら自分をかばってくれたと思っているのだろう、と。


 そして歳が近かったからだ、と。


 そう思っていたのに、この内容はどうだ。


 明らかに、リサは以前から自分のことを知っていたような――そして好意をいだいていたような――口ぶりである。


 戦勝の凱旋をした将軍ならともかく、当時まだ無名だったアヴリルをリサが知っている道理はない。


 違和感があせりを生んで、アヴリルは紙面をめくる手を速めた。






 ――こっちに来てから百八十日目。

 やっぱり、アヴリルのこと嫌いな馬鹿が多いらしい。終わってるね、この国。

 あんなにかっこよくて、可愛くて、有能で強いのに。

 いや、だから目障りなのか。

 家柄だけの無能貴族たちが、必死にアヴリルの欠点を探して失脚させようとしてるのは滑稽こっけいだね。

 臣下が臣下なら、君主も君主だし。

 でも、それはそれでわたしには都合が良い。

 





 ――こっちに来てから三百日目。

 今日、初めてアヴリルの屋敷に泊まった。

 今までなら、自分の屋敷で寝ろって真面目なこと言ってたのに。

 アヴリルの好感度がかなり上がってるんだって、一瞬で理解できちゃった。

 だって、勇者と軍人の関係から、リサとアヴリルの関係になってくれるっていうことだもんね。

 一緒に寝よっておねだりしたら、仕方ないなって。

 困ったような笑顔してくれるのが、ほんとに好き。

 絶対、連れていくから。

 ふたりで幸せに暮らすのが、今から楽しみだよ。






 ――こっちに来てから五百四十日目。

 アヴリルが軍団長として、任地に旅出っていった。

 確定イベントだからしょうがない。

 お別れは悲しいけど、しばらくの我慢だってわかってるから大丈夫!

 それに、落ち込んでる暇はないもんね!

 国王がまだ元気な間に、貴族たちへの根回しを終わらせないと!

 次の王位継承者は、若いけど名君だって評判だし、上手くだまされてくれない可能性が高いからね!






 ――こっちに来てから七百日目。

 準備万端、整った。

 数日もしない内に、王都から討伐軍が出るはず。

 わたしもすぐにアヴリルのところへ行かないと。

 こうなると、アヴリルの任地が国境の近くで良かった。

 どこに行かされるかはランダムで運次第だったけど、今思えばめちゃくちゃ都合が良いところを引いたよね。

 あ、そうだ。

 王都と領地にいるアヴリルの身内に、警告しなきゃいけないよね。

 こういう時、いつもコマンド選ぶだけだったから忘れちゃいそうになるの、いつまで経っても慣れないな。

 やっぱりこっちの世界じゃ、みんな生きてる人間だし、ゲームみたいに楽にはいかないや。

 色々気を付けなきゃ。






「何、だ……これは……⁉」




 思わず日記帳を取り落としたアヴリルがうめいた。




「――あーあ、見ちゃったんだ。それ」




 不意に背後から掛かった声に、すぐさま振り返る。




「リサ……‼ どういうことだ、これは⁉」




 明るい橙色の髪を横で縛った少女が、笑みを浮かべて近付いてくる。




「わたし、隣の国の方が好きなんだよね。判官びいきっていうのかな。この国より弱いけど、魅力的なキャラがいっぱいいるし。本当なら、あっちで始めたかったぐらい」




 世間話でもするように、リサが言った。




「あ、でも安心して。アヴリルのことは、ほんとに好きだよ。一番。アヴリルだけはどうしても連れて行きたかったから――知らないと思うけど、この世界は在野に下る時、好感度がMAXのキャラを何人か連れて行けるシステムになってるんだ」




 いきなり、リサの言葉を認識できなくなった。


 音は聞こえているのに、脳が理解しようとしない。


 強烈な違和感に頭を押さえたアヴリルの正面で、リサが足を止めた。




「――一緒に来てくれるよね、アヴリル?」




 言って、リサがこちらに手を差し出した。


 言葉は、戻っている。




「……リサ、自分が何を言っているか、分かっているのか?」


「ここに留まってたら、王都からの討伐軍が攻めてくるよ? 叛乱はんらん軍の頭目――つまり、アヴリルを討ちに」


「馬鹿なっ。私が、叛乱だと。……ッ‼ リサ、貴様っ! はかったな⁉ 日記に書いてあったことは、これを――」


「――本当なら、何も知らないアヴリルに亡命をすすめようと思ってたんだ。わたしは、アヴリルと家族を王都の貴族の陰謀から救った恩人で、それからふたりで隣の国で仕官しようって」




 真っ黒な瞳でこちらを見つめながら、リサが言った。


 言葉が出ない。


 そんな身勝手な話があるか、と可愛い妹分のわがままをしかったいつかのように、日常に、戻りたいのに。


 この、眼前の少女は、自分が知っているリサではない。


 いや、そもそも、そんな者は存在したのか。


 だが、リサは自分への愛だけは本物だと言って――。


 軍内でも指折りの怜悧れいりな頭脳の持ち主とうたわれたはずのアヴリルは、混乱する思考にからめとられて、どうすることもできないでいた。






「ま、いいや。どうせ、運命システムには逆らえないんだもん」






 虚空を指でなぞりながら、リサが嬉しそうな表情を浮かべる。


 何故か、狂わんばかりの危機感を覚えて、アヴリルはとっさに手を伸ばし制止しようと――






「それじゃ、〝はい〟を押すね。向こうでゆっくり話し合おう」






 アヴリルの腕を掴んだまま、リサが指を動かした。


 その瞬間――。











 討伐軍大将から王都へ戦況報告。

 われら城塞まで半日の距離に進軍。

 斥候からの伝令によれば、叛乱軍頭目、アヴリル・テュストラム、麾下の兵三千と共に逃走。

 隣国にくだったと思われる。



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