26. キグニルダンジョンの現状

 キグニル近郊に存在するダンジョンには多くの冒険者が集まる。低層は駆け出しが戦闘経験を積むのにちょうど良い難度であり、中層まで潜れば十分な稼ぎも得られるため中堅冒険者が挑むにも不足ない。そのため、幅広い層に人気が高いダンジョンだ。


 冒険者が集まれば、彼らをターゲットにする商人も集まる。ダンジョン産出物の買い取りを持ちかける声、消耗品を売りつけようとするセールストーク。入り口付近の商業スペースでは、普段ならば盛んな客引きが行われている。


 だが、今は違う。


 商人らしき者は消え、商業スペースは閑散としていた。冒険者たちは変わらず多いが、普段以上に物々しい雰囲気を纏っている。みな、ダンジョンの入り口に鋭い視線を向けていた。


 彼らが警戒しているのは、粘銀種と呼ばれる異界からの侵略者だ。少し前から大陸各地で出現が報告され、冒険者ギルドの各支部を通して警戒するように通達されている。


 粘銀種による襲撃は、キグニルで活動する冒険者にとっては対岸の火事であった。一部の支部では粘銀種の攻勢に押され少なからぬ被害が出たと聞いていたが、キグニル周辺では粘銀種による襲撃がなかったせいだ。一時は不利な状況に追い込まれた地域も、ギルド本部から授かったという魔道具で事なきを得たという。事態はこのまま収束する。誰もがそう思っていた。


 その油断を突かれた。粘銀種ではなく、侵略者の先兵として身を落としたカルト教団の残党によって、ダンジョンを占拠されたのだ。彼らは突如としてダンジョン内部に現れた。おそらくは、元から潜伏していたのだろうというのが、キグニル冒険者ギルドの見解である。


 予想だにしなかった刺客。虚を突かれて、多くの冒険者パーティが壊滅した。だが、全ての冒険者が倒れたわけではない。僅かながらの生き残りが、這々の体でダンジョンを脱出。ギルドに報告したことで、襲撃が発覚した。


 異界の侵略者の厄介さを充分に承知していたギルドはすぐさまダンジョンの封鎖を決定。本部に浄化の魔道具の貸し出しを要求し、冒険者には侵略者の動きを見張らせた。それが今の状況である。


「で、ドルガ。状況はどうだ?」


 ダンジョンから少し離れた場所に張られた陣幕で、男が尋ねる。大人びた顔つきをしているものの、まだ年若い。少年といってもいいくらいの年頃だ。彼の名はレイ――レイドルク・ドラヴァン。キグニル一帯を領地とするドラヴァン家の次男である。


 問われたのは壮年の男だ。胡散臭さの滲む笑みで、ドルガは答える。


「まあ、今のところは問題ないですね。散発的に出てくる粘銀種どもは難なく撃退できてますよ。最初はあわや寄生されるって場面もありましたが、例の魔道具が来てからは、簡単綺麗に掃除完了ってなもんです」


 面白がるような口調のドルガに、レイは苦笑いを返す。


「掃除の……いや、浄化の魔道具か。トルトもとんでもないものを作ったなぁ」


 それを聞いて、レイの背後に控えていた二人の少女――ミルとサリィも口を挟む。


「でも、画期的よね。粘銀種のことがなくても便利だし」

「あれがクリーンだなんて信じられないよね。あの魔道具を使ってたら、私にもあれが使えるようにならないかな?」


 二人の魔道具に対する評価は上々といったところ。しかし、これはかなり控えめな方だ。なにせ、その魔道具は不滅に近い粘銀種を滅ぼすことができる数少ない手段である。その効果を目の当たりにした冒険者たちは、神の奇跡かと思ったほどだ。事実、その魔道具は神器と呼ばれている。


 彼女たちが……いや、レイやドルサを含めた四人に驚きが少ないのは、冒険者ギルドのキグニル支部長のマドルスから制作者について聞いていたからだ。彼らは制作者――トルトを知っている。レイ、ミル、サリィは同じパーティの仲間として、ドルサは短剣術の師匠として。付き合いはそれほど長くはなかったが、それでもトルトの規格外な才能は充分に察することができた。いつかは大物になるだろうと考えていた少年は、思ったよりも早く、思ったよりも大きくなっていたが……それでも話を聞けば妙に納得できる。まあ、トルトだからね、と。


 四人は共通の知人について、少しの間、話に花を咲かせた。緊迫した空気が僅かに緩む。


 だが、忘れてはいけない。決して楽観が許されるような状況ではないのだ。思惑がわからない上に、敵の守りは思いのほか硬い。数名が志願して、ダンジョンへの潜入を試みたが、未だに帰ってこないため、内部の状況はまるでわかっていなかった。


「このまま様子を見るしかないのか」

「そうですねぇ。マドルスが本部に出向いてますし、何らかの支援を引き出してくるでしょう。向こうにはトルトがいるみたいだし、また何かとんでもない方法で問題を解決してくれるかもしれませんよ」

「ははは、そうだな」

「ただ……」


 ドルガが僅かに目を伏せ、口ごもる。珍しい反応を訝しみながらも、レイは続きを促した。


「どうしたんだ?」

「いえ。ただの勘なんですが……どうにも相手が大人しすぎる気がしまして。ここ数刻は襲撃もありませんしね。冒険者たちは、魔道具の力に恐れをなしたとか言ってますが、俺には嵐の前の静けさのように感じられまして……」


 根拠はない。それ故に、ドルガも言い出しにくかったのだろう。だが、子爵家の諜報員として幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男の勘である。軽々しく聞き流すのは危険だ。


 とはいえ、レイにはどうすることもできなかった。粘銀種が何かを企んでいるとしても、それが何なのかわからなければ対策は打てない。何をすれば良いのか。どうすれば街を救えるのか。思考の迷路で右往左往していると、不意に声をかけられた。


「レイ、外が騒がしいみたい」

「何?」


 ミルの言葉で我に返ったレイは、耳を澄ませる。確かに、何か騒がしい。


「ほ、報告します! 敵方の襲撃です!」


 陣幕内に衛兵が飛び込んできたのは、直後のことだった。

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