東の聖地
ギデルデ氏族の聖地であるゴルガス大峡谷はベルヘスから東に二日ほど行ったところにあった。視界を覆い尽くすような切り立った岸壁。その一部が鋭く切り裂かれたかのように、深い谷になっている。遠目に見るとかなり細い切れ間のように見えたけれど、間近で見ると意外に幅広い。大型馬車でも五台くらい並走できそうだ。
大峡谷に入れるのは、闘技大会で戦士としての資質を示した僕とローウェルの二人だけ……のはずだったんだけど、ギュスターさんとアバルムさんの働きかけによって、スピラとハルファも特例として立ち入りの許可が下りた。まあ、闘技大会のあとに参加を要請されたギデルデ氏族との共同訓練で二人とも暴れていたからね。資質は十分と見なされたのだろう。
僕らは、みんな紫色のスカーフを纏っている。一応、これが戦士であることの証だ。とはいっても、これだけだといくらでも偽装できてしまうので、アバルムさんが同行してくれている。彼自身、数年前に戦士としての証を立てて、聖地へと入ったことがあるそうだ。
「奥には何があるんですか?」
「小さな祭壇があるだけだな。そこでギデルデの氏族がかつて仕えたという名も無き神に不屈の誓いを立てる。それが我が氏族に伝わる戦士の儀式だ」
「名も無き神……ですか。戦神ではなく?」
「さてな。今でこそ戦神を奉じる者は多いが、氏族の伝承では名も無き神とだけしか残っていない」
アバルムさんに戦士の儀式について教えてもらったら、また新しい神様の情報が出てきた。名も無き神か。廉君からも、そんな存在については聞いたことがないけど……。
さて、この先に何があるんだろうか。まあ、ガルナラーヴァが気にしていた何かが、この先にあるかどうかはわからないんだけど。ベルヘスの東っていう情報だけじゃ、ざっくりしすぎなんだよね。
ガルナラーヴァへの恨みごとを頭の中で巡らせながら進む。
大きな石がごろごろと転がっているので、あまり歩きやすいとはいえない環境だ。それだけならまだしも、落石なんかがあったら、とても危険。幸いなことに、今のところそんな気配はないけれど。
『なんだか代わり映えしない場所だな。飽きてきたぞ……』
最初は揚々と歩いていたシロルだけど、視界をほとんど岩壁に埋め尽くされた状態で歩くのは退屈になってきたみたい。僕の足に纏わり付きながら、愚痴を零している。
「ピクニックと思えばいいんだよ!」
「楽しくお喋りしてればすぐだよ?」
ハルファとスピラはポジティブだ。ピクニックと言うには過酷な道のりだけど、二人はお喋りしながら楽しげに歩いている。普段から一緒にいるのに、それでもお喋りを続けられるのは素直に凄いと思う。
『ピクニックか! だったら、お弁当がいるな! お弁当を食べよう!』
ピクニックからお弁当を連想したシロルが騒ぎはじめた。たしかに、そろそろお昼ご飯を食べてもいい頃合いだ。
アバルムさんに視線をやると、彼はふぅと息を吐いて首を振った。シロルを聖獣として紹介したときは畏怖の感情があったように思えたけど、今では完全に犬猫を見る目つきだ。
「すまないが我慢してくれ。一応、これは戦士の儀式なのだ」
僕らは儀式への参加という形で、聖地への立ち入りを許されているんだ。そう考えると、たしかにわいわいお弁当を食べるのはあまり好ましくないかもしれない。
『むぅ……。だったら、あめ玉をくれ!』
「はいはい」
我慢ができないシロルのために、自家製のあめ玉を渡す。砂糖を煮溶かして、フレーバーとしてミントを混ぜたものだ。歩きながら食べられるし、これくらいなら大丈夫だろう。
ちらりとアバルムさんを窺う。
うーん、表情が渋い。あめ玉も駄目だったか。いや、何も言われていないから、ギリギリセーフかな? ただ、僕は止めといた方がよさそうだ。
魔物どころか野生動物にすら出会うことなく、ただひたすら真っ直ぐに谷底を二時間ほど歩いたところで、峡谷の幅が狭まってきた。
「もうすぐ祭壇だ。だが、特に異常は――……」
「ううん、おかしいよ。ここにいる精霊たち、何か別のものに変質しているのかも。峡谷に入ったときから違和感はあったけど、少しずつ話ができなくなってる」
アバルムさんが言いかけた言葉を、スピラが否定した。
ここまで目に見える形の異常はなかったけど、精霊のあり方が他とは違うみたい。もっとも、それが元々なのか、それとも何らかの原因によって最近変質したのかはわからないけど。
もちろん、精霊のあり方なんて僕らにはわからない。アバルムさんも実感がない以上、肯定も否定もしようがないだろう。ただ、続くローウェルの指摘で顔色が変わった。
「ここに来るまで鳥の一匹も見なかったが、それが普通なのか?」
「……いや、そんなことはないな。たしかに、異常はある、か」
やっぱり、動物すら見なかったのは普通じゃない事態みたい。峡谷の谷底は草木も生えないような場所だけど、岩壁の上には普通に木々が茂ってるもんね。鳥すらいないのは不自然だ。
そして、ついに峡谷の終点へとたどり着いた。
「な、何なんだ、これは……」
アバルムさんから漏れた呟きは、きっと僕ら全員に共通する思いだ。
戦士が誓いを立てるという祭壇は無残にも破壊されて跡形もない。僕らが直面したのは、空間の裂け目から生えた銀色の腕のようなものが暴れ回っているという、わけのわからない状況だった。
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