ここに魔物はいない
「うおぉぉぉ!」
黒狼の鋭い爪がハルファに迫る寸前、割って入ったのはレイだ。全力のシールドバッシュ。黒狼の一撃を防ぐことはできた。だが、それだけだ。渾身の一撃にも、黒狼はひるみもしない。ただ、障害と見なしたのか、ターゲットはレイへと移ったみたいだ。黒狼の爪が、そして牙がレイを襲う。さすがのレイも、その全てには対処できずに少しずつ手傷を負っていった。そして、それは疫呪に冒されることを意味する。じわじわと体力は削られ、やがて力尽きてしまうだろう。
その前に何とかしないと!
「サリィ。錫杖を投げる! 狙って!」
これだけ言えば、みんなには伝わるはず。
僕は収納リングから博打打ちの錫杖を取り出して、ルドヴィスの近くに投げた。近くにシロルもいたけど、状況を察してルドヴィスから距離を取る。
「いくよ! 〈ファイアアロー〉」
意図を察してくれたサリィが炎の矢を放つ。隠し通路の壁を破壊したときと同じく、炎の矢が直撃した錫杖は激しい爆発を引き起こした。ルドヴィスたちからすれば、完全に不意を突かれた形だ。残念ながら、誰ひとり仕留めることはできなかったけど、それでも少なくないダメージを与えたみたいだ。
「くっ! 黒狼よ、私を守れ!」
警戒したルドヴィスが自分のそばに戻るように指示した。これなら、なんとかなる……かもしれない。
「みんな、レイのそばに集まって!」
黒狼の攻撃を受けて、レイはついに倒れ伏した。だけど、それでもまだ生きている。慈雨の祈石は僕の手元にあるんだ。この状況をしのげれば何とかなるはず!
ルドヴィスたちも体勢を立て直すためにか、一カ所に集まっているみたいだ。だけど、仕切り直しではない。たぶん、今なら使えるはずなんだ。
「クリスタル、起動!」
僕は収納リングから帰還のクリスタルを取り出して掲げた。宣言する必要はないんだけど、その辺は気分の問題だね。
「駄目だよ、トルト! 帰還のクリスタルは近くに魔物がいるときは発動しな――」
僕の意図に気がついたサリィが制止をかけようとする。けれども、その言葉は最後まで紡がれることなく途切れた。
何故なら、クリスタルがピカッと光って僕たちの身体を光が包んだからだ。これはクリスタルが発動したときに起きる現象。
ほんの少し浮遊感があったかと思えば、僕らの周囲の光景が変わっていた。対峙していたルドヴィスたちの姿もない。
「ど、どうして……?」
サリィが驚いている。まあ、理由は単純なんだけどね。
「帰還のクリスタルの転移が阻害される条件は、近くに魔物がいること、だよ。ルドヴィスたちは敵だけど、魔物じゃない。疫呪の黒狼も、シロルが言うには魔物というよりは呪いらしいからね。使えると思ったんだ」
もっとも、もし仮にあの黒狼が魔物分類だったとしても、使えたんじゃないかという気がしている。たぶん、帰還のクリスタルの発動を阻害するのはダンジョンが管理している魔物だけじゃないかな。ダンジョンの魔物は、ダンジョンの外の魔物と明らかに挙動が異なる。別種の魔物同士で協力したり、倒したら消えてドロップアイテムを落とす。これがダンジョンの仕業なら、ダンジョンは明確に管理下の魔物を識別しているはずだ。
そして、帰還のクリスタルはダンジョン産のアイテム。ダンジョン管理下にあるだろうアイテムだから、転移阻害の判定しようと思ったら、近くに管理下の魔物がいるかどうかで判定すると思ったんだよね。黒狼は外部からダンジョンに封じられた存在だから、管理下にはない。だから、転移はできると思ったんだ。
まあ、ほとんど僕の想像だ。発動するかどうかは賭けみたいなところもあったんだけど、ルドヴィスたちとまともにやり合うよりは勝算があると思ったからね。
でも、今はそんなことを説明している場合じゃない。
「ひとまず、ダンジョンを出よう。あいつらが追いかけてくるかもしれないし、レイも治療しないと」
レイはぐったりとしている。大きな傷はないようだけど、疫呪に冒されて意識が混濁しているみたいだ。急いで治療してあげたい。慈雨の祈石があれば、疫呪を払うことができるはずなんだけど。
帰還のクリスタルを使ったからには、ここはダンジョンの第一階層の入り口付近。すぐにダンジョンから出られるはずだ。レイはドルガさんに担いでもらって、僕たちはダンジョンの外へと急いだ。
ダンジョンを出てすぐの場所で、レイを横たえる。周囲の冒険者たちがざわつくのがわかったけれど、今は気にしていられない。
「シロル、使い方は?」
『そんな難しいものじゃなかったはずだぞ? 祈石なんだから、祈ればいいんじゃないのか?』
「そっか」
収納リングから取り出した祈石を前に相談をするけれど、シロルも明確な使い方は知らないみたいだ。
「試してみるね」
そう言ったサリィが祈石を両手で包み、顔の近くに掲げた。目を閉じ、少し顔を俯かせて、祈りを捧げる。
「慈しみの雨よ。どうか疫呪をお祓いください」
祈りの言葉に答えるように、慈雨の祈石がキラリと光る。すぐにぽつりぽつりと雨粒が落ちてきて、やがて小降りといった程度の雨になった。
「うわぁ、綺麗!」
ハルファの言葉通り、降り始めた雨はキラキラと輝いているように見えた。不浄な物を洗い流すかのような清浄さがある。祈りはたしかに届いたんだ。
「うっ……うぅ……」
「レイ! 大丈夫?」
「あ、ああ……」
慈雨の祈石の効果は劇的だったみたいで、すぐにレイは意識を取り戻した。疫呪に冒されながらも、レイは黒狼の攻撃をきっちりと防いだようで、傷自体はたいしたことがない。僕とサリィの〈ファーストエイド〉でも十分に治療できる程度だ。
ひとまず、これで危機は乗り切ったはずだ。みんな無事で良かった。ただまあ、ルドヴィスとは遠からず決着をつけなくてはダメなんだろうな。そんな予感がするね。
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