8.ケーキは美味しかったけど……

「ようこそ、おいでくださいました」


 馬車から降りると、待ち構えていたかのように出迎えられた。レトゼイア家の馬車は目立つから、いち早く気がつかれたのだろう。


「それではこちらへ、ご案内いたします。ご存じかもしれませんが、当店はチョコレートのケーキが有名で……」


 オーナーの説明を聞き流しながら、店の中へと目を向けた。全体的にグリーンで統一されていて、装飾なども華やかというよりは落ち着いた印象のもので統一されている。人気の店なだけあってそこそこ混んでいて、そのお客達はヒソヒソとこちらの様子を窺っている。


「どうぞこちらへお座りください」


 VIP席のような半個室になっている一角に通された。ふかふかの椅子と柔らかな白いテーブルクロス、机の上には季節の花が活けてあった。ゆっくりとくつろげる空間に、ホッと一息つけそう。


「何してるの。イリナも座りなさい」

(一緒に食べようよ)


 突っ立ったまま私の後ろに下がろうとするイリナの腕を掴んだ。


「いえ、私は大丈夫ですから」


「なんのために一緒に来たの? いいから座りなさい」

(え、見られながら1人で食べるとかなんて拷問……)


「……ありがとうございます」


「あなた達もよ。そんなところに突っ立っていないで、こっちに来て座りなさい」

(イリナだけじゃなくて、レイリーもユーリックもね)


 今度はくるりと振り返って、2人を見つめた。


「え、俺達もですか?」


「当たり前じゃない。わたくしを1人ぼっちにするつもり?」

(そうに決まってるじゃない……。なんでそんな驚くの……)


「ご注文はいかがなさいましょう」


 オーナー自らが注文も取るなんて、レトゼイアがいかにVIP客であるかがわかる。


「お任せするわ。自慢のものを持ってきて頂戴」

(チョコケーキ以外に何がオススメなのかわからないからなぁ……)


「かしこまりました」


 うやうやしくお辞儀をすると、私達だけになった。


「本当にいいんですか、私達まで」


「……お嬢様は、なんというか、変わっていますね」


 ユーリックが少し困ったように言った。


わたくしと食事するのは嫌かしら」

(気にしなくていいのに……)


「変わっ……、特別なエヴァリアお嬢様とご一緒することができて、俺は嬉しいですよ」


 フォローしてくれようとしたのかもしれないけど、絶対「変わってる」って言おうとしてた。じろりとレイリーを横目で睨むと、今度はもっとかしこまった調子で言う。


「エヴァリアお嬢様は慈悲深く、我々にも寛大な心で接してくださるスバラシイ主でございます」


 くっくっくと半分笑いながらのセリフはおふざけなのがよく分かる。子ども扱いされてるみたいでちょっとムカついたけど、レイリーがいるおかげでこうして場が和む。イリナとユーリックだけだったら、多分、堅苦しくて息が詰まるだろう。


「お待たせいたしました」


 でもメイだったらドジっ子属性発揮しそうだしそっちの方が面倒くさいかな、と眺めていたら美味しそうなケーキが運ばれてきた。


 チョコレートづくしの甘い物たちは、一つ一つが宝石のように見えた。一瞬で空間が甘い香りで満たされる。魅惑のチョコの香りにこのまま一緒に溶けてしまいたくなった。


 自分が悪役令嬢だということも、この世界は聖女伝説という物語だということも、山田ハナコの生活がどうなっているのかということも、全部チョコレートと一緒に溶けてしまえばいいのに。


「……美味しい」


 ぐだぐだと考えていたけど、チョコレートケーキを一口食べたら、思わず本音が飛び出た。


 滑らかな口当たりとチョコレートの豊潤な香り、上品な甘さでしつこくなく、コクがあって深い味わい。……と脳内食レポしたけど、やっぱ無理。ただただ美味しい。


「……店ごと買いましょうか? 旦那様に相談なされば可能かと思います」


 イリナの言ってることが一瞬理解できずに、固まった。買う? 店を? 一体どんな富豪よ……。いや実際レトゼイア家はそのくらい易々とできる大貴族だけど!


「……買うならこれを作れるシェフにするわ」

(冗談やめてよ……)


「俺が呼んで来ましょうか」


 レイリーが立ち上がったのを見て慌てて腕を掴んだ。ケーキが美味しかったからってすぐお金にモノを言わせて手に入れるなんて、本当に悪役令嬢みたいじゃない。なるべく目立ちたくないのに。


「いらないわ。民の数少ない楽しみを奪うのは可哀想だわ」

(やめてよ本当に。他の人も楽しめた方がいいじゃない)


「民のことまできちんとお考えになるとはお嬢様は素晴らしいです」


 ちょっと感心したようにレイリーが言った。


「お嬢様にもついに貴族としての矜持が芽生えたんでしょうか……」


 イリナも驚いたように言う。


「……」


 ユーリックは黙って私を見ていた。


 こんなことで感心されるなんて、私は一体どんなふうに思われていたのだろう。


「おや、やはりそうか。その可憐なさえずりは、私の薔薇だね」


 はっとして後ろを振り返ると、エドワードが立っていた。


「ごきげんよう」


 私が他人行儀に挨拶をすると、3人はスッと立ち上がった。


「本当なら私の薔薇と一緒に楽しみたいところなんだが」


「あら、エヴァリアさんじゃない。こんにちは」


 エドワードの後ろからひょっこり顔を覗かせたのはワカナだった。


「ここはチョコレートが有名だって聞いて、エドワードに頼んで来たの。ほら、私、ここの世界のこと何にも知らないから、エドワードの住んでるお城と神殿にお世話になってるのよ。それで休日になるとエドワードが私を色々なところに連れて行ってくれるんだけど、ここ、エヴァリアさんがいるなら噂は本当なのね。期待しちゃうなぁ」


 1人でうきうきとしゃべるワカナ。聞いてもいないのに勝手に色々説明してくるワカナ。そのワカナの言動や態度に、怪訝そうな表情をしながら注視しているイリナとレイリーとユーリック。


 そういえば、ユーリックは聖女であるワカナと会うのはこれが初めてになる。ビビッと一目惚れなんてされたら、私の未来がとてもとても心配になるところだけど、怪訝そうな顔をしているところを見ると、その心配は杞憂に終わりそうだ。そこは少しだけ安心できた。


「ええ、どうぞごゆっくり」

(もう帰ろう……)


 テーブルにまだ残るチョコレートに未練はあるけれど、ワカナと関わったって悪役令嬢のイメージが強くなるだけだ。とにかく大人しく引き下がる方が得策だろう。


「え、どうしてですか? まだ残ってますし、あ、そうだ! 一緒に楽しみましょうよ!」


 良いことを思いついた!と言わんばかりの大袈裟なリアクションでワカナは言った。純粋なのか演技なのかはわからないけれど、どちらにしろ厄介なのは間違いなかった。


「婚約者を差し置いて、他の女性をエスコートするような男性とは一緒に居たくありませんわ。それに、婚約者があることを知って尚、その男性にベタベタまとわりつく女性とも一緒に居たくありませんの」

(エドワードはエヴァリアの婚約者なんだよ? そのうち破棄するつもりとは言え、ワカナとも関わりたくないし)


「お嬢様、こちらへ」


 私がそう言うとすぐに、レイリーが私をエスコートした。エドワードとワカナから私を隠すように庇ってくれてありがたかった。


「エヴァリアお嬢様は次の予定がありますので、本日はこれにて失礼いたします」


 ユーリックが2人に深々とお辞儀をした。


「エヴァリアさんが予定があるのはわかったわ。じゃあ、代わりにあなた、一緒に食べない?」


 無邪気に親切心からのように、ユーリックに優しく声をかけるワカナ。


「私はお嬢様の専属騎士ですので、ご期待には沿えません。すみません」


 もう一度、でも今度は浅くお辞儀をしてキッパリと断った。


 エドワードは何か言いたそうな顔をしていたけど、やっぱり何も言わなかった。


「それではごきげんよう」


 2人に背を向けて、私達は歩き出した。


「レ、レトゼイア様、こ、ご利用いただきまして」


 慌てたようにオーナーが私にすり寄ってきた。


「せっかくのチョコレートが台無しになる方がみえたので、わたくしは、おいとまいたします。美味しかっただけに、残念でなりませんわ。……イリナ」

(残しちゃってすみません。とっても美味しかったんですけど……、本当にすみません)


 イリナから金貨の入った袋を受け取って、そのままスタッフへ渡した。


「居心地よく寛げる空間になったら、その時はまた伺いますわ」

(騒がせたかもしれないですし、これ受け取ってください)


「そそそ、そんな、ありがとうございます……! 次回のご来店の際にはレトゼイア様専用ルームをおつくりしておきますので、ぜひまたお越しください!」


 恐縮した様子でオーナーはぺこぺこと頭を下げた。


 来た時よりも店内からの視線が刺さってる気がする。目立ちたくないのに、どうして目立つようなことが起きてしまうのだろう。エヴァリアは元々悪役令嬢の設定だから、そういうふうに世界が作られているんだろうか。なるべく平凡で、でもお金にあんまり困らずに、健康で長生きして、老衰で死にたいとささやかに思っているだけなのに。


 誰にも聞こえないよう、こっそりと溜息をついて店を出た。

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