悪役令嬢さまの日記

人紀

悪役令嬢さまの日記

「嘘、これって……」

 わたしは豪奢な姿見を前に呟いた。

 鏡に映るのは、平凡さが唯一の個性と言われ続けた女、佐藤 里子――では無く、美しい西洋系美少女だった。

 十五、六歳ぐらいだろうか?

 美しい金髪を巻き毛にし、きつめの印象を受ける目の瞳はサファイアのような青だった。

 白い肌はつややかでシミどころか傷一つ無く、ほっそりした体躯には似つかわしくない大きな胸が真っ白なネグリジェを盛り上げていた。

「うっ!

 イタっ!」

 鋭い頭痛に眉を寄せる。

 そして、痛みが頭をぐるぐると回り出す。

 余りの痛さに膝をついてしまう。

 だけど、そのお陰かは分からないけど、うっすらとだが現状が分かり始めてきた。


 そうだ、わたしは異世界転生をしたのだ。


 トラックに引かれて、来てしまったのだ。


 前世のわたしは、地味で目立たない三十歳社会人だった。

 そして、今世のわたしは、エリザ・レーヴ侯爵令嬢――いわゆる、悪役令嬢だ。

 ……なんで、悪役令嬢? って自分でも思ってしまうのだが、エリザ自身が悪役令嬢だと自分を認識しているようだった。


 何故、そう思ったのかは……正直思い出せない。


 ひょっとして、この世界はゲームの世界? などと一瞬思ったが、わたしはWeb小説は沢山読んだが、実は乙女ゲームはやったことが無い。

 う~ん、今世の家族のこととかは何となく思い出せてきたけど、細かいことはいまいち思い出せないんだよな……。

 何て思っていると、部屋のドアがノックされて、メイドさんが入ってきた。


 ……うん、分かる。


 メイドのアナだ。


 二十代前半のお姉さんで、わたしが五歳の頃から仕えてくれている。

 アナはわたしが起きているのに気づくと目を見開き、近寄ってきた。

「お嬢様、お目覚めでしたか!

 心配しましたよ!」


 心配を……した?


 どういうことか訊ねると、どうやらわたしは突然乗馬をすると言いだし、無理矢理馬に乗り、見事落馬したとのことだった。

 え?

 それって、どういう状況?

 よく分からなかったが、皆の肝を冷やしたのは間違いないので謝罪をしておく。

「あ、うん、心配かけてごめんなさいね」

 すると、何故かアナは怪訝そうな顔をした。


 ん?

 どうして?


「お嬢様、いかがなさいましたか?

 そのような謝罪、お嬢様らしくないです!

 いつも通り、『お~っほっほぉ~! アナごときに心配されるほど、わたくし、落ちぶれてはなくてよぉぉぉ!』とおっしゃってください!」

「わたし、そんなキャラなの!?」


 いや、え?

 まあ、悪役令嬢っぽいけど!


「お嬢様のその奇声を聞くたびに、侯爵家にお仕えしているって実感がわくのです!」

「嫌な、実感!」

 って、奇声って言ったわよ、この人!

 お嬢様に対して、奇声って!

「庭師のダニエル爺さんなんて、お嬢様のそのお声のお陰で、かろうじて心の臓が動いているって言ってましたよ」

「重い!

 それが本当なら、止められない!」

 そんなわけないけど、記憶が朧気なので、冗談なのか本当なのか分からない!


 そこで、アナに記憶が断片的にしか思い出せないと伝える。


 驚いた顔をしたアナが、「先に言ってください!」と慌ててお医者様を呼んでくれた。


 まあ、そりゃ大事よね。


 お医者様が来るまで安静に! って事で、わたしはアナにベッドへ押し込まれた。

「困りましたわね、お嬢様。

 旦那様方がいらっしゃらないのに……」


 両親と年の離れた兄は、侯爵領にいる。

 当然、日本にいる時のように一日やそこらで王都ここには来られない。


「ねえ、アナ……。

 わたしってどんな感じだったかしら。

 もう、その時点で記憶が曖昧なの」

 わたしの問いに、アナは腕を組み考える。

 そして、手をぽんと叩くと、寝台の下を少し探る。

 起き上がったアナの手には一冊の本があった。

 アナはそれをわたしに渡しながら言う。

「お嬢様の日記帳です。

 結構細かく書いていらっしゃいますので、これを一読されればある程度の記憶は戻るのでは?」

「え、日記帳?

 何で寝台の下そんな所に仕舞ってあるの?」

「そりゃあ、誰にも見せたくない秘密の日記帳だからですよ」

「アナに知られてるじゃない!」

「お嬢様が学院に行かれている間、皆で回し読みをしていますので、少なくとも奥様と侍女の間では知られてます」

「秘密でも何でもない!

 いや、アナが広げてるんじゃない!」

「楽しみは、共有しないと」

「わたしの秘密を娯楽にするな!」


 なんてやり取りをしつつ、日記帳を開く。


 確かに、朝食のことから、学校で先生に当てられた事まで、事細かく書かれている。


 ん?

 左上に何やら赤丸が付けられたページがあった。

 え?

 まさか、エッチをした日とかじゃないわよね!?

 ドキドキしながら、目線を走らせる。

『五の月二日

 たかだか平民のくせに、貴族子息に馴れ馴れしい雌猫に注意して差し上げたわ。

 お許しをぉぉぉと足にしがみついて来ましたから、まあ、一度目だったので許して差し上げました。

 寛容なわたくしに感謝する事ね!』


 う、うん。

 悪役令嬢っぽかった。

 ペラペラめくってみると、何個か赤丸の付いたページがあった。


『六の月二十日

 庭園でキャッキャとうるさい木っ端貴族の娘を発見したので、貴族令嬢の振る舞いについてお説教をしてあげたわ。

 その子達、流石です、エリザ様!

 といって、感動で目を潤ませていたわ。

 わたくしが流石なのは当たり前ですわ!』

『六の月二十五日

 教室の隅で婚約者との仲がこじれかけてるって泣いているご令嬢を発見しましたわ!

 同じ大貴族なのに、イジイジして情けない!

 ひっぱたいてやれば良いのよ!

 と言ってあげたら、それが出来るのはエリザ様だけですわ~!

 なんて、いじけ始めましたわ!

 情けない!』

 ……。

 なるほど、確かに悪役令嬢っぽいわね。

 本当の悪役では無く、言葉はきついけど実は心優しいって感じの。

 わたしが感動していると、アナが口を挟んできた。

「因みに、赤丸の箇所はお嬢様の妄想日記です」

「えっ!?」

「挑戦はされたらしいんですけど……。

 平民の女の子の前では緊張で顔を真っ赤にして、オタオタしているうちに、その子に体調が悪くなったのかと心配されて、保健室に連れて行かれました。

 木っ端貴族令嬢には一生懸命説明しようとする姿勢が可愛らしいと抱きつかれ、大貴族のご令嬢には話を聞くうちに感情移入されたのか、抱きつきワンワン泣き出して、逆に慰められたそうです」

「エリザ……」

「とはいえ、そこに書かれているご令嬢方とはとても仲良くなられたみたいで、侯爵領にご招待されました。

 ……その辺りも思い出せませんか?」

「うっすらと……思い出したような……」

 わたしはページをめくっていく。

 ほかにも、生意気な子息にお説教したとか、横暴な教師を叱りつけたとか……。

 赤丸の付いたページにはそのようなことが書かれていて、エリザの、いえ、わたくしの思いが戻ってくるようでした。

 昔、聞かされた悪役令嬢と呼ばれる、誇り高きご令嬢のお話、そう、わたくしはそれに憧れ、このようにあろうとしたのだわ。


 最後のページは、浮気者の第一王子を糾弾する所で終わっていた。


 扇子でひっぱたくって、流石に次期王と目されている方にそんなことをしたら、不敬で首をはねられてしまうわ。

 思わず、クスリと笑ってしまった。

 そこで気づく。

 そのページには赤丸が付いていないことに。


 わたくしはその時、気づくべきでした。


「あら?

 付け忘れたみたいね」

 なんて、呑気に言ってないで気づくべきだった。

 そのページだけ、少し乱れた文字とか乗馬なんてろくにしたことがないエリザわたくしが馬に乗ろうとしていたのかとか、気づくべきだった。

 まさか、まさかそのページだけは本当にあった話だったとは。

 全く気づかずに、呑気に学院に戻ったわたくしを待っていたのは……。

 顔を真っ赤にさせ仁王立ちになる第一王子様とその護衛騎士で……。

 わたくしは迷わず、土下座をして謝ることになった。


 追記

 友達の大貴族令嬢達の助命で、一週間の謹慎で済みました。

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