求む、優秀なクレーマー
湾多珠巳
前編
その夜、タミエはいきつけの小さな食事処にいた。
夕食の時間帯も終わりに近づいた頃なので、客足はそれほどでもない。タミエはいつもこのタイミングに現れ、ボックス席の隅っこで適当な定食を頼み、その後はしばらく書きものをするのが習慣だ。
今日もタブレットにフル仕様のキーボードをつないで、思いついたあれこれのことを書き散らしている。食事処はBGM代わりにテレビが流しっぱなしになっている、古いタイプの店で、一人で仕事みたいなことをしているタミエを気にするような客はいない。
テレビはニュースの時間になっていて、さる地方都市で両親が実の子供を虐待死に追いやったという事件が報じられていた。キャスターは一通りの概要を述べ立てた後、現地の児童相談所の対応が後手続きだった情報について、ことさらに長い時間を割き、最後にこう結んだ。
「現在、この児童相談所には、電話・メール等の多くの抗議の声が寄せられており、通常業務が麻痺状態になっているとのことです」
新しい題材を見つけた気がして、タミエがキーボードをぽちぽち打ちかけた時、斜め後ろのカウンター席にいた若い男が、テレビを見上げながら言った。
「こういうさ、何か事件があったら苦情を送りつけるっていう人間ってさ、どこにいるんだろな?」
隣りに座っていた――たぶんガールフレンドだろう――若い女が返した。
「さあね。って言うかさ、そんな人、ほんとにいるわけ?」
「どういう意味よ?」
「だってさあ、あり得ないって思うじゃん? ニュースの中身丸呑みにしてるってのもあり得ないし、100パー他人事なのにわざわざ時間割いて電話とかメールとか、なにそれって思わない?」
「言えてるー」
ケタケタと二人が笑う。背中でその喧騒を受けながら、タミエはキーボードの手を止めた。今日はもう帰ろうか、と手仕舞いしかけた時、カウンター席でもうひとつ別の声が加わった。
「なかなかおもしろいこと言うね、クレーマーは実はどこにもいない、てね」
視線を動かしてうかがい見ると、若い女の一つ横にいた四十代ぐらいの男が、人差し指をちっちっと動かしていた。
「でもね、お二人さん、実はそうじゃないんだな」
「え?」「なに?」
たぶん男と二人連れは初対面に近い関係のはずだか、そこは大衆食堂の中、ごく自然に会話が続いていく。
「あのニュースとかで苦情を寄せてるって人たちね。実はみんな公務員」
「ええ?」「嘘だろっ」
「いやいや、マジな話。総務省の下に、そういう部局があるの。そりゃ世のクレーマーの全員が全員そこに属してるわけじゃないけどね、ああいうネット世論作ってる人らとか、新聞とかでいかにもまっとうそうな投書出す人らとか、みんなそれで給料もらってるの」
「え、おじさんもそこの人、とか?」
若い女が笑いながら訊いた。二人組もカジュアルな姿だが、男は革ジャンに口ひげ姿で、少なくとも官庁づとめには見えない。
「俺かい? 俺は、そうね、まあそこの取引先の友達の友達ってとこかな」
「なにそれ、ウケるー」
再び無遠慮なケタケタ笑いがカウンター席で弾けた。自分も笑いながら、革ジャンの男は妙に生真面目な口調で低く付け加えた。
「でもホントなんだって。なんなら調べてもらってもいいよ。総務省のね――」
まだ賑やかな話し声のする食事処から、ひっそりとタミエは撤退した。そのまま、買い物にも寄らずにまっすぐ帰宅する。急いで確かめたいことがあったのだ。
アパートに戻り、着替えて落ち着いてから、改めてダイニングのノートパソコンを開く。
革ジャン男が口にしていたリンクは、確かに総務省ホームページの片隅に存在した。ただ、そのままでは先に進めない。不特定多数の国民に向けたページではないのだろう。だが、タミエには革ジャン男からの情報があった。
耳をそばだてて聞き取った通りの手順でゲートをくぐると、短い案内文がある。ごく簡素ながら、それは確かに男の言葉を、あの都市伝説とも言いかねるような嘘のような噂を、はっきり裏付けている内容だった。大見出しは、こうだ。
あなたの意見で、人々を動かすために。
頭の中をいくつもの考えがランダムに跳ね回る。こんなもの、いつから? 国家の陰謀じゃないの? いやでも、こういうのがあるって気はしてたんだ。やっぱりあったんだ!
けどけど、こんなの、特定の主義主張を国が押しつけるってこと? だいたいこの世の中の無秩序な投書とか電話がけとか、そんなものを一律管理してるってどういうことよ? だめだめ、こんなのと関わり持ってろくなことない。とは言え、宗教みたいなのとは違うみたいだし……。
実際の話、タミエは知る人ぞ知る常習ネットクレーマーだ。平素からニュースなどからネタを拾っては、責むべき対象に糾弾の声を送りつける、いわゆる悪質認定すれすれの書き込みを趣味にしている。
これまで大規模な炎上騒ぎを演出したことは、片手の指で収まるどころではない。ただ、矛盾するようだが、そんなことは徒党を組んでやるもんじゃないと思ってきた。万事は自己責任であるべきなのだ(と言いつつも、書き込み元の秘匿には並々ならぬ努力を怠らないタミエであるが)。
そんなタミエにとって、天下の中央省庁がクレーマー職みたいなのを用意して募集しているという事実は、想像だにしない話だった。ツッコミたいことは山ほどあるが、さんざん考えあぐねてから、最後まで消せずに残ったしこりのような疑念は、これだ。
私と同じようなことをやってて、あっちだけお給料もらってるなんて、
ずるくない?
大卒後の就職で失敗して「負け組」のパート派遣に甘んじつつ、そろそろ三十の大台に乗ろうとしているタミエは、つい八つ当たりのような気分を抱いてしまうのだった。
できるものなら、このまま何も見なかったことにして、悠然と立ち去ってしまいたい。明日からも今まで同様、孤高の書き込み生活を続けるのだ。
とは言え、こんなページにわざわざアクセスした時点で、もう気持ちは決まっていたと言っていい。
タミエは「詳細を見る」のボタンをクリックした。
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