日記

虫十無

日記帳

八月三十一日

 日記を書き始めてみようと思う。すぐに飽きてしまうだろうからいつまで続くかわからないけれど。せめて三日坊主にならなければいいと思う。

 今日はおいしいものを食べた。焼肉食べて、その後パフェも食べた。どっちも大好きだからうれしかった。けれど友達には肉の脂とか生クリームとか無理勢がいるからその内そうなってしまうことが怖い。

 明日から新学期、ちょっとめんどくさい。夏休みが続けばいいのに。


八月三十一日

 急に思い出したので開いたらちょうど一年前に書いていた。三日坊主どころか一日坊主とは思わなかった。確かに三日坊主にはならなかったけれど。

 やっぱり八月三十一日が中途半端だったのかもしれない。八月三十一日は夏休みのせいで終わりの感覚しかなくて、始まりには向いていなかったのかもしれない。きっと去年も九月一日に学校が始まると忙しくなって忘れてしまったのだと思う。

 去年は外食したのか。今日はそんな余裕なんかないのに。宿題がまだ三つもある。一応頑張れば終わる量だと思うけれど、それでも今これを書いているということは危ないかもしれない。まあ明日の朝提出するタイミングまでが勝負だからきっと大丈夫だ。


八月三十一日

 毎年この日に思い出すのなら、年まで書いておけばよかったと思う。

 去年の自分は偉いなと思う。三つで焦っているから。今回は手を付けていても終わってないのを数えると八個もあるからもう焦りを通り越して諦めになっている。焦りがないから何もやる気が起きない。かといって遊びに行くほどの度胸もない。ちょっともったいないような気がする。

 この日記はどうして書き始めたんだろう。誰かにもらったんだったろうか。どうせなら九月一日とかキリのいい日に始めればよかったのに。去年も似たようなことを書いている。


八月三十一日

 日記帳を見つけたから開いたら確かにそうだったなと思ってつい笑ってしまった。また今日思い出してしまったのか。

 今日は大体去年と同じくらいで、宿題は手を付けていないものが六個ある。手を付けたのは終わらせてるはずだ。

 去年は新学期が始まってからどうしたのだろうと思う。しらばっくれるなんて器用なことはできないと思うけれど、それならどうしたのか、どうなったのか記憶に残っててもいいはずだ。でも思い出せない。


八月三十一日

 開いて読み返した。思い返した。確かにこの日記を書き始めてからの記憶が八月三十一日のものしかない。今日も確かに八月三十一日だ。九月一日のことだって、それ以外の日のことだって、覚えていてもおかしくないはずなのに何一つ思い出せない。八月三十一日のことだって日記を書き始めたころのことはほとんど覚えてないけど、それは何年も経っているんだからおかしくない。けれどもっと近いはずの、例えば昨日とかの記憶がない。別に前回の八月三十一日が昨日のような感覚があるわけではないから、確かにそこにあるはずなのに思い出せない。

 ここに書いている場合ではないのかもしれない。けれど、ここに書かないと忘れそうだから、ちゃんと書きたい。


八月三十一日

 確かに、記憶はない。この日記を書いていればそんなことはなかっただろうと思うのに、本当にあったと思っている間の日はあったかどうかわからないとも思い始めた。ただ身体は多分一年経っている。身長は伸びてるはずだ。

 最初の日、夏休みが続けばいいのにと書いている。それが叶った姿が今なのだろうか。こんなの、夏休みの姿じゃない。これは夏休みが続いてるんじゃないくて夏休みが終わらない姿だ。ただ焦りだけがある夏休み最終日なんか大嫌いだ。繰り返すなら夏休みの初日とかがよかった。

 書かないと考えがまとめられない。もしかしたら気づいていなかっただけで最初からそうだったのかもしれない。記憶のない日は書かなかった日、記憶のある日は書いた日。もしかしたら覚えてるわけじゃないのかもしれない。書けばそれを読んで思い出せるだけなのかもしれない。

 そんなことはどうでもいい。これが八月三十一日だけの世界なら、早く夢から覚めてほしい。これが現実なんて、そんなはずはない。


八月三十一日

 日付は書けても、それ以外はもうほとんど書く気力がない。今日のことは覚えておけるだろうか。前回の八月三十一日は日記を書いたこと以外覚えていない。宿題がどのくらい残っていたのかとか。ずっと日記を書いていたのかもしれない。きっとそうだろう。じゃあ今日も日記を書いていればいいのかもしれない。きっとそうだろう。

 明日が九月一日じゃなくて、八月三十二日だったら何か違うだろうか。


八月三十二日

 前回の八月三十一日の意図はもう思い出せないけれど、それでも日付を変えてみることで何か変わるだろうかと試してみたくなった。違う日付を書いてみると、本当の日付は八月三十一日でも八月三十二日でもないのかもしれないという気持ちが出てくる。

 けれど、今日は八月三十一日だという感覚がある。この感覚は気持ちより強い。

 今の実害はずっと焦りがある気持ち悪さと間の日の記憶がないことくらいだ。後者はきっと困らない、でも前者は文章で見るより気持ち悪い。どうすればいいのだろう。


九月一日

 感覚では八月三十一日だけど、進めてみようとするなら順当にこちらでよかったのだろうと思った。けれど、感覚と違うその日付を書くだけで疲れてしまった。

 宿題はある。けれどもう焦りは少ない。記憶がないなら怒られていたって同じだ。そうなったらもう実害はないのと同じだ。記憶がないと書くと実害みたいだけれど、やっぱり困らないから。

 そういえばだれにも頼ってない気がする。なんでだろう。頼ってもいい人がいた気がするけれど、やっぱり思い出せない。まあいいか、困ることは何もなくなったから。

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