■■■■年三月三十日(水)
碓氷果実
古い日記
机の引き出しを抜き、中のものを選別していると懐かしいものが見つかった。
深い緑色の表紙をしたノート。はるか昔につけていた――正確に言うとつけようとしていた、日記帳だ。
引っ越しはもう今週末で、荷物の
最初のページを見ると、六年前の四月一日、日付に曜日、天気まで書いてある。タイトルは「今日から社会人!」。我ながら
本文には入社式の様子や新社会人としての意気込み、そして日記を続けていくという意思表明が
最初のうちは
四月分をななめ読みしてその先に進むと、すぐに白紙のページがあった。日付と曜日だけは書いてあるが本文がない。おそらく、毎日書くぞと意気込んで最初のうちに全ページに日付を記入していたのだろう。こいつはそういうことをするやつだ。
次のページに「昨日は日記をつけ忘れてしまった。せっかく習慣化できているからここでやめないこと!」と書いているが、五日後にはまた白紙。そして白紙の
人の本質は変わらない。ゴミ袋に入った数多の健康グッズをちらりと見てそう実感する。しかし、腹筋ローラーやヨガマットと違って、日記となるとおいそれとは捨てづらいような気持ちになる。
ダンボールに入れるかゴミ袋に入れるか迷いながら、残りのページをパラパラ弾くようにめくる。裏表紙が現れる直前、何ページか黒っぽいものが見えた。
最後から五ページ目辺りを開くと、見開き二ページに細かい文字がびっしりと書き込まれていた。
――なんだ、これは?
覚えがなかった。一年の最後にふと思い出して、日記を再開したのだろうか?
今度はすこしゆっくり、
タイトルは「宮本武蔵の呪い」。
「二刀流って、なんかあんまりいいイメージじゃないんだよね」
飲み屋で知り合ったNさんは、出し抜けにそんなことを言った。
そんな書き出しで、二ページに渡って書かれているのは、いわゆる怪談だった。
その後も、二、三日おきにタイトルがつけられ、小説のような調子で不気味な話が書かれている。
思わず読みふけった。見ると呪われる宮本武蔵の像。お笑い芸人を嘲笑する存在しない客。老人を
三月二十八日の「日参り」と名付けられた話まで読んで、気分が悪くなって目を上げた。
私は、こんなものを書いていない。
いくら日記の内容を覚えていなくても、こんな意味不明なものを書いていたらそのこと自体は忘れないだろう。
話は一貫して「僕」という一人称で書かれている。怪談収集を趣味とする会社員の男のようだった。私とは会社員という点以外に共通点がない。私にはそんな、架空の人格で文章を書くような趣味はない。小説なんかも書いたことはないし、そもそも怖い話が好きですらない。
それでも読んでしまったのは、それが紛れもなく私の字で書かれていたからだ。
意味がわからなかった。
再び手元に目を落とすと、日付の部分が一部塗りつぶされていることに気付いた。
『■■■■年三月二十八日(月)』
西暦の部分がボールペンでぐちゃぐちゃと潰されている。もともとそこは六年前――二〇一六と書いてあった。
そういえば――今年の三月二十八日も月曜日じゃないか。
気付いた瞬間、嫌な想像が脳裏をよぎる。
この文章は、今年になってここに現れたのではないだろうか。
理屈はわからない。全く合理的ではない。でも、直感的にそう思った。
時計を見る。午前零時を回っていた。今は二〇二二年三月三十日。手元に開かれているのは三月二十八日から二十九日の二ページ。
もし、もし万が一、私の考えていることが当たっていたら――。
暖房を入れているのに足先は痛いほどに冷え、それなのに手には汗が滲んでいた。
湿った指で二十九日のページをほんの少しずらす。汗が染みて、紙の色がわずかに濃くなる。心臓がばくばくと鳴っているのがわかる。
そして私は、思い切ってページをめくる
■■■■年三月三十日(水) 碓氷果実 @usuikami
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