第5話

 そんな訳で、私は本当に久々に実家に行った。

 と言うか、正門から入って、まっすぐ玄関から出入りするなんて、これでまだ二度目だった。

 私が行く、ということは既に伝えてあった。

 入った途端「お帰りなさい」と中年の婦人が私に飛びついてきた。


「ああ何って久しぶり!」


 ああそうか。

 写真で見たことがある。母だ。


「よく来たな」

「はい。紹介します。夫のリヒャルト・ゾーンです」

「もう籍を入れたの?」

「はい。既に私達は国の名において成人しておりますので」


 既に私達は二十代半ばだった。


「ところでアマーリエは?」


 そう言うと、両親らしき人達の顔が曇った。


「実はしばらく病気でね。ずっと部屋で療養中なの」


 母はそう言って、二階をちらりと見た。


「貴女方は客間にお部屋を用意したわ」


 荷物を運び込み、お茶、そして食事。

 私は初めて両親と食事をしたのだった。


「ところでリヒャルト君、一体この娘の何処が気に入ったのかね。君は有望な地質学者と聞くが」

「あ、はい。話していて尽きないので」

「話していて尽きない」

「あ、はい。僕はどうしても専門馬鹿ですので、好きなことになると、止めど無く話す癖があるのですが、彼女との話はお互いそれですので、それぞれ言いたいことを言い合ってそれで面白いところを同じテンポで受け取ることができるものですから」


 彼はそうノンブレスで言った。

 そう、私達の会話は、まず大概の人が入り込めない。

 無論他の人々とはそれなりにできるが、二人で話し出したら話題があっちへ行きこっちへ行き、その枝葉まで行ってしまったらまた戻り、と第三者が入れない様になってしまうらしい。


「そんなことができるのは彼女だけでしたので」

「そ、そうかね」


 何となく歯切れが悪い。

 母もまた、やや困った様に父を見た。



「つ、疲れた」

「大丈夫かい?」


 彼は私の事情を知っている。

 私が彼同様「私の両親」と初対面であるということを。

 他人の彼と違い、一応肉親であるということで私が気を遣ってしまうことを理解してくれる。

 全体的に雑なのだけど、そういうところが優しい。


「まあ、早く寝てしまおう。そして明日とっとと僕等の街に戻ろう」

「ええ」


 そう言って内側から鍵をかけて眠ったはず、だった。


***


 私達は扉を開けて周囲を見渡した。

 既に誰も居ない。

 ただ、部屋から漏れる灯りで、絨毯に裸足の足跡が残っているのが判る。

 私達はランプを持ち出して、絨毯の足跡を追った。

 するとそれは一つの部屋に入って行く。


「鍵がかかっているわ」

「どういうことだろう」


 これは両親を起こして聞いてみた方がいいか、と思った時だった。


「あなた達! 何をしているのそこで!」

「お母様」


 悲鳴の様な声が廊下の向こう側から聞こえた。


「リヒャルトが誰かに襲われそうになったんです。その誰かの足跡が絨毯に残っていますから追いかけたらここに着いたんです! 鍵はありませんか!」

「駄目よ、そこを開けては」

「どうしてですか!」


 たたた、と母は駆け出してくる。

 その後を父もやってくる。

 眠っていなかったのか。

 リヒャルトはポケットからドライバーを取り出した。

 そして鍵穴にぐい、と突っ込む。

 かち、と中の鍵が開く音がした。


「慣れてるわねえ」

「よく研究室を閉めて帰ってしまう奴が居たからね」

「駄目よ、開けちゃ駄目」


 悠長な私達の声と対照的に、母の声はどんどんヒステリックになっていった。

 ぱたん、と音を立てて、扉を開ける。

 すると、中からは奇妙にもわっとした臭いが漂ってきた。

 私はランプを掲げる。

 すると、ベッドの上では、裸の女が何やらシーツの上に股を擦り付けている様に――私には見えた。

 やけに白い肌。


「あ! この女だ!」


 リヒャルトは私に小さく叫んだ。


「あの金髪だ」

「嗚呼!」


 その場で母が膝をついた。

 その声に気付いたのか、女は私の方を向いてにたあ、と笑った。

 その顔。


「……アマーリエ?」


 母は慌てて私の前に出ると、扉を閉めた。

 そして鍵束から一つ選ぶと、再び鍵をかけた。


「鍵を――お母様、全部持っているんですか」


 私は問いかけた。


「もしかして、私達の部屋を開けておいたのも」

「……もういい、下で本当のことを話そう」


 父は母の肩を抱き、皆夜着にガウンを羽織って応接へと下りていった。

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