第7話 彼女の名はナオミ

 店の中は騒然となった。


「おい、どっちが勝つと思う?」


「大男に決まってるだろ。ほら、三日前も……」


「そういや、相手は半殺しにされてたな」


「あの若造、あっという間に殺されるぞ……」


 客の一人が声を上げる。


「よっしゃ、大男に三〇コドラント!」


「オレは大男に一デナリオだ!」


 周囲で「おお~っ」と歓声が上がる。


「オレは若造に一コドラント」


 貧相な身なりのおっさんが小声で言った。


「なんだよ、一コドラントって。しみったれた野郎だな」


「すまん、今日は持ち合わせが無いんだ」


「おっさんは毎日、無いだろう?」


 周囲で笑い声。当のおっさんも笑っている。


 おいおい、いきなり店内で賭けが始まったぞ。


 誰もこの喧嘩を止めようとしない。警察も呼ばない。


 なんかすごい世界に転生してしまったようだ。


 オレは大男に続いて外に出た。まだ西の空にはかすかに明るさが残っている。オレの後からは、店内の客がぞろぞろと十数人続く。


「おおい、決闘だぁ、決闘だぁ!」


 客の中の誰かが大声を上げた。その声に通りがかりの者や他の店からの野次馬が若干名集まってくる。


 大男は腰のブロードソードを抜いた。


「オレの得意技は体術なんだが、てめえなんかと直接身体を触れ合うことはないっ。さあ、若造、剣で勝負だ。どこからでもかかってきやがれっ!」


 しかし、これは……飛んで火に入る夏の虫だ。


 大天使の言葉を信じるならば、オレは剣術Cレベルだからだ。


 オレも腰のブロードソードを抜いて構えた。


 間合いをとる。


 自然と自分の身体が動く。


 相手の動きがわかる。


 次に相手がどこに剣を出してくるか、予測出来る。


 大男の剣はオレにかすりもしない。


 すごい、これが力の差というものなのだろうな。

 

「楽勝だ」


 思わず声が出た。オレにはこの大男の動きがまるでスローモーションのように見える。


 対してヤツは、オレの動きが読めないらしい。まあ、酒に酔っているせいもあるのだろうが。


 オレは余裕で、ヤツの剣をはじき飛ばすと、ヤツの鼻先に剣先を突きつけて一言言った。


「うせろっ!」


 ところが、この時の男の反応がオレには意外だった。


「くっ、野郎! こっ、殺せっ!」


と、叫んだのだ。


 「殺せ」とは、また極端な。


 確かに気に入らないヤツだが、殺すようなことではないだろう。


 オレはできるだけドスを効かせた声で言った。


「殺しはしない。失せろ」


 見物人が驚きの声を上げる。


 大男が再びわめいた。


「それではオレの面目丸つぶれだっ! 早く殺せっ!」


 オレにとどめを刺す気が無いことを見ると、大男はいきなり口から血を吐いてぶっ倒れた。


 なっ、何だ?


 見物人の誰かが叫んだ。


「おい、大男が自分で舌を噛み切ったぞ!」


「そりゃ、仕方ないわな~」


 などと言いあっている。


 「仕方ない」だと? 今、人が一人、死んだんだぞ。というか、オレ、殺人犯にならないよな? これは自殺だからな。


 とりあえず店内に戻ると、客のみんながオレをはやしたてた。死んだ男のことを気にする者は誰もいない。


「おう、若いの、こっち来いや。一杯おごるぜ!」


「いや、そんなしみったれ野郎のとこなんざ行かなくていいぜ。それよりこっち来い!」


「そうだろ。最初からわしはあの若いのが勝つと思って……」


「嘘つけ! 大男の勝ちに決めってるって言ってたじゃねえか!」


 あまりのやかましさに、さっきのウェイトレスがビールの大ジョッキを左右の手に一つずつ持ちながら、怒気を含んだ口調で叫んだ。 


「ちょっとぉ、お客さんたち! 私が助けてもらったんだからねっ。この人には私がおごるんだ!」


 その子はオレを元いたカウンター席に座らせ、自分はオレの隣の席の客をどかせて座った。


「お客さん、強いんだねぇ。あ、これ、お礼ね。つまみも好きなだけ頼んでぇ」


 彼女は少し、はすっぱな感じもしたけれど、いきなり見知らぬ女の子にめられて、オレはちょっと舞い上がった。


「さっきの剣さばきは見事だったわ。あんなに強い人なんか、滅多に見ないよ」


 おっ、あの大天使の言ったことは本当だったようだ。


 その子はオレの眼をじっと見つめながら、改めて丁寧な口調でお礼を言った。


「助けていただき、ありがとうございました」


 あっ、ちゃんといたもの言いもできるんだ。


 さっきの大男に対する口調とは打って変わって、素直な口ぶりだった。


「私の名前はナオミ。ナオミ・メッシング。よろしくね」


「オレはタカハシ・リン」


 オレの名前を聞いたナオミは一瞬、「えっ?」となった。


「あっ、ゴメンね。タカハシて苗字だよね? 東方イースタン式に苗字が先の人って、ここじゃあ滅多に見かけないんだ」


 あ、この世界でもって呼び方、あるんだ。


「よろしく、リン」


と、ナオミが右手を差し出してきたので、オレも右手でナオミの右手を握った。


 ナオミの掌は意外と小さくてふっくらと暖かく、まるでベビー・ハンド──赤ちゃんの掌──のようだった。


 この子はそれこそ見た目オレと同じくらいの年齢としで、大学のクラスメイトにいてもおかしくないような雰囲気だった。


 しかも、ちょっ、ちょっと、いきなりオレのパーソナルスペースにずんずん侵入してくる感じがするんだけど。


 オレはとにかく何か話をしなくちゃと思って、


「きっ、君、歳はいくつなの?」


と訊く。


「え~っ、女の子にいきなりそれ訊く? ハラスメントよっ!」


と、ナオミは口にしたが、すぐに、


「一九よ」


と答えた。


「なんだ、オレの一つ下じゃん」


 オレはそこで初めてまじまじと椅子に座って脚を組んでいるナオミを見た。


 ほとんどノーメイク(この世界の女の子はそれが普通なのか、それともメイクをする余裕が無いのか)。


 髪はとび色のショート・カット。


 瞳もとび色。


 キャミソールから伸びた腕と、ショートパンツから伸びた脚はどちらも細い。


 胸板は薄い、というか胸は小さいな。


 背もそんなに高くなさそうだし、体格は華奢きゃしゃな方だと言ってもよい。


 そうしたらナオミは、オレのまるでおっさんがJKを舐めるように見る視線に気がついたのか、


「ちょっとぉ、何まじまじと見てるのよぉ」


と、口を尖らせた。


「い、いや、別に……」


「うそっ。私のこと、今、視姦しかんしてたよね?」


 露骨に指摘されて、オレは少し慌てた。


「し、視姦しかんだなんて……そ、そんなっ」


「まあ、いいわ。男なんてみんなそんなものなんだから」


と、ナオミは「大人の女」のような口調を気取ってそんな台詞を吐いた。


 オレたちは一時間ほど飲み食いしながら喋っていたが、ナオミはやおら立ち上がってマスターに何か耳打ちすると、今度はオレの耳元でささやくような声で言った。


「今夜は私の部屋に泊まりなよっ、ねっ!」


「えっ、それってどういうこと?」


「そういうことよ、ねっ?!」


 いいでしょ、と言う代わりにナオミはオレの掌をぎゅっと握りしめた。


 さすがにオレはちょっと、ドキッとした。


  ◇   ◇   ◇


 第七話まで読んでいただきありがとうございました。


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