結奈とママの、そしてパパの日記

広之新

結奈とママとパパの日記

「パパ。ママがね、晴れにしてくれたよ!」


 娘の結奈が私に言った。確かに今朝は雲一つない快晴だった。彼女は朝食を用意したテーブルに大きく厚い日記帳を持ってきていた。その開けたページには昨日の結奈の日記が書かれてあった。


『あしたは遠足でそうごう公園に行くの。たのしみだけど天気がどうかな。どうか晴れにして。』


 そしてその横には大人の字でこう書かれていた。


『それはたのしみね。かえってきたらママに教えてね。あしたは結奈のために晴れにしてあげる。』


 結奈は毎日、日記を書いていた。そしてその後には必ず。言葉が添えられていた。ママからの・・・。私はうなずきながら結奈に言った。


「よかったね。それじゃあ、また日記に遠足のことを書くんだよ。ママが喜ぶよ。」

「うん! 行ってきます!」


 結奈は飛び出すように元気に出かけて行った。そんな結奈を見て私はうれしかった。1年前は暗い顔をして淋しそうだったのに・・・。私は仏壇の妻の理恵の写真を見た。


「結奈は元気だよ。あの日記のおかげで・・・。君の代わりだけど・・・。」



 理恵は1年前、交通事故で急にこの世を去った。私と小学2年生の結奈を残して。当然、深い悲しみに襲われたが、その後は大きな不安が残った。


(私に結奈が育てられるのだろうか・・・)


 仕事にかまけてろくに家庭を顧みなかった私は、なにもわからず当惑した。家事のことはもちろんだが、結奈のことをほとんど知らなかった。何が好きで、何が嫌いで、どんなことをしているか・・・。

 ママが死んでから結奈は悲しみから抜け出せず、自分の殻に閉じこもり、暗い顔をしてほとんどしゃべらなかった。私もどう言葉をかけたらいいか、わからなかった。家の中は話し声もなく静まり返り、陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 それがある日、荷物が届いた。開けてみると大きくて厚い立派な日記帳が入っていた。私はそれを見て思い出した。確か、理恵が結奈のために注文したものだった。日記を書く習慣をつけさせるために。そのことは私と相談もしていた。

 夕食を済ませた後に、私は結奈にその日記を見せた。


「じゃあじゃあーん! 立派な日記帳だろう。これで毎日、日記をつけたらどうだい?」


 私は笑顔を作って結奈に日記を差し出した。しかし結奈は、


「いらない・・・。」


 と言って自分の部屋に閉じこもってしまった。私は追いかけて、外から声をかけた。


「これはママの日記帳だよ。ママが結奈のために注文してくれたんだよ。」


 だが返事はなかった。私はあきらめて日記帳をドアの横に置いて、リビングに戻った。


 しばらくして私は気になって結奈の様子を見に行った。すると日記帳はもうなかった。そっとドアを開けると結奈は机に突っ伏して寝ていた。私は結奈をベッドまで運び、布団をかけた。そしてふと机の上を見た。するとあの日記帳がそこにあり、1ページ目が開かれていた。


『ママ。どうして死んでしまったの。かなしいよう。』


その文字は涙でにじんでいた。


(理恵。どうしたらいいんだ・・・。私には結奈に何もしてやれないのか・・・)


私は悲しくなってため息をついた。こんな時、理恵なら・・・

 その時、私は思わず、ペンを握り締めていた。そして結奈の書いた文の後に、文字を書いていた。


『結奈。ごめんね。でもママはいつも結奈のそばにいる。ずっと結奈のことを見ているのよ。』


 その文字はまるで理恵が書いたかのようだった。理恵が乗り移って・・・いや、私が理恵の代わりのこれを書いているのだ。結奈のために・・・。



 次の朝、結奈は大きな声を上げてリビングに来た。もちろん、あの日記帳をもって。


「パパ! 見て! ママが書いてくれたのよ!」


 私は驚くふりをして結奈に言った。


「本当だ! これはすごい! 天国のママが結奈に返事をくれたんだ!」

「ええ、もうこれで寂しくない。いつでもママと話せるのだから!」 

「それじゃあ、毎日、ママに今日の出来事を書いてあげるんだ。ママは喜ぶぞ。」

「そうする! 毎日書く!」


 結奈は喜んで久しぶりの笑顔を見せた。私はそんな結奈の姿にホッとしていた。



 それから毎日、結奈は日記を書いた。毎日の出来ごとをママに伝えようとして・・・。そしてその後に私が・・・。結奈が寝静まるのを待って、こっそりママのふりをして書いていた。


『今日はきょうしつのおそうじをがんばって、先生にほめられたよ。』

『えらかったね。結奈はがんばる子だから、ママもほめてあげるね・・・』



『今日は結奈のたんじょうびだったよ。ともだちをたくさんよんでパーティーをしたんだ。プレゼントをいっぱいもらったよ。』

『おたんじょうびおめでとう。結奈。あなたはもう9歳ね。もうそんなにお姉さんになって、ママはうれしいわ・・・』



『今日はパパとゆうえんちに行ったよ。ジェットコースターがおもしろかった。』

『たのしかったね。ママものったことがあるのよ・・・』



『テストで100点とったよ。』

『ママはうれしいわ。べんきょうをきちんとしているのね・・・』



『クリスマスにはパンダのぬいぐるみが欲しい。パパはきづいてくれるかな。』

『パパはわかっているわ。楽しみにしてましょう・・・』



『今日、友だちのえりちゃんとケンカしたの。パパにはないしょよ。』

「友だちならなかなおりしたら。きっとえりちゃんもそうおもっているのよ・・・」



 私は日記を通して結奈のことを知ることができた。それで日頃の会話も戸惑いなくできるようになった。たまに日記に書いてある秘密のことを話してしまうこともあるが・・・。



 あれから1年、長いようで早かった。結奈は以前の明るさを取り戻した。私も結奈のことを知り、家事も慣れてきた。このまま親子2人、明るく仲良く暮らせそうだと自信が出てきていた。

 その矢先のことだった。私が急な心臓病で倒れたのだ。私は薄れいく意識の中でもがいていた。


(死ねない・・・このまま死ねない…結奈を残して・・・)


 その最中に私の手をそっと握る人があった。私が顔を向けると、それは妻の理恵だった。


「り、・・・理恵・・・」


 私がつぶやくと理恵は笑顔で何やらささやいていた。はっきりとその唇を読み取れないが、「がんばって。」と言っているようであった。私は「うんうん。」と何度もうなずいた。そして・・・


 気が付くと私は病院のベッドに寝かされていた。後で聞いたところ、2日間意識がなく眠り続けていたようだった。救急車で運ばれ、処置が早かったためか、私はなんとか助かったのだ。

 しばらくして私の母に連れられて結奈が病室に入ってきた。結奈は私の顔を見て、すぐにベッドのそばまで駆け寄って来た。


「パパ。大丈夫?」

「ああ、もう大丈夫だ。」


 私はできるだけ笑顔になってそう言った。かなり体がだるく苦しくもあったが、結奈の顔を見て少し元気が出て来た。


「結奈は元気でしていたかい?」

「私ならおばあちゃんの家にいるから心配しないで。」

「いい子にしているんだよ。」


 私は右手でそっと結奈の頭を撫でた。ふと見ると結奈があの日記帳を抱えているのに気付いた。


「日記帳を持ってきたの?」

「うん。パパに見てもらおうと思って。」


 結奈は日記帳を開いた。すると・・・


『ママ。パパがびょうきになったよ。目をあけてくれないよ。ママ、助けて。』


 結奈の日記が書かれていた。結奈にはかなり心配をかけた。私もまだ自分の体のことが不安だった。結奈を残して死ねるわけがない・・・だが・・・。

 その日記の続きを見て、私は我が目を疑った。その後ろに文字が書かれていたのだ。ママの言葉が!


『パパならだいじょうぶよ。ママが神様にお願いしたから、きっとよくなるわ。いっしょにパパをはげましてあげましょう。パパ! ファイト!』


 一体、これは・・・。 驚く私を後目に、結奈は笑顔でこう言った。


「ママが助けてくれたからもう大丈夫ね。早くよくなって家に帰って来て。」

「そうだね。ママがね・・・。早くよくなって迎えに行くよ。」


 なぜか、私も日記のママの言葉を受け入れはじめていた。理恵が日記を通して語りかけているのか・・・私を励まそうと・・・。私は何度もその日記を眺めていた。

 しばらくして私の母が言った。


「さあ、パパが疲れるといけないからもう行きましょう。」


 結奈は「うん」とうなずいた。


「パパ。またね。また日記を見せに来るね。」


 結奈は私の母に連れられて病室を出て行こうとした。そしてその帰り際に私にこう言った。


「私ならもう大丈夫よ。ありがとう。パパ。」

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