【交渉】
どのくらい走っただろうか。
雨に濡れた路面に何度も足をとられそうになりながらも、男は懸命に走り続けていた。
商店街通りに辿り着いた男は、周囲を窺うと、手近な路地に飛び込む。
息を整えながら、自分の運動不足気味を今更ながら呪った。
午前五時十三分。
行き交う人の姿は全くなく、開いている店もまだない。
男は舌打ちすると、再び走り出そうと路地を飛び出した。
あと数百メートルも走れば、駅に辿り着く。
そこまで行ければ、当面は追って来ない筈だ。
そう考えた男は、痛む横腹を手で押さえながら、必死の形相で駆け出した。
そしてその様子を、麦藁帽子の少女が、静かに見つめていた。
「発見したわ。
――桐沢大(きりさわ だい)」
美神戦隊アンナセイヴァー
第四章 XENO編
第42話 【交渉】
資料を机に放り出すと、大きな欠伸。
周囲の者達の視線も物ともせず、更に溜息まで追加する。
資料の見出しは、【目白無差別連続殺人事件】。
その下には、似たような表題のまた別な資料が重なっている。
その数、五種類。
机の脇に置かれた紙コップを手に取ると、男は、既に冷え切ったコーヒーを飲み干し、少し嫌そうな顔をした。
「おはようございます、司さん」
呑気な顔で部屋に入って来た若い男に声をかけられ、一瞬目を合わせる。
返答代わりに軽く右手を挙げると、けだるそうに立ち上がった。
「また例のアレですか」
「御名答。
目白署の連中も災難だな」
「また管轄外の資料パクって来たんですか?
よく手に入れましたね」
そう言いながら、若い男は、机の上にある資料に手を伸ばす。
「ふえ……大型の猫科動物と思われる者による、殺傷事件の疑いがあり……へぇ。
あの辺り、動物園なんかありましたっけ?」
「あるわきゃあない」
「ですよねー。
んで、目白署の連中は、どういう見解なんですかね?」
「中には、猛獣をペットにしている奴が無差別殺人してるんじゃないかって言い出す奴もいるらしい」
「その発想はなかったですね」
「なかったな」
二人は苦笑し、共だって部屋を出た。
男の名は、司十蔵(つかさ じゅうぞう)。
新宿警察署・刑事課強行犯捜査係に所属する刑事で、階級は警部(係長)。
非常にマイペースかつ独特な調査活動で、良くも悪くも署内の有名人だ。
彼に話しかけたのは、同じく刑事課強行犯捜査係に所属する高原雅史(たかはら まさし)刑事で、階級は巡査長。
長きに渡り、司と行動を共にしているが、周囲からは「司の悪影響を最も受けている人物」と囁かれている。
現在、警察組織内では、「都内各所で発生している猟奇殺人事件」について、最も焦点を当てている。
ある時期から、突然発生し始めた不可解かつ陰惨な殺人事件。
被害者は、全身を激しく損壊した状態で発見され、特に街中での発生率が高い。
しかも、すぐ傍を大勢の人が行き来しているような環境下で行われた凶行も多く、被害者の共通点もないことからその動機・犯人像が全く浮かばず、それどころか犯行手段すら不明という有様だ。
もっとも司自身は、犯人と思しき存在と既に遭遇しているのだが。
「ところで、捜査本部がやっと置かれるみたいですね」
廊下を歩きながら、高原が呟く。
その言葉に、司は今日何度目かの溜息を吐いた。
「おっそ」
「ですよねえ。だって、あの事件もう何件起きたんだって話ですよ?」
「この前の会議でようやく本腰を上げたんだろうが、それでも今回は特に遅かったな。
今のご時世、都内で縄張り争いもあるまいに」
「どうなんですかねえ、そこんとこ」
警察には「管轄」という概念があり、事件が起きた場合は、その場所を管轄する警察署が主な対応をする。
しかし、今回の「異常連続猟奇殺人事件」に関しては、場所が一定せず、また発生後に間を置いてから発見されたケースも多々あるため、もはや管轄がどうのという話ではなくなる。
そういった場合、「捜査本部」という臨時組織が設置される。
事件の内容・重大性によって捜査本部の名称は変わるが、こういった話が出ている以上、その設置は新宿署内になることだろう。
「こりゃあ、そこら中の署の猛者共が、わんさか集まってくるぞ。
高原、覚悟しとけよ」
「ひぃ、な、なんか怖いなあ」
司は、窓から少々ぐずついた空を見上げ、天気予報を確認しようとスマホを取り出す。
その途端、あの夜の光景が、脳裏に蘇った。
『怪我は、ありませんか?』
『あ、ああ……大丈夫だ』
『そうですか、それは良かった!』
『待て! 君は、何者なんだ?!
あの化け物は、いったい……』
『それでは、失礼いたします』
先日のことだ。
馴染みの店に向かう途中、JR高円寺駅の阿佐ヶ谷方面の高架下で、司は“三メートルほどの巨体のトカゲ人間”に出会った。
女性に襲い掛かるところをたまたま助けられた司だったが、次には自身が狙われた。
銃も効かず、あわやという時、突然出現した“ピンク色のコスチュームの少女”により、救われる。
武器を使わず、体術だけで怪物をあっさり撃退したその少女は、なんと空を飛んで姿を消した。
いまだに怪物に掴まれた腕が痛むが、それがなければ、あの時の出来事はまるで夢のようですらある。
(バケモノをあっさり退治する、空飛ぶスーパー少女か。
いったい何処の時代遅れアニメだ)
本来であれば、自身が怪物に襲われたことを報告しなければならないところだが、思う事があり、まだ行っていない。
それよりも、司はあの謎の少女の方に関心を向けていた。
自分を心配してくれた、あの優しい笑顔と声が、脳裏に焼きついて離れない。
(あの娘は、明らかに、バケモノの対策を知った上で闘っていた。
とすると、あの娘を探し出して事情を聞いた方が、ここで悩んでいるよりも遥かに早いし、確実性が高いな)
「司さん、どうしたんですか?」
いつしかぼぅっとしていた様で、高原の声で我に返る。
「おお、すまん。
ちょっと考え事をな」
「やっぱり、こっちに回ってくる人達の事考えてたんですか?」
「いや、今期の新作アニメについて」
「は?」
「お前、“押しかけメイドが男の娘だった件”の一期見てたか?
来月から始まる二期がな――」
「司さんって、探られたくない考え事してると、適当な事言って煙に巻こうとしますよね」
「……成長したな、高原」
「ええ、もう付き合い長いですしね」
ジト目で高原を一瞬睨むと、また歩き出す。
署の玄関ホールに辿り着く寸前、何やら周囲が騒がしいことに気付いた。
「なんでしょう?」
「誰か騒いでいるな。何事だ?」
駆けつけてみると、受付のところで、一人の男が数人の警官に取り押さえられている。
男は何かをしきりに叫んでいるが、良く聞き取れない。
怯えた目で男を見る受付嬢と、周囲の客。
だが見た所、特に何か危険物を持ち込んで暴れているというわけではないらしい。
「何があった?」
司は、手近の警官の一人に尋ねた。
「はい、変な男が、“俺を保護しろ!”と叫びながら飛び込んできまして」
「保護?」
「ええ、物凄い剣幕で受付の子に食ってかかってたもんで」
「やれやれ、面倒な話だな」
司は、高原に指示して男を解放させると、床に伏せた男を立ち上がらせた。
「くそ、警察はいちいち手荒な真似を!」
かなり荒ぶっているようで、男はキッと睨みつけてくる。
着ている服の印象に反し、思ったよりも若い男だった事に、司は少しだけ驚いた。
「すまないな、今色々とピリピリしている状況なんでな。
で、保護を求めているそうだが、君は?」
司に質問に、怒り眼の若い男は、更に眉を吊り上げた。
「それより、こんな開けた所に居ては、俺の身が危ない!
どこか人の来ない場所はないのか!」
「コイツ、随分と偉そうですね」
冷ややかな目で見下ろす高原を更に睨むと、若い男は、噛み付くような勢いで更にまくし立てる。
「俺は、お前ら警察にとって重要な情報を持っている!
それと引き換えに、俺の身柄の安全を約束しろ!」
「まだ春じゃないのに、おかしなヤツが飛び込んできましたね~」
更に呆れる高原にあえて何も返さず、司は男に向き直った。
「まあ、話は聞こう。
ここじゃ迷惑だからな、こっちへ」
そう言うと、司は男の腕を掴んだまま、今来た道を戻り始めた。
「い、イタタ! おい、もっと丁寧に扱え! 折れたらどうする!!」
「こんな程度で折れるなんて、どんだけひ弱な身体してんだよ」
「高原、取調室を使う。報告頼む」
「え? あ、はい」
「と、取調室?!」
「今、君の望みを適えられる場所と言ったら、それくらいしかない。
まあ、刑事ドラマみたいな事にはならんから、安心しろ」
「……」
複雑な表情で押し黙る男を連れ、司は、署内へ移動した。
取調室。
そこは思ったよりも広く、また壁の色も明るく、男が想像していたよりは窮屈で居辛そうな場所ではなかった。
しかし、ドアと窓に張られた鉄格子と、机の上のライトスタンドが、それっぽさを強調している。
男は思わず息を呑んだが、司は好きな方の椅子に座るように指示し、真正面には座らず、壁際の席に置かれた椅子に座った。
「ここなら出入り口は一つだし、安心だろ」
「言っておくが、俺は悪い事は何もしていないぞ?」
「ひとまず、君は何者で、何が目的なのかを教えてくれ」
言葉は優しいが、独特の静かな圧力が場を支配する。
男は、ゴクリと唾を飲み込むと、両手を机の上に投げ出した。
「そんなことはどうでもいい!
早く、俺を保護してくれ」
「君の目的は、本当に“保護”なのか。
誰かに追われているのか?」
司の質問に、待ってましたとばかりに男が食いつく。
「そうだ! 俺は追われている!
――なんだ、その目は! ウソや妄想じゃない、事実だ!」
司の顔色を窺った男は、そういうと、ずい、と身を乗り出す。
「そして俺は、ある有益な情報を持っている」
「さっきも言ってたな、それは?」
「お前達警察がまだ全く気付けていないレベルの重要なものばかりだ。
俺の保護が代償でそれが得られるなんて、お前達にとっては安過ぎるものだぞ?」
何を言いたいのか全くわからないが、男は、何故かとても強気に出る。
そんな傲慢な態度にいささか反感を覚えはしたものの、司は、それが虚勢であることも見抜いていた。
「よし、わかった」
「おっ、理解したか」
「その前に、まずここをはっきりさせたい」
「なんだ?」
「君は、ここに保護を求めに来たのか?
それとも、交渉に来たのか?
君にとってウェイトが大きいのは、どっちなんだ?」
「そ、それは……」
先程までの明朗な口調は何処へやら、男は、急に言いよどむような態度に切り替わる。
だがその態度は、司にとっては「答え」そのものに等しかった。
(なるほど、まずは保身が最優先か。
交渉材料とやらは、後付けってことだな)
男の思慮の深さを見抜いたと考えた司は、それなら保護の話を固めれば、真意を聞き出すのは容易だろうと判断する事にした。
「わかった、君の保護については、対応しよう」
「ありがたい!」
「だがしかし、今のままでは君の滞在先は、ここの“留置場”になってしまうのだが」
「留置場?!」
留置場というのは、警察署内に設置されている、所謂“牢屋”だ。
本来であれば、刑事事件の被疑者等を一時的に身柄拘束するために使われる所であり、この場合用いるのは適切ではない。
だが司は、そんな事は重々承知の上で、更に話を続ける。
「まぁ待て。君の身の安全は保障するにしても、“保障に足るだけの理由”を、君は提示していない。
君をそれなりの設備のホテルにかくまうためには、上の連中を納得させる必要がある」
「そ、それはつまり、どういうことだ?!」
「ここからは、君の交渉技量がものを言うってことさ。
わかるだろう?」
「くっ!」
「君の持っている情報とやらが、本当に我々にとって有益なら、当然君の待遇は変わる。
しかし、それを下手に隠し持ち続ければ、君は一晩留置場でお泊りした後、ここを出て行かざるを得なくなる。
無論、それ以降の保護はしてやれん」
「ぬ、ぐ……」
冷静沈着に、かつ論理的に説明され、ぐうの音も出なくなった男は、観念したようにぼそぼそと話し始めた。
「――俺の名前は、桐沢大。
とある研究施設で働いていたことがある者だ」
「ほぉ、ちなみに何処で?」
「“吉祥寺研究所(きちじょうじけんきゅうじょ)”という名前を知っているか?」
「それは知らない。 吉祥寺にあるのか?」
「いや、この場合の吉祥寺は、人の名前だ。
吉祥寺龍利(きちじょうじ たつとし)という者が作った施設だ。
一部では有名な生物学博士だが、知らんか」
「不勉強ですまんが、初耳だな」
「そうか……」
司の反応に、露骨にかっかりする。
だが司は、何となく、この桐沢という男に興味が芽生えて来た。
「では話を変えよう。
最近、そこら中で起きている無差別殺人事件があるだろう」
「それがどうした?」
顔には出さないが、司は桐沢のの言葉に一瞬ギクリとした。
先程まで考えていた事でもあり、まるで心の中を見透かされたような気分になった。
「もし、俺があの事件の概要を知っていると言ったら、どうする?」
「本当にそうだったら、君を重要参考人として、この部屋を本来の使い方にするまでだな」
「フッ、そうか。
だが、お前達警察がそれなりの対応をするのであれば、情報提供することはやぶさかではない」
自分がどういう立場でここに居るのか、ここに連れてこられたのか、桐沢はいまひとつ自覚がないらしい。
「いや待て。
君は、俺の言葉の意味が判ってるのか?」
「情報提供者に対する――」
「君を、連続殺人事件の犯人か、その関係者と見定めて、ここでそれなりの追求をするという意味だが?」
「な、ちょ、ちょっと待て! 何故そうなるんだ?!」
「面白い男だなぁ、君は」
ようやく意味を理解してか、急に慌て出した桐沢を眺め、司は椅子から立ち上がった。
「それよりも、連続殺人事件とは、いったい何のことだ?」
「今更何を隠す必要がある?
都内各所で、あれだけ発生している事件を見れば、一般人でも騒ぎ始めて当然だろう」
「ああ、つまり噂や都市伝説に振り回されていると――」
そこまで言った時、桐沢は、自分の持っているスマホを取り出し、ある写真を見せた。
そこには、先日司を襲った巨大なトカゲ人間が、三体ほど路上で這い蹲っている写真が表示されていた。
三体とも視線をこちらに向けており、いずれも人間の関節構造では不可能なポーズで四肢を地に着けている。
口からは長い舌のようなものが伸び、更に下半身からは鞭のようにしなる“尾”が伸びている。
周辺の建造物などとの対比から、かなりの大きさなのが理解出来た。
「先日、俺が祐天寺近くの通りで撮影したものだ」
「これが? 何かの合成か?」
あえてとぼけて、反応を見る。
桐沢は、呆れたような、蔑むような視線を向けて来た。
「しらばっくれるな。
お前達も、“XENO”の存在には薄々感付いている筈だ。
だからこそ、わざとらしく緘口令を敷いているのだろう?」
「ゼ、ノ……?」
「このバケモノの名前さ。実際は総称だがな」
腕を組み、背もたれにぐっと身体を倒し、威張るような仕草をする。
「こいつらの写真は、これだけじゃない。
SNSやブログでも、素人が撮影した写真がたくさん上がっている。
もしこれでまだ、お前達警察が気付けていないというなら、それはどれだけ呑気者なんだという話だ」
「――わかった、話を聞かせてくれ」
額の冷や汗を拭い、司は桐沢と向かい合わせの席に座り直す。
桐沢の目が、ギラリと輝いた。
「俺は今朝、このXENOに襲われて、なんとか新宿まで逃げて来た。
奴らは、俺の命を狙ってる。
俺を殺して、XENOの秘密を知る者を全員抹殺するつもりなんだ」
「それで、そいつらから君を守ってくれという話か。
その“そいつら”とは、いったい何者なんだ?」
司は、無意識に身を乗り出す。
桐沢の額にも、いつしか冷や汗が浮かび出していた。
「XENOを使役している“奴ら”だ。
詳しくは知らんが、奴らは都内にXENOを撒き散らし、人的被害を拡げている。
何かの目的を果たすためにな。
その為に、俺や、元・吉祥寺研究所の関係者を、次々に暗殺しているんだ!」
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