【食神】

勝負のゴングは鳴った。

 ここからはそれぞれの持てる力をただ信じ、ひたすらに突き進むのみだ。

 甘えは一切許されない。


 負けた時は、肉奴隷という生き地獄が待っている。


 ありさが、無明無心の心意気でラーメンをすすり上げる。


 ずべずべずべずべずべべ―――――っ


 “ふっふっふっ、大食い勝負は、スタートが肝心!

 満腹感を感じるよりも先に、一気にまくしたてて量を稼ぐ!

 これが鉄則よっ!!”


 ありさの心の中で、大食いのノウハウが何度も繰り返される。

 昨日ネットで見つけた「TVキング大食い王決定戦新春スペシャル」では、この鉄則を守れなかった者から挫折していったのだ。

 ありさの中では、これは確固たる『自信』の根元となっていた。


 ここのルールでは、スープまで全部腹におさめなくてはならない。

 ただでさえスープを飲むのに時間がかか.るため、麺や具などで戸惑っている暇はないのである。


 まずは、全員二杯までこのピッチで…というのが、ありさ達の作戦だ。

 さっさと麺を食べ尽くし、ぐびーとスープをすする横目で、ありさは他の二人の様子を見た。



「わあっ♪ この餃子とってもおいしいですよ☆

 カリッとしていて、中にはスープがこんなに!」


「す、すごいわ、おいしいじゃない、このシュウマイ。

 ちょっと感動かも。愛美、少し食べてみる?」


「あはっ、ありがとうございます♪

 じゃあ私からも、餃子をお裾分け~」



 心の友達は、後回しのはずの小品から手をつけ舌鼓を打ち、あまつさえシェアし合っていた。


「だ―――――っ!

 何やっとんじゃあお前らわ―――――っ!!」


「だって、すっごくおいしいんですもの」


 シュウマイを半分かじりかけていた手を止め、愛美が返答する。

 未来は、愛美からもらった餃子の熱さに驚いてしまい、当分返事が出来そうにない。


「事の重大さがわかってるのかぁっ!!

 そんなノホホンかましていて、勝機が見えるかぁっ!!」


「わ、わかりました~」


 ぷぅっと顔を膨らませ、愛美は自分の担当のものに取りかかる。

 ようやく口の中で高温を放っていた餃子が通り過ぎたので、未来は、焼けた舌を冷やそうと、水差しに手を伸ばした。


「ミキ―――――っ!!」


 水差しに伸ばした手の平に、ありさの放ったシナチクがはりつく。


「あちっ! な、何するのよ?!」


 その熱さに思わず手を引っ込めると、脇では、ありさが凄まじい形相で睨み付けていた。


「水なんか今のうちから飲むんじゃないっ!!

 後で腹の中で大変な事になるっ!」


「で、でも舌が。

 これじゃ、食べても味がわからないかも」


「んなもん、わからなくてもいいっ!!」


「ええっ?!」


「んな事気にしている暇があったら、とっととその腹につっこむ事だけ考えろ! 以上!!」


 研究に研究を重ねたありさは、独自の“大食い”哲学を振りまわす。


 必死だった。

 ありさは、正直いつものXENO退治よりも真剣だった。


 もはやありさの目が「殺っちまうぞおんどりゃ」状態になっている事を察し、未来も愛美も、それ以上抗議する事を諦めた。

 

 その時、


「おーい、特製生ノリラーメン追加だ、ぜえいっ!」


「俺は、赤味噌ラーメン頼むぜ」


「拙者は、ニンニクラーメンを所望する!」


 剛毛筋肉三兄弟が、同時にラーメンのお代わりを指定した。


「な、なにいっ?!

 まだ五分も経ってないのにぃっ?!」


 驚愕するありさは、奴等のテーブルを見てさらに驚愕した。

 なんと、全員ギョーザとシュウマイ、さらには特製ピータンまで注文し、平らげている。

 ピータンに至っては、すでにそれぞれ皿三枚が重ねられている状況だ。


 三兄弟、それぞれ10ポイント獲得、合計30ポイント。

 対して、ありさチームはやっと合計2ポイント

 暗雲は、すでに彼女達の頭上に立ち込めはじめていた。


「な、な、な、な」


「おいぺっちゃん、仲間にレクチャーしている暇があったら、とっとと食べ進めた方が正解だ、ぜえぃっ!」


「ぺ、ぺっちゃんって、誰の事だぁっ!」


「ぐえへへ、安心しろ。

 ぺっちゃんは“乳ならば大小問わず愛でる”俺様が、直々に可愛がりまくってやる、ぜえいっ!」


 超強力セクハラ発言が、いつもの怒り反応を急激に消耗させ、士気を奪い去る。

 途中まで出かけていた猛烈な怒気は行き場がなくなり、ふたたびありさの身体に戻ってきた。


「う、うおおおおおおお―――――っ!!

 負けてたまっかぁっ!!」


 怒号と共に、凄まじい勢いでラーメンが消化されていく。

 滝のような轟音が鳴り響く中、ありさは、もはや二人に期待せず、せめて一矢報いてやるという不退転の心意気に達していた。


「すごいですありささん、叫びながらラーメンが食べられるなんて!」


「わ、私達もがんばりましょ。

 イヤよ、あんなのの言いなりになるなんて」


 ありさの気合いパワーに影響されたか、未来と愛美にもようやくエンジンがかかる。自分達で綿密に計算した作戦に乗っ取り、的確にノルマをこなしていく。

 猫舌の未来は、早めにラーメンを注文しておいて、少しスープが冷めてから取りかかる。

 麺がのびるが、これは我慢するしかない。


 愛美は、比較的一皿の量が少なく、かつ自分が大好きなものを連続注文してポイントを稼ぎ、最初に注文したラーメンで中継ぎするという逆転の発想で攻めていく。

 ひたすらラーメンだけで攻めるのはありさだけ。

 彼女がこのチームの大黒柱なのは、言うまでもなかった。




 30分後。

 ありさチーム、ありさ15点・未来10点・愛美12点。合計37ポイント。

 対して三兄弟、各自15点ずつ。合計45ポイント。

 

「これは勝負あったかしらねぇ」


 店長が、戦況を見つめながらぼそりと呟く。


 誰が見ても、結果ははっきりしていた。

 なんとか三杯目を全部たいらげ、中つなぎとポイント稼ぎのために、予想よりも早くオプションに逃げ始めたありさだったが、すでに脂にやられて箸が伸びない。


 未来はなんとかノルマのラーメン一杯をたいらげたものの、ゆっくり食べていたのが災いし、すでにグロッキーが入っている。

 最初に注文したシュウマイすら、まだ残っているくらいだ。


 そして愛美は、とっくに目を回していた。


「し、し、しっかりしろ~、戦いはまだ……こ、これからだぁ~」


「う、うぷっ、も、もう入らない……。

 ナニよこれ、急にお腹が膨らんで……」


「だ、だから水飲むなって言ったのに!」


 叱咤の声に、もはや生気がない。

 ありさは未来達を気にかけながらも、せめて自分のノルマをクリアすべしと、最後の気合いをかけた。

 だが、気合いで胃袋にすきまが作れれば苦労はない。

 五分ほど前に来た四杯目のラーメンの湯気が、激しく拒絶感をあおる。


 もはや、ありさの頭からは「食べる量で負けたら肉奴隷」という約束事すら、消えかけていた。


「げへへへ、そろそろギブアップみたいだ、ぜぇいっ!」


「所詮俺達の敵ではないという事よ」


「哀れなり。

 このような醜態の果てに、肉奴隷への道を歩むとは」


 好き勝手な事をほざいている三人兄弟は、それぞれ四杯目のドンブリに残ったスープを、ぐびーっと飲み干した。


「三人が一糸乱れぬペースで食べ続け、しかも緻密に計算された攻略に従い、一見粗暴な行動にはまったくの無駄がない。

 ――そう、そういう事だったのね」


 突然、店長がギラリと目を輝かせながら呟いた。


「あんた達、何年か前、あらゆる大食いチャンピオン大会に出て連続優勝しまくっていた、ウヨッカー・サヨッカー・マンナッカーの威張田三兄弟でしょう!」


「ガハハハ、やっと気がついたか!」


「な、な、なんだってぇ?!」


 驚愕するありさに向かって、三人は同時にサムズアップをしてみせる。


 言われてみれば、ありさはどこかでこの三人の姿を見た記憶があった。

 かなり前、そのテの番組でしょっちゅう出演していた“奇跡のフードファイター”。

 今頃になってその事実に気付いてしまった事を、ありさは激しく後悔した。


「つまり、お前達が研究してきた事なぞ、我々にとってはすでに常識よ」


 次男・サヨッカー威張田が、誇らしげな笑みを湛えながら、見下ろす。


「そなた達のいる場所は、既に我々が何年も前に通過した場所でござるッッッ!」


 三男・マンナッカー威張田が、嘲笑する。


「つー訳だ! 我が肉奴隷共よっ!!

 地獄の苦しみの後に究極の悦楽を知れい!!」


 すでに勝利を確信した長男・ウヨッカー威張田が、歓喜の混じった雄叫びを上げる。


 よく聞くとすごく下品な内容なのだが、それに対して嫌な顔をする元気すら起きない。


「ううっ、栄養摂取行為で、どうしてこんな苦しみを味わわなきゃいけないのよ……」


 未来が、もはや身を起こす事すら出来ぬまま、苦悶の言葉を漏らす。


「光が見える。あれは天国への扉。

 ありがとうありがとう」


「か、帰ってきなさい~、愛美ぃ~!」


 ありさはもう、ひたすら手前のラーメンを見つめるしか術がなかった。

 このままでは、“肉奴隷”!

 あんなに毛深くて、筋肉ばっか発達していて、何よりも先に性欲から産まれてきたような男共に肉奴隷られるなんて、人生最大の屈辱であった。


 ……と考えて、


 あれ、「肉奴隷」ってなんだっけ?

 チャーシューって、何の植物の肉だっけ?

 たまごって、どこに住んでるんだっけ?


 すでに大脳皮質にまでラードが回ってしまったありさには、現実と妄想、事実と夢想がハイテンションで混雑しはじめていた。


「そ、そうです!

 名案がありますっ!」


 突然、愛美が立ち上がった。


「ありささん、未来さん、私達には、まだ最後の手段が残っているではありませんか!

 希望を捨ててはいけません!!」


 愛美の強気の言葉に、店内各所から驚きの声が上がる。

 なぜかどっかと立ち上がり、テーブルの端に片足を掲げ、ガッツポーズで天を仰いでいる愛美の姿は、堂々としてはいるものの、どこか不安をかき立てる要素に満ちていた。


「さ、最後の手段?!」


「はっ、そんなもん、たかが知れてる、ぜえいっ!」


「この期に及んで、あの子何をする気?」


「あ、今パンツ見えた」


 様々な動揺の言葉に包まれながら、愛美は高々と拳を掲げ、誇らしげな表情を浮かべた。

 何がなんだかわからないが、その言葉に見える唯一の光明にすがろうと、ありさは、こわばった顔を向ける。


 だが次の瞬間、ありさの顔のこわばりはさらに激しさを増した。

 愛美の手の中に、なぜか見慣れたアイテム……サークレットが握られていた。


「チャージ・アップです!

 アンナユニットを実装しましょう!」


「あ?」


「だって、あんなにパワーアップするじゃないですか!

 それならきっと、お腹だってパワーアップして、このお料理も全部」


「んな訳ねーだろっっっ!!」


 ラードが脳に回っているのは、ありさだけではなかった。






 一方、その頃――


「うわわぁ~、すごい人だねぇ」


「た、確かにすごいですね。

 何かあったんでしょうか?」


 店の入り口の凄まじい客数に驚いた二人の少女は、背伸びをして店内を覗いてみようと試みる。

 しかし、自分達の背ではまったく何もわからない。

 久しぶりに訪れた彼女達にとって、この人ゴミはちょっとした驚異だった。


 ふと見ると、大食いチャレンジの告知看板が覗いている。

 くりくりとした瞳をぱちくりさせながら、ポニーテールの少女は、そこに記されたルール書きに見入った。


「ああ、これだよ! 誰か挑戦してるんじゃないかな?」


 すると、近くにいた青年が話しかけてきた。


「今ね、中で大食い自慢のチーム同士で対決やってんだよ!

 もう勝負は着いているみたいだけどね」


「へーっ、そうなんですか……って、チーム?!」


 少女の片割れは、その言葉に、夕べの友人とのやりとりを突然思い出した。


「ね、お姉ちゃん! まさか」


「き、昨日、愛美さんが話していたのは、これの事?!」


 少女達は、顔を向けて軽く頷くと、無理矢理人ごみの中へ潜り込んでいった。




 45分経過。

 威張田チーム 合計69ポイント。

 ありさチーム 合計39ポイント。

 勝負は、完全に決していた。


「残念だったわねー、やっぱり、その道のプロには勝てなかったという事なのかしら」


 店長が、すでに悶絶状態となったありさ達のテーブルから皿を下げつつ呟く。


「あ、あんたが勝負をたきつけたんでしょうが~」


「せ、せめて40ポイントは超えたかった……」


「ガハハハ、ではお前達、今日一日だけ人間としての自由をやろう。

 明日からは我等の肉奴隷よ!」


 あれだけ食ったのにまだ全然ゆとりの威張田兄弟が、揃って腕組みをしながら見下ろしている。


「と、ところでありささん、ニクドレーって、なんですか?」


「な、何よ愛美……。

 そんなのも知らないの?」


「は、はい……うっぷ」


「未来、せ、せ、説明してやって……」


「な、なんで私が……?」


 突然振られた未来は、しばらくの沈黙の後、蚊の鳴くような声でレクチャーを始める。


「それはね……。

 どこか訳のわからない洋館でメイド服着せられて、なんでも言う通りに奉仕させられる人間の事よ」


「そ、それでは……私は元々ニクドレーだったのですか?」


「い、いや……そうじゃないでしょ」



「いい? それじゃあ、ここで勝負を締め――」


 そう店長が言いかけた時、




「待ってーッ!」





 突然、どこかから大きな制止の声が響いた。


「むうっ、何奴ぢゃ?」


 マンナッカーが入り口の方に視線を向けると、そこには、やっと人だかりを乗り越えてきた少女二人の姿があった。

 清楚な服装に豊満な肉体を包んだ姿と、生足全開のショートジーンズを履いた肉体美は、三兄弟の邪な肉欲を一気にかき立てた。


「ぬぬっ、巨乳再び!」


「むむううっ、へ、ヘソ出しぃ! ホットパンツぅ!

 た、たまらんっ!!!」


「思わずマニアックっ!」


「突然欲望を口に出しなさんな、このエロ兄弟。

 って、あ、あんた達は!」


 驚く店長を尻目にありさ達に駆け寄った二人は、彼女達の惨状を眺めて眉をしかめ、そして男達の方を睨みつける。


 相模舞衣、相模恵。

 駆けつけたのは、蒼い魔女と緑の戦士だった。


「ま、愛美さん、ありささん、未来さんまで」


「ひどい、どうしてこんな事を?!」


「ぐへへ、なんだ?

 お前達も肉奴隷になりてぇっていうのか、ぜえいっ!」


「おい、今のセリフは無理があるだろう」


 新たな美少女二人の登場に、勝利に酔いしれる男達のド失礼な言葉が炸裂する。

 そのあまりの侮辱に、二人は、怒りと恥ずかしさにぷるぷると身を振るわせた。


「な、なんて破廉恥な!」


「この人達が、愛美ちゃん達をこんな目に?!」


 三人の筋肉と、二人の美乳が真正面から激突の火花を散らそうとしている中、店長・瞳だけは、一筋の冷や汗を垂らしながら、この状況に別な意味で感嘆の念を示していた。


「まさか、この子達があんたらの知り合いだったなんてねー。

 世の中狭いわ」


「瞳さん!

 私達が、ありさちゃん達のチームに助っ人として参加するよ!」


 恵が、珍しくギラついた視線を向け、はっきりと言い放つ。

 その言葉と態度に、場の人々はさらなる動揺の声を上げた!


「め、メグちゃん。

 それはいいけど、とても勝負にならないわよ?!」


「大丈夫!

 ルール読んだけど、要は一人ひとりのノルマがクリアできてればいーんだよね?」


「いや、そうじゃなくて、ね」


「おいおいお嬢チャン。

 気は確かか?!

 その上で、俺達のポイントを今から抜かないとならないんだぜ?」


「ましてや、そこで沈没している者達がこなせなかった分まで上乗せされる。

 もはや並の人間には果たせぬ事道理よ」


 威張田達の挑発が浴びせられるが、舞衣も恵も、まるでそれが聞こえていないかのように、平然とした態度で席につく。

 手前のテーブルの上の皿をどけ、隣で突っ伏している三人を軽く一瞥する。


 そして舞衣が、「ビシィッ!」という効果音付きで、威張田三兄弟を激しく指さした。


「私達、今から勝ちます!

 あなた達に!!」


 高らかな宣言が、店内に響き渡る。


「こ、こいつら正気か?!」


「我々は、全員各自23ポイント稼いでおる。

 対して奴等はこれまで平均13。

 あの二人は、今から30ポイント以上稼いだ上に、自分たちのノルマをこなさなければ我々に勝てないのだが」


「むふふ、しかし我々はまだ食べられる、ぜえいっ!」


「確かに!

 五人総肉奴隷化の野望は、ひるむ事はない!」


「兄者達、提案なのだがな。

 あの二人は、我々共用の玩具として」


 なんだか勝手に盛り上がっている三人を完全に無視して、舞衣と恵は、店長に目配せを施す。

 それを見た店長の顔はなぜか青ざめ、思わず数歩後ずさってしまった。


「あ、あんた達、まさかアレを?!」


「はい、いつもの“お忍び”で。

 その代わり、本気、出します」


「よろしくお願いしまーす♪」


 元気な返事とは裏腹に、あからさまな店長の動揺はギャラリーにも伝染する。

 何だかよくわからないが、舞衣と恵のあまりに自信たっぷりの態度は、かえって周りに戦慄を振り撒き始めているようだった。

 ふと、どこかから声が上がった。


「あ、もしかして、“チャンプ”?!」


 その言葉は、一瞬静まり返った店内に響き渡る。

  

「チャンプ?!」

「あ、あの伝説の?! どこだ、どこにいるんだ?!」

「俺、まだ実物を一度も見た事ねーんだ!」

「実在したのかよ! チャンプって?!」



「ち、ちゃんぷ?

 み、ミキ、ちゃんぷって何?」


「“ちゃんぷ”って言ったら……野菜ののった、な、長崎名物の……麺類」


「嗚呼、アレの事かぁ」


「ニガウリがおいしいんですよ……こ、今度作ってさしあげますね…けぷ」


「それ、ちゃんぷるじゃなかったっけ」


 すでに脳の支配権をラードに奪われた者達は、眼前に展開する事態を正確に捉える事すらも出来なくなっていた。





 相模姉妹 VS 威張田三兄弟!





 ずももと音を立てて、達筆で書かれた文字が背後にそそり立つ。

 新たな闘いの火蓋が、切って落とされた。


 すでに自分たちの絶対的勝利を確信した三人組に、相模姉妹の鋭いまなざしと、観客達の好奇の目線が集中する。

 だがそんな中、店長の瞳だけが、口笛まじりで厨房内の調理人達に指示を与えていた。


「あんた達、それぞれ麺を三玉ずつくらいゆで始めなさい」


「はあ?! い、いくら何でも、今からゆで始めたら、一杯目はともかく三杯目は…」


「だーいじょうぶ!

 十分後には、そんな事言ってられなくなるわよ。ホラ、早く早く!」


 パンパンと手を叩き、状況を飲み込めていない調理人達を急かす。


「あのっ、すみません」


「メニューの右端から、順番に全部持ってきてくださーい!」


 相模姉妹の声が、一瞬静まり返った店内に響き渡る。

 その言葉は、その場にいた全員の思考を、一時的に停止させた。


「な、なんだと?!」


「ガッハッハ、そんな事して虚を突こうったって、まったく意味はない、ぜえっ!」


「そなた達、気は確かか?」


 威張田達の、嘲笑を含んだ罵声が響く。

 だが、そんなものどこ吹く風といわんがばかりの態度で、舞衣と恵は鎮座し続けている。

 あまり大した時間を置かずに、舞衣の元に「高菜ラーメン」、恵の前に「特製大黒ラーメン」が配られる。


 辛すぎない、程良い味わいの高菜が、醤油とんこつベースのスープとよくなじみ、常連を惹きつけている人気商品。

 そして、すべての基本を押さえたもっともベーシックなスタイルの商品だ。

 ちなみに、半熟なのにも関わらずたっぷりとダシが染み込んだ味たまごは、ラーメン通でも思わず声を上げてしまうほどの絶品だ。

 その、どんぶりの中央に丸ごと一個乗せられた味たまごをしばし凝視すると、恵は、すぅぅぅ~…っと息を吸い込んだ。


「うーん♪ こういうの久しぶりだね、お姉ちゃん」


「そうですね。

 今日はお兄様もいらっしゃらないから、 遠 慮 な く 行 き ま し ょ う 」


「? あいつら…今、なんて?」


 ウヨッカーがそう呟いたのとほぼ同時に、店内に大きな歓声が響き始めた。





 ず る る っ ×2


 ごっ く ん ×2


 ぱ く ×2


 も ぐ も ぐ  ×2


 ゴトン×2





 一瞬、だった。


 時間にして、数十秒たらず。

 大黒屋自慢の二大メニューは、相模姉妹の胃袋の中に、すべて収められてしまった。

 電光石火とは、まさにこのためにあるような表現だった。


「次、お願いしまーす」


 恵が、明るい声でそう申告する。

 すると、待ってましたとばかりに店内から次のメニュー・特上チャーシュー麺と、生のりラーメンが届けられる。

 そのあまりのタイミングの良さに、サヨッカーは、“すでに店側も知っていた”という事実を悟った。


「しまった、謀られた!」


「あ、兄者! こ、このままではまずい!」


「な、な、何を言ってやがるんだ、ぜえいっ!

 これだけの大差が付いているんだから、俺達の勝利が揺らぐ事は……」


 そんな会話をしているうちに、



 ず る る っ ×2


 ごっ く ん ×2


 ぱ く ×2


 も ぐ も ぐ ×2


 ゴトン×2



 さらに、一セット聞こえてきた。


「よ、妖怪か、あの娘達は?!」


「あ、兄貴……こ、これは一体……」


 硬直するサヨッカーは、姉妹が食べる様を一部始終見てしまい、恐怖で震えていた。


 熱い湯気をたっぷりと漂わせたどんぶり。

 それを、突然ガシッとつかんで持ち上げ、一気にスープを飲み干してしまう。

 テーブルに戻されたどんぶりの中には、麺と具だけが点在している。

 徐に箸を入れると、一瞬、それが視界から消える。

 常軌を逸したスピードで箸が旋回している事に気付いた時、彼は……とても文章では表現できない驚異の映像を眼に焼き付ける事になる。



 先ほどまでの可愛らしい仕草からはとても想像できない、大口を開けて麺をすすり込む舞衣と恵。

 ほぼ一口で麺の塊を「呑み干して」しまった二人は、軽く一息つくと、吸い込み切れなかった具を箸でつまみ上げていた。

 これが、あの会話の間にすべて行われたのである。


「ふう♪ やっぱり、久しぶりに食べるとおいしいよね、お姉ちゃん?」


「そうですね!

 たまにはこうやって好きな物を思いっきり食べないと」


 彼女達の前に、三杯目のノルマが置かれた時、三兄弟の背筋に冷たいものが走り始めていた。


「ゆとりだ! あいつら、ゆとりで食ってやがる!!」


「まずいぞ兄者!

 奴ら、本当に自信があったから、我々にあんな宣戦布告を!!」


「ぐ、ぐううっ?!」


 危機感を覚え、壁に貼り付けられたメニューの短冊に目線を送った直後、三人は再び硬直した。


「し、しまったっ!」


「時間があっ!?」


「ぐうっ?! ぐ、ぐおおぉぉぉぉっっっ、こ、これは……っ?!」


 みるみる青ざめていく三人の態度は、戦況を見守る者達にとって奇異に映る。

 先程までの余裕がなくなり、突然動きがぎこちなくなり始めた様子を見て、瞳は、何かを思いだしたかのように時計に視線を飛ばした。


「開始後、50分か。なるほどね」


「て、店長、彼らどうしたんですか?」


「限界が来たのよ」


「限界?」


「そう、いままで一気にまくし立てていたのに妙な休憩時間を入れちゃったから、胃袋の中で膨らみ始めた具や麺に圧迫されちゃったのよ。

 ここからが、彼らにとっての正念場でしょうね」


 瞳の言葉に納得したのかしないのかよくわからない表情を向ける店員は、テーブルに突っ伏してほとんど意識をなくしているありさ達を見つめ、そして次に…一番元気な「チャンプ」達を見つめた。


「すみませーん」


「おかわりお願いしまーす♪」


 申告が聞こえたのは、それとほぼ同じタイミングだった。






 ここは、嵐吹き荒れる森の中に佇む、古い洋館。

 カーテンの隙間から覗く豪雨と、風に揺られる木々の様子は、薄暗い室内にさらなる不穏をもたらしていた。


 この館のメイド・ありさは、今日も主人の言いつけに従い、この“秘密の部屋”にやって来ていた。

 いつも、日々の最後にやってくる大切な「奉仕」。

 ありさは、これまで自分に与えられ続けた羞恥な行為の数々を脳裏に反芻させて、思わず身震いをする。

 わざと短い丈に調整されたマイクロミニのスカートの端を、恥ずかしげに手で整える。

 すでに火照り始めた肉体が、そんな行為は無駄な事だと告げているが、その仕草は自身に残された

「最後の恥じらい」であり、せめてもの抵抗のつもりだった。


 抵抗?

 自分に、今更何の抵抗が必要だというのだろう?


 まだかろうじて正常を保っている思考と、自身の中に生まれた「羞恥な行為を求める」本能が、無意味な葛藤を繰り広げる。

 そんな時、ひときわ大きく響いた雷鳴の光に混じり、暗闇の向こうで、小さなろうそくの明かりが灯った。


「待たせたな」


 年輩の男性の、静かな声が響く。

 その声は、ありさの中の衝動を、ひときわ激しく突き動かしていく。


「いえ……ご主人様」


「相変わらず、美しいな。

 今夜もまた、お前の可愛らしい躰で楽しませてもらうよ」


 主人の声の一つひとつが、ありさの中の「理性」を破壊していく。

 最後にかすかに残った冷静な気持ちを司る部分が、今の自分に奇妙な分析を施す。


 嗚呼、自分は、もうこのお方に全てを握られているのだ。

 そう、全てを……

 

 その解答が導き出された瞬間、ありさの中に構築されていた“人間”としての自意識と理性が、音を立てて崩壊した。


「さあ、こちらへ来るのだ。

 何をすればいいか、わかるな?」


「はい…」


 男の側にやってきて、すでに火照りまくった肉体の一部を、両手で軽く包む。

 そして、意を決して見上げたその先には――



「ぐえへへへ! ぺっちゃん!!

 どーでぇ、すっかり肉奴隷になっちまった感想はよ?! えー?!」



「ぐわ―――――っ!!

 寄るなさわるな近づくなこの人間ケムシ! 体毛ゲルゲ!」




「はっ?!」


 気が付くと、ありさはテーブルの上に突っ伏していた。

 隣では、未来と愛美が、ぐったりともたれかかっている。

 ラーメン屋の店内に香る独特の匂いで、ようやく、自分がどういう状況に置かれていたのかを思い出した。


「ゆ、夢か…。あああああ、嫌な夢だった~!!」


 そう呟いて、はたと気が付く。

 いや待てよ、たしか自分達はあのドルゲ魔人達に敗北して……


「じ、じ、冗談じゃない!

 に、逃げてやるっ! 逃亡してやるっ!!

 それでもダメだったら、あたしのファイヤーキックで!!」


「あ~、ありさちゃん☆」


「よかった、気がつかれたのですね?」


 こっそり場から抜け出そうと踵を返した直後、背後から、聞き慣れた優しい声がダブルで響いた。


「マイ、メグ? ど、どーしてここに?」


「うふふ♪ もうちょっとだけ待っててねー!」


「私達も、ここに食べに来たんですよ。

 もう“終わり”ましたから」


「へ?」


 言葉の意味が飲み込めず、小首を傾げるありさは、周りで硬直している店員達と観客、そして瞳に気が付く。

 そして、ひょいとテーブル周辺の状況を覗き、絶句した。



 食べかけのラーメンもそのままに、完全にグロッキー状態で突っ伏している威張田三兄弟。


 重ねられた空のどんぶりは、合計15杯、小皿15枚……90ポイントは稼いでいる。


 しかし、自分達が本来座っていた筈のテーブルの脇には、合計22杯のどんぶりと、36枚の小皿が重ねられていた。


 ポイントは146。

 これ以上ないくらいの圧勝だった。

 にも関わらず、現在のテーブルの主達はまだ何かを食べているようだ。



「お代わりお願いしまーす♪」


「あ、私は、棒餃子をあと六皿お願いします」


 その声にようやく我に返り、慌てて厨房に走る何人かの店員達。

 瞳は、もはや何も言う事はなく、ただ「やれやれ」と肩をすくめるだけだった。


「誰か、何が起きているのか、あたしに説明して」


「うーん、なんかあの人達があんまり酷いこと言うからね~」


「思わず、私達も参戦してしまったんです」


「はぁ_!

 ちょ、待って」


「でも、幸い勝つことが出来ましたので、やっと本当に食べたかったメニューを注文しているところなんですよ」


「や、やっと注文って――え゛え゛え゛え゛~~~っっっ?!?!」


 ありさの驚愕の声に、やっと、未来と愛美は意識を取り戻した。


「ぼ、ぼ、棒餃子お待ち」


「と、と、特製雪降チーズラーメン、お待ち」


「あーっ、これ」


「え?! な、何か?!」


「これ、普通盛りですよね?

 メグ、さっきと同じ大盛り注文したつもりだったのにぃ~」


「いいじゃないですか、メグちゃん。

 もう一杯注文すればいいだけですから」


「あ、そうだったね!

 じゃあ、これもらいますから、もう一杯大盛お願いしまーす☆」


「私も、大盛でお願い致します――」


 勝利の……否、食の女神達の狂宴は、まだ当分終わりそうになかった。






 その後、地下迷宮(ダンジョン)に立ち寄った五人は、早速、先程とんでもない出来事を勇次達に報告していた。


「でもさあ、舞衣達ってなんであんなに食べられる訳?

 あたし、今でも信じられないよ」


「私も、です。

 だって、結局お一人ラーメンが……えっと何杯でしたっけ」


「十三杯以上、よ」


「ひえっ?!」


「そこに加えて、一品物がそれぞれ24皿くらいでしょ?

 人間じゃないよ、もう」


 先程の状態をいまだに認知出来ない三人は、事実を反芻しつつも、それに疑いを抱き続けていた。


「えー、そんなひどいよぉ。

 いつもはそんなに食べてないんだから、たまにはいいじゃなーい」


「そうですよ。私達、いつもは皆さんと同じかそれより少ないくらいしか食べませんし」


 ささやかな姉妹の反論に、勇次は頭を抱え、今川は堪え切れずに吹き出してしまった。


「あははっ☆ そうそう、すっかり忘れてたよ。

 二人とも、実はものすごい大食いなんだよね。凱から聞いた事あったわ」


「そ、そうなの?!」


 ありさの反射的な問いに、勇次はコクコクと頷く。


「相模姉妹が中学生の頃だったか。

 皆で食べ放題の焼肉屋に行った時の、あの凄まじい光景は――一生忘れられん」


「あ、それオレ知らないっすよ? どうなったんです?」


「あ~! いや~ん!

 勇次さん、話しちゃダメぇ!」


 慌てまくる恵に口を抑えられ、勇次は、顔を真っ赤にして沈黙した。


「い、いったい何があったんですか?! その時?」


 困惑した愛美が未来の方を見ると、何かを思い出したのか、未来の顔が青ざめていた。


「愛美、世の中にはね、知らなくてもいいことがあるのよ」


「ひえ?!」



「そういや、あの剛毛筋肉兄弟はどーしたん?」


 ありさの呟きに、恵が少し心配そうな表情で応える。


「なんか、救急車で運ばれてっちゃった」


「かなり無理をされていたご様子でしたから、それがいけなかったのかと」


「あ、あの三人が……病院!」


 未来の顔が、さらに青ざめた。


「ちょっと可哀想だけど、慣れない事するからだよー。

 普通の人は、自分のペースで無理しないように食べないと危ないのにぃ」


「……」


「あのー、、オレさっきから聞いててすごく不思議な事があるんだけど?」


 突然、今川が疑問を唱える。


「ありさちゃん達が負けたら、肉奴隷って奴にされる事になってたんでしょ?

 対戦相手だった三兄弟って、結局負けた訳っすよね。

 じゃあそいつらが払う代償ってどーなるの?」


「あっ」


「そ、そういえば、そういう事は何も話していなかったように思います!」


 未来と愛美が、同時に驚きの声を上げた。


「いっそ、そいつらを肉奴隷にしてやれば良かったんじゃない?」


「ぐげっ! あっきーさん冗談キツイよぉ」


 ありさが気色悪そうに拒絶する。

 そんなやりとりの中、未来は、舞衣のハンドバッグに差し込まれている茶封筒に気が付いた。


「マイ、それって何?」


「あ、これですか? う~んと」


「賞金だって」


 そういわれて、ようやく思い出す。

 確か25ポイント獲得で三万円、以降は5ポイント獲得ごとに賞金アップだとか。

 愛美は、両手の指を折り曲げつつ、ポイントの計算を始めた。


「って、いくら入ってるの?」


「えーと、205ポイントだから……わわわっ☆」


 封筒の中には、臨時の小遣いとするにはあまりに巨額な札束が入っていた。


 総額で、二十一万円。


「ど、ど、どうしましょう!

 まさかこんなになるなんて思いませんでしたから……おろおろ」


「瞳の奴も、とんでもないキャンペーンを考えてしまったな。

 お前達が二人で行ったら、アイツ破産するぞ」


「あれ、勇次さん。あそこの店長と知り合いなの?」


 ありさの疑問に、勇次はしかめっ面で頷く。


「凱とアイツは、昔からの腐れ縁だ」


「へーっ」


 適当に驚くありさ達をよそに、相模姉妹は、臨時収入の扱いについて話し合っていた。



「これから、お兄様に何かご馳走を作って差し上げましょう」


「あ、お姉ちゃんそれイイ!! それで行こうよ!」


「ねーねー、余ったらナニ買うのー?

 なんかおごってよぉ」


 猫なで声で迫るありさに、舞衣は苦笑いを返す。


「残りは、お兄様に預けて貯金していただくつもりです」


「きーっ、お嬢様はこれだから!」


「って、ちょっと待って」


 和やかな雰囲気の中、突然、未来が奇声を上げた。


「はん? どーしたの、未来?」


「これからご馳走って、あなた達、まさか、まだ食べるつもりじゃ……?!」


 未来の質問に、姉妹は、笑顔で頷きを返した。


「ええ、そうですよ」


「だって、お夕飯作ってるうちに、お腹空いちゃうもん☆」





「わあ☆ お二人とも、すごいです! これが、“健康のなせる業”っていうものなのですね?」


「ま、愛美、それ絶対違うから」


 地下迷宮(ダンジョン)に、朗らかな笑いと壮絶な恐怖が充満した。

 聖なる胃袋を携えた天使達は、きっと、この世のすべてを食い尽くして尚、食欲を訴える事だろう。


 未来は、一人勝手に想像を巡らせ、身体を振わせていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る