【千鶴】
新たなXENOが、出現した。
よりによって、こんなタイミングで。
千鶴を中心とした作戦を遂行中だった“SAVE.”にとって、この報告は正に寝耳に水だった。
――ただ、全員にとってそうだったわけではない。
真っ先に状況を見極めたのは、アンナブレイザーだった。
幻覚地形(ハルシネーション)で閉ざされたままの、目白四丁目の住宅街の一角。
電信柱のてっぺんに立ち監視を続けていたアンナブレイザーは、地上で起こった異変にいち早く気付き、対応していた。
先で何者かに襲われた現場のすぐ近く、アンナミスティックが修復した街灯は、丁字路の交差点にあたる。
そのため、部分的に路幅が広くなっているが、XENOはまさにここに現れたのだ。
たまたま家を出た近所の住人目がけ、上空から、大きな影が浮かび上がる。
その瞬間を、アンナブレイザーは見逃さなかった。
「くぉの野郎ぉっ!!」
ギャアオォ!!
「きゃあっ?!」
若い女性に後ろから襲い掛かろうとした瞬間、真上から飛び降りてきたアンナブレイザーによって、XENOは首を掴み上げられた。
「早く逃げろ!」
「ひ、ひぃっ?!」
突如現れた真っ赤な姿に驚いたのか、それとも、その手で捕まえている巨大な“猫”に恐れおののいたのか、或いは両方か。
若い女性は、悲鳴を上げながら逃走した。
XENOの正体は、一見するとただの白猫。
しかしその大きさは、どう贔屓目に見ても二メートル以上はあり、しかも異様に頭と爪がでかい。
その上、なんと尻尾が二本もある。
そのうち一本が、アンナブレイザーの首に巻きついて、強く締め上げ始める。
だが、ブレイザーは怯むどころか、逆にニヤリと微笑んだ。
「面白ぇ、やれるもんならやってみやがれ!」
反対の手で首に巻きついた尾をわし掴むと、アンナブレイザーはそのまま上空へ飛び立つ。
先程の女性が人を呼んできたようで、しばらくすると、下の方で何人かの人が辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「凱さんの言った通りだ!
コイツが、事件の真犯人に違いないよ!」
『上出来だぜ、ブレイザー!
その位置から真っ直ぐ北に向かうと、中学校がある。
ちょっと悪いが、そのグラウンドを使わせてもらおう!』
「了解ぃ!!
おらぁ、おとなしくしやがれ!」
ミギャアッ!
暴れ逃れようとする巨大猫を、アンナブレイザーは力ずくで空輸し始めた。
少し離れた物陰から、様子を窺っていた黒いフードの少女は、その光景にチッと舌打ちした。
「アイツが出て来なきゃ、上手く行ったってのに」
黒フードの少女は、携帯電話を取り出すと、手近な塀に寄りかかりながら通話を始める。
「あ―もしもし? うん、あたし。
速攻アイツらにバレたわ、マジ最悪。
……うん、もう一匹隠れててさ、ソイツのせいで、み~んなパーだわ。
せっかく仲間増えるチャンスだったのになあ~。
――処分? うん、どうせアイツらがやるだろうから。
あたしゃ飼い主の方の始末つけとくわ」
それだけ話すと、少女は携帯電話を閉じ、スッと暗闇に溶け込むように消えた。
『何故、もう一体のXENOの存在に気付いた?』
勇次の通信が、唐突に入る。
フン、と鼻を鳴らすと、凱は少々得意げに話し出した。
「ずっと違和感があったんだ。
向坂千鶴が獲物を狙っていたんだとしたら、別に夜に拘る必要ないだろうってな。
もっと周りが良く見える時間に、被害者を襲えばいいだけの話だ。
だが、そうしなかった。
要は、昼間は動けない事情があったのさ、XENOにはな」
『たとえば、何が考えられる?』
「正体がバレるとか」
『それだと、向坂千鶴にも当てはまるだろうが』
「勿論そうさ。
だがもし、もう一体のXENOも、普段は擬態して普通の民家に隠れ住んでいるとしたらどうだ?」
しばしの沈黙の後、勇次が声のトーンを下げてきた。
『確かに理屈は通るが、その仮定通りなら、益々特定が困難になるな』
「そうだ。
だから、ミスティックに街灯を修復させたんだ」
『どういう意味だ?』
「今回のXENOは、遠隔から獲物を狙える特殊能力を持っている。
だが今川が言ってた通り、テレポートで凄いエネルギーを消費するなら、最小限の工程で確実に狩れる手段を選ぶだろう。
手近な場所に、街灯をスポットライトに見立てられる路があれば、そこを狩り場にするのは自明の理だ」
『それをミスティックが修復して、あの路は明るくなった……』
「その通りだ。
しかも、科学魔法で更に明るさアップだ。
夜でも見通しがかなり良くなったな」
『そうなれば、明暗の差を生かした視覚外からの急襲がしにくくなるわけか』
勇次が、短く唸る。
それが理解を示す癖だと知っている凱は、更に説明を続けた。
「恐らく、以前はサーベルタイガーの暗躍に紛れて遠征していたんだろうな。
だが街灯に気付いてからは、楽に狩れる手段を選んだんじゃないかな。
だとすれば、狩場としての利点が見込めなくなった時点で、XENOはおのずと別な行動に出る筈だ」
『一方の向坂千鶴は、玄関から家を出たんだったな』
「ああ、そうだ。
しかも、ここまでの状況で、こちらはテレポートらしき能力は使ってない。
ということは、やはりこの近所にはもう一体、別なXENOが居る可能性が極めて高くなる」
『なるほど……それでアンナブレイザーを待機させたのか。
そんなギリギリの判断は、俺には出来んな』
「まあ、常に堅実な結果を求めるお前には、ちょっと無理かもな」
『だろうな――だが、よくわかった。
今回のXENOは、これよりUC-09“ネコマタ”と呼称する。
くれぐれも、逃がすな』
「今回は随分と直球なネーミングで来たな」
『あいあい了解!
どのみち、逃がすつもりはねぇけどなぁ!』
凱が指定した中学校を発見したアンナブレイザーは、ネコマタを掴んだまま、垂直に地面に落下した。
猛加速で叩きつけられたネコマタは、激しい激突音と砂埃を上げ、上体を半壊させた。
「パラディン!
早く来て、コイツの核(コア)を見つけてくれ!」
通信を送りながら、ネコマタの次の出方を伺う。
いつの間にか、更に一回りほど巨大化したネコマタは、半分ほどになった頭部を向けると、奇怪な声で威嚇し始めた。
だが次の瞬間、前面の空間がぐにゃりと歪み、ネコマタはその中に半身を突っ込んだ。
と同時に、アンナブレイザーの背後から、巨大な爪の一撃が振り下ろされる。
「なにっ?!」
金属の塊同士が、高速で激突したような音と、身体を通り抜けるような衝撃が襲う。
咄嗟に前方に転がって退避するが、今度はそこを、真横から尾が襲い掛かる。
一本は再び首に、もう一本は胴に。
「しまっ……!!」
その直後、アンナブレイザーの身体は高く持ち上げられ、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。
砂煙が舞い上がる。
「ぐぅっ……て、てめぇ! やりやがったな!
上等だぁ!」
「ウィザード、ミスティック、状況が変わった。
現在、新しく出現したXENOと、ブレイザーが交戦中だ。
パラディンとローグも、こちらに向かっている。
一旦パワージグラットを解除してくれ。
その後、すぐに再設定だ。出来るか?」
『む、無理ぃ! お兄ちゃぁん! 動けないよぉ!!』
「えっ?!」
硬化した大量の内臓に押し潰されているアンナミスティックと、それを救おうと必死になるウィザードは、背後から幾度も叩きつけられる刃の攻撃で、かなりのダメージを負っていた。
食い下がるウィザードも、救助活動を行いながらでは、マジカルショットなどの小攻撃を繰り返してけん制し続けるしかない。
袖は破れ、上腕は深く切り裂かれ、更には胴や太ももにも裂傷が見られる。
その傷の奥には、複雑に組み合わされた機械が光っている。
「ご、ごめん、お姉ちゃん!」
「気にしないで! それより、これをなんとかしないと」
硬化した内臓は、アンナユニットの力でも引き剥がすのが難しい。
四肢と胴体を完全に固定されてしまったアンナミスティックは、路上に大の字になったまま、苦しそうな声を漏らす。
「蛭田さん! ミスティックの付着物ですが、この状態で分析出来ませんか?!」
尚も続くXENOの攻撃は、アンナウィザードの転送兵器「ウィザードロッド」が防いでいる。
科学魔法の激しい爆音に紛れながら、勇次の声が返って来た。
『――映像が不明瞭だが、恐らく、何かしらの化学反応で急速硬化した脂肪ではないかと思う。
であれば、熱で溶解させることが可能かもしれん』
「熱、ですか。
でも、それではどうやって……」
「ウィザード!
私に科学魔法をぶつけて!」
悩むアンナウィザードに、ミスティックは迷わず応える。
「そ、そんな!
そんなことをしたら、あなたが!」
「迷ってる場合じゃないよ!
急がないと、他の三人と合流出来なくなっちゃうんだから!」
「そ、それはわかるけど……」
「私なら大丈夫だから! いいから、急いで!
本当に時間がないのよ!」
「……」
真剣なアンナミスティックの表情を見て、ウィザードは無言で立ち上がると、ブラウスの胸元をはだける。
赤いカートリッジを胸の谷間から取り出すと、それを右上腕に嵌められた腕輪の溝に差し込んだ。
“Fire-cartridge has been connected to the MAGIC-POD.”
“Execute science magic number M-012 "Fire-wall" from UNIT-LIBRARY.”
「我慢してね、ミスティック……ファイヤーウォールっ!!」
右腕全体の炎を宿すと、ウィザードはそれを大きく振るった。
途端に炎の渦が巻き起こり、障壁のように辺りを取り囲む。
XENOは、炎の勢いに怯み、たじろいでいる。
そして渦の中では、直火に焼かれるアンナミスティックの姿があった。
「み、ミスティック?!」
まとわりついた内臓が、みるみる溶解していく。
アンナミスティックの身体が、徐々に動くようになってきた。
「く、う……ああぁぁぁぁぁっっ!!」
バキ、メキ、という破砕音が、炎の音に混じって聞こえてくる。
やがて、拘束していた内臓を無理やりに引き千切り、アンナミスティックが立ち上がった。
「ミスティック……メグちゃん!!」
「だ、大丈夫!
お兄ちゃん、今からパワージグラット解除するから!」
そう叫ぶと、焼け焦げた左腕を振り上げ、アンナミスティックは印を象って叫ぶ。
「ジグラット・オープン!」
即座に、アンナミスティックの目の中に、ユーティリティ画面が広がった。
“Power ziggurat, success.
Areas within a radius of 8,000 meters have been isolated in Phase-shifted dimensions.”
「パワージグラットぉ!!」
詠唱と共に、パワージグラットは、目白を中心に、新宿区・文京区・練馬区・中野区の一角までもを包み込む。
「こ、これで……なんとかなったかな」
「だ、大丈夫? ミスティック……ご、ごめんなさい!」
炎の壁の中、うろたえるアンナウィザードに、ミスティックは笑顔のピースを向けた。
「ぜぇんぜん、平気っ☆」
「ほ、ほんと? やけどしてない? どこか痛くない?
冷やさなくて大丈夫?」
そう言いながら、アンナウィザードは、慌てて胸の谷間から青いカートリッジを取り出す。
「だあああ! お、お姉ちゃん、本当に大丈夫だってばぁ!」
「そ、そう言われても……痛くなってきたら、我慢しないで、すぐに言うのよ?」
「も、もお~、過保護過ぎぃ!
アンナユニットは、そんなにヤワじゃないからぁ~」
ギャアオォォォ!!
炎の壁の向こうで、XENOの叫び声がする。
ようやく我に返った二人は、改めて戦闘体勢を整えた。
ネコマタと対峙するアンナブレイザーの許に、アンナパラディンとローグが到着する。
だがパラディンは、アンナローグに遠ざかるよう指示を出した。
「ここは私達が引き受けるから、あなたは、二人の方へ!」
「は、はい!」
ピンク色の閃光を残し、アンナローグが遠ざかる。
それを横目に、アンナパラディンはグラウンドに着陸した。
「大丈夫? ブレイザー」
「ち、ちょっと頭クラクラしたけど、なんとか大丈夫」
グラウンドのほぼ中央でこちら睨みつける巨大な白猫。
その姿を見たアンナパラディンは、ハッとして目を剥いた。
「あの猫、まさか……」
アンナパラディン・未来の脳裏に、あの日の映像が浮かび上がる。
『向坂さんの所の千鶴ちゃんでしょ?
そりゃあんた、あの子はもう、ここにはいないよ』
『あの子ね、先月、亡くなったんだよ』
『急だったもんねえ、本当に可哀想にさぁ』
あの時、向かいの夫婦が抱いていた猫。
その記憶映像が、脳裏にはっきりと浮かび上がった。
「なるほど、あの街灯から一番近い家は、向坂家だけじゃなかったわね」
「ど、どういうことだ?!」
「あの街灯で獲物を狙っていたのは、このXENOが擬態した“飼い猫”だったみたいね」
「なにぃ……マジかよ!」
「人様のペットの姿を借りて、安全圏から獲物を狙い続けてたのよ。
とんだずるがしこさね」
「許せねぇな、そんな奴は。
きっついお仕置き食らわせてやろうぜ」
「それがいいわね」
アンナブレイザーは鼻を親指で弾き、にやりと微笑む。
そしてアンナパラディンは、アンナローグが飛び去った方向を眺め、ふぅと息を吐いた。
「ホイール・ブレード」
ジャキッ! という鋭い音と共に、アンナパラディンの手に大型の剣が現れた。
「一分で片をつけるわ」
「あいよぉ!」
ガシャッ、という音が鳴り、アンナブレイザーの両拳に、手首に装着した武器“ファイヤーナックル”が被さる。
ボンっ、という爆発音と共に、真紅の炎が吹き上がる。
二人の闘志に満ちた視線が、ネコマタを捕らえた。
アンナローグが戦闘エリアに辿りついた頃、状況は凄惨たるものになっていた。
すでにXENOは、最初の変態から二倍程の体積に膨らんでいる。
カマキリのような外観だったものが、今では巨大な木を想像させる様相に変わっていた。
大振りの枝の代わりに長い腕と刃、そして根の様に長く伸びた脚……元々は、あばらだったもの。
その一番上に、かろうじて人間の形を保った“頭”が乗っかっている。
完全に生気の失われた、否、もはや人間ではなくなった者の姿。
これが元・千鶴だったなどと、いったい誰が想像できるだろうか。
――だが、誰よりもこの状況を受け入れ難かったのは、他ならぬアンナローグだった。
(ち……づ…る、さん?
あ、あれが、ちづるさん?!)
短い悲鳴を上げて、手で顔を覆い隠す。
ほんの少しの間を置いて、激しい激突音と、おぞましいXENOの悲鳴が聞こえた。
『……痛……いっ』
「?!」
突然、ローグの耳に、誰かの弱々しい声が聞こえてきた。
『痛い……痛いよ、お姉ちゃん』
「ちづ……る、さん?!」
どういう事か、理屈はわからない。
だが、アンナローグの耳には、しっかりと捉えられる。
XENOの叫び声・うめき声に混じって、千鶴の悲しそうな、辛そうな声が聞こえてくる。
「まだ、ちづるさんの意識が?」
もう、何も考えるゆとりはない。
出せる限りの最高速度で、アンナローグはバトルフィールドに飛び込んだ。
アンナウィザードが、胸元から緑のカートリッジを取り出し、左上腕の腕輪に嵌め込む。
全身の色が蒼から緑に変化し、凄まじい突風が巻き起った。
“Windy-cartridge has been connected to the MAGIC-POD.
Execute science magic number M-015 "Spindle-lance" from UNIT-LIBRARY.”
「スピンドル・ランス!」
詠唱と共に、まるで巨大な槍のような横向きの竜巻が発生し、高速でXENOへと伸びていく。
だが――
「きゃあぁぁっ!!」
耳をつんざくような、凄まじい激突音と破壊音が、無人の住宅街に鳴り響く。
「えっ?!」
「ローグ? ど、どうして?!」
科学魔法は、XENOに激突する前に、立ち塞がったアンナローグによって受け止められた。
集中攻撃を背中に受けたため、アンナローグは、背面から腰にかけて激しく損傷した。
所々、火花が散っている。
だがそれでも、アンナローグはたじろかず、必死でXENOの前に立ち尽くした。
「ローグっ、何をするの?!」
アンナミスティックが、大声で呼びかける。
一方のアンナウィザードは、信じられないといった表情で凍りついていた。
「ちづるさんの声が、聞こえるんです」
「な、何を言ってるの?」
両腕を大きく開き、アンナローグは、ウィザードとミスティックの前に尚も立ち塞がる。
その表情は、今まで見た事もないほどに悲痛で、真剣だった。
「ちづるさんが、悲鳴を上げているんです!
皆さんの攻撃を受けるたびに、辛そうに、悲しそうにっ!!」
「待ってよ、ローグ!
それはもう、XENOなんだよ!
もう、生きている人間じゃないの!」
「そ、そうですよ、ローグ」
自身に科学魔法・キュアフラッシュをかけながら、アンナミスティックが一歩前に出る。
彼女の表情も、初めて見る真剣なものだ。
「悲しいけど、これは仕方ない事だよ」
だが、その言葉にアンナローグは、首を振った。
「それでも私は、ちづるさんを、助けたいんです!
ちづるさんの心は、まだ生きています!
私は……わたしは、お友達のちづるさんを救わなければならないんです!
だから……」
そう言いかけた途端、何かが、アンナローグを背後から掴み上げた。
「きゃあぁぁっ!」
「し、しまった!」
グボボオォォォォッッッッ!!!
先程よりも大きな声で、XENOが唸る。
まるで歓喜するかのように全身をくねらせ、のたうち回る。
アンナローグを掴み上げた“それ”は、XENOの身体からデタラメに生えた触手状の器官だった。
両腕、両足を絡めとリ、胴体にも厳重に巻きつけている。
やがて何本かは首にも巻きつき、強烈に締めつけ始めた。
グホボボボボ――ッッ!
「ぐ、うぅっ……」
おぞましい歓喜の声と、苦悶の呻きが交差する。
そしてその中に、またも千鶴の声が混じっていた。
だが、
『大好きな、お姉ちゃん! やっと食べラレルネ』
『ずっと、お姉チャんを食べたかッタんだよ』
『お姉ちゃんを見テルト、私達、とっても食べたくなっチャウンダもん』
「……!!」
アンナローグの表情が、強張った。
『誰にもあげないよ、お姉ちゃんは、私が食ベルンダモンネ――!!』
「だから言ったのにぃ!」
アンナミスティックがマジカルロッドを構え、攻撃の体勢に入る。
アンナウィザードも、やむなく右手を前方にかざし、科学魔法詠唱の体勢に入った。
『痛いよ……痛いよ、お姉ちゃん』
『助けて……もう、痛いのやだよ』
『お姉ちゃんを食べさせて』
『お姉ちゃんを……タベタイヨオォォ』
悪魔のようなおぞましい囁きが、アンナローグの耳に響く。
薄暗い闇の中から伝わるような、悪意。
千鶴の声を借りた、XENOの聲(こえ)。
それが、アンナローグに、次の行動を選択させた。
「――たぁっ!」
頭から伸びるリボン「エンジェルライナー」を剣のような形にして、XENOの器官を強引に切り裂く。
と同時に、腰のヴォルシューターを噴射させて、一気に上昇した。
だが、それと同時に、腰が破裂してリボンが吹き飛んだ。
「うあっ?!」
一瞬体勢が崩れるが、アンナローグは、両肩の後ろからも推進剤のような光の粒子を噴射し、体勢を整え直した。
「ローグっ!」
「大丈夫ですか、ローグ?」
心配そうな姉妹の声が、足元から響く。
だが、それはアンナローグの耳に届いていなかった。
何故なら、彼女の耳には、全く別の声が届いていたからだ。
『――コロシテ』
中学校のグラウンドで展開される、ネコマタとの戦闘。
巨体に似合わず、素早い移動と空間を越えて攻めて来る攻撃に、アンナパラディンとアンナブレイザーは、決め手を放てず翻弄されていた。
ホイールブレードは宙を切り、ファイヤーナックルは虚空に炎を撒き散らす。
「ぐわぁっ?!」
突然足元をすくわれたブレイザーは、前のめりに倒れ、アンナパラディンを巻き込んだ。
女性二人が倒れたとは思えないような、重厚な激突音が夜空に響く。
「ちょ、離れてよブレイザー!」
「ま、待てって! ちょっとこの……うわわ!」
バランスを誤ったブレイザーは、ゴン! と大きな音を立てて、顔から地面に倒れ込んだ。
「痛ったぁっ!」
フニャアァァァァ――
こちらをバカにしているような鳴き声が聞こえてくる。
「動きが特異すぎるわね、どうすればいい?」
「仕方ねぇ、場所を変えよう!」
「って、何故?」
「さっき、ここに連れて来る時に思ったんだ。
地に足が着いてなきゃ、コイツは慌てるってな。
付いて来い! でやあぁぁぁ――っ!」
気合の声を上げ、アンナブレイザーは、背面のブースターを全開にしてネコマタへ突進した。
しかし、直前で急速旋回し、周りをぐるぐると回転し出す。
予想外の動きに惑わされ、、きょろきょろ見回し始めたネコマタの隙を突いて、アンナブレイザーは背後から掴みかかった。
「よっしゃあ! 捕まえたぜ!」
ギニャ?!
間髪入れず、今度は一気に上昇する。
爆発するように散らばる光の粒子の中から、真っ赤な閃光が垂直上昇していく。
それを追うように、オレンジの光も飛翔した。
上空一万メートルまで上昇したアンナブレイザーとアンナパラディンは、目配せすると、協力してネコマタを更に上空へ投げ上げた。
「うおりゃあぁ――っ!」
「せやぁ――っ!」
ギニャアァァァァ――……
アンナブレイザーは、両足首に装備したファイヤークラッシャーから、爆炎を噴き上げる。
アンナパラディンは、ホイールブレードの柄に装着されたホイールをMAXまで回転させ、刃に青白い電光をスパークさせる。
互いに上空を睨みながら、まるで地面に踏ん張るように、宙に立つ。
しばらくすると、情けない鳴き声を上げながら、ネコマタが落下して来た。
「今だ、行くぜ!」
「OK!」
掛け声を合図に、二人は垂直にジャンプし、急加速した。
途中、いきなり空間が歪み、ネコマタの凶悪な顔だけが手前に出現する。
だが、もう関係ない。
二人の攻撃は、顔を突き破って更に突進した。
「パワースライド!」
「ファイヤー、キィ――ック!!」
二人の技の掛け声が重なり、夜空に炎と雷の矢が放たれる。
一直線に天空を目指す二本の輝きに、ネコマタは顔ごと縦に斬り裂かれた。
ギャアァァァァァ……
星降る夜空に、まるで花火のような爆発が一瞬だけ煌いて、消えた。
『コロシテ――』
「えっ?」
突然、アンナローグが不自然な軌道を描き、XENOの直前で着地した。
エンジェルライナーの硬度が失せる。
「ど、どうしたの、いったい?」
「ろ、ローグ?」
状況を見守っていたアンナウィザードとミスティックは、異様な雰囲気と強烈な不安を覚える。
アンナローグは完全な無防備状態で、XENOの真正面でただ立ち尽くした。
その表情は、驚愕と動揺が入り混じっている。
『イヤ、オネエチャンヲ……コロシタクナイ』
『たべたいよぉ』
『オネエチャンヲ、コロスクライナラ……』
『早く食べさせてよぉお願いだからぁぁぁぁぁ』
『オネエチャン、ダイスキナ、オネエチャン』
『ぐぼげええええええええええええ』
声が、重なって響いている。
千鶴の声が、同じ声が二つ、それぞれ全く違う事を呟く。
まるで、善意と悪意のぶつかり合いのように。
グオォォォォ……
XENOが、身をよじって苦悶する。
何が起きているのかわからないが、すぐ目の前にいるアンナローグを再び捕らえようともしない。
(ああ、ちづるさん。
あなたは、あなたの心は……)
そして、アンナローグも、次の行動が取れずにいる。
だがその時、アンナローグの耳に、千鶴の声が届いた。
これまで以上に、更にはっきりと。
『 千 鶴 ヲ、 殺 シ テ 』
「そんな……」
がくん、と膝を折る。
アスファルトが割れ、両手を着く。
アンナローグの眼から、光が消えた。
「そんな……私は、あなたを……千鶴さんを! 救いに来たのに!
そんなこと、出来ません!!
出来るわけ、ないじゃないですか!」
アンナローグの身体から、ピンク色が消失する。
全身がグレーに染まり、まるで石になってしまったかのような、重苦しい姿に変わった。
そこに、アンナパラディンとブレイザーも駆けつける。
アンナローグを挟み、XENOとアンナセイヴァーが対峙するも、戦局は完全に停止してしまった。
「アイツ、何やってんだ!
おいローグ! 何をボヤッと――」
そこまで吼えた所で、アンナパラディンが制止する。
一瞬何か言いかけたが、彼女の横顔を見て、止めた。
「せっかく、せっかく、お友達になれたのに……
たとえあなたがXENOでも、私は、私は……本気で、あなたのことを、お友達だと信じたのに。
……どうして、どうして、こんなことになってしまうのですか?!」
大粒の涙が、砕けたアスファルトを点々と濡らして行く。
アンナローグの、身を切るような切ない慟哭に、アンナセイヴァーの誰もが動けなくなっていた。
XENOもいつしか動きを止め、アンナローグを見つめている。
しかし、やがてXENOの腕がゆっくりと動き、灰色に染まるアンナローグの首を掴み上げた。
「ローグっ!」
真っ先に身を乗り出したのは、アンナミスティックとウィザードだった。
だが、信じ難いほどの高速で、アンナパラディンが二人の進路を塞ぐ。
「パラディン! 何故――」
「ローグ! 聞きなさい!」
戸惑いのアンナローグに、アンナパラディンが呼びかける。
その声は、厳しいながらも、どこか温かみを感じさせる気がした。
「ここは、あなたがやるべき所よ」
「パラディン、私は……私は、どうしたらちづるさんを……」
装甲が軋む音が響き、メキメキという破砕音に変わっていく。
だが、そんなアンナローグを、パラディンは救おうとしない。
それどころか、真っ向から彼女を鋭い視線で射抜いている。
「ちっ、何やってんだ! このままじゃ愛美が!」
「待ってください!」
辛抱溜まらず飛び掛ろうとするアンナブレイザーを、今度はアンナウィザードが止める。
「なんでだよ! このままじゃ、アイツ死んじまうじゃねぇか!」
「ここは、お二人に任せましょう」
「二人に?」
「ご覧ください、お二人を」
XENOの握力は、徐々に強まっていく。
アンナローグの装甲が上げる悲鳴も、益々高まる。
だがそれでも、アンナパラディンは助けようとしない。
額に、頬に、大粒の汗を掻きながらも。
両足首がアスファルトにめり込み、ひび割れを広げているにも関わらず。
その様子に気付いたアンナブレイザーとミスティックは、思わず息を呑んだ。
「ローグ!」
アンナパラディンが、再び呼びかける。
「私はさっき、大切な友達なら、あなたが救ってあげなくちゃ、って言ったわね。
でも、あなたはその意味を、取り違えているわ」
「……?」
薄れかけた意識の中、パラディンの声が、何故かはっきりと聞こえてきた。
耳だけではなく、心に――
「命を救う事だけが、助ける事じゃないのよ!」
その言葉が、ローグの胸に、深く突き刺さった。
(……どういう……事?)
「千鶴さんの友達なら、彼女の声を聞いたのなら、助けてあげなさい。
本当の意味で……解放してあげなさい。
それが、友達としてあなたが出来る事よ』
「……!」
灰色のボディが、再びピンク色に染まり始める。
失われた眼の輝きが、再び蘇る。
次の瞬間、エンジェルライナーがXENOの手を振り払い、両肩のアクティブバインダーを作動させ、アンナローグはありったけの力で飛翔した。
XENOの腕が届かない上空で、ホバーリングする。
四本のエンジェルライナーが一つに重なっていく。
アンナローグは、両腕を真横に真っ直ぐ伸ばし、、息を深く吸い込んで目を閉じた。
「ローグ、わかってくれたのね」
夜空に浮かぶアンナローグの姿に、アンナパラディンは、ホイールブレードを収納する。
彼女の姿は、まるで空中に浮かんだ“十字架”のようだ。
アンナローグは、理解した。
XENOは、捕食した者のあらゆる情報を吸収し、擬態する。
普通の人間の目には、区別がつかないくらいに、このXENOも千鶴の姿を借りていただけだ。
だから、ここにいるのも、本当の千鶴じゃない。
千鶴は、もうとっくに……自分が出会うよりもずっと前に、死んでいる。
ここにいるのは、千鶴の肉体を蝕み、彼女の存在を貶めた忌まわしき存在。
だがその中に、千鶴の、本物の千鶴の悲しみが閉じ込められている気がした。
XENOの本能の叫びに混じる声は、千鶴という少女が遺した心。
本来そこにある筈のない、千鶴自身の、無垢な魂。
ならば、それを――解放する!
『オネエチャン!』
再び、千鶴の声が聞こえた。
悲しい声、悲しい想い……すべてが、あまりにもリアルだった。
もう、疑う余地はない。
アンナローグの心に、さらなる決意が生まれた。
“待っていてください、ちづるさん。
今、貴方を助けます!!”
身体を伸ばし、上半身を後ろに思い切りのけぞらせる。
束ねられたエンジェルライナーは背後に回り込み、一枚の大きな“刃”のように広がった。
月光を全身に浴び、妖艶な青白い光をまとわせる。
その姿に、四人は、思わず目を奪われる。
(この技は、あなたには使いたくなかった――)
それは、今まで誰一人として、見た事のない技のモーションだった。
次の瞬間、アンナローグは垂直に落下した。
否、正しくは、落下ではない。
背面からの推進力を全て上方に向け、全力で“下に”飛んだのだ。
落下加速に凄まじい推進力が更に加わり、上半身を思い切り前に振り下ろす。
背後でまとまっていたエンジェルライナーが、綺麗な半円を描き、まるで巨大な“鉈”のように叩き付けられていく。
「ライジング・ヘブン!」
上空から垂直に振り下ろされたエンジェルライナーは、青白い光の軌跡を描き、XENOの真芯を的確に捉えた。
ほんの僅かな静寂の後、XENOの身体が真っ二つに裂け、アスファルトに倒れた。
破壊音が、微妙に遅れて聞こえて来る。
それと同時に、XENOの肉体が次々に崩れ始めた。
エンジェルライナーの“鉈”は、XENOだけでなく、アスファルトをも深く斬り裂いていた。
「核が、破壊された?」
「い、一撃で?」
「いつのまに、あんな技を」
驚愕するアンナブレイザー達の前で、アンナパラディンだけは、複雑な表情でその光景を見つめていた。
全てが、終わった。
「ちづる……さん」
止めどなく、涙が溢れてくる。
これしか方法はなかったと、さんざん自分に言い聞かせたのに、それでも、自分の心を納得させる事は出来なかった。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁ―――っ!!」
崩れ落ちていく肉隗の前で、アンナローグは、号泣した。
何度も路面を叩き、砕く。
もう、それしか、出来なかった。
「よくやったわ」
優しい声と共に、肩に手が置かれる。
顔を上げなくても、それが誰かはすぐにわかった。
「さあ、もう行きましょう」
「……」
「お別れの場は、この場所ではない筈よ」
腕を掴まれて、ゆっくり抱き上げられる。
姿勢を上げた瞬間、視界に入れたくなかったXENOの残骸が見えた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……」
「もっと早く……もっと早く、ちづるさんの苦しみに気付いてあげられたら」
アンナローグは、パラディンの胸の中にすがり、尚も号泣する。
無言で見守る三人を前に、アンナパラディンは、そっとローグの頭を撫でた。
とても、優しく。
「結局、向坂千鶴の母親はどうなる?」
「さぁな。
夫の失踪についていずれ警察から追求されるだろうけど、あの取り乱し方じゃ、上手く隠し通すなんて到底無理だろな」
「ということは、夫殺害と死体遺棄の罪を被せられる可能性が高いというわけか」
「そういうことだ。
だが、それも報いだろう。
娘のために、赤の他人を犠牲にしていたんだからな」
「その件だが、恐らく向坂千鶴が捕食したのは、結局のところ父親だけかもしれん」
「えっ?」
「今回はサーベルタイガーとネコマタ、そして向坂千鶴と、三体ものXENOが暗躍していた。
だがその割には、被害数が妙に少ない。
サーベルタイガーの件は言わずともかな、ネコマタのトラップの件や今回の戦闘を合わせて考えると、目白で起きた事件には、恐らく彼女は殆ど関わっていまい」
「そうなのか?
まあ、だからって、全く罪がないわけじゃないけどな」
「待て凱。
重要なのは、そこじゃない」
「ん? どういうことだ?」
「お前も、アンナローグの記録映像を観ただろう?
向坂千鶴は、人間と全く変わらない姿に擬態していただけでなく、人としての理性を維持し続けていたんだ。
他のXENOが、あの短期間であれだけの捕食行動を行っていたにも関わらず、だ」
「おい、それってつまり……」
「ああ、今回の件で、恐ろしい可能性が露呈したのかもしれん。
もし、向坂千鶴のように、高い理性と擬態能力を併せ持つXENOが、この人間社会に紛れ込んでいるとしたら――」
「可能性は、ゼロではないな。
もし本当にそうだったら、あの子らの闘いは、もっと過酷になるんじゃないか……」
SVアークプレイスの、ミーティングルーム。
深夜に二人だけで交わされた会話は、ここで途切れた。
それから、三ヶ月ほど経ったある日。
突き刺さるような陽光、むせ返るような暑さ。
残暑とはいえ、まだまだ暑さが続く中、愛美は、都内の小さな墓地を一人で訪れていた。
千鶴の墓は、墓地の端の方に、こぢんまりと佇んでいる。
正面に立つと、まるで墓所と一対一で向かい合っているように思えた。
愛美は、道中で買ってきた花束をそっと供え、線香に火を灯す。
そして、作ってきたクッキーを数枚、小皿に並べた。
「こんにちは、ちづるさん」
どこか寂しそうな墓石に、か弱そうな千鶴のイメージが重なる。
「私、ちづるさんとの想い出は決して忘れません。
ええ、決して。
あの時出会ったあなたは、本当の千鶴さんだった。
私は、そう信じています」
どこか寂しげな、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
不意に、涙腺が緩みそうになった。
「私がまた泣いたら、ちづるさん、きっと笑われるでしょうね、みっともないって。
だから私は、もう泣きませんよ」
右手の小指を差し出し、そっと墓石の表面をなぞる。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら、ハリセンボン呑ーます。
――指切りしましたからね、約束です」
また涙が溢れそうになったが、無理に押し留めた。
愛美の心の声に反応するように、一陣の風が、前髪を巻き上げる。
蝉の声に混じり、誰かが微笑む声が、聞こえたような気がした。
「ありがとう、ちづるさん。
――さようなら」
そう呟き、愛美は空を見上げる。
突き抜けるような青空と白い雲が、目に飛び込んで来た。
ちづるさん
天使だったのは、私ではなくて
貴方だったのかもしれませんね――
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