【暗闇】





 その翌日も、愛美はアンナローグとなって、ちづるの部屋を訪問していた。


 ほんの一時間少々しかない貴重な時間に、二人はそれぞれの思っている事、考えた事を語り合った。

 ちづるが、自分の病気について具体的な事を教えられていないという事も、ようやく知った。


 毎日楽しく通っていた小学校。

 登校中に突然倒れ、緊急入院させられたのをきっかけに、彼女はもう一年以上も学校に行っていない。

 以前はクラスメート達が見舞いに来てくれたものだが、もうそれも昔の話となりつつある。

 今では日々病床の時を過ごし、退屈に耐えているだけだという。


「入院しても意味ないんだって。

 だから、お家で“りょーよー”するんだってママが言ってた」


「“りょーよー”?

 そうなんですか?」


「うん。たまにママが本とか買ってきてくれるんだけど、もう全部読んじゃってつまらなくて」


「そうですか~。

 じゃあ、今度私が何か貸してあげましょう」


「ホント?」


「はい。私がお世話になっているご姉妹が、色々な本をお譲りくださったので、今度お持ちますね」


「ふーん、じゃあ、お願いしまーす!」


「うふっ♪ はい、わかりましたー」


 愛美はいつしか、ちづるとのおしゃべりの時間を何よりも大事にしていた。

 ほとんど毎晩のように部屋を訪れるようになり、そのたびに本や漫画、そして恵から教わり始めたビーズアクセサリーの道具や材料、簡単な資料などを少しずつ提供していった。

 ちづるも、何日かするときちんとそれを返し、そしてご自慢の手作りビーズアクセサリーを披露してくれた。



 一週間が過ぎようとした頃には、二人の間でいくつもの本やアクセサリーが交換されるほどになった。


 そして二週間が過ぎる頃、ちづるの提案で二人は交換日記を始めるほどになっていた。





「最近、愛美ちゃんにお友達が出来たんだよー」


 ミーティングルームでおやつのホットケーキを焼きながら、恵は紅茶を嗜む未来に話しかけた。

 気高い香気が鼻腔に流れ、未来はふぅ、と息を吐いた。


「いいことじゃないの。

 私達以外にも友人を作るのは、とても良い事だわ」


「小学生の女の子なんだって~……よいしょっと!」


 器用にフライ返しでホットケーキをひっくり返すと、恵は脇に用意していたキッチンタイマーを起動させる。

 フライパンに蓋を被せると、腰に手を当て、楽しそうに頭を振り始めた。


「ねー、未来ちゃん」


「なに? メグ」


「愛美ちゃんって、どういう人なのかなあ?」


 唐突な質問に、面食らう。


「それは、どういう意味?」


「うん、メグ達はね、愛美ちゃんがどうしてメイドさんをしてたのかとか、その前は何処で何してたのかとか、全然教えてもらってないの」


 恵の言葉に、ハッとさせられる。

 言われてみれば、未来にも、愛美の詳細は殆ど知らされていない。

 恵より知っている情報といえば、井村邸での勤務期間や身体的特徴くらいのものだ。

 

「愛美には、直接聞かなかったの?」


「もちろん聞いたよぉ。

 でもね、“それは秘密です☆”って言って、いつもごまかしちゃうの」


「確かに、それは気になるわね。

 あの子、妙に世間知らずだったり、普通なら知ってそうなことを知らなかったりするし」


「そうなのー。

 だから、ちょっとだけ聞くんだけど、なんだか言いたくないことがあるみたいだからね。

 メグも、それ以上は聞かないようにしてるんだー」


 そう言いながら、恵は蓋をちょいと開けて、焼け具合を確認する。

 バニラエッセンスの温かな香りが、キッチンに充満していく。


「もうすぐ出来るよ! 待っててねー未来ちゃん♪」


「えっ? それ、私用だったの?」


「うん、そうだよ!

 これね、愛美ちゃんに習った焼き方なんだよ! とっても分厚くて美味しく焼けるのー♪」


「そ、そう。

 メグは、食べないの?」


「メグも食べるよー!

 この後に焼くから、お先にどーぞっ☆」


「あ、ありがと……って、わっ」


 恵が皿に載せて出してきたのは、厚みがなんと三センチくらいもある、分厚いホットケーキだった。

 そこに、バターとホイップクリームが添えられ、メイプルシロップがたっぷりかけられている。

 料理上手な恵が作ったものだし、味は保障されているようなものだが、未来にとって、いささかカロリーが心配だ。

 しかし、せっかくの好意を無駄にするわけには行かない。


「あ、ありがとう、いただくわね」


「はい、どーぞっ!」


 無邪気な笑顔を浮かべ、恵が見つめてくる。

 彼女とは古い付き合いになるが、いつもこうして、他人に何か施そうとしてくれる。

 そんな姿勢に、未来は何度も助けられ、支えられてきた。

 アンナセイヴァーのメンバーという以前に、とても大切な親友だ。

 舞衣もそうだし、ありさもそうだ。

 そして、“SAVE.”のメンバーも、自分にとってかけがえのない仲間達だ。

 振り返れば、未来を取り囲む大勢の人々によって、自分はここまで生かされて来たようなものだ。



 ――だが、愛美だけは、違う。



 彼女のことを良く知っている者は、“SAVE.”内でも、果たしてどれだけ居るのだろう?

 勇次や今川、凱にしても、彼女がここに来た時に初めて知り合ったようなものだ。

 唯一、愛美との関わりが深いのは元町夢乃だが、そんな彼女でも、せいぜい一年間程度のつきあいしかないという。

 愛美の周囲に居る人は、誰も彼女のことを良く知らないまま。

 未来は、何故か心が少し締め付けられる感覚に捉われた。


「私達は、もっと愛美のことを知る努力が必要かもね」


「ん~? 何か言った?」


 不思議そうな表情で、恵が顔を覗き込んでくる。

 ナイフとフォークを持ったまま動きが止まっていた未来は、慌てて笑顔を作った。


「ううん、なんでもないわ。

 じゃあ、いただきます」


 少し慌てながら、ホットケーキをカットし、メイプルシロップとクリームをたっぷり付けて口に運ぶ。

 久々に味わう深い甘味と、それを膨らませる生地の信じ難いほどの柔らかさに、未来は一瞬意識を飛ばしそうになった。


「お、美味しい……すご」


「よかったぁ! 未来ちゃんのお口に合って♪」


「ふわっふわで凄く美味しいわ! これ、下手な専門店のより美味しいんじゃないの?!」


 未来は、褒める時は徹底的に褒めるタイプだ。

 いつもは寡黙で余計な発言はしないように心がけているが、激しく心が動くと、意外に口数が増える。

 

「わぁ♪ ありがとー!

 でもね、愛美ちゃんにも言ってあげてね!」


「そうね――ねえ、メグ?」


 フォークを置き、未来は、真剣な顔つきで恵を見た。


「あなたは愛美のこと、どういう風に思ってる?」


「ん~? そうだねぇ~。

 可愛いし、素直だし、優しいし、とっても気遣いが出来るし、すごく良い娘だと思ってるよ!」


「それはわかるわ。

 その……なんていうのかな、昔どんなことをして来たか、とか」


「う~ん、メグ、そういうの詮索するの好きじゃないから……」


 困り顔で、小首を傾げる。

 素直で優しい恵ならではの、当然と云える答えだ。

 聞くだけ野暮だったと反省し、「ごめんなさいね」と言おうとした、その時。


「あのね、でもね。

 前にね、“ずっとお友達が居なかった”って言ってたことがあるの」


「そう」


「もえぎさん、だったかな?

 メイドさんしてた時の先輩が、初めて優しくしてくれたんだって。

 あと、夢乃お姉ちゃんも。

 それからは、メグ達全員がお友達なんだって! えへへ♪」


「じゃあ、それまでは」


「う~ん、愛美ちゃんの性格なら、お友達いっぱい居そうなんだけどなあ。

 不思議だね~」


 そう言うと、恵は次のホットケーキを焼くために、フライパンを熱し始めた。

 その態度は、「この話はここまでにしよう」という、彼女なりの合図なのだろうと解釈する。

 濡れ布巾に乗せたフライパンが、ジュ~っと悲鳴を上げた。


 未来は、愛美の新しい友達に、強い関心を覚え始めた。





 その日の夜、不可解な事件が発生した。


 場所は、豊島区目白四丁目。

 閑静な住宅街、道幅も狭く、付近には西武池袋線が行き交う線路が伸びている環境。

 事件は、そんな場所で起きた。


 警察による、犯行推定時刻は未明頃。

 被害者は、恐らく女性と思われる人物約一名。

 何故“恐らく”なのかというと、現場周辺に、女性の物と思われるハンドバッグや身分証が散らばっていたためだ。


 細い路地の端に佇む街灯の根元に、明らかに致死量に達しているだろう大量の血痕が残留し、被害者自身は行方不明。

 これは、翌日のニュースで判明した情報であり、“SAVE.”が独自入手したものではない。

 しかし、現場が前回“サーベルタイガー”が出現したポイントから、さほど離れていないということもあり、スタッフ間に緊張が走った。


 ここは、地下迷宮(ダンジョン)研究班エリア。

 もはやここは、問題が起こった際に主要メンバーが自然に集う、一種のたまり場的な様相を呈していた。

 オペレータースタッフの女性達が不思議そうな目線を送る中、蛭田勇次と北条凱、今川義元の三人が、複雑な表情でモニタを見つめていた。


「どういうことだ? 別個体がいたということか?」


「可能性はないとは言い切れないが……」


「これ、XENOじゃなくて普通の人間がやった犯行って可能性はないっすかね?」


 三人は、それぞれの思惑を述べる。

 しかし呟かれるのは、いずれも三人の共通見解のみだ。


「人間がやったのなら、被害者を運ぶ時に血痕が点々と付く筈だ。

 そうすれば、少なくとも運ばれた先の推論くらいは挙がるだろうな。

 だが、そういったニュースはないし、情報も確認出来ないな」


 勇次の言葉に、凱が頷きながら補足する。


「それに、現場で犯行がバレるような証拠を露骨に残すバカがいるとも思えないしな。

 普通に考えたら、殺す目的でもまず場所を移してから……ってなるだろう。

 被害者の持ち物だって回収するだろうし」


「ああ、そうかあ。

 ってことは、やっぱり――」


「断末魔を上げる間も、逃走の余地すらも与えず、尚且つ短時間で一気に捕食された。

 そう見るのが、我々的には一番筋が通るだろうな」


「でも、車でさらわれた可能性とかは?」


 今川の質問に、今度は凱が答える。


「それは厳しいな。

 現場はかなり狭い脇道でな、自転車やスクーターが関の山って程度だ。

 誘拐運搬用の車を回せる余裕はないよ」


「うげげ、じゃあもう、殆ど確定事項じゃないですか!」


 勇次が、前回のアンナセイヴァーの戦闘記録をまとめたフォルダを展開し、資料を示す。

 モニタに、三人の視線が集中する。


「前回も話したが、サーベルタイガーは、上から被害者に襲い掛かり、牙で一気に刺し貫く手法を用いていた可能性が高い。

 しかし、その際長い牙が路面や周囲の塀などに傷をつけるケースも多かった」


「一メートルくらいの長さがあったんだもんね」


 勇次と今川の話を聞き、凱は、静かに目を閉じて熟考した。


「――警察が撤収したら、現場検証をして、その痕の有無を確認した方がいいかもな」


「頼めるか、凱」


「ああ、早速今夜にでも行ってみる」


 そう言うと、凱は席を立ち、そそくさと研究エリアを後にする。

 残された勇次と今川は、改めて顔を見合わせた。


「XENOセンサー的なもの、なんとか作れないもんっすかねー、勇次さん?」


「それには、XENOが発する何かしらの“情報”が必要だな。

 仮に発見出来たとしても、果たしてそれを検知出来るかどうかの実験も必要だから、XENOの全面協力が必要になるだろう」


「ぐはぁ、やっぱり無理かあ!」


 頭を抱えたジタバタする今川を尻目に、勇次は、ふと何かを思いついた。


「だが、XENOが変態する瞬間を観察し、周囲環境への影響を測定できれば、何か手がかりが得られるかもしれないな」


「おっ、おっ? 可能性はあるってことっすか?」


「例えばだが、XENOが擬態状態から変態する際、周囲に何かを分泌または放出しているとすれば、その成分などを予め記録しておくことで、今度はそれをサーチ出来るようになるかもしれんな」


「でも、それって科学魔法の領域じゃないっすかね?」


 訝しげな今川に、勇次は目を閉じながら応える。


「所詮これは仮定に過ぎない話だが、トライアンドエラー的な見地なら、試してみる価値はあるかもしれん。

 それに、現場にも何か目に見えないものが僅かに残留している可能性も否定できん」


「ナイトシェイドに、調査してもらいます?」


 今川が、何故か両手の指で車の形を描きながら尋ねる。

 しかし、勇次は首を振った。


「ここは、あいつに頼む方が適正だ」


 そう言うと、勇次は先程退出した凱に、再度連絡を繋いだ。

 







「ごめんな、舞衣、メグ。

 そういう訳だから、少しだけ力を貸してくれ」


「いえ、そんな。

 こういう事でしたら、いつでもお言いつけください」


 ずいぶん下手に出た頼みだというのに、舞衣は、それ以上にかしこまって頼みを聞いてくれた。


「メグもオッケーだよ。

 お姉ちゃん、頑張ってね!」


「うん、メグちゃんも協力お願いね」


 件の現場調査には、舞衣――アンナウィザードが協力することになった。

 ナイトシェイドの各種センサーと、アンナウィザードに搭載されている環境探知機能(アトモスフェリック・アナライザー)をリンクさせ、そこにパイロットである舞衣自身の目視や接触などの感覚情報を合わせ、様々な見地からサンプルやデータを回収。

 これを繰り返すことで、XENO検知に辿り着くデータを集めるという寸法だ。

 だが、その為にはクロスチャージングが必要なため、必然的に恵も協力を余儀なくされる。

 アンナミスティックは、ほぼ付き添いレベルになってしまうのだが、恵はそれでも、嫌な顔一つせずに協力を快諾した。


 行きつけのレストランで腹ごしらえをした後、三人はナイトシェイドに乗り、SVアークプレイス敷地内でクロスチャージングを実行。

 凱は先に現場付近に移動し、そこで二人と合流するという段取りとなった。



 午後九時。

 科学魔法「インヴィジブルビジョン」で姿を消したアンナウィザードとミスティックは、凱と共に現場周辺調査を開始した。

 道が狭い都合、ナイトシェイドは自動運転で周辺を走り回りながら、凱の腕時計(シェイドII)を経由してデータを受け取り、分析を行う。

 不審者に思われないよう、スマホを観ながら歩く通行人の体を装い、凱も周辺を観察した。


「特に、牙の跡のようなものはないみたいだな」


『こっちも何もないよー。

 この前のとは、違うXENOじゃないのかな?』


 アンナミスティックの声が、Bluetoothのイヤホン越しに響く。

 

『周辺の各所の形状をスキャンしながら見ていますが、少なくとも、サーベルタイガーの時のような痕跡は見当たりません。

 ただ、個人的に気になることが』


 アンナウィザードの通信に、反応する。


「何か見つかったのか?」


『いえ、そういうわけじゃないんですけど。

 この小路、街灯が犯行現場に立っている、この一本しかないんです』


『んにゃ? それでそれで?』


 アンナミスティックが、通信に割り込んでくる。

 凱は、思わず足を止め、聞き入った。


「続けてくれ」


『この小路は、とても暗いんです。

 もしこの街灯がなかったら、多分殆ど何も見えないかもしれません』


『あー、そっかあ。

 こっち側、塀もあって周りのおうちの光も届きにくいんだね』


「都内なのに珍しいな、そこまで真っ暗ってのは。

 ……で、それから?」


『はい。つまり逆に考えれば、この街灯の真下を通った人は、周辺に潜んでいた犯人にとって――』


 ウィザードの言いたいことが、ようやく理解出来た。

 凱は、即座に現場に戻ると、問題の街灯の傍に立ち、周囲をぐるりと見回した。


(一見、何かが隠れられそうなところはないな。

 あるとしたら、近所の家の敷地内に隠れるくらいしかない……けど)


 よくよく見ると、近くにもう一本街灯はあるのだが、故障しているようで点灯していない。

 その為、極端に暗くなっているようだ。

 道幅はせいぜい三メートル弱程度しかなく、軽自動車でも入り込むのは困難そうだ。

 その上、路の両脇には民家がみっちりと立ち並んでいる。

 区画の影響なのか、どの家も、XENOが身を潜められそうなほどの広い庭はない。

 こんな所で人が襲われ、姿をくらますなど、普通では考えられない状況だ。


 普通であるなら、だが。


(もしありうるとすれば……いや、さすがにそれはないか)


 路の両脇に立つ民家を見上げながら、凱は、顎に指を充てて考え込む。

 その時、不意に誰かの欠伸の声が聞こえた。


「眠そうだな」


『ご、ごめんなさい。大丈夫です』


 声の主は、アンナウィザードのようだ。

 時刻は、もうすぐ22時半。

 いつもなら、彼女達はもう寝室に入っている頃だ。


「二人とも、今日はここまでにして撤収しよう」


『はーい!』


『お兄様、私、やっぱりもう少しがんばりたいです』


 素直に応えるアンナミスティックに対して、アンナウィザードは、少しだけ口調を強めて主張する。

 何の成果もないままで帰ってしまったら、自分が何の役にも立たなかった事になってしまう。

 彼女の性格から、そんな風に考えているだろうことは、容易に想像が付く。

 だが凱は、その反応を察していたように、虚空に向かって首を振った。


「明日も学校があるんだから、素直に出直そう。

 また今度頼むから」


『でも、せめてもう少しだけ!

 私、お兄様のお部屋に泊まりますから。だから……』


『あー、お姉ちゃんどさくさ紛れにずるいー!

 それなら私も、もちょっとがんばるーっ!』


 余計なところに飛び火したなー……と思いながら、凱はなんとか思い留まらせようとする。

 確かに舞衣達のやる気はありがたいが、育ての兄として、これ以上無理をさせたくないという気持ちの方が上回る。


「わかったわかった。

 じゃあ、二人ともうちに泊まっていいから、今夜はもう――」


 そう凱が言いかけた時、突然、アンナウィザードが驚きの声を上げた。


「どうした、舞衣?!」


『アンナ……ローグ?』


「えっ?」


 思わず、周囲を見回す。

 どうやらアンナミスティックも同じことをしているようで、「えっ? えっ?」と呟いている。


「どこだ?」


『あの、向こうの……お兄様から見て、右斜め上に」


 指示された方向を凝視すると、すぐ手前に建っている家の上空に、人影のようなものがふわりと浮かんでいるように見える。

 だが、凱にはそれが人間であるか、ましてやアンナローグであると判別出来る自信が持てなかった。


「ほ、本当にそうか?」


「間違いありません。長いリボンが見えます」


「え、そ、そう?」


 さらに目を懲らすが、まったくわからない。

 先に言われてなければ、幽霊にすら思えるほどだ。


 その直後、影はふわりと高く舞い上がり、視界から完全に消えた。


『あやや~、いなくなっちゃったね』


『私達に気付いた様子はありませんでしたが。

 どうして、こんな所にいらしたんでしょう』


「ここしばらく、ずっと夜間出かけていたけど、ここが目的地だったのかな?」

 

 手前の家には、古ぼけた感じの表札がかかっている。

 『向坂』という名字が確認できた。


(しかし、現場のすぐ近くにアンナローグ……?)


 ナイトシェイドを呼び寄せ、大きな通りに戻ろうとする凱は、何か言い様のない違和感に苛まれた。







「それで、結局XENOについては、何も新しい発見はなかったのね」


 未来の質問に、舞衣は頷きを返す。


「現場の状況と大気中の成分を分析して、サンプルも回収しましたが、新しい発見は何もありませんでした」


「そうか、やはり何もなかったか」


「となると、全く新しいXENOか、それ以外の何かによる事件ってこと?」


「それは、今のところはなんとも……」




 

 翌日の夕方。

 学校帰りにSVアークプレイスのMTルームに集まったメンバーと凱、そして勇次と今川は、先日の報告を受けて首を捻っていた。

 ほぼいつもの面々が揃っているが、愛美だけはここに居ない。

 恵の話で、最近はいつも、この時間は仮眠を取っているとのことだった。


「あと、偶然なんですけど。

 現場の近くでアンナローグを見ました」


「アンナローグ?」


「そうそう! 本当にすぐ近くだったよねー。

 愛美ちゃんは、メグ達に気付かなかったみたいなんだけど」


「凄い偶然で、びっくりしましたね」


 顔を見合わせ驚き具合を語り合う相模姉妹に、未来とありさは怪訝な表情を向ける。

 どうやら、勇次達も同じ気持ちのようだ。


「ねえ舞衣、個体認識(ビーコン)は確認しなかったの?」


「す、すみません、うっかり……」


 未来に質問に、舞衣は顔を赤らめ、申し訳なさそうに返答する。


「アンナローグは、ここしばらく、毎晩外出している。

 時間帯もほぼ同じで、毎晩午後23時までには帰還しているな」


 勇次の呟きに、今まで黙っていた今川が反応する。


「例の犯行推定時刻って、確か未明でしたよね?

 ってことは、アンナローグが帰った後ってことですよね」


「何が言いたい? 今川」


「いや、まさかとは思うんですけど。

 待っていた、なんてことは……ないですよね、さすがに!」


 たはは、と頭を掻きながら、自分の発言を笑って誤魔化そうとする。

 しかし、今川の言葉に勇次と凱、そして未来とありさの表情が、瞬時に強張った。


「それ、もし当たってたら」


「相当な計画性を以って行動が可能な、相当知能の高いXENOが潜んでいる可能性があるということですね」


 ありさと未来が思いを述べ、勇次達が頷く。

 舞衣と恵は、その様子をただ黙って聞いているが、顔色は双方青ざめていた。


「もしかしたら、アンナローグの映像データに、何か記録が残っているかもしれません。

 それを分析して――」


 未来がそこまで言いかけた時、突然、恵が反論した。


「待って!

 でも、それには愛美ちゃんのお友達も映っているんだよ!

 それじゃあ、愛美ちゃんに悪いよ!」


「確かに、愛美さんもお友達のことはナイショにしていましたから、私はあまり気が乗りません……」


 舞衣も、恵に同調する。

 それに勇次が何かを言いかけるが、凱はそれを手で制した。


「二人の気持ちはわかる。

 だがもし、アンナローグの映像に重要なヒントが隠れていたのに、それを見過ごして被害が増えてしまったら、後悔どころの騒ぎじゃ済まないぞ」


「う……」


 親が子供を諭すように、優しくかつ厳しく返す。

 反論を呑み込み、うつむいてしまった二人を見て、ありさと未来は無言で頷き合った。


「あのさ凱さん、それにみんな。

 ちょっといいかな?」


「今の話ですが、愛美に直接話してみようと思います。

 よろしいでしょうか?」


 二人の提案に、その場の全員が頷いた。

 




「いってきま~す……」


 誰にも聞こえないようなか細い声で囁くと、愛美は、今日もこっそりと玄関を抜け出した。

 マンションの屋上に上がり、そこでこっそりチャージアップを行う。

 もっとも、あんな派手な演出効果がつきまとうチャージアップに、こっそりも何もないのだが。


「チャージ、アーップ」


 鋭い閃光と、一瞬の衝撃音を残し、桃色の輝きと化した愛美は、暗い空へとその身を躍らせた。


 それから僅かに遅れて、地上に出現した二つの輝きが、彼女の後を追って飛び立った。

 赤色と、オレンジ色の光が。





「ちづるちゃん、こんばんわ―」


 窓ガラスを軽くノックし、閉ざされたカーテンの向こうの反応を待つ。

 部屋の中は暗く、ちづるが起きているようにはとても思えない。


(今夜も、もうお休みになられたのでしょうか)


 これで、三日連続だ。

 もしかして、急に体調が悪くなったのだろうか。

 先週末辺りから、ちづるの文章量が少しずつ減り始めていることを、愛美は気にしていた。

 決して面倒になったわけではないようで、少ない文章でも多くの想いを伝えようと、懸命に書き連ねている様子が窺える。

 いつしか愛美は、その文章を読むにつれ、自分もちづると共に病と戦っているような錯覚に陥っていた。


(やっぱり、明日、日中に来てみようかな)


 一度はっきりと断られてはいるが、もしちづるが苦しんでいるのなら、せめて一言声をかけてあげたかった。

 そして、毎晩遅くに訪れるアンナローグとしてではなく、“千葉愛美”という一個人として会いたい、素顔で語り合いたいという願いもあった。

 このままでは、もしちづるに万一の事があったとしても、それに気付かないまま、毎晩訪れる事になるのだろうか。

 そう考えると、居ても立ってもいられなかったのだ。


 窓の外に滞空しながら、独りそんな想いに駆られる。

 ふと我にったアンナローグは、交換日記の入ったクリアファイルを手すり部分に立てかけ、そっと身を翻した。




「誰に会いに来ていたの?」


 数十メートルほど上昇した所で、突然背後から声をかけられる。

 驚いて振り返ると、少し離れた所で、薄い光に包まれた女性の姿が浮かび上がった。



「未来さん――アンナパラディン?」




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