強盗童話―C’robber〈OZ〉―

冬春夏秋(とはるなつき)

第1話/ロンドン橋、落ちる。

ヴァレンタイン氏の優雅だった一日のはじまり


 オチとして、世の中を大いににぎわわせた事件のあった日の朝。


「では、こちらにサインを――Mrミスター.ヴァレンタイン」


 銀行員モーヴ・グリフィス。彼女がこの日、最初に対応した男のことは良く知っている。なにせお得意様というやつだ。だからおどろいた。これまで担当として付き合って来た間に、彼が仕事――大金のり取り――以外での、些細ささいな個人預金の引き出しを、こんな平日の朝イチからおこなったことはなかったから。


「あいよ」という気楽な返事とよどみなく筆記体で書かれていく名前。モーヴは眼鏡メガネの奥で、ペンを持った手とそれを、どこか曖昧あいまいな夢を見ている気分で見つめて。いやいやと集中し直して顔を上げた――き込まれる。いやいやいや。


 せきばらい。


「んんっ。……珍しいですね」


「うん? 何がだい」


 失礼を承知で、けれども友好的に関係を築いている銀行員の顔で。顧客こきゃくの事情に立ち入り過ぎずに、このを話題にしてしまった。


「その、ヴァレンタイン氏がこんな額を朝早くから」


「わかる」


 まさかの本人からの同意。モーヴは思わず目をぱちくりとさせてしまった。


「実は昨日、ちょっとしたゴタゴタがあってね。どうにも仕事するような気分じゃなくなっちまってさ。それで仲間たちと今日はオフにしまちまおうってなったワケだ」


 果たしてヴァレンタイン氏はそのゴタゴタの仔細――を話すでもなく、簡潔に結論だけをげたのだった。


「まぁオレも抜けてた。財布の中身すっからかんだってことに気づいたのはロンドンに着いてからだ。ンで、いっそ今日は財布ごと買い替えちまえってな」


「なるほど。ふふ、ならATMで良かったのでは? それに貴方あなたのクレジットカードなら限度もないでしょうに」


 笑みを悟られまいと口元に手を当てながら、うっかり顔を見てしまった。いけない。

 具体的には


「わかってねェなぁ姉さん。が無くなっちまうだろ、それじゃ」


「もう! ……一体その手口で何人の女性を泣かせてきたんですか? Mrミスター.ヴァレンタイン」


「この手はアンタが初めてだよ。朝起きた時にひらめいたからな」


「まだ業務が始まったばかりですので」


「人気者のランチタイムはれなさそうだ。ディナーならどうだい? Msミス.グリフィス」


当行とうこうの大事なお客様と個人的プライベートな関係になるのは銀行員バンカーとしてあるまじき行為ですので」


「はッ。お手上げだ」


 言葉の通りに両手を上げて氏は引き下がった。あやうくアフターファイブの予定を今から空けにかかってしまうところだった。


「じゃあ、にまた来るよ。19時くらいでいいかい?」


 前言撤回。残業は無しの方向で仕事を片付けることになった。彼は引き下がると見せかけて引き金を引いたのだった。


「……良い一日を、ミスター」


「良い一日にしてくれてありがとう、レディ」


 ううん、手ごわい。


 そうして軽い足取りで外へ向かう後姿を見送って。



 ――再会は、予定していたディナータイムよりもずいぶん早かった。


 午前の業務を終え、昼食ランチろうと思った矢先の出来事である。


 ロンドンの平日、正午しょうご過ぎ。


「ヴァレンタイン氏!?」



 街中に響き渡るパトカーの警報音サイレンとざわめき立つ人々を背に、彼はすすまみれの格好で再び銀行の入り口に現われた。


開けてくれ、Ms.グリフィス」


 平穏へいおんなるはここに崩れ去る。残るのはあわただしいだ。



 ――困ったことに現在、この街ロンドンには世界を騒乱に巻き込む【大強盗】と呼ばれる四人組がよく出没する。


 この騒ぎも彼らが一枚んでるどころか中心にいるであろうことを、モーヴ・グリフィスは疑いもしなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る