2 新しい家
今の家には元から置いてあった家具も多数ある。
新しい家に持っていくものは、各自の荷物に買い足した家具数個と本、各種調理器具に、ギロ用の特注ベッドくらいだ。
全て僕のマジックバッグの中に収まった。
だから、役人さんから「引越し業者を手配しますよ」という親切は丁重にお断りした。
引き渡しまでの三日間で、今の家の片付けと清掃を済ませた。
そして引き渡しの日、僕たちは新しい家の住人となった。
各自の部屋を決め家具や持ち込んだ物の設置を済ませ、本はとりあえず書庫の空いている棚に適当に詰めた。なんと前の持ち主である侯爵の蔵書がほぼそのまま残っているのだ。良いのかと役人さんに問えば「屋敷の中にある物すべて、新しい所有者に譲るという契約です。問題ありません」と返ってきた。
「ねえ、クローゼットの中にドレスがあるのだけど……」
後で聞いたら、アイリに丁度いいサイズのドレスが十着ほど置いてあったそうだ。更に言うと、家で一番広い個室には僕にぴったりのサイズの貴族の正装が何着かあった。
アイリは女性としても小さな方だし、僕は冒険者の中でも身体が大きい方の部類に入る。本当に前の住人のものだろうか。
「着てみたら?」
真相はどうあれ、せっかくなので着飾ったアイリを是非また見たい。
「着ましょう。アイリ様、お手伝いいたします」
「えっちょっサラミヤ!?」
サラミヤがノリノリでアイリを部屋に引き込み、扉をバタンと閉めた。
しばらくアイリの謎の悲鳴が聞こえ、静かになって少しして「サラミヤも着なさいよ」「サイズが合いません」という会話の後、部屋から二人が出てきた。
アイリは水色のロングドレスに身を包み、髪はシニョンにまとめていた。
顔は赤く、頬は膨れていたが、それでも可愛い。
「綺麗。似合うよ」
「……ありがとう。でも着替えるっ! 動きづらいっ! コルセット嫌!」
今度はアイリひとりで部屋に引っ込み、次に出てきた時はいつもの普段着姿だった。
「勿体ないです……」
サラミヤが心底残念そうに呟いた。僕も口には出さなかったが、同じ気持ちだった。
昼食までは出来合いのもので済ませたが、夕食はギロが早速新しいキッチンで腕を揮ってくれた。
「この状況、慣れるかしら」
「慣れなかったら別の部屋に小さなテーブルを用意しよう」
食卓のテーブルは十人は余裕で食事ができる程大きく、僕とアイリだけでは広すぎて落ち着かない。
特にアイリは何もかも大きいこの家に、若干萎縮している。
「ギロ、キッチンはどう?」
「素晴らしいですね。食料庫の魔道具が最新式のものですから作りおきが捗りますし、設備や道具も一流のものが揃っておりました」
このあたりは国が手配してくれたのだろう。
「それは良かった。サラミヤは、何か不満とかある?」
「いいえ全く。素敵なお家です」
サラミヤは新しい家に越して来てからずっとニコニコと笑みを浮かべている。
元伯爵令嬢のサラミヤにとっては寧ろ慣れた広さなのだろう。
「しばらくクエストを休んで、家に慣れることに注力しようか」
「そうしてくれると助かるわ」
屋敷内の訓練場は壁と床が頑丈な素材でできていて、防音機能まで備わっていた。
しかし僕の力の解放には耐えきれそうにない。
魔法の練習と力の解放は以前と同じく人里離れた場所で行うことにした。
とはいえ室内にこれだけの空間があるだけでも有り難い。
魔法で結界を張り、部屋と屋敷全体を堅牢にしてから、日課の鍛錬を開始した。
僕が鍛錬や読書で時間を使っている間、アイリは家中を歩き回り、どこに何があるかの把握と屋敷に慣れ親しむ努力を重ねていた。
「サラミヤ、この部屋は何に使うの?」
「サロンですね。屋敷の女主人が親しい人を招いてお茶会を開いたりします」
「お茶会?」
「御婦人の情報交換や交流の場です。文字通りお茶やお菓子を楽しむ場でもありますよ」
「へぇ……」
鍛錬を終えて自室へ戻る最中、サラミヤとアイリの話し声が聞こえた。近づいてみると、アイリがサロンとお茶会についてサラミヤから教わっていた。
「広くて綺麗な部屋なのに、私達じゃ使い道がなさそうね。ちょっと勿体ないわ」
「普通にここでお茶したらいいよ」
サロンに入るのは二度目だ。品のいい調度品がそのまま残されていて、日当たりも良い。庭に面している大きな窓の外に花でも植えれば更に華やかになるだろう。
「ラウト、いつからそこに?」
「この部屋は何に使うのか聞いたとこから聞こえてた」
「ほとんど最初からじゃない」
「ごめんごめん。盗み聞くつもりはなかったよ」
「別に聞かれて困る内容じゃないけど……。でも、そうね。お茶はここで頂いてみようかな」
「今すぐ何かお持ちしましょうか?」
「ついでに何か軽くつまめるものがあったらお願い」
「畏まりました」
気を利かせてくれたサラミヤに甘えて要望を出すと、サラミヤは笑顔で応えてキッチンの方へ向かった。
戻ってきたサラミヤにはギロが伴っていた。
「お茶会をすると聞きまして、賑やかしに参上しました」
ギロとサラミヤには最低限の給仕だけしてもらい、後は各々、好きなお茶やお菓子を自分で取り、とりとめのない話をした。
「ラウトとサラミヤはわかるけど、ギロまで慣れるのが早いわね」
チーズケーキを切り分けていたギロが顔をあげた。
「冒険者をやっていた頃、一番はじめにいたパーティのリーダーが貴族出身だったのですよ。家の力で、ここよりは小さいですが、似たような屋敷を拠点にしていました」
「意外といるのね、貴族出身の冒険者」
「どうでしょう。私の知る限り、その人とラウト様くらいですが」
ギロの元仲間は確か……。
「アイリ。そこの庭に花を植えたいんだけど、何が良いかな」
「花? あ、そうね。色合いを考えるなら……」
アイリも思い出したのだろう。すぐに話の切り替えに乗ってきた。
話題が花やハーブに移り、少しだけホッとしていた僕の横に、ギロがお茶のお代わりを注ぎにやってきた。
「私はもう気にしておりませんよ。ですが、ありがとうございます」
小声だったが、安心する声色だった。
三日ほどでアイリは新しい家にすっかり馴染んだ。冒険者は元々、環境の変化に強くなくてはやってられない。
町外れから町の中心に移ったことで買い物がしやすくなったと喜び、近所の人達とも良好な関係を築いている。
クエストは丁度よいのがなかったこともあり、引っ越してから初めてのクエストを請けるまで、十五日ほど空いてしまった。
「おお、ラウト、久しぶりだな」
冒険者ギルドで陽気に声を掛けてきたのは、クレレだ。他の仲間も僕とアイリを見かけるなり、手を上げて挨拶してくれる。
「久しぶり。ちょっと引っ越しとかしてて」
「へえ、どこだ? ……ああ、あのでかい家か。ラウトには丁度いいな」
「丁度いいって何だよ」
クレレと軽口を叩き合っていると、ギルドホールが静かにざわついた。
ホールの入口に黒いフードを被った人が何人か現れ、ギルドの受付さんたちの空気がピリリとひりつく。
「また来たのか。懲りない連中だ」
「何あれ」
人当たりの良いクレレがこんなことを言うなんて、相当だ。
黒いフードのうち、辺りを見回していたひとりが、僕の方へ視線を固定した。
嫌な予感がする。
「魔王を神の使いだと信じてる連中だよ。『魔神教』とか言ってたか。冒険者に『魔物を殺すな』って血迷ったことを説いて回ってる」
黒いフードのひとりは迷わず僕のところへ歩いてきて……通り過ぎてアイリの前に立った。
僕はいつでも動けるよう、静かに体勢を整えた。
「久しぶり、アイリ」
先程のクレレと同じ言葉を知った声が放ったが、やけに気持ち悪い。
「どちら様?」
アイリが怪訝そうに応じると、そいつは黒いフードを取り払った。
出てきたのは、セルパンのパーティで一緒だった、元仲間だ。
「俺だよ、クレイドだ。まだ冒険者をやっていたんだな。あいつは、ラウトはどうした? どこかで死んだか?」
僕はアイリのすぐ横に立っているのに、クレイドには僕がわからないらしい。
以前もセルパンに似たような反応をされたことがある。
レベルが上がると、そんなに雰囲気が変わるのだろうか。
「ラウトならここにいるわ。忘れたの?」
アイリが僕の背後に隠れる。
クレイドは訝しげな表情で僕を見上げ、目を見張った。
「……え、ラウトか? いやあ久しぶりだな! 元気そうで何よりだ!」
クレイドが僕の肩を気安く叩こうとしたのを、避けた。
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