21 浅慮と熟考

 魔族はどこからともなく取り出したティーセットをテーブルの上に並べ、僕にお茶を勧めてきた。何の小細工もない普通の紅茶のようだが、飲むつもりはない。

「まず先程会っていた彼女について、誤解を解いておこうか」

 サラミヤの気配は屋敷の二階にある。他の人の気配も近いから、同じ部屋か隣室にいるのだろう。

「私は彼女に何もしてはいないよ。彼女はストリア村で親を亡くし、路頭に迷っていたところを保護したんだ」

 魔族が嘘をついているのかどうかの判断はできない。

「サラミヤが親を亡くした原因は、魔物の仕業だ。あの村の周辺には魔王様の息のかかった上位種の魔物が多く潜んでいるからね」

「……」

「魔族の私が何を言っている、という顔だね。しかし私とそこらの魔物を一緒にしてもらっては困る。魔物は理性のない、殺戮衝動だけのけだものだ。私は人間と共存する道を選んだのだよ」

「じゃあ、村に残っているお前の気配は」

「縄張りだという主張だ。あれで、周辺の魔物は近づけない」

 ここまでの話をすべて信じるなら、こいつは本当に人間との共存を望む、良い魔族だということになる。

 しかし、僕は引っ掛かりを覚えた。その引っ掛かりは一先ず心にしまっておいて、話の続きを促すことにした。

「どういう方法で共存しようと?」

 僕の問いかけに、魔族は笑みをさらに深めた。

「人間と同じだよ。家族をつくり、お互いを慈しみながら生活する。私が人の居住地に住み着くのはまだ時期尚早だからね。この屋敷にはサラミヤ以外にも人間が三人いるのだが、彼女たちに助けてもらっている。サラミヤはご両親を目の前で殺された衝撃から、心が回復していない。だから今はまだ、休ませているよ」

 魔族が喋っている間も、僕は気配察知を展開して屋敷内の全てを確認していた。

 屋敷自体は、高位貴族がよく住んでいる場所と似たようなつくりだ。住人が五人では少なすぎるほど広い。人間の貴族ならば、侍女を十人近く雇っていてもおかしくない。

 もう少し集中して気配察知を磨けば、もっといろいろなことに気づけるかもしれないが、今の状況ではこれが限界だ。

 だが、僕の知りたいことは大体把握できた。

「お前がここで家族ごっこをしているのは本当のようだな」

「ごっこのつもりではありませんが、人間の目には、そう見えますかな。足りない所があればご教授願いたい」

「一階の角のキッチンに、長期間人が足を踏み入れた形跡がないな」

 魔族は初めて、柔和な笑顔を凍りつかせた。

「他に三人いるのは確かだが、不自然なほど動いていない。眠っていても、寝返りくらいはするだろう? サラミヤには何もしていないと言っていたが、他の三人には何をした?」

 僕はまだ座ったままだが、剣はいつでも抜ける。

「村に縄張りの主張をしたのも本当だな。だが、その縄張りから追い出された魔物はどこへ行った? それに村には元々、魔物除けの防護結界が張ってあるから無意味だ」

 縄張りを追い出された魔物は、討伐されていなければ別の場所へ住処を変えるだけだ。人への脅威は変わらないどころか、魔物の分布の均衡が崩れてより危険だ。

 魔族はいよいよ顔をこわばらせたが、僕は構わず続けた。

「サラミヤは何故、気配を殺していた僕の前に現れた? 心が傷ついた人間を真夜中に歩き回らせるなんて、治療に逆効果だ」

「そ、それは、考えが及びませんでしたね。人間の心の治し方などわかりませんので……」

「心を回復させたいと言っておきながら、治療方法を調べることもしなかったのか」

 僕がなにか言う度に、魔族は脂汗を滴らせた。

「第一、魔王が現れてからというもの、親を魔物に殺された子供は例外なく、村や町が保護する。保護できる人がいなくても、最終的に国が助けを出す。路頭に迷うはずがない」

「サラミヤは本当に、村の外で魔物に襲われて……」

「村の外で大人が魔物に襲われて、子供一人だけ逃げ切れるなんて考え難い。逃げ切れたとして、その場にお前が偶然居合わせるのも不自然だ。お前は現場にいて魔物がサラミヤの両親を襲うのを止めなかったか……お前自身がサラミヤの前で両親を殺したんだな」

 魔族は顔を伏せた。しばらくして「くくく……」と声を漏らす。

「人間は頭が回りますなぁ。少人数でここへ乗り込んでこられたということは、腕にも自信があるのでしょう?」

 立ち上がった魔族は再び笑みを浮かべていた。今度は不敵な、厭らしい笑みだ。

「ラウト様」

 ギロが後ろからそっと声を掛けてくれる。僕が目で「なにもしなくていい」と合図すると、再び直立不動の姿勢を取った。

「人を効率的に喰い殺すのに、飼い馴らしてはどうか思いつきましてね。サラミヤ達は実験体です。三人は完全に壊れてしまいましたが、サラミヤはもう少しで上手くいくと期待していましたのに」

 魔族は身体中からぱきぱきと音を立てながら、異形に変化していく。角、翼、牙、爪、尾……。魔族らしいパーツが、貴族の服を突き破って次々に生えてきた。

 でっぷりと肥えた魔族は、変体を終えると僕を見下ろして舌舐めずりした。

「人間は繊細すぎて面倒くさいですねぇ。心が壊れたら身体も壊れてしまうとは」

 サラミヤのことなら、身体は無事だ。僕が「治療」と口にしたことで、身体にも影響が出ているとでも勘違いしたのだろうか。

 人間に対する理解度が低すぎる。

「村に気配を残した理由は何だ?」

「さっきも言っただろう、縄張りさ。私だけの獲物だと知らしめている」

「あと一つだけ聞かせてもらう。お前がサラミヤの両親を殺したことを、サラミヤは知っているのか?」

「見られたが、記憶を消してやったさ」

 せせら嗤う魔族の首に、剣の切っ先を突きつけた。

「ギロ、サラミヤをここへ連れてきてくれないか」

「畏まりました」

「……!? 貴様、いつのまにっ」

 ギロとの短い会話が終わった頃にようやく、魔族は自分の首の剣に気づいた。

 すぐにギロは、寝ている状態のサラミヤをそのまま抱き上げてこの部屋へ運んできてくれた。

「他の三人は?」

「おそらく……」

 サラミやの近くにいる人たちのことを尋ねると、ギロは苦渋に満ちた顔で首を横に振った。

「そうか……。悪いけど、サラミヤを起こしてくれるか」

「はい。サラミヤさん、起きてください」

 ギロがサラミヤを横抱きのままゆすると、サラミヤは「んんぅ……」と声を上げ、ぼんやりと目を覚ました。ギロに抱き上げられている状況を把握しながらも、意に介していない。

「サラミヤ、こいつの姿を見て、なにか思い出せることはないか?」

 魔族は「何を言い出すんだ」という表情をした。

 一方サラミヤは、魔族を呆然と眺めたかと思いきや、徐々にその瞳の光を強めていった。

「……! ま、まもの……おとうさんと、おかあさんを……」

「何っ!?」

 人間を舐めすぎだ。人の記憶をそう簡単に完璧に弄れてたまるものか。

 魔族は催眠か何かで記憶を失わせたつもりだったのだろうが、サラミヤの記憶は消えたのではなく、両親が殺されたという精神的苦痛に対抗するための自己防衛本能として思い出さなかっただけだろう。

「こいつが『ご主人様』の正体だ。今から僕が、こいつを倒す」

 カタカタと震えるサラミヤを、ギロが優しく抱きしめた。

「大丈夫です。私のご主人様はお強いですから。見たくないなら、目を覆って差し上げますが」

 ギロの落ち着いた声にすがるように、サラミヤはギロの服をぎゅっと握りしめ、首をわずかに横に振った。

「ううん、おとうさんと、おかあさんのかたき、あのおにいちゃんが、とってくれるの?」

「はい」

「じゃあ、みる」

「サラミヤ! 私だ! お前のご主人様だ! 住処と服と食事を与えてやっただろう!?」

 魔族は急に人の姿へと戻った。最初の、恰幅のいい温厚そうな男性だが、服は破れたままだ。

「ひっ!」

 だが逆効果だ。サラミヤはますます怯え、ギロに縋り付く。

「衣食住は確かに人が生きるための基本だけどな。それだけじゃないんだよ」

 人の心とはどういうものか、僕なりの考えを話そうとして、やめた。

 短くまとめて語り尽くせるものではないし、何より、これから倒される魔族が知ったところで無駄だ。

「ははっ、剣を下げたなあ!」

 今度は一瞬で魔族の姿に戻り、そのまま僕に覆いかぶさるように迫ってきた。

 剣は下げていたが、僕が攻撃を止めたわけではない。

「お前から食い殺してく」

 魔族の台詞は途中で止まった。

 僕が剣で、首を斬り落としたからだ。


 ギロがサラミヤをそっと下ろすと、サラミヤは消えゆく魔族の死体をじっと眺めてから、僕に向き直った。

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