食べられます日記 KAC202211

一見 才

食べられます日記

昔から母の作る料理が嫌いだった。

食卓のテーブルには常に野菜、野菜、野菜。

「今日は久し振りにお肉にしてみたよ」と言った、あの日。鶏ももや豚、牛肉を期待したら、まさかの鶏むね肉。パサパサして美味くない。「そんなこと言うんだったら、お肉も畑の肉にしちゃうぞ?」なんて言うもんだから、「母さんの作る料理なんてもう要らねぇよ」と吐き捨てた。中二の、夏の日だった。まだ黒く染まりきらぬ十九時のこと。

その翌日から、俺は自炊を始めた。初めて作ったメシは、今でも鮮明に憶えている。

チャーハンだ。米はべちゃべちゃ、卵はすっかり固まったスクランブルエッグ状になってフライパンにこびりついていた。

味? 無味だよ、無味。一応、胡椒を振りかけたんだけど、塩を忘れて。胡椒ご飯とカピカピ卵を食った。決して「美味い」なんて言えなかったが、母の作る料理よりはマシだと思った。

大体、何故育ち盛りの中学生男子に野菜なんだ。給食だって、ダチに「お前ベジタリアンだろ? 俺が食ってやるよ」なんて言われ、毎回食われる始末だ。いくら否定したって聞きやしない。

俺はそれをガッガッと口の中に放り、よく噛みもせずに飲み込んだ。


──────やっぱり、美味くない。


*

自炊を始めてから一週間ほど経過した。母は朝から仕事に行き、俺も昼まで部活をし、午後、家には父と二人きりになった。

父は寡黙な人で無駄なことは一切喋らない。普段は書斎にいて心理学やら何やら、難しそうな本を読んで休日を過ごしている。勉強が苦手な俺にはさっぱり分からない。

帰宅して直ぐに「メシメシー……」と呟く。手を洗い、洗濯物をネットに入れる。それを洗濯機にポイポイ入れ、キッチンを覗くと置き手紙がテーブルに置かれていた。


お昼ご飯、冷蔵庫に入ってます。 母


まったく、無駄なことをしてくれる。


冷えた麦茶が欲しくて冷蔵庫に手を伸ばす。ガチャッと開けると、冷えた空気が部活で火照った体を鎮めてくれた。途端に、中の棚に目が行く。メシらしきものがラップに包まれてそこにあった。

俺は、見ても無駄だと自分に言い聞かせ、麦茶の入ったペットボトルを取り出した。大きなコップを用意し、トクトクと注いで一気に飲み干す。

「……ッかー! んめぇ! 部活なんて、コレのためにやってるようなもんだよなぁ!」


流石に言い過ぎか?


自問自答して、メシの準備に取り掛かった。

「確か素麺があったはず……」

キッチン下の棚をガサゴソ。出てくるのは、麺つゆ、ケチャップ、マヨネーズ。


どれも違うわい。


奥の方まで探し出して、やっと目当てのものを手に入れた。

「お、あったあった」

ちょっとお高い貰い物の素麺。五束入だから、取り敢えず二束茹でよう。

丁度その時、父が二階の書斎から降りてきた。

「おかえり、駿。今からご飯か」

「ただいま。そ。素麺茹でようと思って」

その言葉に父は違和感を持ったようだ。

「……ご飯なら母さんが作って置いてってくれたぞ? そこに置き手紙があるだろう」

「あー、俺! 一週間くらい前から自炊始めたんだよ。ほら、母さんの作る料理っていつも野菜ばっかじゃん? ……あー、そういや食いたいなと思ってて肉買おうとしなかったや。明日買いに──────」

「やめなさい」

俺が話してる最中に父が言葉を遮った。


え、……なに? いつもそんなことしないじゃん。


「自炊は、母さんが許しているならそれでいい。だが、肉を買うのはやめなさい」


な──────。


「……んで」

「……?」

「……ッンで!! なんで肉買っちゃいけねぇんだよ!? なんで母さんも父さんも俺が肉食うのやめようとすんだよ、なあ、なんで!? 俺ん家ってホントにベジタリアン一家なワケ!? 俺は違ぇから!! 肉食いてぇし!! 毎回、野菜、野菜って……!!」

俺は持っていた素麺を強く握りながら言った。素麺は幾本か袋の中で折れてしまっていた。

父は黙って聞いていた。しん、と辺りが静まり返る。

暫くして、父が、

「……お前の背にあるその食器棚。左下奥にノートがあるから、取ってみなさい」

と、言った。

俺は渋々言う通りにした。太いペンで「食べられます日記」と書いてある。


なんじゃそら。


しかもそれは一冊のみならず、五冊以上は軽くあった。

父に促され、俺は中を見た。そこには赤ん坊の写真と母が作った料理の名称、何が食べられて何が食べられないのか等、事細かに書いてあった。

「なに……これ。」

開口一番に出たのは間抜けな台詞だった。

「母さんが毎日書いてるノートだ。日記みたいなものだな。そこに、お前が食べて喜んでくれたもの、苦手だと思ったもの、そして、……その時のアレルギーと一日の振り返りが書いてある」


──────え。


「お、おれ、こんなの、しらない……」

「……ああ、知らなくて当然だ。母さんが知られないように黙って書き留めていたのだから」

「え? だって、アレルギーくらいは知っておいた方が……」

「父さんも最初、母さんにそう言ったさ。それが本人のためになるだろうと。だが、母さんはこう言ったんだ。

『食べたいものを食べられないって、そんな可哀想なこと、私言えないわ』と。」


暑さだ。……暑さか? クラクラしてきた。

もう聞きたくない。


「豚肉アレルギー。牛肉アレルギー。牛乳、魚卵、甲殻類……」

「やめ……やめて、くれ……」

「他にも、健康面にも母さんは気を遣っていた。そして、どう加工したら食べられるのかも。毎日お前のことを気にかけてくれてたんだ。母さんは確かに過保護だが」

「やめてくれッ!!」

カッと顔が熱くなった。これ以上、羞恥心に耐えられない。

「……分かったか」

父の言葉が、重かった。

「分かった……、分かったよ……」

その言葉を聞いて、父はもう何も言ってこなかった。父は用事を手早く済ませ、また二階へ戻った。

父は隣で、ずっと母の努力を見てきたんだろうか。そして、俺に悟られぬようにそっと見守っていたのだろうか。


──────俺が一週間無事でいられたのは、この家にあるものだけを使ったからだったんだ。


ぐっと熱く込み上げるものがあった。それを俺は抑えきれなかった。ウッ、ウッ……。咽び泣き、俺は立っていたその姿勢のまま、動くことができなかった。母さんの優しさが痛いほどに伝わって、つらくて。どうしようもなくて。

俺は、

「ごべん゙ッ……なざい……ッ」

この一言だけで精一杯だった。


*

「ただいまー」

日がまだ明るい、十七時。母はいつもと変わらぬ声音で家に帰ってきた。

赤く泣き腫らした顔で謝るのが恥ずかしかった俺は、食卓のテーブルに、母と同じように置き手紙を残した。

母がそれに気付く。

「ん? 何これ……」

テーブルに貼ってあった置き手紙を剥がして目を通す。と、母は涙を流してふっと笑んだ。

「もう……。駿ー! こういうのは面と向かって言いなさーいっ!」

置き手紙には、こう書いた。


ごめんなさい。やっぱり母さんの料理がいいや。

いつも、ありがとう。

駿

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