第02話 依頼主

 雲が晴れ陽が上り始め、有明の月も見えるころ。


 ケイは歓楽街から15km程離れた、ビネス南東にある準隔離スラム地区のごみ溜めに、血で汚れたレインコートを投げ捨て、人気の無い街の中を駆けていく。

 少しの物音もない静けさの漂う廃ビルの錆びた階段が、一歩一歩と踏み込む度にカランと乾いた薄っぺらな金属音を奏でる。

 そして、廃ビルの一室に入ると軋む扉と空気が、閉じる音を静かに鳴らした。

 

 室内に入ると、おもむろにテーブルの上に腰のポーチから出した5㎝大の球体を置き、手をかざした。

 球体はスッと30㎝程の高さに浮き回転すると、しだいにパズルの様に外殻がズレ始め、10㎝大の青白く光る球体へと変身する。そこから放射状に眩い青い光を放ち部屋全体を一瞬照らす。


ヴン……ピピピピッ


『スキャン完了。半径500m圏内に生体反応なし。高エネルギー反応なし。登録情報パーソナルコードを確認。遺伝情報ゲノムコードを確認。コードネームK……。承認しましたアクセプト

 球体はその名の通りで〝BORLボール (blood-operational-logistics-robot)〟と呼ばれる生体認識装置で汎用球体型ドローンである。


 この装置は個人の生体データゲノムを登録する代わりに、様々な情報の収集に役立ち、また個人情報漏洩防止のための戦略的なシステムが搭載されている。

 ボールそのものは武装されていないが、その小さなボディの中にはマッピング能力、高エネルギー感知機能、生体感知機能、自爆機能等を持ち、それ自体が他者に回収されることの無いよう工夫されていた。


「アイ、ターゲットは回収した。報告をしたい」

 ケイが話しかけると、光が球体の上に女性の姿を投影する。


 銀色のストレートの長い髪をした美しい女性。顔は人間そのものであったが、ピタッとしたボディスーツを着たようなそのカラダは、どれだけ目を凝らそうが肉眼では区別できない程精巧に創られた人工肌である人工肌綿体じんこうきめんたいが全身を覆っていた。


 彼女はケイがAIアイと呼んでいるアンドロイド、彼の相棒パートナーだ。


『ケイ、お疲れ様です。承知しました。依頼主のシェーネ・フラウ様にお繋ぎいたします』


 そしてもう1人、美しい魚人属マーフォークの女が現れた。クリアブルーの綺麗な肌、赤いストレートのショートヘアをピシッと揃え、黄色い瞳と赤い唇、まるでスーパーモデルのような姿。その女が妖艶な雰囲気で話始める。


『あら?』

「シェーネ、オレだ。報告がある」

『あら~?ケイちゃんじゃない。久しぶりねえ。連絡待ってたわよ?』


 ケイを少しからかう様に、でも嬉しそうに微笑むシェーネ。

 彼女はケイに時折仕事を依頼しては会う口実をつくっていた。それは彼に好意を持っているから、と言うわけではないらしい。

 数年前からの知り合いであるケイは彼女にとって弟の様な存在なのだ。

 そんな風に思われているなど、微塵も知る由もない所であった。


「まだ、依頼を受けて2週間足らずだろ?予定より3日は早い」

 呆れ顔で返すケイ。

 彼もシェーネに対して、少しの信頼を寄せているのだろうか、表情に多少の変化が見られる。亜人を殺した時すら顔色一つ変える様子のない青年だが、僅かに眉が上がった。


『も~っ。ケイちゃんったら。そんな怒らないでよ。あなただからこんなに早い報告なのは分かっているわ。聴くまでもないとは思うけど、結果はどうだったの?』

「見てくれ。これがお前たちの探していたモノか?一見ただの白い粉の様に見えるが……まさかドラッグの類じゃないだろ?お前がそんなものに興味があるとは思えないしな。一体これは何だ?」


 ドラッグは様々な種類が存在している。合法的なものから処罰対象に指定される危険な物まで。加工技術が進んだことで、砂金の様に美しささえ感じるほどである。

 だが、どうもシェーネの依頼にしては、今までに無いキナ臭さを感じさせられる。


『なぁに?ケイちゃん、わからないの?』

 冗談交じりに少し高い声色で口角を緩やかに上げて話すシェーネ。


「……おぃ」

 御託はいいから早く説明しろと言わんばかりにケイは睨みを利かせた。


『もぉ~、わかったわ。すぐにウチに着てちょうだい。ソレは外に出したままじゃ危険だわ。幾ら貴方が腕の立つハンターでもね』

 ケイの態度に嫌な表情一つせず、暖かい眼で話をするシェーネ。彼女のケイに対する信頼とある種の余裕が感じられる。


「別に興味はない。だが、明らかにやばい奴らが絡んでいるのは確かだ。お前が頼むから受けることにしたんだ……大丈夫なのか?」

 シェーネの目じりが少し下がり笑みをこぼす。〝大丈夫〟他愛のないこの言葉が彼女の心に深く響く。ケイを知る彼女ならではの感覚だろう。


『ふふ。心配してくれているのね。後でゆっくり説明するわ。気を付けてきてねケイ』


「はあ~……」

 溜め息を声に出し、頭を掻きながら映像を見上げ額にシワを寄せ、再びボールに手をかざして通信を切った。

 

 シェーネはケイが通信を切るまで、優しく彼の顏を見つめていた。

 アイは変わらず無表情でその様子を眺めていた。


『ケイ。そちらに向かいますね』


 ボールを懐にしまうと、サッと立ち上がり休む間もなく屋上まで駆け上がる。後ろを振り返り、耳にイヤホンの様な形状の白いモノをはめ込むと、黒い隈がジクジクと広がった。

 さっきまで居た部屋に向かって手をかざし、軽く息を吸って、腹筋に力をこめる。フッと空気が流れ、窓から砂ぼこりが立つのが見えた。部屋の中からケイの痕跡は消えていた。


 屋上に到着すると同時に、彼の上空に何かを中心に強い風が小さな台風の様に渦を巻き始める。空間がやや歪曲したかのように見えるそこから、宇宙船スターシップへの搭乗口が開いた。

 タンッと軽快な身のこなしでそこに飛び移ると、搭乗口はまた空間を歪ませる様にして空へと消えていった。


 それは宇宙船アマデウス。ケイの愛機だ。

 からすを模した鋭い形状の黒船。小回りが利く超小型〝アルマ級〟の宇宙船だ。

 

 ケイはアマデウスと相棒のアイと共に賞金稼ぎとして旅をしている。


 彼が乗り込み腰かけるとすぐシートが彼の体格に合わせてフィット。

 アイは彼の後部ナビゲーションシートに腰かけている。彼女は席を立ち、後ろからケイにハグをした。その際、シートから伸びる無数のコネクターが彼女の脊椎に接続されているのが見えた。それは、船と彼女の意識を融合させているのである。


「ケイ。お帰りなさい。さっそくシェーネ様との合流地点ランデブーポイントへ向かいます。よろしいですか?」

「あぁ。頼む」


 エンジンがパワーを上げると、大きな気流が発生し建物の隙間に風が流れ込み地鳴りの如く響いた。

 次の瞬間、強風を巻き上げソニックブームが起こり、強烈な衝撃で廃屋をビリビリと振動させた。


――――!!

 直後、鋭いエンジンの高音が鼓膜を刺し、天高くへと消えていった。

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