機械破壊者たち

諸星モヨヨ

第1話

 横断歩道がなかったので、丸尾まるお 亜美あみは二台、車をやり過ごしてから道を渡った。小走りでその電話ボックスに飛び込むと、言葉に出来ない虚脱感が彼女にため息を吐かせた。

 電話ボックスの外はすっかり夜の帳が降り、ガラス戸にはくたびれた自分の姿が映っていた。

 22で結婚して、2年になるがその実感は殆どない。2年の結婚生活で得たものは、捌け口のない怒りと、それを処理することへの徒労だった。

 亜美は財布から取り出した百円玉を次から次へと公衆電話へ流し込んだ。髪をかき上げ、受話器を取るとボタンを押す。

 3コールで人が出た。

 丸尾まるお 光雄みつお、亜美の夫。夫との電話にはルールがあった。誰にも破ることの出来ない残酷なルールが。


「今日は?」

 光雄の声で亜美は車道の看板を見た。

「麻布」

「随分遠いね」

「まあね、病院の周りはほとんど使っちゃったし」

「ったく、毎日そんなわざわざ手間かけて電話してくれなくてもいいのに」

「じゃあほかに方法が?」

「いくらでもあるだろう。コミュニケーション取る方法なんて、例えば………手紙とかさ」

「今どき、古臭い」

「でも、手書きの文章って結構胸打つもんがあったりするぞ?」

「声よりも?」

「時には」

 亜美はこめかみを掻きながら、電話ボックスに灯る電灯を見つめた。

「………で、体調は?」

「ん? 相も変わらず、気分は悪いし、腰は痛いし、心臓は何時止まってもおかしくない。順調に死に向かっているであります」

「笑えないけど」

「笑ってくれよォ、死にぞこないの俺の為にさ」


 夫が倒れたのは結婚式の二日前だった。心臓に病気が見つかり、即入院。たった二日後の結婚式も許してもらえないほど、絶対安静、要経過観察だと、医者には言われた。彼の言葉を借りるなら、光雄の心臓には導火線の見えない爆弾が敷設されているのだという。素人にはその爆弾を取り除くことは出来ない。爆弾を処理できるのはいつだって、爆弾処理班だけ。そして、その爆弾処理班は有料、かつそれも高額だった。

「で、そっちはどーなのよ」

「………またクビになった。工場のベルトコンベアごと全部ぶっ壊して」

「いいねぇ、流石亜美。工場をも破壊する女!」

「あーあ、面白いね、」

「嫌いになった?」

「なった」

「よし! じゃあ離婚しよ! ほら役所で届を貰ってきてさ!」

「じゃあそうしましょうか、って言うと思う?」

「…………だって、俺達、、まだ誓いのキスすらしてないんだぜ? それにこの2年、殆ど会ってない」

「私が病院に行ったら、あんた死んじゃうでしょ」

「別れよーぜ、お互いの為に。俺は俺の人生を全うし、亜美は別の人生へ再出発する」

 あなたの居ない人生に生きる意味があると思って?―思わず口を突きそうになって亜美は黙った。

「いいんだぜ。俺に構わなくたって。大体、お前は―」


 光雄が言いかけた時、ボックス内の電灯が弾けて消えた。もう時間がない。亜美は彼の言葉を押し切って尋ねる。

みつ、死ぬのって怖い?」

 光雄は笑った。

「怖いよ。そりゃもう、寝れなくなるくらいに」

「私は、怖くない。私は死ぬことより、光の居ない人生を生きていくことの方がずっと怖い」

「…………随分、ロマンチックなこと言うね。今日は」

「光、あなたの命は私が必ず助けるから。その為に新しい仕事も見つけた。全て、全て上手く行ったら………あんたの心臓、現金キャッシュで治してやる。そしたら、そしたら私達―」

 けたたましい電子音が会話をかき消し、やがて無音になった。電話ボックスを静寂が包み、通りを行く車のヘッドライトが亜美の長髪で反射した。

 受話器を何度も叩きつけ、言葉にならない悪態をつく。

夫との電話は一日三分。それがルールだった。亜美は、夫の爽やかで不安を押し殺した残酷で明るい声を耳朶に思い浮かべながら、その場にへたり込み、唸るようにして泣いた。すべて受け止めるにはどう考えても、自分のキャパシティを越えていた。



 その男に出会ったのは、2日前。その日、とある企業の本社ビルに亜美は呼びつけられた。酷く簡素でこざっぱりした応接室に通され、程なくすると一人の男が現れた。パリッとしたスーツに身を包み、生真面目で隙のない柔和な顔。抜け目のない清潔感に亜美は居心地の悪さを感じた。


 男はカシワギと名乗った。

「お話は聞いています。我が社の部品工場を破壊したと」

 優しい笑顔で彼は、亜美にソファーへ座るよう促す。

「破壊っていうか………」

「ベルトコンベアと光学システムに不具合を起こさせ、工場の稼働を一時的に麻痺させた、と言った方が良かったですか?」

 言いながら、彼は机を挟んで亜美の対面に座った。

「わ、わざとじゃない。それに、私は何かしたわけじゃなくて……信じてもらえないかもしれないけど、昔から、ただ―」

「ただ、触れただけで壊れる」

 亜美は言いかけた言葉を口内に留めたまま、微かに微笑むカシワギの口元を見た。厳密に言えば、触れるだけではない。昔から彼女の傍にあるありとあらゆる機械は、ことごとく使用不可能になる。何の理由もなしに。


機械破壊者ラッダイト。我々はそう呼んでいます。私たちのように精密機器を製造販売する会社にいると、稀にそう言う人間がいるんです。あなたも聞いたことがあるのではないですか? 触れたり触ったりするだけで、物を壊す人。何もしていないのに、触れれば必ずパソコンを不具合を出す人。普通、それは偶然だとか不注意だという言葉で片づける。パウリ効果などと言う冗談まで使って。でもそれが間違いだということは、あなたが一番よく知ってるはずです」

「らっだいと………」

 亜美はその言葉を静かに反芻する。

「試しにこれを」

 そう言うと、カシワギはポケットから懐中時計を取り出し、机の上を滑らせた。

「ストップウォッチになっています。上のリューズを押すと、時間の計測が始まります」

 亜美は言われた通り、時計を手に取ると、すぐさまスイッチを押した。文字盤中央の小さな針が素早く回転し、それを追いかけるように長針が進み始める。進む時間を凝視しながら、亜美はカシワギの意図を探ろうとした。が、無駄だった。針は彼女が考えるよりも早く止まっていた。短針はぴったり24秒を指している。


 カシワギが感嘆ともため息ともつかぬ吐息を吐き出し、顎をかいた。

「………これでは普通の生活を送るのは難しいのでは?」

「昔からだから、慣れてるし……それにもう、どうでもいい」

「………なるほど、だから毎晩公衆電話で会話を………」

 カシワギは受け取った時計をまじまじと見ながらひとりごちる。やがて、亜美の向ける怪訝な視線に気が付くと、彼はすぐに頭を下げた。

「この数日、あなたの身辺調査をさせて頂いたことは謝ります。ただ、中々辛いお話ですね。入院中の旦那様の元へ行こうにも、その体質が故に生命維持装置を壊す恐れがあるので、面会も不能。唯一の会話は公衆電話。スマートフォンも固定電話もダメですか?」

「電話は三分が限界」

「………なんとも。今まで数々のラッダイトを見て来ましたが、ここまで力の強い方は初めてかもしれません」

 男がそう言いながら、顎に手を当て再び自分の世界へ入ろうとしたので、亜美は堪らず切り出した。

「で、いくら賠償すればいいわけ?」

 真剣だったカシワギの顔が崩れ、あの柔和な口と目で亜美を見据えた。

「いえ、賠償は結構です。ただ、その代わりある機械を壊して頂きたいのです」



つづく


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