君の誤算

ハルカ

もし落ち合えたなら

 君と疎遠になってから、もうずいぶん経つ。

 俺が高校に入学した年からだとして、かれこれ12年か。

 それなのに今さらを送ってくるだなんて、どういうつもりだ?


 差出人に君の名前を見つけて、こっちがどれだけ驚いたか。

 しかも、その中身がまさかの日記帳だなんてな。

 俺なら遠慮して読まないとでも思ったか? 残念だったな。読んだよ、隅から隅まで全部、暗記できるくらいに。当然だろ。


 さて、もう一度聞こうか。

 俺にこんなものを送ってきて、いったいどういうつもりだ?

 真実を知って欲しかったのか?

 自分が生きた証を残したかったのか?

 それとも、自分が死ぬ理由を伝えたかったのか?


 ……ああそうか。君は律儀な奴だからな。

 どういう事情で自死に至ったのか説明してから死のうと思ったのか。

 ふん。いかにも君らしいじゃないか。


 だが、ご両親にこんな内容の日記を読ませるのは気が咎めたのだろう。

 そこで思い浮かんだのが、昔から自分のことを知っている相手――つまり俺だったというわけだ。

 俺に送れば悪いようにしないと思ったんだろう。


 それに、たしか君は社宅で暮らしていたんだったな。そう、ご両親から聞いたんだよ。

 もしかしたらこの日記が会社の上司や同僚に見つかるかもしれないと君は考えた。

 そうなれば最悪の場合、誰かにこっそり持ち出されて「なかったこと」にされかねない。

 ……とまあ、これは邪推だが。


 ともかく、日記帳を開いて驚いたよ。

 君はいつも整った字を書いていたのに、日記の文字はひどい殴り書きだった。

 あるいは震え、あるいは歪み、ところどころ涙で滲んでいたりもした。

 でも、たしかに君の字だ。

 わかるさ。小学校に上がる前から一緒にいたんだから。


 あの日記帳には、君の怒りも悲しみもありありと記されていた。

 こんなにぼろぼろの字しか書けない状態になるまで追い詰められながら、よくやったな。辛かっただろう。

 もう、褒めてやることはできないけれど。


 こんなことになるなら、もっと君に勉強を教えてやればよかったな。

 そしたら君の未来もいくらか変わっていたのかもしれない。あんなタチの悪い会社に就職することだってなかったかもしれない。

 まあ、それは言っても仕方のないことだけど。


 そういえば君、中学の同窓会にも顔を出さなかったよな。

 いつも仕事を理由に断っていただろう。その頃は仕事なんてただの口実だと思ってたけど、あの日記を読んでわかったよ。本当に休みが与えられていなかったんだな。


 いや、休みだけじゃないか。

 職場の上司に怒鳴られ、同僚からも嫌がらせを受け、君は人としての尊厳も、まっとうな生活も、心身の健康も、日常のささやかな幸福も、すべて奪われた。

 そして最後は、自死に追い込まれるというかたちで命までも奪われた。

 なあ、そうだろう。


 ところで、君には幾つかの誤算がある。

 まずひとつめ。

 俺は今、弁護士をしている。

 知らなかっただろう? 無理もない。君は大学進学と同時に地元を離れて、そのまま向こうで就職したからな。


 君のご両親はご健在だから、お二人を原告にして裁判を起こすことができる。

 ご両親は、君が亡くなったと知ってひどく嘆き悲しんでいたよ。君が殺されたのか、きちんと伝える義務が俺にはあるだろう。


 だから、君の会社を訴え、すべてを白日の下へ晒す。

 奴らを徹底的に追い詰めて、地獄の底に叩き落してやる。


 さてと、ふたつめの誤算だが。

 なぜ俺が良い高校や大学を目指したのか、ということだ。

 君は、自分が第一志望の高校に落ちてから、俺のことを避けてただろう。どうせくだらない劣等感に苛まれていたのだろうが、俺の方だってあれにはひどく傷ついた。そっちが俺を避けているのを知ってたから、声はかけなかったけど。


 でも、俺が勉強を頑張ってこられたのは君のおかげだ。

 俺は君を幸せにしたくて勉強を続けてきたんだ。だから君が俺に引け目を感じるのは見当違いってやつだ。

 でもまさか、勉強してきたことがこんなふうに役立つとは思っていなかったけどな。


 そして、みっつめの誤算だ。

 鈍い君でもさすがにわかったんじゃないか? そう、俺は君のことが好きだった。ずっと昔から。

 きっかけ? そんなのはどうでもいいじゃないか。

 好きだったんだよ。好きなんだ。今も。


 中学に上がってからも、高校で疎遠になってからも、大学に進んでからも、弁護士になってからも、ずっと俺は君のことを想い続けてきた。君のことばかり考えていた。君以外の誰かに興味を抱くことができなかった。

 おかげでこの年まで独身だ。お見合いの誘いがひっきりなしで仕方ないよ。

 まあ、全部断っているんだけど。


 ……男はさ、期待するんだよ。

 想い人からあんなものが送られてきたらさ。

 俺には君が助けを求めているように感じたんだ。君が俺を頼ってくれているように感じたんだ。あはははは、単純だよな。


 それで、よっつめ。

 おそらくこれが君にとっての最大の誤算になるだろう。


 今回の件がすべて片付いたら、俺もに行こうと思う。

 だって一人は寂しいだろう? お互いにさ。

 少し時間はかかるかもしれないが、どうか待っていて欲しい。


 もし落ち合えたなら、二人でゆっくり話をしよう。

 愛している。

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